「おい。文次郎」
それは彼らがまだ井桁模様の制服から青色の制服になって間もない頃の物語−
握った掌の温もり
「ああ゛?」
廊下で背後から名を呼ばれ潮江文次郎は不機嫌そうに振り向いた。
「仙蔵」
文次郎に声をかけたのは同じクラスで長屋では同室の立花仙蔵だった。
文次郎と仙蔵はつい半月程前に2年生に進級したばかりで、やはり相手が着ている二年生の青い制服には慣れないものだ、と文次郎は心の中で呟いた。
「なんだ、何か用か?」
不機嫌なままの文次郎に構わず仙蔵は頷いた。
「用がなければ誰が貴様など呼び止めるか。…今日は不本意だがお前に紹介したい奴がいてな」
「何げに失礼なこといってないか、お前」
「来い、伊作」
その不満をさらりと流し仙蔵が自分の背後に手招きをする。
すると仙蔵の少し後ろにいた同級生が仙蔵の隣に並んだ。
色素の薄い茶色の髪に女のような顔。
着ているのが自分と同じ色の制服だと言うことは同学年なのだろう。
自分よりも背の低い「伊作」と呼ばれた同級生を文次郎は胡散臭げに見遣る。
「は組の善法寺伊作だ。伊作、これは私と同じクラスで不幸なことに部屋まで同室の潮江文次郎だ。」
「不幸って…それはこっちのセリフだ!」
仙蔵の言葉に再び言い返すが、仙蔵は「うるさいぞ。文次郎」と言っただけだ。
「あ…あの…」
二人のやりとりをオロオロしながら見ていた伊作が恐る恐るといった感じで口を開いた。
「善法寺伊作です。よろしく…えっと、潮江君」
そういってにへらと笑みを浮かべ伊作が手を差し出す。
しかし、文次郎はその手を握ろうとはしない。
「潮江文次郎だ。」
その態度に仙蔵の綺麗な眉根がぴくっと上がる。
「バカタレ!仮にも忍たまなら誰にでもそんなへらへらして握手を求めるな。忍びに『馴れ合い』などいらん!」
「あ、ご、ごめん」
文次郎の言葉に申し訳なさそうに手を下ろす伊作を文次郎は一瞥するとそのまま踵を返し、早足で歩き出した。
「あ、おい!文次郎!!」
仙蔵の声音には明らかに文次郎を批判する響きが含まれていたが、彼の足は止まらない。
「っ…あの馬鹿。待ってろ、伊作。すぐにあいつをとっつかまえて謝罪させてやる」
小さく舌打ちをすると仙蔵が文次郎の後を追い、走りだした。
「あ!仙蔵…!」
そんなことしなくていい、と伊作が慌てて言おうとするがその頃にはすでに仙蔵の姿は廊下の曲がり角に消えていた。
「…」
仙蔵が去った後、伊作は小さく溜め息をついて自らの手のひらを見つめる。
先ほどの文次郎の言葉が胸に突き刺さる。
−実際に話したことはなかったが潮江文次郎の名は伊作も知っていた。
一年生の頃から、人一倍忍びになるという志が強く予習や復習・夜や早朝の自主連まで欠かしたことはないという。
そんな文次郎から見たら自分みたいな奴はもしかしたら嫌われているのかもしれない。
ネガティブな考えが頭の中をぐるぐると巡っていた伊作は背後から聞こえてくるある意味忍者らしくない大きな足音に気が付かなかった。
「いさっくーん!」
「うわっ!?」
底抜けに明るい声と同時に後ろから飛びつかれ、伊作は思わず声を上げる。
「こ…こへ!」
慌てて振り返ると同級生で友人の七松小平太が笑顔で伊作に抱きついていた。
「どうかしたの?いさっくん、すごくボーッとしてたよ?」
「そ、そうかな?」
「…小平太が近づくのも…気が付かなかった」
「長次!」
小平太から少し遅れて中在家長次も伊作の元にやってくる。
「そうそう。いさっくん、いつもだったら俺が来たら絶対振り返るじゃん?どっか調子悪い?それとも…誰かにいじめられた?」
伊作の首に後ろから腕をしっかりと回しおんぶのような体勢になったまま小平太が尋ねた。
「い、いじめられてなんかないよ。大丈夫」
小平太の問いを否定しながらも伊作はさりげなく小平太の腕を解く。
これ以上この場にいると泣いてしまいそうだった。
それだけは絶対に避けたい。
「じゃあ僕、保健委員会の仕事があるから行くね?」
最後に自分の気持ちを押し殺しにこりと笑みを浮かべ伊作がその場を去る。
「いさっくん…」
その背中を見送りながら小平太は首を傾げた。
おかしい、絶対におかしい。先ほどの様子から伊作に何かがあったことは明らかだ。
「もしかしてやっぱり誰かにいじめられたんじゃ!あ、でもいさっくんをいじめるような奴いないよな。仙ちゃんはいさっくんの事大事にしてるし、留だって…−」
腕を組み首を捻る小平太の横で長次がぽつりと一人の名を呟いた。
「あ、そうだ!絶対そうだよ、長次!!」
その名を聞いた途端、小平太の顔がぱぁっと輝いた。
「よぉし、そうだと分かったらあいつのところに行こう!いさっくんをいじめた仕返しはしっかりしなくちゃ!」
そういうと小平太は「いけいけどんどーん!!」と叫びながら走り出す。
「…小平太、先生に怒られるぞ」
そう呟いた後、長次も小平太の後を追った。
その頃。
文次郎は険しい顔のまま忍たま長屋の自室へと向かっていた。
