一瞬の表情
衝立の向こう側から兵助の方を覗き込んだ善法寺伊作はそのまま兵助の側へ行き、その額に手を置いた。
「…―」
自然な手の動きは兵助に恐怖感を思い起こさせない。
さすがだなぁ…などと内心で兵助が妙な感心の仕方をする。
「…少し熱下がったみたいだね、よかった」
伊作はそんな兵助に微笑みかけながら言うと、兵助の額から手を離し側に置いてある桶の中に手を入れた。
桶の中には水が入っており、そこにもう一枚手ぬぐいが浸してある。
「…先輩、俺…」
「覚えてない?久々知、委員会中に倒れたんだよ」
水の中から手ぬぐいを取り出すとそれを伊作はしっかり絞る。
「倒れた…?」
そう言われれば…
あの時。
斉藤に『熱あるんじゃない?』って言われた途端目眩がして、意識が遠くなって…−
「本当驚いたよ。斉藤が久々知を背負って医務室に飛び込んできた時はさ」
「斉藤が…」
兵助の額に今絞ったばかりの手ぬぐいを伊作が置いた。
その冷たさに兵助が瞳を細める。
「あとで斉藤にお礼言っておきなよ?それから…」
一旦言葉を切ると伊作がぐいっと兵助に顔を近づける。
「風邪引いた時は無理しちゃ駄目だよ?『風邪は万病の元』っていうんだから」
「…はい」
少し驚きながらも兵助が小さく返事を返すと伊作は「よし」と頷き、兵助の方へ手を差し出した。
「水が温くなっちゃってるから変えてくるね?ついでにその手ぬぐいも冷やしてくるから貸して?」
「あ、はい。」
その言葉に兵助は手に握ったままの手ぬぐいを慌てて伊作へと手渡す。
「ありがとう。じゃあ行ってくるから大人しく寝てるんだよ。あ、そうだ…」
手ぬぐいを桶の中に入れ、立ち上がろうとした伊作は何かを思いだしたかのように動きを止めた。
「久々知が寝てる間に竹谷が来たよ」
「はっちゃんが…?」
思わず聞き返す兵助に伊作が頷く。
「久々知が倒れたって聞いて慌てて来たみたい。」
「…そうですか」
「寝てるって事を伝えたらまた夕飯前に来るってさ」
良い友達だね、と続ける伊作に兵助は小さく肯定した。
そう−友達なのだ
八左ヱ門も雷蔵も。
そして−三郎も。
「じゃあちょっと待っててね?」
伊作はそう言うと兵助の頭を優しく撫でる。
それがまるで母親のようで兵助は思わずくすりと笑ってしまう。
「?どうかした?」
「いえ、何でもないです」
そう答える兵助にきょとんとしながらも伊作は立ち上がると衝立の向こう側へと行き、そのまま医務室を出ようとする。
その途中、伊作が「あ、一緒に行く?」と誰かに話しかけているが兵助の位置からはそれが誰かは分からない。
やがて、伊作と伊作に話しかけられた人物が医務室を出ていくと辺りには静寂が広がった。
「…」
兵助は小さく息をつくと布団の中で体の向きを変え、仰向けになった。
目に入るのは医務室の天井だ。
「…三郎」
熱でぼんやりする頭で考えるのはやはり彼のことだった。
そのまま片腕で顔上半分を隠す。
しばらくそのままでいた兵助の耳に不意に何かの物音が飛び込んできた。
いや、物音と言うより足音に近い。
「…善法寺先輩?」
その音にハッと我に返り兵助が先ほど医務室を後にした伊作の名を呼ぶ。
もう帰ってきたのか、ずいぶん早いなぁ…などと考えていると足音が衝立の前で止まった。
足音の主を確かめようと腕を下ろし兵助が衝立の方へ視線を向けたのとその人物が衝立から顔を出したのは同時だった。
「…っ!!」
その人物の姿を目にした途端、心臓がドクンと嫌な音を立てた。
−自分と同じ紺色の制服に紺色の頭巾。
「兵助!大丈夫?ハチから倒れたって聞いたから…」
「…」
その人物は衝立を通りすぎ、兵助のすぐ傍へとやってくる。
「…っ…」
その姿に兵助の体は自然と強ばり、口の中が乾いていく。
体を起こそうと思うのに、それさえもうまくいかない。
「兵助?どうかした?」
兵助の様子にその人物−五年ろ組不破雷蔵は首を傾げた。
「…」
しかし兵助は険しい顔をして雷蔵の顔を見ているだけだった。
「兵助」
「…下手な芝居はやめろよ、三郎」
兵助の固い声音が静かに響く。
その言葉に『雷蔵』は一瞬きょとんとしたが、すぐに口の端を持ち上げ人の悪そうな笑みを浮かべた。
その顔はあの人の良い友人なら決してしない表情だ。
「やっぱり兵助には敵わないな。俺と雷蔵をすぐに見分けちゃうんだもんな」
「…!」
無理矢理腕にグッと力を入れ何とか上半身を起こす。
体は鉛のように重い。
「何か…用かよ、三郎」
「ご挨拶だな、兵助。お前が倒れたってハチから聞いて、見舞いにきたのに」
そうなった原因を作りだしたのは誰だ、という喉まででかかった言葉を兵助が何とか飲み込んだ。
背筋がすぅっと寒くなる。
−今、自分を見ている三郎の口元は笑っている、しかし、目は−
あの冷たい、視線だけで人を射殺せる瞳をしていた。
「−−−っ!!!!!」
その瞳を見た瞬間、昨日の『行為』が一気に頭の中を駆けめぐる。
嫌だ、恐い…恐い!!
