043 忍び


ざああああ…と木の枝が風に吹かれ音を立てている。

夕方から出てきた風は止むことはなくむしろ夜になって強くなっているようだ。

今宵は満月。

時刻はすでに子の刻を回っていた。

「留、終わった?」

「あと少しだ」

忍術学園。
六年は組の忍たま長屋の一室にはまだ明かりがついていた。
その部屋の中で二人して文机に向かっているのは六年は組食満留三郎と同じく六年は組善法寺伊作だ。

「先生達もひどいよね、いきなり課題を出すなんてさ」

二人は今、今日出された課題を仕上げている最中だった。

「しかもクラスごとに出された課題が違うなんて」

これじゃあ皆と相談しながら出来ないじゃん、とぼやく伊作に留三郎は、それこそ先生達の狙いなんだろ、と心の中で呟く。

「とにかくさっさと終わらせよう。小松田さんの見回りが来た時、明かりがついているとまずいからな」

「うん、そうだね」

留三郎の提案に伊作が頷き、再び課題に取りかかった。

しばらくの間部屋の中には筆を走らせる音だけが響いていたが、ざあああああ…と先ほどより大きくなった木が揺れる音に伊作が筆を止め、部屋の入り口の方を見る。
見ると留三郎も同じように入り口へ視線を向けていた。

「…すごい風だね」

「ああ。」

「薬草園、大丈夫かな」

伊作が心配そうに呟く。
薬草園は伊作が所属している保健委員が管理していてる。
そして最近薬草園に植えたばかりの苗もたくさんあるので、この風で倒れていないか心配なのだ。

「大丈夫だろ、苗というのは以外に強いからな」

眉を八の字に下げている伊作を安心させるように留め三郎が答える。

「そうかな?」

「ああ、地にしっかりと根付いるからな。」

留三郎の答えに「そうだね」と返し伊作は筆を走らせた。

しかし、留三郎はその様子を見て苦笑を浮かべた。

彼のことだ、きっともうすぐ…

そんなことを考えていると伊作が少しそわそわした後、いきなり立ち上がった。

やはりな。

心の中で思いながら留三郎はなるべく不思議そうな顔をして同室の級友を見遣る。

「伊作、どうした?」

「あ、うん。ちょっと厠に…」

そう言って腰高障子を開けようとしている伊作の背に少しだけ頬を緩ませ留三郎が声をかけた。

「薬草園に行くのはいいが、寝間着なんだから早めに帰って来いよ」

「え?!」

その言葉に伊作が驚いたように障子にかけた手を止める。

「違うのか?」

「…違わないけど…なんで分かったの?」

目線は課題のままの留三郎に尋ねると留三郎はちらりと伊作を見遣った。

「長い付き合いだからな」

留三郎の答えに伊作はきょとんとするがすぐに困ったように笑みを浮かべた。

「…ほんと、留には敵わないよ」

そう言って障子を開け「行ってくるね」と言う伊作に留三郎は軽く手を振った。



廊下を歩き、薬草園に向かっていた伊作はふと長屋の廊下から見える空を見上げた。

「満月…か」

風は相変わらず強く、廊下を歩く伊作の体にも容赦なく吹き付けられる。
しかも雲まで出てきたらしく満月が時折、雲に遮られ辺りが暗くなったり明るくなったりを繰り返していた。

「着替えてから来た方がよかったかな」

その風の冷たさに思わず呟く伊作だったが、長屋の端まで歩いた時、不意に足を止めた。

「…」

長屋の廊下に沿うように作られた庭。

その庭に誰か立っている。

一瞬だけだが見えたその姿は明らかに人間のものだ。
強盗か何かかとも考えたが、それこそそんなものが侵入すれば教師達が分かるだろう。
つまり…−

「…そこに誰かいますか?」
忍者にとって少しの月明かりでさえ侵入する際に敵に見つかるというハンデとなる。
そのリスクが最も大きい満月の夜に忍び込もうとする者はいない。

だが−…。

−今夜は風が強い−

これだけ風が強ければもし万が一侵入したとしてもその気配や物音は風によって誤魔化される。
息を小さく吸ってから尋ねるとその人影の方が少し揺れたように見えた。

…笑ってる?