「おい」
先ほど、自分を呼び止めた声と同じ声が後ろから聞こえてきた。
「……何だ」
自分と同室の級友の声に何の警戒もせず振り返ったと同時に、文次郎の頬に仙蔵の回し蹴りが決まった。
「…っぐ…」
いきなりのことに防御もろくに出来ず文次郎は後ろへ吹っ飛び廊下に転がった。
「いっつ…」
口の中が鉄臭い。
下手したら歯も折れているかもしれない。
「いきなり何しやがる!仙蔵!!」
痛む体を起こし、自分を蹴っ飛ばした張本人を文次郎は睨み付ける。
しかし、仙蔵は何も言わず文次郎の胸ぐらを掴みあげた。
この細い体のどこにそんな力があるのか文次郎はいつも不思議でならない。
「何をするとはこちらのセリフだ、文次郎。なぜ伊作にあんなことを言った?」
その声は今まで聞いたこともない程冷ややかだ。
「うるせぇ、お前には関係ないだろ…っ!?」
言い終わらない内に文次郎の喉元に苦無が突きつけられる。
「選べ。」
「…何をだよ?」
「今ここで私に殺されるか、伊作に謝罪しに行くかをだ」
そういう仙蔵から感じられるのは紛れもなく殺気だ。
仙蔵は喜怒哀楽をはっきりと表に出す方ではない。
今だって顔は無表情に近い。
だが、その目が明らかに怒っている。
自分の友を傷つけるな、と目が言っていた。
仙蔵から発せられる殺気に文次郎が息を飲んだ、その時。
「あ〜!!仙ちゃん、文次みっけ!」
おおよそこの状況にはふさわしくない大声が聞こえてきた。
「!!」
思わず声の方へ顔を向けると小平太が満面の笑みを浮かべてこちらへ駆け寄ってくる。
「小平太…」
「なんだ、こへ。悪いが今取り込み中だ」
文次郎の胸ぐらを掴んだまま仙蔵が告げると小平太は文次郎を一瞥した。
そこへ長次もやってきて、仙蔵と文次郎を見遣る。
少しう〜ん、と唸った小平太は合点が言ったように口を開いた。
「あ、分かった。いさっくんをいじめたのはやっぱり文次だったんだね」
「あ?」
唐突に断言され、呆気にとられる文次郎とは対照的に小平太は相変わらず笑みを浮かべていたが、その目は仙蔵と同じで全く笑っていない。
「こ…へいた?」
指をぽきぽきと鳴らす小平太にうすら寒いものを覚え、文次郎が声をかける。
「駄目だよ、文次。いさっくんにあんな顔させたら。…ってことで、仙ちゃん。俺にも文次一発殴らせてよ」
「ああ、いいぞ」
「おい、まてこら!!」
本人の同意を全く得ることなく話される内容に文次郎が思わず叫んだ。
「大体、あいつがどんな顔してんだよ!!」
「…泣きそうな…でもそれを必死に堪えている顔だ」
長次が静かに告げる言葉に文次郎がぐっと言葉に詰まる。
「そ、それは俺のせいなのか!?」
「お前が伊作にあんなことを言ったせいに決まってるだろ」
それでも無理矢理絞り出した言葉は仙蔵によってばっさりと切り捨てられた。
「さてと…話はここまで。覚悟はいい?文次!」
今度こそぐぅの音も出なくなった文次郎に三つの影がゆっくりと歩み寄ってくる。
「〜〜〜〜〜〜〜!!!!」
後に『関わったら自分の命も危ないと感じたので潮江に念仏を唱えながら逃げた』と、この現場を不運にも見てしまった上級生は語った。
「っ…くそ…」
満身創痍の文次郎が痛む体を引きずって医務室を訪れたのはすでに日が沈みそろそろ夕飯の時間が近づいて来た時だった。
体中のあちこちが激しく痛むが一番痛むのは一番始めに仙蔵に蹴られた頬だ。
「仙蔵の奴、手加減無しで思い切り蹴りやがって…」
大体、忍びに「馴れ合い」が不必要なのは本当のことだろうが。
それをあのへらへら笑ってた同級生に言って何が悪い。
痛さのあまり腹が立ってきたが、それと同時に違う感情が文次郎の胸を抉る。
『泣きそうな顔をしていた』
長次の落ち着いた声が耳に残っている。
「なら、どう言えばよかったんだよ」
誰とも無しに呟くと文次郎は医務室の腰高障子を開けた。
医務室の中では自分と同じ色の制服を着た生徒がこちらに背を向けて乳棒で何かをすり潰している。
「おい、そこのお前。新野先生はみえるか?」
「あ。新野先生は今出かけられていて…」
そう答える生徒の声に聞き覚えがあり、文次郎は無意識に眉根を寄せた。
まさか…
そう思ったのは相手も同じだったらしくこちらを振り向いて、驚いた顔をしている。
「お前…」
「潮江君!」
なんでここに、と言いかけて伊作が保健委員だと仙蔵が話していたことを文次郎は思い出した。
「どうしたの、その怪我!とにかく座って。すぐに手当てするから」
文次郎の顔を見て伊作は慌てて立ち上がると薬棚に駆け寄る。
その様子を見て、そんなに酷い状態なのかと今更ながら実感する。
その場に腰を下ろすと伊作は「ちょっと待ってて」と言い残し、桶と手ぬぐいを持って医務室を後にした。
「…」
伊作がいなくなると文次郎は小さく息を吐く。
全く今日は何だってんだ。
仙蔵には蹴られる、小平太には殴られる。あげくに長次にまで。
それもこれもあいつの…!