恐怖で目を見開き動けない兵助に三郎が手を伸ばす。
そして…。
「っ!!」
体を支えていた腕を掴まれ、体が仰向けに布団に沈む。
「あ…いや…」
「…兵助?まさか昨日で終わったとか思ってないよな?冗談。まだ兵助のこと全然壊してないじゃんか」
両腕を掴まれ頭上で一括りにされる。
「三郎…っ!!」
三郎の顔が近付き、そのまま首筋に舌を這わされる。
「ゃ…っ!」
ぬるっとした舌の感触に兵助は瞳をぎゅっと瞑り、顔を背け奥歯をぎりっと噛みしめた。
また…あんなことされるのかよ、抵抗を全て封じられて…体中を三郎に弄ばれて…三郎ので貫かれて…っ!
三郎の舌は容赦なく兵助の首筋を攻め、空いた手が制服の袷から差し込まれ、アンダーシャツの上から胸元をまさぐられる。
恐い、恐い、恐い…−−−−!!
その時。三郎の手がふと止まり、自らの両手首を押さえている手が緩んだ。
「…−三郎?」
不審に思い、瞳を開け三郎を見上げる。
−三郎はあの時と同じ顔をしていた。
痛みに耐えるような…今にも泣き出しそうな顔。
「…兵助、すげぇ震えてる…。」
喉の奥から搾り出すような声が兵助の耳を打つ。
制服の袷から腕を抜き、三郎が兵助の頬に触れた。
「なぁ、兵助…そんなに俺が恐い?」
「…違っ…!」
三郎の言葉を兵助が瞬時に否定しようとする。
そうじゃない、三郎が恐いんじゃない!
恐いのはこの『行為』であって、三郎のことを恐いなんて…−!
そう伝えたいのに言葉が出ない。
それがもどかしくて兵助は必死に首を振り、押さえられている両腕をふりほどき、そのまま三郎にがばりと抱きついた。
「兵助!?」
驚いたのは三郎だ。
「違う…−違う!三郎、俺は…お前を恐いなんて思ったことない!」
そう必死に叫ぶ兵助の声は震えている。
「…−本当に?」
「ああ。」
首に回された腕も今、自分の腕の中にいる体も熱い。
頭の横で兵助の頭が微かに頷くのが見えて三郎は兵助の首筋に鼻面を寄せた。
そして次の瞬間−
「なら…」
三郎が兵助にぐっと体重をかけ、自分ごと兵助を布団に押し倒す。
「…さ…三郎…?」
「−壊しちゃっても平気だよな、兵助」
その言葉に兵助の目が見開かれ、みるみるその顔が青ざめていく。
−三郎の瞳はいつの間にかあの冷たい瞳に戻っていた。
「−−−っさぶろ…っ!!」
三郎が制服の袷に手をかけ、一気にばっと左右にはだけさせる。
「あ…っ…や、嫌だ!!」
咄嗟に突っぱねようとした腕を再び頭上で一括りにされ、三郎の手が容赦なく袴の中に差し込まれ、褌の上から兵助の中心に触れる。
「ひっ!!」
びくんっと体が震え、兵助の口から悲鳴に近い声があがった。
「嫌だ、三郎、三郎!!!」
首を振りながら叫ぶが、三郎の手は休まることなく兵助の熱を引き出そうと動く。
「や…ッ、やめろ!三郎…やだ…やだぁあああ!!」
兵助の瞳に涙がにじむ。
その時。
「−なにしてるんだ!!!」
走ってくる足音と同時に焦った声が医務室内に響いた。
三郎はその声に小さく舌打ちすると衝立を足で力一杯蹴っ飛ばす。
衝立が倒れた向こう側に立っていたのは桶を片手に抱えた伊作だった。
「鉢屋!?」
目の前で行われてる行為に伊作が目を見開く。
「な…何してるんだよ、鉢屋!」
「何って…見ての通りだと思うんですけど。伊作先輩」
視線を伊作に向けたまま三郎が兵助の中心をぎゅっと握り込む。
「あ、やあぁああ!!」
一瞬呆気に取られかけるが兵助の泣き声に伊作は三郎を睨み付けた。
「鉢屋。医務室はそういうことする場所じゃないし、久々知の様子を見てるとどう考えても合意じゃないよね。−久々知から離れるんだ、鉢屋」
伊作の固い声音が兵助の耳にも届く。
「…−善法寺−先輩…」
涙で歪んだ視界では伊作の顔までしっかり見ることは出来ない。
しかし、彼を取り巻く空気がいつもとは明らかに異なっているのは分かった。
「鉢屋!!」
「…−分かりましたよ、先輩」
伊作の厳しい口調に三郎が兵助から手を離すと同時に、三郎がすさまじい勢いで伊作へと突っ込んだ。
「善法寺先輩!!」
久々知が必死に叫ぶ。
「…っ!!」
−避けきれない!!
