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マシマロ

〜 暗黒世界のオデッセイ 〜

目次

『二〇〇一年暗黒世界のオデッセイ』 『レオナルド・ダ・ヴィンチの半狂乱の生涯』 『星新一論』 『筒井康隆全漫画』 『乱調人間大研究』


『 没個性の人々 』

次男坊

彼を見ろよ。

彼は真ん中わけだ。整髪料を使わないからさらさらの髪質がひと目でわかる。生え際の心配は当分いらなそうだし、白髪もまだ混じっていない。

鼻すじは真っ直ぐで、つりあがってもいないから正面から鼻の穴を覗かれることもない。皮脂の黒ずみも見られず、鼻毛の処理も怠ってない。

眼鏡をかけていないから、彼の目の観察は容易いはずだ。まつ毛があって、目がしらと目じりがある。一般的に、切れ長の目は冷徹な印象を与え、たれ目なら穏和な印象といわれる。どんぐり眼なら睡眠時は半目になるかもしれない。しかし彼の目はそのどれにも属さない。

彼は髭を伸ばさない。歯ならびは良好。皮膚病を患ってはおらず、多くの少年少女が悩まされたにきび痕とも無縁だ。

彼の外見について説明できるのはこれで全てです。

それでは彼の似顔絵を描いてください。

以前、路上で無許可の商売をしている絵師に似顔絵を依頼したことがあります。絵師は商売人らしい笑みを浮かべ、背もたれのない椅子に彼を座らせるとさっそく作業に掛かりました。ですが、さらさらっと輪郭を描いたところで絵師の筆は止まってしまったのです。絵師のこめかみから不自然な汗が伝いました。

小学校の図工の時間、クラスメイトの誰だったかに「○○くんとペアを組むのは嫌だ」とはっきり言われたことがありました。その児童は彼の似顔絵を描くことがいかに困難であるかを感覚的に理解していたのでしょう。結局、その児童は別の児童とペアを組み、彼はなぜか先生の似顔絵を描くことになりました。

いまならどうしてそうなったのか、はっきりと解ります。先生が彼の相手になることで、誰かが彼の似顔絵を描く必要がなくなるからなのです。だって先生は生徒と一緒に絵を描かないんですから。

絵師は困り果てた挙句、彼を椅子から立たせました。今日は特別サービスで全身像を描いてあげると言うのです。苦肉の策であることは明白でしたが、彼は従いました。そしてやっぱり後悔しました。

スケッチブックに途中まで描かれていたものは、表情も肉感もない、いわゆる棒人間だったのです。絵師の筆が止まっていたのは三分間ほどだったでしょうか、申し訳なさそうに筆を置いた絵師は、深々と頭を下げ、「今日は店じまいです。御代も結構ですので」と言った。プライドをずたずたにされたのは一体誰だったのでしょうか。

外見上の特徴に乏しいというのは、当時すでに自覚されるところでした。

こんな話もあります。

色々あってやさぐれていた彼は、ちょっとした出来心から置き引きをしてしまいました。そこはとあるブティックの中だったのですが、被害者はすぐさま店員に駆け寄り事情を伝えました。

警察が到着しました。当時店にいたのは被害者と若い男性だけだと判明し、ブティック店員の証言でモンタージュが作成されました。

結果は言わずもがなです。彼は捕まりませんでした。

警察は公表しませんでしたが、この時じつは、防犯カメラに彼の姿は映っていたのです。

なぜ公表しなかったかという理由は簡単です。ニュースで映像を流したところで、犯人の顔が誰の記憶にも残らないことを警察関係者は知っていたからです。その後も捜査は続けられましたが、せっかく写真を所轄に配布しても、それを懐にしまった瞬間に彼の顔を忘れてしまうような警察官に彼を発見できるわけがありません。

とはいえ、彼のほうではまさかそんなことになっているとは夢にも思いませんから、いつ捜査の手が伸びるかと気が気でありませんでした。罪を犯したものの性なのか、彼は地下を好むようになりました。入口を開けた瞬間にマリワナの香りのするいかがわしいクラブにも足を運びました。

皆、寂しがりやでした。山田マンが陽気にラップをやっていても、観客たちのダンスは虚脱したひどく無気力なものばかりでした。空虚な目はいつも目に見えない何かを追っています。

ひとりの少女が彼に近づきます。
「自分も存在感ないっスから」少女は言いました。「だけどこんなわたしでも、センパイには脱帽っス」

そこには少女が脱いだ帽子だけが残されていました。彼は、ふと思いました。特徴がないことを隠せば、特徴を隠している幻想を与えられるのではないか、と。それは素晴らしい思い付きでした。彼は急いで薬局に行きマスクを買い、デパートに行ってサングラスを買いました。

効果は覿面です。待ち往く人々は彼を見て振り返りました。タレントの変装だと確信し、後をつけてくる若い娘もいました。

そこは新宿でした。日々犯罪が絶えない街です。もうしばらくいくと、交番があります。あとは彼の運しだいといったところでしょうか。

チャイムが鳴りましたので、似顔絵を提出してください。

……嘆かわしいことです。没個性の時代ということなのでしょうか。二十四人も生徒がいて、違っているのはサングラスと帽子の形だけなのですから。