007 空



『光陰矢の如し』という言葉がある。
その言葉の通り、月日というのものはあっという間に過ぎていく。

そして気がつけば深緑の制服に身を包むようになっていた。

「はぁ…」

そんなある日。

猪名寺乱太郎は六年は組の教室から空を見上げながら大きな溜め息をついた。

「乱太郎、どうした?」

その溜め息に摂津のきり丸が尋ねる。
乱太郎は視線を空から級友の彼にうつしちょっと思っただけなんだけど、と前置きをしてから話し始めた。

「…私達が卒業したら先輩達のこと知ってる生徒いなくなっちゃうんだなあって考えちゃってさ」

「先輩達…?何いってるんだよ。三郎次先輩達、去年卒業したばかりじゃない」

唐突にそんな話をする乱太郎にきょとんとしながらもきり丸はつい最近卒業した一つ年上の先輩の名を口にする。
考えてみれば先輩達とは一年生の頃こそ喧嘩ばかりだったけど、お互いに学年があがるうちにいい関係を作れるようになったよな、ときり丸が付け足した。

しかし乱太郎は小さく首を振ると苦笑する。

「違うよ。私が言ってるのはもっと上の先輩達のこと。」

「もっと上っていうと…」

「伊賀崎孫兵先輩達?」

その名を口にしたのは同じく級友の福富しんべヱだった。

「ああ伊賀崎先輩…」

「よく毒虫を逃がして大変だったよね」

孫兵の名に話に乗ってきた生物委員の夢前三治郎と佐武虎若が頷き合う。

「それを言うなら神崎左門先輩だって大変だったよ」

さらに会計委員の加藤団蔵も話に乗ってきた。

「決断力のある方向音痴だったもんな、神崎先輩」

きり丸が団蔵の言葉に同意するが乱太郎は確かにそうだけど、と付け足してから首を振る。

「もしかして乱太郎。滝夜叉丸先輩達のことかよ!?」

乱太郎の言葉にきり丸があからさまに嫌そうな顔をした。
その顔に乱太郎も慌てて答える。

「違うよ、もっと上!」

「もっと上…?不破雷蔵先輩達?」

二郭伊助が尋ねる。

「違う。だって雷蔵先輩達は私達が卒業しても五年生が覚えてるじゃない」

「じゃあ…」

ある一つの学年が脳裏に浮かびは組全員が黙り込んだ。
自分達が井桁模様の制服の頃。
今の自分達が着ている深緑の制服を着ていた先輩達。

「乱太郎が言ってるのってもしかして…善法寺先輩達?」

「うん」

黒木庄左ヱ門の言葉に乱太郎が頷く。
言われてみればそうだ。
乱太郎達より下の学年はあの頃の六年生達を知らない。

当たり前といえば当たり前だが、あの頃の六年生を知っているのは生徒では自分たちの学年だけになっていた。

「中在家先輩か。いつも無口で不気味だったよな」

きり丸がそう言えば団蔵が「潮江先輩はあの頃忍術学園一忍者しているなんて言われてたよな。会計委員会も徹夜なんて当たり前だったし」と続く。

「七松先輩だっていつも『いけいけどんどん』で体力ありあまってて体育委員会、ついていくだけでも大変だったよ」

「食満先輩はいつも僕たちに優しかった。ね、しんべヱ」

「うん!」

体育委員の皆本金吾が苦笑しながら話し、用具委員のしんべヱと山村喜三太が頷き合う。

「立花先輩はいつも冷静だったっけ。」

作法委員の笹山兵太夫が思い出すように呟いた。
皆の言葉を聞いてから乱太郎も口を開く。

「伊作先輩は不運委員長なんて呼ばれてたよね。やっぱり不運だったけど…すごく優しかった。」

「今思うとどの先輩もいい先輩ばかりだったね」

庄左ヱ門の言葉に十一人全員が頷いた。


「そういえば…」

喜三太が何かを思いだしたかのように声を上げた。

「食満先輩、卒業する少し前、よく空をみてたよね」

「うん、そうだったそうだった。」

喜三太に話を振られしんべヱも思い出したように肯定する。

「あ、七松先輩も皆でマラソンしてる時とかにふと空を見上げることがあった。なにかあるのかなと声をかけると『ああ、すまん。何でもないんだ』という返事しか返ってこなかったけどさ」

「そういやぁ中在家先輩もたまに空を見上げてたな。で、何してるんですかねって雷蔵先輩に尋ねると決まって先輩困ったように笑ってたんだよね」

「立花先輩もあった。ふとした瞬間に空を見てるんだよね。それでその横顔見ると、声凄くかけずらかったの覚えてるよ」

「潮江先輩もあったかも。本当に一瞬だから自信ないけど。」

その話を聞きながら乱太郎はあることを思い出した。

それは自分たちがまだ一年生だった頃。
六年生達があと数日で卒業、というある日。

当番で医務室に向かっていた乱太郎は渡り廊下で空を見上げていた善法寺伊作に声をかけた。

『伊作先輩!』

『乱太郎』

名前を呼ばれると伊作はハッとしたように乱太郎の方へ視線を移しいつも通りににこりと笑いかけた。

『そっか。今日は乱太郎が当番だったね。』

『はい!…伊作先輩、今何を見てたんですか?』

『ん?ああ。空を見ていたんだよ』

そういうと伊作は再び空へと視線を向ける。
それにならって乱太郎も空を見上げた。

その日は雲一つ無い晴天で。
青空が何処までも何処までも広がっていた。

『すごい…今日はいいお天気ですね』

『うん、そうだね。でも、こういう日こそ怪我人が多いんだから気を付けて』

人差し指を立てていう彼に乱太郎は思わず吹き出した。
彼らしい台詞だ。

『はーい。というか伊作先輩、空見ながらそんなこと考えてたんですか?』

乱太郎の言葉を伊作は『いくら僕でもそんなこと考えながら空見ないよ』と慌てて否定する。

『…ただ。少し寂しいなと思ってさ。』

『寂しい?あ…先輩達もうすぐ卒業ですもんね』

『うん。それもあるけど…』

そう言って先輩は曖昧に微笑んだ。
もしかしたら先輩は分かっていたのかもしれない。
自分達がいつかは忘れられる存在だと。
思い出はいつか色褪せ、確かにあの時同じ時間を共有していたのにやがて過去の人となってしまう。

