「はぁ…。」
クラピカは学校の屋上でただ呆然と空を見つめていた。
そして離れたところにもう一人。同じ状態の女がいる。
マチだ。
あまりに無神経で一方的なクロロの言動は、当然受け入れられるはずもなく、約束は反古となった。そしてクラピカとレオリオを別れさせることには成功したものの、クラピカのクロロに対する心象はこれ以上無い程、最悪なところまで堕ちていた。
クラピカとマチはお互いの存在に気付き、目が合った。
「…。本当、人の気持ちを何だと思ってるのかね。」
「まったくだ!ちょっと気に掛けてやれば調子に乗りおって。」
「男ってホント馬鹿よね!」
「まったくだ!」
「ってアンタも男でしょ。」
「あぁ…そうだったな。」
他愛も無い会話であったが再び目が合い、フッと笑いが込み上げてくる。
公の場で一方はクロロに、一方はレオリオに恥をかかされた2人。
しかしこんなことに腹を立てていること自体が馬鹿馬鹿しく思えてきた。
以前の2人なら互いが忌み嫌っていたはずなのに、今は親しみすら湧いてくる感覚だった。
そしてそれからというもの、2人は自然と屋上で会話を楽しむ様になった。
「クラピカは好きな子とかいないの?」
「私はまだそう思える相手はいないな…。」
「そう、アタシはクロロが好き。」
クラピカに対し、なぜここまで素直になれるのかマチ自身も不思議でならなかったが、偽らないことでふと肩の力が抜けていくのを感じた。
クラピカもまた、真っ直ぐな想いを素直に伝えてくるマチを可愛い女性だと心から思った。
クラピカにとっては物心ついた時から本当に心許せる友人というのはレオリオとゴンだけだったし、女の子とまともに話したのはマチが初めてだった。
というのもクラピカ自身、他者との接触を極力避けていた。気を許したことで自分の秘密が露見してしまうのではないか、それだけは何があっても阻止したかった。
それがマチに対してはどうだろう。自身でも理解出来ない位警戒心が薄れ、これまでにない心地よさを感じていた。
この様なことは以前のクラピカならあり得ないことだったが、やはりクラピカも年頃の女の子。心の奥底ではお洒落もしてみたければ恋だってしてみたかった。
けれども自身を偽って生きているクラピカにとっては許されないこと。したくても出来ない。だからこそ自分に正直で奔放なマチに一種の憧れを抱いていたのだった。
マチと親しくなればなる程彼女の人となりを知っていき、クロロもマチに対し好意を寄せていると思い込んでいるクラピカは、なぜクロロはこのような可愛い女性に遠回しなことばかりしてはっきりと自分の気持ちを伝えてこないのか、もどかしい気持ちになった。
少しでも彼女の力になれないものだろうか…。
クラピカはそう考える様になっていた。
一方、クロロはあの一件以来一切の接触を許さず一言も口を聞いてくれなくなったクラピカに、この世の終わりすら感じていた。
けれど、ほんの少しでいいから話を聞いて欲しかった。自分の気持ちを伝えるチャンスが欲しかった。
そしてそのタイミングを見計らい、意を決してクラピカに声をかけた。
「クラピカ!話したいことがあるんだ!お願いだから、少しだけでも時間をくれないだろうか。」
ダメ元で詰め寄ったクロロに対しクラピカは意外な程あっさりとこう答えた。
「あぁ、いいだろう。私も一度お前とゆっくり話をせねばと思っていたところだ。」
二人は人気の無い校舎裏に移動し、しばらくの沈黙が流れる。
クラピカが話そうとした瞬間、クロロが切り出した。
「…クラピカ。俺は君のことが好きだ。愛してる。」
「…!!……」
クラピカは言葉を失った。
目の前にいる男は一体何を言っているのだろう。
私は何をしにここへ来たのだろう。。マチとクロロを取り持つために来たのではなかったのか。
それが。。いや、これは何かの間違いだ、聞き間違いなんだ!
