001 はじめて



「ねえ。僕らがはじめて酒盛りしたのいつだったか覚えてる?」


つい先日まで蕾だった桜の花がほころび、見事としかいいようのないほど満開になったある日の夜。

忍たま長屋の善法寺伊作・食満留三郎の部屋で酒盛りをしていた六年生達は伊作の言葉にそれまでの会話を全て止め、彼の方へ視線を向けた。

「伊作?どうしたんだ、急に」

いきなりの言葉に彼と同室でこの部屋の主の一人でもある留三郎が口に付けていた盃を離して不思議そうに尋ねる。

「ううん、本当にふっと皆覚えてるかなー?って思っただけなんだどさ」

当の本人は酒のためか少し赤い顔をしてにこにこと笑っているだけだ。

「…五年生になったばかりの頃だろ」

その問いに答えたのは伊作の隣で、こちらは平然とした顔で自分の手酌で酒を飲んでいた立花仙蔵。

「…五年生全員で校外実習に行って帰ってきた日の夜だった」

それに続くように呟いたのは中在家長次だ。

「やっぱり仙蔵と長次は覚えてたね」

嬉しそうに笑いながら言う伊作に七松小平太が「俺も!俺も覚えてるよ!」とこちらは真っ赤な顔をして元気良く手を挙げながら話しかける。

「あの時いさっくんがいた木が急に折れて、そのままいさっくん落ちちゃって足捻ったんだよね〜」

「そういえばそうだったな。あの時、『やはり伊作だな』と皆で笑いあったものだ」

「ちょ、こへ。何でそんなことまで覚えてるんだよ。ってか仙蔵ひどい」

「本当のことだろ?」

少しだけ拗ねたように文句を言う伊作に仙蔵が口元に笑みを浮かべたまま返す。

「それでさ、足を捻っちゃったいさっくんをおんぶして学園まで帰ってきたのが文次だったよね」

小平太の確認に今まで言葉を発さなかった潮江文次郎が「おう」とだけ答えた。

「そうだったな。それで、伊作。何でいきなりそんな話を…」

「あぁ、実はね」

「その日が昨年の今日だってことだろ」

留三郎の問いの答えようとした伊作が驚いたように文次郎を見遣る。

「何だ、違うのか?」

自分の盃に酒を注ぎ、それを一口飲んでから尋ねる文次郎に伊作は慌てて首を振った。

「ううん。そうなんだけど…まさか文次郎が答えるなんて予想してなかったからさ」

「バカタレ。それくらい分からなくてどうする」

それだけ言い再び盃に口を付ける文次郎に仙蔵が膝でにじり寄った。

「さすが文次郎。伊作のことに関してはすべて覚えてるようだな」

「え?」

「っぶ…!」

「うわ!」

仙蔵の言葉に伊作がきょとんとすると同時に文次郎が口に含んでいた酒を思い切り吹き出した。

留三郎に向かって。

「文次、大丈夫!?」

伊作が慌てて文次郎のそばにいき、その背中をさする。

「ッ…ゲホゴホッ…仙蔵、てめぇ…!」

「おや、図星か?」

にやりと人の悪い笑みを浮かべながら言う仙蔵を睨み付けている文次郎とその背中をさする伊作の頬が微かに赤く染まっているのは酒のせいだけではない。

「文次郎〜…てめぇ…っ」

一人、文次郎が吹き出した酒をまともに浴びた留三郎は額に青筋を立て、文次郎を睨み付ける。

「まさに文次郎の汁まみれだな、留三郎。そのままにしておくと文次郎菌がうつるぞ」

「俺はばい菌か!!」

仙蔵の言葉に何とかむせが収まった文次郎が叫んだ。

「うるさいぞ、文次郎。先生方に聞こえたらどうするんだ」

「…っ!!」

飄々といってのける仙蔵に文次郎は悔しさのあまり拳を握りしめぎりぎりと歯をかみしめた。
その額には青筋が何本も浮かんでいる。
その姿を見ながらも留三郎が文次郎に声をかけた。