それが「忍び」なら尚更だ。

だからこそあの時善法寺先輩は『寂しい』と言ったのかもしれない。
そして口には出さなかったが先輩達全員が同じ気持ちだったとしたら…−

そう思うといても立ってもいられなくなって乱太郎は立ち上がった。

「乱太郎?」

「…ごめん、私ちょっと行ってくる!」

乱太郎はそれだけ言うと教室を飛び出した。



忍術学園医務室。

「はい、これでいいよ」

黒色の忍び装束に身を包んだ善法寺伊作は怪我をした生徒の腕に包帯を巻きながらにこりと笑いかける。

「ありがとうございます、善法寺先生!」

「これからは気を付けるんだよ?」

伊作は忍術学園を卒業後、「忍び」ではなく新野先生の助手としてこの学園に残る道を選んだ。

『僕には忍びよりこっちの方が向いてると思うんだ』というのが彼の持論だった。

礼を言って生徒が出ていくと同時に乱太郎が医務室へと飛び込んできた。

「伊作先輩!」

「乱太郎?どうしたんだい、そんなに慌てて。まさか誰か怪我を…!?」

そう言って救急箱に手を伸ばした伊作を乱太郎が慌てて押し止める。

「いえ、そうではなくて…」

「僕たち、伊作先輩に…いえ。先輩達にお話しがあって来たんです」

その声に乱太郎と伊作が振り返るとそこには六年は組が全員で立っていた。

「皆!」

「やっぱりここだったね、乱太郎」

しんべヱが嬉しそうに笑いかける。

「な…なんで私がここにいるって…」

「何年友達やってると思ってるんだよ、乱太郎のことなら大抵分かるぜ?」

「それに僕たちも乱太郎と同じ結論に達したからね」

庄左ヱ門はそういうと乱太郎に小さく頷いた。
それをみて乱太郎は頷き返すと改めて伊作を見つめた。

「え…?話?僕『達』に?」

一人状況が把握できない伊作が戸惑い呟く。

「伊作先輩」

そんな伊作を真っ正面から見つめ、乱太郎が名を呼ぶ。

「何だい、乱太郎」

「大丈夫ですよ」

「…え?」

いきなり言われ何が『大丈夫』なのだろうかと伊作は首を傾げる。

「私達忘れませんから」

「…っ」

その言葉に伊作は目を見開き小さく息を飲む。
それほど乱太郎の言葉は衝撃的だった。

「伊作先輩、あの時空を見ながら『寂しい』と言ってましたよね。私はただ単純に卒業してこの学園から離れることが寂しいのかな、って思ってました。でも、それは違いました。先輩は…卒業することで私たちと一緒に過ごした時間が『過去』になってしまって、いつかは私たちが先輩達と過ごした時間さえ忘れてしまうのが『寂しい』と思ってたんですよね?」

問いかけるような乱太郎の言葉に伊作は微かに苦笑を浮かべた。

−確かにその通りだった。
僕らは卒業してしまうけど、彼らは忍術学園でこれからも日々を送っていく。
その中で、僕らと過ごした時間や出来事が思い出になっていく。
やがて、その思い出も色褪せていくだろう。

それがなんだか悲しくて−
寂しくて。切なくて。すごく儚いなって文次郎達と話していた。

「でも先輩。私たちは忘れませんから」

「潮江先輩のことも」

団蔵が彼の先輩の名を呼ぶ。

「中在家先輩のことも」

「立花先輩のことも」

きり丸と兵太夫が笑みを浮かべている。

「七松先輩のことも」

「食満先輩のことも」

金吾と喜三太としんべエが顔を見合わせて笑い合う。

「そして、伊作先輩のことも!」

『絶対に忘れません!』

大変で、時にはもう嫌だと思うこともあったけど。
それでも先輩達と過ごした時は大切な思い出だから忘れない。
色褪せたりしない。

全員で声を揃えてそういって笑い合う六年は組があの時の−一年は組のままに見えて伊作は微笑んだ。

「ありがとう、皆。」

そのまま伊作は医務室の窓越しに見える空に視線を送る。
五年越しに後輩達からもらった『返事』はなにより嬉しくてとても温かいものだった。

−今度、文次郎達と飲んだ時にこの話をしよう。皆どんな顔をするかな―

そんなことを考え伊作はくすりと小さく笑った。




あとがきという名の言い訳(反転)

初の一年は組ssです。
それが年齢操作orz

当サイトの伊作は卒業後、新野先生の助手として学園に残っています。

六年生と一年生の絡みが好きです。
一年生は六年生には振り回されるけど、尊敬していたらいいなぁ。
で、六年生が卒業した後「今頃どうしてるかな」と思い出してたらいい(ぇ)

ここまで読んで頂きありがとうございました!


2008.5.22