「何者だ?」

警戒しながら尋ねるが人影から返事は返ってこない。
庭と対峙するように体の向きを変え、その人影を睨み付ける。

その時、月を遮っていた雲が風によって流され庭が月光でぼんやりと照らされた。

「…貴方は!」

伊作の目が驚愕で見開かれる。
月光に照らし出されたのは忍び装束に身を包んだ男−タソガレドキ軍の忍び組頭・雑渡昆奈門だった。


「久しぶりだね」

伊作と雑渡とは面識がある。
実際、つい先日の園田村の件で関わったばかりだ。

「っ…!」

とっさに懐に手を入れた伊作は自分が寝間着だったということに今更気が付いた。
しかも薬草園の様子を見たらすぐに戻るつもりだったので忍具などはすべて部屋に置いてきてしまっていた。

思わず本当に僕って不運だなぁ…などと自嘲気味に考える。

でも、これは不運すぎない?と文句の一つも言いたくなる。

「そんなに警戒しなくてもいい。君に危害を加えるつもりはない。」

雑渡はそういうと一歩伊作の方へ足を進める。それに合わせて伊作が一歩後ずさる。

「貴方は忍術学園の敵だ。…前にも言ったとおり、敵の忍者のお頭の言ってることをやすやすと信じることはできません。」

固い声音でそう答える伊作に雑渡は肩を揺らして微かに笑い声を立てている。

「ずいぶん、信用されていないんだな、君に」

「信用しろ、という方が無理でしょう?」

表面上は冷静さを保ちながらも伊作はかなり焦っていた。

自分は今丸腰だ。
もし雑渡に襲われでもしたらどれくらい交わせるか…。

「確かにそうかもしれないな。…善法寺伊作くん」

その言葉に伊作が再び目を見開く。

今、僕の名前…呼んだよね。

「な、何で僕の名前を…」

「何、少し調べさせてもらっただけさ」

雑渡はそういうと廊下に足をかけた。
それと同時に下がった伊作の背が壁に当たる。

「っ…!」

「善法寺伊作くん。今夜は君を勧誘しにきたんだよ」

すでに雑渡が手を伸ばせば伊作に触れるのは容易な距離しか二人の間にはない。

「…勧誘?」

伊作が眉根を潜めながら聞き返した。

「そうだ。君をタソガレドキ軍の忍者隊に欲しいと思ってね」

その言葉に伊作は拳を握りしめた。

「お断りします」

「考える余地もなし、というわけか」

即答した伊作に雑渡の声が低くなる。

「忍術学園には大切な友達や後輩、先生方がいます。それに今の僕があるのはここのおかげです。僕は先生方や後輩。なにより友人達に背を向けるような生き方をしたくないですから」