ぶつぶつ言い出したクラピカにクロロは心配そうに声を掛けた。
「…そんなに困った顔しないで。君を困らせるために話したんじゃないんだ。ただ」
「嘘だ!!私は!!……。」
クロロの言葉を遮って思わず声を荒げたクラピカだったがそれに続く言葉が浮かばない。
「君に嘘はつかない。それに…大丈夫だよ、分かってる。君の気持ちは分かってるよ。ずっと見てきたからね。俺のこと、何とも思ってないんだろ。」
「き、嫌いだ!お前のことなんて!大嫌いだ!!」
クラピカはとっさに言ってやった。そう、大嫌いだ。マチの気持ちが分からないヤツなんて。唯一できた友達だったのに…。
クラピカに拒絶され、一瞬とても悲しそうな表情を浮かべたクロロだったが最後の力をふりしぼり、声なく笑いかけた。
「はは…。そうだよね。嫌いにもなるよな。でもごめん、この気持ちを偽ることは出来ないんだ。初めて会った時からずっと君に惹かれてた。これからもきっと好きだと思う。」
思いもよらぬ言葉が次から次へとでてきてクラピカの脳内はパニック状態だった。それを察したのか、最後に一言だけ告げてクロロは去っていった。
「…本当に、困らせるつもりはなかったんだ。どうにかする気もない。ただ知っておいて欲しかった。…それじゃ。」
どのくらいそうしていただろう。気付いたら何度目かのチャイムが鳴って、あぁそろそろ教室に戻らないとと思ってフラフラと校舎に入っていくとゴンが「あー!クラピカ今まで何やってたの!!?☆〇▲♯♭ヶХ♀〜」とか何とか言っていて…。
クラピカの思考回路はぐちゃぐちゃに乱れてしまっていた。
その時。
「あー、クラピカ、そんなとこにいたの。探してたのよ。」
マチだ。
―ズキン。
クラピカの心に底知れぬ罪悪感が生まれる。
何故だろう。何故自分は後ろめたいことなど一つもしていないのにこの様な気持ちになるのだろう。
「…。」
「?…どうしたの?深刻な顔しちゃって。」
マチは不思議そうにクラピカの顔を覗いた。
「いや、何でもない。」
マチにだけは知られてはならない。絶対に!!
クラピカはたった一人の女友達を失いたくなかった。けれどそれと同時にクロロのあの真剣な顔が頭から離れられなくなっていた。
何故か胸が締め付けられる様な苦しい様な、不思議な感情が込み上げてくるのだった。
それからしばらくクラピカはどこか上の空だったり溜め息ばかりついていたり、様子がおかしかった。人の感情の変化に敏感なマチがそれに気付かないはずがない。
しかし、そのことに対していくら問いただしてもクラピカは頑なに口を開こうとしないので、マチも諦め、あえて聞こうとはしなくなった。
そんな折、
「アタシ、クロロに告白しようと思う。」
「!!」
突然のマチの言葉に絶句するクラピカ。『クロロ』という言葉を聞いただけでドキッとしてしまう。
「…そうか。でも、今までずっと言わずにいたのに、良いのか?万が一その告白がうまくいかなかったら…」
「くすっ。可笑しなこと言うのね。告白なんてダメ元だもの。うまくいったらラッキー♪くらいに思っとかなきゃ。最初から後ろ向きに考えてたら始まるものも始まらなくなっちゃう。そう教えてくれたのはクラピカ、アンタでしょ。」
優しく微笑むマチに、クラピカは今にも泣きそうになる。何故人は駄目だと分かっていても人を好きになるのか。恋をするのか。
恋は人を美しくする。マチも。クロロも…。
覚悟を決めたマチは今見た中で一番綺麗で、キラキラと輝いて見えた。
放課後になって、今からクロロを探して会ってくるというマチが気掛かりで、クラピカは図書室で精神を統一させていた。
そしてそこへやってきたのは、他でもないクロロだった。
「クラピカ、久しぶりだね、元気してた?」
あの一件以来、会話を交わすことも顔を合わせることもなく過ごしていた二人だったが、その間の期間が物凄く長く感じられた。
そしてその反面マチのことが気になって仕方ないクラピカは、自分の中に芽生えた感情を打ち消す様に切り出した。