「おい、文次郎。」

「なんだ留三郎。」

「とりあえず、俺に謝れ」

「とりあえず、じゃねぇ!大体あれくらい避けきれんでどうするんだ!」

「まさか目の前で酒吹き出されるなんて予測できるわけないだろ!!」

「留三郎の言うとおりだな、文次郎」

「元はお前のせいだろ、仙蔵!」

「おや?私は真実しかいってないはずだが?」

「ちょ、ちょっと三人とも落ち着いて…」

「大丈夫だって、いさっくん」

段々と殴り合いに発展しそうな勢いの友人達を宥めようとする伊作を小平太が止める。

「こへ、でも…」

「大丈夫。三人とも楽しんでやってるんだからさ」

小平太の言葉にいつの間にか伊作の隣に来た長次も頷いた。
その言葉に三人を見れば確かに三人の目は険を含んでおらず、それどころか楽しそうにさえ見える。

「…本当だ」

「ね、だから大丈夫だよ。それよりさ、あれからもう一年経っちゃったんだね」

空になっている伊作の盃に酒を注ぎながら小平太がどこかしみじみと呟いた。

「うん。なんかあっという間だったよね」

注がれた酒を見ながら伊作が答えた。

月日などあっという間だ。
ついこの間、忍術学園に入学したばかりだと思っていたのにもう最高学年だ。

そして、来年の今頃は…−

そこまで考えてから伊作はぶんぶんと首を振った。

大丈夫、まだ時間はある。
まだ六年生になったばかりなのだから。

「いさっくん…?」

「…卒業してもさ」

盃の中で揺れる酒を見つめたまま伊作が静かに言葉を紡ぐ。

「え?」

「卒業してもさ、こうしてまた皆で酒盛りできたらいいよね」

それが無理なことくらい伊作にだって分かっている。
この学園を卒業すれば、プロの忍者としての生きていくことになる。

そうすれば甘えは許されない。
優しさはいらないものだと考えられ、今こうして笑いあっている友人達とさえ斬り合うこともあり得る。

そう思うと忍者の世界では『友情』は邪魔なものなのかもしれない。
でも−

この学園で知り合った友人達が大切なのは事実で。
ずっとこのまま一緒にいられたら、とさえ願ってしまう。

伊作の言葉に全員が黙り込み、部屋の中を静寂が包む。

「…あ」

やっぱり無理だよね、と伊作が続けようとした瞬間。

「うん!卒業してもやろうな、酒盛り!皆で集まってさ」

小平太が満面の笑みを浮かべて力強く言い切った。

「…ああ。やろう」

小平太に続くように頷いた長次の顔は微かに笑みが浮かんでいる。

「そうだな、それも楽しいかもしれんな」

仙蔵が顎に指を添え考えるように答えた。

「なら、集合場所は伊作の家で決まりだな」

「な、なんだよ、それ」

笑いながら言う留三郎の言葉に困ったように笑いながらも伊作はまだ信じられなかった。

無理だといわれると思っていた、駄目だと言われると思っていた。
でも、今目の前にいる友人達は簡単に伊作の言葉を承諾し、同意してくれている。

「バカタレ」

次の瞬間。
文次郎の低い声が部屋に響いた。

「文次…」

その声に伊作は文次郎へ視線を送る。
文次郎は眉間に皺を寄せたまま伊作の元へ歩み寄ってくる。

てっきり怒鳴られると思った伊作は少し顔を伏せたが、文次郎から放たれた言葉は伊作にとっては充分すぎる程予想外だった。

「『伊作の家』じゃねぇ。伊作と『俺』の家だろうが」

「…え?」

「なんだ、文次郎。その言い方だとまるで、卒業後お前と伊作が一緒に住むみたいではないか」

仙蔵が笑みを浮かべたまま突っ込むと文次郎は「一緒に住むに決まってるだろうが」とふんぞり返って言い放った。

「…え?!」

その文次郎の言葉に伊作は目を見開いた。

「も、文次?」

「…なんだ?まさか嫌とかいわねぇよな?」

「…」

嫌ではない、嫌ではないがそんなこと考えたこともなかった。

ずっと一緒にいたいと願っていても文次郎はきっと嫌がるだろう、と決めつけていた。

「おい、伊作」

黙り込んだ伊作に文次郎が目を据わらせる。

「伊作、嫌なものは嫌だといった方が良いぞ」

「仙蔵!」

仙蔵の言葉に文次郎が振り返り自分と同室の級友を睨み付けた。

「…い、嫌じゃない。嫌じゃないよ!ただちょっとびっくりしちゃって…今までそんなこと考えたことなかったから」

そのままだとまた言い合いに発展しそうな文次郎を止めようと伊作が慌てて答えると、文次郎は大きく息を付いた。

そのまま伊作の頭を軽く拳骨でコツン、と叩く。

「いた…っ!…文次?」

「まぁ、まだ時間はあるしな。ゆっくり考えろ」

「う、うん」

文次郎の言葉にそう頷いてから伊作は友人の顔を見回した。

仙蔵、小平太、長次、留三郎−そして、文次郎。

皆、顔に笑みを浮かべて自分を見ている。
伊作はそれに答えるように満面の笑みを浮かべた。

そして−

「…−じゃあ約束!卒業してからも酒盛りしような」

小平太の言葉に全員が頷いた。




−あとから思えば、それが六人で交わしたはじめての約束だった。はじめてで…さいごの約束だった−




作成日:2008 5.3
UPした日:2008 5.4