その感情がいつからあったのかなんて正確な時期までは覚えていない。ただ、「ソレ」はずいぶん前から俺の中に居座っていた気がする。



  雨 音



その日は、朝から激しい雨と風が吹き荒れ、おまけに雷まで鳴っているという大荒れの天気だった。

「しかし…よく降るな」

忍術学園五年ろ組の教室。
窓際の席で机に頬杖を付き竹谷八左ヱ門は外の様子を見ながらぽつりと呟いた。
この天気のせいでほとんどの学年の実技授業は中止になったということは今や学園中に広まっている。
そのため、午後から急遽授業がなくなったクラスも多いと聞く。

しかしこの天気では町へ行くどころか、外にだって出るのをためらってしまう。
出来るのはせいぜい読書か明日の予習か今日の復習ぐらいだろう。

「本当によく降るよね」

八左ヱ門の言葉に同意し窓際に立ったのは級友の不破雷蔵だ。
彼の見つめる先には真っ黒な雲が広がっていてバケツをひっくり返したような雨がザーザーという音を立て降り続けている。

「そういえば、ハチ。飼育小屋放っておいて大丈夫なの?」

雷蔵の言葉に八左ヱ門は小さく頷いた。

「ああ。虫や小動物たちは朝のうちに移動させてあるからな。」

孫兵の部屋に、と付け加える八左ヱ門に雷蔵はいつも毒ヘビと共にいる下級生を思い浮かべる。

伊賀崎孫兵−毒虫や毒のある生物を好んで飼育している三年生だ。
確かに彼なら少しペットが増えたからといってどうってことはないだろう。
忍たま長屋で彼と同室の生徒は悲鳴ものかもしれないが。

「そ、そうなんだ」

毒虫や小動物でいっぱいになった部屋を想像し雷蔵は苦笑する。

「お、そうだった。三郎」

ぼーっと外を見ていた八左ヱ門がふと視線を教室内の友人の一人−鉢屋三郎に向け呼びかけた。
しかし三郎からの返事はない。

「三郎?」

その様子を横目で見ていた雷蔵も三郎からの返事がないことに疑問を抱き視線を外から級友へと向けた。

「…なんだよ、ハチ」

やや間があって返ってきた声は低い。
三郎は今、彼らしくもなく机に上半身を突っ伏し、顔だけを八左ヱ門に向けていた。

「いや。珍しく黙ってるからどうかしたのかと思ったんだが…」

見るからに具合が悪そうな彼に八左ヱ門が「大丈夫か?」と尋ねる。

「…少し頭痛がするだけだから。」

眉間に皺を寄せ答える姿はどうみても大丈夫とはいえない。

「三郎、大丈夫?医務室に行く?」

雷蔵も窓際から離れ、三郎の傍に膝をついた。
そのまま三郎の額に触れ熱を測る。

心なしか少し熱い気がする。

「ん〜…大丈夫。そんなに酷くないし。寝てれば治るから」

雷蔵の手の感触に弱々しく微笑むと三郎はだるそうに立ち上がった。

「でも…」

まだ心配そうにしている雷蔵に三郎はへらっと笑い手をひらひらと振った。

「大丈夫だって雷蔵。少し頭痛がしてるくらいだから。じゃあ悪いけど俺、夕飯まで部屋で寝てるから」

「おう、後で様子見に行ってやるよ」

そう言ってにかっと笑う八左ヱ門に三郎は「見舞い品忘れるなよ」などと軽口を叩き、そのまま教室を出ていく。

「大丈夫かな。三郎…」

その後ろ姿を心配そうに見ている雷蔵の隣で八左ヱ門が一瞬険しい顔をして外の様子を見る。

また一段と雨が強くなっていた。



(あ〜…クソッ最悪…)

一人教室を出た三郎はどこかおぼつかない足取りで廊下を歩いていた。
今日は朝起きた時からぼんやりと頭が重かった。
それが痛みに変わったのは午前中の授業が始まってから。
今じゃそれに加えて吐き気や目眩まで感じるようになっている。

「風邪でも引いたかな…」

八左ヱ門や雷蔵には大丈夫だとは言ったが、これは素直に医務室に行った方が良いのかもしれない。

そんなことを考えてから三郎は自嘲気味に笑みを浮かべた。
まさか自分がこんな事を思うなんて、よほど具合が悪いのか。

「…ッ」

一瞬、世界がぐらりと歪み思わず壁に手を付く。

吐き気がする、頭が痛い…

−雨の音がそれを増幅させていく。

口元を押さえ、吐き気を堪えていると三郎の視界の端を何かがよぎった。

「…今のって…」




五年い組の忍たま長屋。
その自室で五年い組久々知兵助はびしょびしょに濡れてしまった制服を脱ぎ捨てていた。

「すごい雨だった…」

上から下までずぶ濡れの体を手ぬぐいで拭きながら兵助は呟く。
普通の人間ならば外に出るのさえためらう雨の中に兵助が出なければならなかったのは、たまたま廊下ですれ違った一年は組教科担当土井半助に声をかけられたことが始まりだった。

