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マシマロ

〜 男たちのかいた絵 〜

収録作品

『夜も昼も』 『恋とは何でしょう』 『星屑』 『嘘は罪』 『アイス・クリーム』
『あなたと夜と音楽と』 『二人でお茶を』 『素敵なあなた』


『 何しに来た 』

次男坊

小島が入室するなり、その男は顎をあげて高圧的な態度をとった。それからリクライニング・チェアーの背もたれに深々と凭れかかり足を組むと、下腹部の辺りでやわらかく手を組んだ。
「どうぞ」といって、男は対面するソファーを案内した。小島は一礼し、緊張した面持ちで部屋の中央に進むと、ソファーの前で今度は軽く礼をしてから腰を下ろした。男の前のデスクの下の隙間から黒光りした革靴が見えていた。足を組んでいるため片方の足はつま先だけが覗いている。組んでいるのはどっちの足だろうか、小島はそんなことを考えた。
「ええと、小島君だっけ」男は苛立たしげに言った。

小島はスーツのポケットからハンカチを取り出して右のこめかみに当てた。汗がにじみ出てくるのをじっと待つかのように、ハンカチを押さえたまま目を閉じた。

男は、トントン、と二回、デスクを指で叩いた。「小島君なんだよね」
「ハイ」小島はびくっとして背筋を伸ばした。「小島です」
「キミねえ、自己紹介くらい自分からしたらどうなの?」

そう言われた途端、逆のこめかみを冷たい汗がつたった。小島は慌ててハンカチを当てなおした。右手が左のこめかみを押さえているので、妙な姿勢になっている。そのオカマが喋るときみたいな姿勢のまま、小島はあらためて自己紹介をした。
「こ、小島武久です」座ったまま頭を下げたので、反動で股がぱっくり開いてしまった。すでにいっぱいいっぱいだったので、小島自身は醜態をさらしていることに気付いていなかった。頭を上げて前を向くと、同時に股も閉じた。

男は、プスッ、と噴き出した。「ごめん、もう一回言って貰える?」

小島は馬鹿正直に同じ動作を繰り返した。「小島武久です」頭を下げると股が開いた。対面する男はあきらかに笑いを堪えていたが、自覚のない小島は相手が怒っているんだと勘違いして、動揺した。
「まあ、いいか」といって男は、ひい、と息を吸った。「で、何しに来たの」

小島は額の汗を拭って、ハンカチをポケットに戻した。眼がいくらか輝きを取り戻している。滑り落ちそうになっていたソファーに一度座りなおした。
「はい」と小島は言った。が、後の言葉が続かなかった。散々準備してきたものが、今の間にすっかり飛んでしまったのである。
「はい?」
「あ、スイマセン、間違えてしまいました」

おちゃらけて言ったが、相手は笑わなかった。
「あ、スイマセン、間違えてしまいました」
「だから、何を」

あのう、そのう、と小島は落ち着きなく言った。「すいません、緊張してます」

男は溜め息をついた。「小島武久君だよね」
「あ、そうです。あの、あ、そうだ、竹井さんからここに来るように言われて」小島はまたハンカチを取り出した。「あの、それで来ました」
「竹井さんって、あ、そう、じゃあキミが、あの小島君なわけ?」男は打って変わって感心したような態度を見せた。
「はい、そうです」小島はこきざみに頷いた。それから少し考えるようにして「あの、でも、あの、と言われるほどのものかは。あ、でも、わたしが小島です」

ふうん、といって男はあごをさすった。何かを考えているらしかった。小島はそのあいだに深呼吸をし、冷静さをとりもどそうと周囲の景色に目をやった。男はすでに足を組むのをやめていて、黒光りした革靴は両足ともしっかり床につけられていた。どこのものかは判らないが、高級そうだと小島は思った。それから男の背後嵌め込みの窓から、空を見渡した。いまにもひと雨来そうな薄曇の空だった。西の空には雲間も見えているので、どこかで時間をつぶせば、わざわざコンビニで傘を買う必要はないかもしれない、と小島は思った。

広い部屋だった。応接間なのにソファーが一脚しかないためそう感じるだけかもしれなかった。片された応接セットはどの部屋にあるんだろうかと、小島は右手にあるドアを見遣った。
「向こうが気になりますか」すでに面をあげていた男が、ドアを指しながら言った。
「いえ、そういうわけでは」小島は視線をそらした。「でも、向こうは何かあるんですか?」

男がにやりと笑った。「そのうち分かりますから」
「そのうちというのは、大体どのくらいですか」
「そう焦らなくても、もうじきですよ」
「でも、わたしはあそこで仕事をするんでしょう?」

小島が突然語調を強めたので、男は面食らったような顔をした。男が何か言おうと口を開きかけた時、小島は俯いたまま「竹井さん」とつぶやいた。

男の顔に狼狽がはしった。「なんです、急に」

竹井さん、と小島は復唱した。そして男の顔を正面から見据えた。
「竹井さんはまだ来ないんですか」

男が、うっと呻いた。「忙しい方だから、今日はちょっと来られるか分からないよ」
「じゃあ、仕事はどうなるんです」
「それは予定通り進めてもらう」

小島は跳ね上がるように立ち上がり、じだんだを踏んだ。「そんなことが許されるんですか……」
「そうは言っても、仕方ないだろう。こっちだって、指示を受けているだけなんだから」

仕方ないだろう。男のその言葉にはいくらか同情が込められているようだった。小島はがっくりと肩を落とした。しかしある程度は予測できたことだったので、喚き散らしたりはしなかった。

その時、右手のドアをノックする音が聞こえた。
「どうぞ」と男は言った。

ドアが向こう側に開けられ、がたいのいい男がうやうやしく頭を下げた。見たことがない男だ、と小島は思った。