真っ正面から雑渡と対峙し、淀みなく凛とした声で伊作が答える。
それは伊作なりの覚悟でもあるのだろう。

「…なるほど、いい目をしている」

伊作の視線を真っ正面から受け、雑渡は伊作の顔の横に手を付いた。

「…い、嫌だッ!」

何をされるかを瞬時にして理解し、咄嗟に手で相手を押しやろうとするがその腕は簡単に掴まれて動きを封じられる。

「そう拒絶されるとますます君を手元に置きたくなる」

そのまま雑渡の顔が近付いてきた。
それが嫌で嫌で伊作は思わずぎりっと唇をかみしめた。

こんな時にでも脳裏に浮かぶのはいつでもギンギンに忍者している同級生の姿だった。

「もん…じ…」

瞳をぎゅっと閉じ、無意識に彼の名を呟く。
そして、雑渡の唇が伊作の唇に重なろうとした瞬間。

「そこまでだ」

雑渡の背後から聞き覚えのある声が聞こえてきた。

「あ…」

その声に伊作は閉じていた瞳を開ける。
雑渡の背後には、苦無を雑渡の首筋に当てている潮江文次郎の姿があった。

「文次郎…」

「そいつは俺のもんなんだよ。勝手に手ぇ出す奴は許せねぇ」

文次郎の声は怒りを含んでいる。
それこそ触ったら切れそうなほど鋭い殺気さえ放っている文次郎に雑渡は小さく溜め息をつき、伊作から手を離した。

「仕方がない。今夜は退散しよう、騒がしくなってきた」

カンカン…という鐘が鳴り響いている。
雑渡が侵入したことに学園が気が付いたのだ。

「それに、どうやら君はいい友をもったようだ」

雑渡の言葉に伊作が庭の方を見ると、そこには各々得意な武器を雑渡に向けている友人達の姿があった。

「皆…!」

「ほう、私たちがみすみす見逃すと思っているのか?」

「…逃がさん」

焙烙火矢を構えた立花仙蔵と縄標を手に持った中在家長次が雑渡に告げる。
しかし、雑渡はにやりと笑うと自らの首筋に苦無を当てていた文次郎の腹に蹴りを入れ、距離を取った。

「ぐっ…」

「文次っ!」

たまらずに伊作が文次郎へと駆け寄った。

「善法寺伊作くん、また会おう。」

文次郎へと駆け寄る伊作の背中に声をかけると雑渡は煙玉を懐から取り出した。

「煙玉…!」

ボンっという音がして煙玉が破裂し辺りに煙が充満する。


やがて、煙は風に流され消えていったが、その頃にはすでに雑渡の姿はなかった。



「伊作、大丈夫か?」

数刻後。
敵に侵入されたということで大騒ぎの学園内で教師から事の次第の説明を求められ、学園長の庵でそれを報告して長屋に戻った伊作を待っていたのは友人達だった。

「皆…」

みると皆寝間着のままだ。
異変に気が付いて着替えもせずにきてくれたのだろう。
特に、仙蔵や文次郎、長次に小平太は長屋も違うのに来てくれた。

「うん、僕は大丈夫。皆こそ大丈夫?」

そう言ってごめんね、と申し訳なさそうに眉を八の字に下げる伊作にその場にいる全員が顔を見合わせた。

「伊作、お前が謝る事ではない」

「そうそう。いさっくんは何も悪くないって」

「気にするな」

次々と言葉をかけてくれる友人達に伊作が「ありがとう」と呟く。

すると、留三郎が辛そうに口を開いた。

「…すまん、伊作。俺があの時付いていけば…」

「そんな!留のせいじゃないよ!」

「だが…!」

なおも言い募ろうとする留三郎の肩を仙蔵が優しく叩いた。

「仙蔵…」

「留三郎。今回の件はお前のせいでも伊作のせいでもない、気に病むな」

「とにかく」

今まで黙ってその様子を見ていた文次郎が口を開く。

「奴はまた来るといっていた。…しばらく警戒した方がいいだろうな」

その言葉に全員が頷いた。



−あとほんの少しで夜が明ける。そしたらいつも通りの朝が始まるだろう。だが、それは昨日までの「いつも通り」とは違うと言うことを伊作は痛い程感じていた−。



あとがきという名の言い訳(反転)

思ったより長くなりましたorz
戦闘シーンはやっぱり苦手だ(汗)
ってか雑…伊、かこれ?(ヲィ)
原作の雑渡さんは去り際に「縁があったらまた会おう」と言っていましたが…
会う気満々のようにしか聞こえなかった私はすでにやばい気がする(ヲィ)
でも雑渡さん好きなのでまた書きたいです。

ではここまで読んで頂きありがとうございました。

2008.5.17