―カイトが風邪を引いた。
風邪引きは安静に。
ぴぴっという規則的な電子音が聞こえてくる。
差し出された体温計を受け取った姉貴が小さく溜め息をついた。
「38.9°。完璧に風邪ね」
「…すみません。」
その溜め息にベッドに横になっている青い髪と同じく青い瞳の青年―KAITOがゲホゲホと咳き込みながらも申し訳なさそうな顔をする。
いつもの通りの良い声は今はからからに掠れほとんど出ていないし、息も荒く顔も赤い上に先ほどから激しい咳を繰り返している。
かなり調子悪そうだよな。
「馬鹿ね。謝ることないわよ。とにかく少し休みなさい?」
そう言ってカイトの頭を撫でると姉貴はドアの前に立っている俺にちらりと視線を向ける。
「ところで、空?リンとレンは大人しくしてる?」
にっこりと笑いながら聞いてくる姉貴にあの悪魔の羽根と尻尾が見えた気がして俺はぐっと言葉に詰まった。
…時々姉貴ってものすごく性格悪いよな。
ってか分かってるくせに…!
「…ぁ」
俺が何か言う前に後ろのドアがすごい勢いでドンドンドンと叩かれる。
『マスター!空!カイ兄大丈夫なの!?』
『ちょ、リン駄目だって!マスターがカイ兄休ませるから静かにしてるよう言っただろ!』
『だってカイ兄心配なんだもん!!』
それと同時に聞こえてくる2つの声に姉貴の笑みがますます濃くなっていく。
ま…まずいよな、これって。
部屋の前で押し問答をしている2人の事を思い浮かべ、俺は微かに溜め息をついた。
−先ほどからドアをドンドンと叩…いやむしろ殴るに近い感じで叩いている少女は鏡音リン。
そしてそれを止めようとしている少年が鏡音レン。
この2人、容姿は瓜二つだが、双子というわけではないらしい。
彼ら、そしてベッドで寝込んでいるKAITOは元は「VOCALOID」というPCのソフトだ。
それが自我を持ち、実体化しているのだが…そうなった理由とかは長くなるのでまた今度。
とにかく、今の彼らは俺たちと一緒に暮らしているいわば『家族』みたいなものだ。
「…リンレンには後で厳しく言うとして。参ったわね、今日はこの後沙希の家に行くことになってるのに」
沙希、というのは姉貴の友達で、2人は同じ会社で働いている。
ちなみに沙希さんの家には初音ミクとKAITOがいてこちらも実体化してるんだよな。
「でも…カイトがこんな調子じゃ心配だし…今回はやめておこうかしら」
「そ、そんな!俺なら大丈夫ですから行って…っ」
姉貴の言葉に思わず上半身を起こすカイトだったが、言葉は最後まで続かず背中を曲げて激しく咳き込んだ。
「…どこが大丈夫なんだよ、馬鹿」
その様子に俺は小さく溜め息をつき彼の側によりその背中を優しくさする。
姉貴が用意した青い寝間着の上からでも彼の体温が尋常じゃないほど熱くなっているのが分かる。
「…そ…空」
「ほらもういいから寝てろ。姉貴いいよ、今日は沙希さんちで今度動画に上げる歌の最終調整するっていってたろ?リンとレンもずっと楽しみにしてたし、沙希さんち行ってよ。こいつの看病は俺がするからさ」
そう言う俺とカイトを姉貴はしばらく腕組みしていて見つめていたがやがてふっと息を付き頷いた。
「…分かったわ。空がそういうなら任せるわよ。カイトのマスターなんだからしっかり看病するのよ?」
「あぁ」
ちなみにリンとレンのマスターは姉貴、カイトのマスターは一応俺、ということになっている。
「ただし、何かあったらすぐ連絡するのよ?分かった?」
「あぁ分かってるって。大丈夫だよ」
数十分後。
誰もいないリビングで俺は文庫本を読んでいた。
姉貴とリンレンはついさっき沙希さんの家へ出かけていったし、カイトは先ほどまで咳き込んでいたが今は静かになっているところを見るとどうやら眠ったようだ。