「マチは、マチには会ったのか?」
「え、マチ?いや、今日はまだ一度も見てないけど。」
「そうか…。」
また少しの沈黙が流れる。
「クラピカ大丈夫?何か少しやつれた様に見えるけど。」
そういうクロロの方が何倍にもやつれている様にクラピカには思えたが、感情を押し殺し口を開いた。
「クロロ…。もう私には話かけないで欲しい…。」
それを聞いたクロロは、今まで抑えていたものが一気に溢れてくるような気持ちになった。
「どうして?話かけることも出来ないの?そんなに俺が嫌なの?」
いつもと違うクロロに、動揺を隠しきれず見つめるクラピカ。
「…好きとか嫌いとか、そういうんじゃないんだ。第一、私は男だし…。」
「男だろうと関係ない!クラピカはクラピカだろ?俺はクラピカが好きなんだ!」
その言葉にクラピカは自分の顔がみるみるうちに赤くなっていくのを感じた。
そしてその瞬間ぎゅっと抱きしめられた。
クロロの鼓動がドクンドクンとクラピカの耳に響いてくる。自分の心臓の音も聞こえてしまっているのか、クラピカは少し恥ずかしい気持ちになった。
出来ることならずっとこうしていたい。けれどそうはいかなかった。クロロの胸を両手ではねのけようとしたその時。
―ガタン。
二人の視線の先にあったものはマチの姿だった。
マチは溢れだしそうな涙をこらえて去っていった。
クラピカはクロロを突飛ばし必死でマチを追い掛けた。
「マチ!!!」
「こないで!!アンタなんか大嫌いよ!笑ってたんでしょ。アタシの気持ち知ってて、心の中で笑ってたんだ!」
「違う!!違うんだマチ、これは…」
「裏切り者。もう二度とアタシの前に現れないで!」
そう言い残し、走り去っていくマチ。深い悲しみの色がクラピカを支配した。
こんなに大切な人を傷付けてしまった。
『裏切り者』…マチの、全身で拒絶しながら泣きじゃくる姿とその言葉がクラピカの脳裏から離れず、消し去ることは出来なかった。
そしてマチも、やり場の無い怒りと悲しみに打ち拉がれていた。大好きだったクロロとクラピカ。大好きだったからこそ余計に憎い。そして今まで全く気付かなかった自分にも腹立たしい気持ちになった。
思い返せば思い当たる節はいくらでもあったのに…。バラバラだったパズルが次から次へと合わさっていく。気付けば気付くほど悔しい感情が溢れ、全身を硬直させる。
こんな屈辱を味わったことがあっただろうか!このままではすませない。マチはただ全てをめちゃくちゃにしてやりたかった。
しばらくクラピカとマチが言葉を交わすことはなかった。クラピカはマチと何とか話がしたくて教室へ出向いたり屋上で過ごしたりしていたが、マチは頑なにクラピカの存在を無視し続けた。
そんな時ふと、クロロも今の自分と同じ気持ちで必死に気持ちを伝えようとしていたのかなとクラピカは思った。そんな彼をひたすら否定し続けた自分。彼の思いを考えるとクロロに対しても申し訳ない気持ちで涙が出そうになった。
そんなある日、突然マチがクラピカの教室へやってきた。
「マチ!ずっと、話がしたかったんだ。」
「ねぇ…アンタクロロの気持ち知っててアタシの相談のってたの?」
「…」
「クラピカ、クロロの事好きなの?」
「違う!そんな気持ちは全く無かった。」
「無かった?今もそう言い切れる?」
「…私は、マチの方が大事なのだよ。」
「クラピカは…アタシの事が好き?」
「あぁ。とても大切に思ってる。」
「そう…じゃあアタシと付き合って。」
「!?…でもそれは!」
「クラピカはクロロじゃなく私が好き。だったら…出来るよね?」
クラピカはマチの気持ちが痛い程よく分かっていた。マチは今でもクロロの事が好きなのだ。そしてこれはクロロと自身に対する当て付けなのだということ。
マチの気持ちが分かるからこそ、これ以上マチを傷付けることは出来なかった。
クラピカはマチの望む通り、小さく頷いた。
つづく