再び腹が立ってきた文次郎の後ろで腰高障子が開き、桶を持った伊作が入ってきた。
「潮江君、とりあえずこれで冷やして!」
桶の中の水に浸かった手ぬぐいを固く絞り、伊作はそれを文次郎の腫れている方の頬に当てる。
「っ…」
手ぬぐいの冷たさに微かに瞳を細めながらも文次郎は伊作を見た。
今、自分の真っ正面にいる伊作は心から心配そうに文次郎を見つめている。
「じゃあ潮江君。これ自分で押さえててもらっていい?その間に他の場所の傷、手当てするから」
「…おう」
ぶっきらぼうに答え、手ぬぐいを押さえようと頬に手を添えようとした途端、文次郎の腕に激痛が走った。
「っ…!」
「潮江君!?どうかした…−まさか腕も怪我してるの?ちょっと見せて!」
文次郎の明らかな反応に伊作は顔色を変え、文次郎の腕を掴んだ。
「っつ…バカタレ!大丈夫だ、離せ!」
そう言って腕を引く文次郎の腕をしっかりと握ったまま、伊作は彼の上着をぐいっと上にあげる。
「っ!!」
露わになった文次郎の二の腕は紫色に変色して腫れ上がっていた。
「凄い怪我。これ骨折れてるかもしれないよ!?これも今日やったの?」
そう尋ねた途端、文次郎は気まずそうに伊作から顔を背けた。
「…潮江君?」
「違う。これは今朝の自主連の時にやった。」
「今朝って…。何ですぐ医務室に来ないんだよ!」
そう相手を非難してから伊作は何かに思い当たり、文次郎を見る。
文次郎の怪我している手はあの時、伊作が差し出した手の反対の手。
つまり…
「もしかして…」
「ああ、そうだよ!」
伊作が呟くと同時に観念したように文次郎が怒鳴った。
「腕を上げるのも痛かったから、お前と握手出来なかったんだよ!しかもそのせいでお前を『泣きそうな顔にした』とかいう理由で仙蔵や小平太や挙げ句に長次にまで殴られたしな!」
唐突な告白に伊作は一瞬ポカンとするがすぐに肩を震わせてくすくすと笑い始めた。
「あ、おい!笑うな!」
「ごめん。だって…だって…。僕、潮江君に嫌われてるのかなって思ってたから…」
必死に笑いを抑えながら文次郎に告げると彼は「何で出会ったばかりのお前を嫌わなくちゃいけないんだよ」と首を傾げる。
その表情に再び笑いがこみあげてくる。
「…勝手にしろ」
文次郎が恨みがましげに伊作を睨み付けるが、それでも伊作の笑いは止むことはなかった。
−だって、安心したんだ。潮江君に嫌われたんじゃないって本当に安心したんだ。
「…いつまで笑ってるんだよ」
文次郎の声が低くなってきたのを感じ、伊作は慌てて笑いを堪える。
「ごめんごめん、潮江君。手当てしなくちゃね」
手ぬぐいを文次郎の頬から離し、再び桶に付けようとした伊作の手を文次郎が掴んだ。
「潮江君?」
「その潮江君っていうのやめろ。寒気がするんだよ、文次郎でいい」
そのまま文次郎は怪我をしていない方の手で伊作の手をぎゅっと握る。
「あ…」
「それから。さっきは…悪かった。…潮江文次郎だ。よろしくな、伊作」
握った掌が温かい。
その温もりを感じながら伊作は満面の笑みを浮かべて頷いた。
「うん!よろしくね、文次郎!」
Fin
〜あとがき〜
初年齢操作ssです!
書いててめっちゃ楽しかったです。
いやぁ、年齢操作っていいね(ヲィ)
そしてもうこのss読んでもらえれば分かりますが、うちの仙蔵は伊作のことをものすごく大切に思っています(ぇ)
ある意味伊作Loveです。
それは小平太や長次、そして今回名前しか出てこなかったけど食満も同じです(ヲィ)
もちろん文次郎も。
愛されいさっくん好きなんですv
ではここまで読んで頂きありがとうございました。
2008.4.30