ただ姉貴によると喉から来る風邪は高熱が出る場合があるらしいから後で薬持っていきがてら様子見てこないとな。
「それにしても…」
視線を本から離し、俺は小さく息を付いた。
「俺んちって…こんな静かだったっけ」
そこまで呟いてああ、そうか。と思いつく。
KAITO達が来る前は俺と姉貴しかこの家に住んでなかった。
だからどちらかがいなければ静けさなんて当たり前のようにあったけど。
「あいつらが来てからは、絶対いつも誰かいたもんな」
そう。
あいつらが来てから、俺と姉貴の生活はかなり変わったと思う。
「ただいま」と言った時、誰かが「お帰り」と答えてくれる温かさを知った。
誰かに「お帰り」ということがすごく愛おしいと知った。
あいつらが来てからこの家が静かだと感じたことはなかった。
俺は本をぱたんと閉じると立ち上がった。
何となくリビングにいるよりもあいつの側にいた方がいいと思ったからだ。
そろそろ昼時だし、お粥でもつくってやろうかな。
コンコン−
出来上がったばかりのお粥が乗ったお盆を片手に持ち、俺はカイトの部屋のドアを開けた。
見ると彼は布団を頭まで被りベッドにいた。
…寝てるんだよな?なんかそれにしては布団の盛り上がり方が…
「カイト。カーイト。お粥作ったけど食べれるか?」
まるで布団の中で体を丸く縮こませているような布団の盛り上がりに声をかけると微かに反応がある。
ってか、なんか小刻みに震えてるような気がするんだけど。
「カイト?もしかしてどこか痛いのか?」
お盆をベッド脇のサイドボードに置きその盛り上がりをポンポンと叩く。
グイッ
「うわ!?」
いきなり布団から伸びてきた手に引っ張られ俺はバランスを崩しベッドへと倒れ込んだ。
「っ…!いきなり何だよ!カイ…」
思わず怒鳴りつけようと顔を上げるとカイトは俺の頭の横に手を置き、馬乗りになるような体勢で俺を見下ろしていた。
え…え!?何これどんな状況だ!?ってかカイト?!
「え…ちょ…カ…っ」
「…空…」
ぐいっとカイトの胸を押し何とか相手の下から抜け出そうとする俺の耳にカイトの声が届いた。
いや、もうこれは声というより微かな空気の振動といった方が正しいだろう。
「カイト…?あれ?なんかさっきよりも声酷くなってないか。あ、もしかして思い切り咳してたから喉痛めた…」
そこまで言った時、俺の顔にポタッと雫が落ちてきた。
「え…?」
「空…空…。…マスターどうしよう、俺歌えない。歌えないよ」
自らの喉に手をやりながら掠れまくっている声でカイトが必死に言葉を紡ぐ。
青い瞳は潤み、大粒の涙がその顎のラインを伝っていくつもいくつも俺に落ちてくる。
「歌えない…。やだ…やだ歌えないと…俺捨てられちゃう。捨てないで、捨てないで。お願いだから…お願いだから…!」
その言葉に俺はこいつと初めて出会った時のことを思い出した。
−KAITOは元々俺が買ったソフトではない。
俺がこいつの前のマスターから譲り受けたものだった。
そのマスターにももちろん事情があってこいつを手放すしかなったんだけど…それをこいつは知らずずっと「捨てられた」と思い込んでいた。
心が壊れそうになるほど悲しんで、絶望して、苦しんでいた。
最近はそんな素振り見せなかったけど、こいつの心にはあの時の出来事が大きな傷となって残ってしまっているのかもしれない。
未だに「捨てないで」と泣きながら訴えてくるカイトに俺は小さく溜め息をつくとそっと手を伸ばし、そして…。
「落ち着け、この馬鹿!」
パチンと音を立て相手の額にでこぴんを食らわした。
「…っ!?…?!ま、マスター?」
いきなりの俺の行動に目を見開ききょとんとしているカイトを見ながら俺は上半身を起こす。