『あ、ちょうどよかった。兵助、すまないんだが焔硝蔵の様子を見てきてくれないか?この雨で火薬が湿っているとまずいからな』

申し訳なさそうに言う火薬委員会の顧問でもある土井の言葉を兵助は二つ返事で承諾した。
幸いにも焔硝蔵に異常はなく火薬も無事だった。

しかし、兵助の方はそうもいかない。
なるべく濡れないようにしたつもりだったがこの雨だ。
濡れないようにする方が難しい。

「これもびしょ濡れだな」

そう誰とも無しに言いアンダーシャツに兵助が手をかけたのと、部屋の木戸ががらっと音を立て開けられたのはほぼ同時だった。

「!?」

バッと木戸の方をみた兵助の目に飛び込んできたのは廊下を背にして部屋の入り口に立っている友人の姿。

「−…あ、三郎か。どうしたんだよ、いきなり」

その姿にほっと安堵したように笑みを浮かべ兵助は友人−三郎に尋ねる。

「いや、兵助が長屋の方に行くのが見えたからさ。どうかしたのかと思って」

部屋に一歩入り木戸を後ろ手に閉めながら三郎が答える。

「あ、俺?参っちゃうよね。実は土井先生に焔硝蔵…−」

これまでの経緯を説明しようとした兵助の言葉が不自然な形で途切れた。
こちらを見る三郎の目がとても冷たい光を宿している。

「…−三郎?お前、三郎…だよな?」

無意識に一歩後ずさりながら当たり前のことを尋ねる兵助に三郎は首を傾げた。

「兵助何言ってるんだよ。お前が俺と雷蔵を間違えるなんてことないだろ?」

そういう彼は今自分がどんな目をしているのか分かっていないようだ。

「兵助…俺。今朝から頭痛くてさ、その上さっきから吐き気や目眩までするんだよ。」

そう言って普段の彼からは想像できない程歪んだ笑みを浮かべる三郎に兵助は小さく息を飲んだ。

−おかしい−

今、自分の目の前にいるのは明らかに自分が知っている鉢屋三郎じゃない。

「え…マジで?大丈夫か?医務室に行くなら付き合う…」

そこまで言った時、兵助の視界がぐるんとひっくり返った。

「…っ!」

何が起こったか分からず目を白黒させた途端、だぁんと背中から床に叩きつけられる。

「い…っつ!」

どうやら三郎に投げ飛ばされたらしい。

「さ、三郎!?」

背中を強打し咳き込む兵助に構わず三郎は兵助の腕を己の腕で床に縫いつける。

「…っ、な、何の真似だよ!!」

冗談にしてはタチが悪すぎると自分に覆い被さるようにして両腕を押さえている三郎を睨み付けたところで兵助は言葉を失った。
冷たさを通り越して残忍な光さえ宿した瞳が自分を射抜いている。

「さぶろ…っ」

「兵助。あのさ、俺雷蔵のことが好きなんだ。」

「…え?」

どう考えてもこんな体勢で話すことではない。

「雷蔵が笑ってると嬉しいし、雷蔵が怒ってると俺も怒る。あいつが悲しい時は俺も悲しいし、あいつが楽しい時は俺も楽しいんだ」

そう話す三郎の顔は部屋が薄暗いためか表情まで読みとることは出来ない。

「三郎…?」

「大切にしたいと思う。雷蔵は俺にとって大切な奴だから…それはハチにも兵助にも言えることなんだけどさ」

そういいながらも彼は兵助の手を片手で一括りにまとめ、頭上で押さえつける。

「お、おい!三郎…っ!」

「でも…」

三郎は兵助にぐっと顔を近づけた。

それこそ口と口が重なるほどの距離で相手の顔を見て兵助は体を強ばらせた。

「時々…俺の中で『何か』がざわめくんだ。雷蔵を傷つけたい…雷蔵を縛り付けて俺だけのものにしたいっていう感情が俺の中にいっぱいになっていくんだ」

三郎の手が兵助のアンダーシャツにかかる。

「でも、雷蔵にそんなことしたくないから」

「だから、兵助」


−お前を、壊してもいい?−


耳元で囁かれた言葉に兵助の顔からさっと血の気が引いた。
それと同時にびりっとアンダーシャツが引き裂かれる。

「三郎、やだ、やめろ!やめてくれ!!」

押さえつけられている腕を何とかふりほどこうとするが三郎の腕はぴくりとも動かない。
そして三郎の唇が兵助の首筋にあてられた。

「−−−−−−っ!!!!」

兵助の助けを求める悲鳴は外のすさまじい雨の音で誰の耳にも届くことはなかった。




数刻後−

「兵助!おい兵助!!」

誰かが自分を呼ぶ声に兵助は手放していた意識を取り戻した。
瞼を開けると見慣れた天井が目に入る。
そして、自分を心配そうに覗き込んでいる友人の姿も−。

「…はっちゃん…」

声は掠れ、喉がひどく渇いていた。
指一本満足に動かせないほど体がだるく重い。
そして、自分の一番最奥に位置する部分はひどく熱を持ちズキズキと痛む。

「大丈夫か?」

眉を八の字に下げて八左ヱ門が尋ねてくる。
それに答えようと口を開けば唇に痛みが走った。
その痛みの正体は分かっている。
三郎によって体を弄ばれている最中、せめて声だけはと必死に唇を噛んでいたのだ。

「…」

兵助は何も言わず片手で顔を覆った。

「何で…っ…」

喉の奥から絞り出した声は小さく震えている。

「何でだよ…」

八左ヱ門は何も言わない。いや、言わないでいてくれるのだろう。

「…三郎…っ」

体中がひどく痛む。
でも、そんな痛みよりもっと痛む場所が兵助の内面にあった。




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鉢…久々?
とりあえず一番始めに。全国の鉢屋FANさんごめんなさい(土下座)

というか、これR16で大丈夫なのでしょうか(汗)
…まだこの程度ならR16でいいんだよな、うん(ぇ)
え〜…と。この「雨音」ですが、初めは短編小説だったのですが、色々考えた結果。
シリーズものの第一話に変更しました(ヲィ)
というわけで、改めてよろしくお願いします。

2008.4.28 (追記:2008.5.18)