その勢いに伊作が小さく息を飲んだその瞬間、伊作の肩がぐいっと後ろから誰かに引かれた。
「うわっ!」
伊作の焦った声とバシッという音が同時に響く。
「あ…」
「留!」
三郎が伊作へと向けて繰り出した拳を伊作と同室の六年は組食満留三郎がしっかりと手のひらで受け止めていた。
「全く。待てっていってんのに一人で突っ走るなよ、伊作」
留三郎の呆れたような声音に、先ほど伊作と一緒に医務室を出ていったのが留三郎だということが兵助にも分かる。
「ごめん。」
「よそ見してていいんですか?先輩」
三郎は留三郎にも臆することなく、掴まれている手とは反対の手で拳を作り、それを留三郎めがけて繰り出した。
「!!」
しかし、留三郎はその拳さえも自らの手のひらで受け止める。
「へぇ…なかなかやりますね。食満先輩」
しかしその言葉には応えず、留三郎が瞳を細める。
「どういうつもりだ、鉢屋」
「何のことですか?」
「とぼけるな。今のお前からは紛れもなく殺気を感じる。殺気を纏って伊作に襲いかかるとはどういうことだと聞いてるんだ!」
留三郎がぐぐっと三郎の拳を握り込む。
しかし、その痛みにも三郎は顔色一つ変えない。
「伊作といたのが俺だった事に感謝しろ。もし仙蔵や文次郎だったら殺されても文句はいえんからな。」
「そうかもしれませんね。立花先輩も潮江先輩も伊作先輩を大切にしてますから。でも…」
三郎がすいっと留三郎に近付く。
「それは貴方もでしょ?食満先輩!」
「っ…!」
その言葉と同時に繰り出された蹴りを留三郎が間一髪で避け、間合いを取る。
しかし、衝立が倒れた音を聞きつけたのか廊下を誰かが走ってくる音が聞こえると三郎が動きを止めた。
「兵助!!」
その声と共に竹谷八左ヱ門が医務室に飛び込む。
「はっちゃん!」
「竹谷」
「…ハチ」
「三郎…」
八左ヱ門は真っ直ぐに三郎を睨み付け、拳を握りしめた。
その八左ヱ門の様子に三郎は一瞬−…本当に一瞬だけ、あの泣きそうな表情を浮かべる。
「!!」
その表情が一瞬だけ見えた兵助が布団の端をぎゅっと握りしめた。
八左ヱ門も一瞬の表情に目を見開く。
しかし次の瞬間には三郎は口元に笑みを浮かべ肩をすくめた。
「…しょうがない。今回は俺が引きます。このままここにいたらもっとひどい騒ぎになると思うんで。じゃ。」
三郎はそれだけ言うとひらっと手を振り八左ヱ門の横を通り抜け医務室を出ていく。
「おい…っ三郎…!」
その姿を見て八左ヱ門が三郎を追おうと踵を返した。
「…はっちゃん!」
兵助の切羽詰まったような声に八左ヱ門は肩越しに兵助を振り返る。
「大丈夫だって。三郎をいきなり殴ったりはしねぇから。…善法寺先輩、食満先輩。兵助のこと頼みます」
「分かった。任せておいて」
伊作の言葉に嬉しそうに微笑むと八左ヱ門も医務室を後にした。
「…久々知、大丈夫?」
三郎と八左ヱ門が去った後の医務室。
自らの体を抱きしめている兵助に伊作が静かに声をかける。
「善法寺先輩…」
微かに震えている兵助の肩に触れると伊作は優しくその肩をさすりながら真っ直ぐに兵助を見つめた。
「久々知…その、言いづらいかもしれないけど…何かあったら話してね。僕たちで良ければ力になるし。ね、留」
「…あ、ああ」
伊作の優しい言葉に兵助の瞳から涙がこぼれる。
しかし−。
医務室の側の廊下で紺色の制服を身に纏っている人影が呆然と立っていたことに誰も気がつかなかった。
+++
もうこれは…素直に裏を作って裏に置いた方がいいのかもしれない(汗)
相変わらず18禁の境目が全く分かってません(汗)
三郎が悪役みたいだ(涙)ごめん、三郎!
三郎好きですよ、大好きですよ!!
そして、こりずにまた中途半端なところで終わらせてすみませんorz
2008.5.27