「…あのなぁ。カイト。俺はお前が歌えなくなったくらいで捨てたりしないよ。…そんな簡単じゃない。そんな単純な気持ちであのマスターからお前を譲り受けたわけじゃない」
あの時。
以前のマスターが…こいつを捨てたのではなく、マスター自身がこの世を去っていた事を知り、絶望の淵にいたこいつに手を差し伸べたのは俺だった。
『一緒に来い、カイト。今日から俺が…お前のマスターだ』
そう言った時のあの気持ちは忘れることは出来ない。
カイトの頭を優しく撫でると俺はにっと笑顔を浮かべる。
「あの時言っただろ?『俺はずっとお前の側にいてやる』ってさ」
「空…空ぁ…!」
俺の言葉に一度止まったかのように見えたカイトの瞳からは再び涙が溢れ、そのまま彼は俺にぎゅっと抱きついてきた。
「…ったく。変なこと考えるっての。大丈夫だからさ。もう2度とお前を1人になんかしないから」
俺の背中に回された腕も耳元に感じる息もすごく熱い。
俺はそっと俺より広い背中に腕を回し優しくさすった。
「…全く。お前俺より年上だろ。もしこれで風邪がうつったらお前に看病してもらうからな」
冗談めかして言うとカイトは泣きながらも何度も頷いている。
…これは当分泣きやみそうにもないな。
ふとサイドボードに置いたままのお粥が目に入る。
きっとこのままだとすっかり冷めてしまうだろうけど…まぁいいや、後で温め直せば。
もう少し。
もう少しこうさせておいてやろう。
こいつが安心するまで−
そう思うと俺はカイトの肩口にそっと顔を埋めた。
「ゲホッゲホッ!な…何考えてるんだ、お前は!!ゴホッ!」
「空駄目だって!安静にしてないと!大丈夫だって、沙希のところのミクに教えてもらったんだ。こうすると楽になるって!」
後日。
見事にカイトの風邪をもらってしまった俺はカイトの手厚い看病を受けていた。
受けてはいたが…。
…なんで食い物に全部ネギが入ってるんだよ!
いや、それはいい。それはいいが、今こいつは生のネギを片手に俺のパジャマのズボンを下ろそうとしていた。
どうやら沙希さんのミクに妙な知識を植え付けられたらしく、昔から言われている民間伝承を俺に施そうとしているのだ。
ってか、そんなものいらん!
普通に看病しろ…。
いや、それ以前にそんなもの突っ込まれて溜まるかぁあああ!!
「ふざけんな、このバカイト!!」
色々な感情がごちゃ混ぜになり思い切り叫ぶが、その拍子にぐらりと目眩が俺を襲い、ボスっと布団に突っ伏した。
え…ちょ…ここで気を失うのはヤバイ…って!
「空!そんな大声で叫ぶから。ちょっと待ってて、今楽にしてあげる。」
そういうとカイトは再び俺のズボンに手をかける。
「ちょ…ま…や…やだって…カイトぉ…」
しかし俺の言葉もむなしくカイトに一気にズボンを脱がされた。
その後俺がどうなったかは…正直思い出したくもない(涙)
Fin
〜あとがき〜
某所に投稿したボカロss。
こちらは我が家のもう1人のマスターの話。
一応カイマスカイを意識して見事に玉砕した。
…サイト用に、もうちょいBL色出してもよかった…な(コラ)
ってかネギをどこにどうやって使うか分からない方はそのままの貴方でいてください(ほろり)
*某所に載せたキャラ紹介
・空
この話の主人公。17歳。
姉と2人暮らししている。
KAITOのマスター。
・姉(夏美)
ある会社でOLをしている。26歳。
リンとレンのマスター。
…詳しいプロフィールなんかもそのうちあげたいと思ってる。
ちなみに「沙希」というのが「ハジメマシテ」の主人公の「私」です。
ボカロss少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
ここまで読んで頂き有り難うございました。
2008.12.31