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マシマロ

〜 エロティック街道 〜

収録作品

『中隊長』 『昔はよかったなあ』 『日本地球ことば教える学部』 『インタヴューイ』 『寝る方法』 『かくれんぼをした夜』  『偏在』 『早口ことば』 『冷水シャワーを浴びる方法』
『遠い座敷』 『また何かそして別の聴くもの』 『一について』  『歩くとき』 『傾斜』 『われらの地図』 『時代小説』 『ジャズ大名』 『エロチック街道』


『 思い出諸々 』

次男坊

子供は外で遊ぶのが当たり前の時代だった。テレビゲームが流行し始めた頃で中には次から次へと新しいソフトを買って貰える羨ましい奴らもいたことはいたが、そんな奴らでもゲームは一日三十分までと決められていることがほとんどで、当時は親が何よりも恐ろしい存在だったこともあり、やはりわたしたちが遊ぶといえば屋外における活動がその中心であった。冬でもランニングに短パンというほど旧い時代ではなく、寒い日には皆ちゃっかりセーターを着込んでいた。学校ごとに馴染みの公園や広場が四つか五つは必ずあり、それ以外にも秘密の隠れ家的な基地を少人数で共有していて、その縄張り内で他校の連中とかち合った時などは双方仲間を集めて陣地争いなどをしたものだ。ルールがある時もあればない時もあり、結局最後は殴り合いの喧嘩になって口の中を切る者、鼻血を出す者が続出する。衣服が血で汚れていれば当然親の目にとまり、かといってそこで喧嘩の相手の家に親が怒鳴り込む習慣などはないから、叱られるのはいつだって喧嘩に負けた自分自身である。敗北は即屈辱であり、勝利にも物質的な報酬がからまない、それでも何故か誰もがひた向きであった時代。

時代は常に過渡期にあるという。わたしたちの時代も例外ではなかった。本人たちは気付いていなかったろうが、一位が勝ち、ビリが負けという単純な構図はこの頃すでに変わりつつあった。ビリでもオンリーワンなどというお為ごかしは流石に今の時代でも嘲笑の対象であるにせよ、勝ち組の二位、勝ち組の三位くらいならもう十分に市民権を得た発想だと言ってよいだろう。今にして思えばその象徴ともいえる遊び、「変則かくれんぼ」というものが当時すでにあって、わたしたちはその戦略性の高さの虜になっていた。「変則かくれんぼ」はわたしたちが独自に編み出した遊びではなく、当時近所に住んでいた青年に教わったものだった。青年といっても当時の我々から見て大きいひとと言うだけで、実際は立派な成人だったのかもしれない。素性が知れないからといって直ちに警戒するような思考回路は持っておらず、サッカーにしても何にしても我々に遊びを教えてくれるひとは誰でも尊敬される存在であった。

変則というくらいだから通常のかくれんぼとは若干ルールが違う。通常は、鬼がいて、鬼は全員を見つけ出すまで鬼をやめられず、全員が見つかった場合は最初に見つかった者が次の鬼になるという、その繰り返しである。そのため最初の者が見つかってさえしまえば後の者は鬼に見つかるのを気楽に待てばいいのであり、鬼の方も一人目を見つけた時は他の者に聞こえるようにそれをアピールする。鬼は早く全員を見つけて次のゲームに移りたいわけで、逃げる者もどうせ鬼にはならないという気の緩みがあるから簡単に発見されるというわけだ。変則かくれんぼの場合は、次に鬼になる者を鬼以外は知ることができない。全員が隠れてから鬼は誰にも見つからない場所に数字を記しておき、全員が見つかってから何人目が次の鬼かを明かすのである。これで隠れる者は必死に隠れ、鬼も必死に探さなくてはならなくなる。むろんこのルールにも欠点はあって、何番目に見つかろうとも鬼になる確率は一緒であるため隠れるほうは結局てきとうでいいということになる。最初にこのゲームをした時、ずる賢いひとりの仲間がはじめから鬼の目の前にいてわざと見つかり、しかもまんまと次の鬼を免れるという事態が案の定発生した。

これに興醒めしたわたしたちは青年のもとへ相談に行った。青年は我々が自らその欠点に気付いて相談に来るのを待っていたかのようににっこり微笑むと、すぐに解決策を提示してくれた。最後まで見つからなかった勝者には全員にデコピンをする権利を与えれば良いというのである。さっそく我々はその意見に採用した。

他愛のないルールではある。それでも当時のわたしたちには、新しい遊びというものが何よりも楽しいことであったのだ。それに勝者と敗者を同じ番号に設定することができたので、ただ最後まで見つからなければいいわけでもなかった。いかに鬼にならずにデコピンの権利を獲得するかという心理戦である。わたしたちは夢中になって変則かくれんぼにいそしんだ。

ある日、仲間の一人が勝者の権利をメンコの総取りにしようと言い出した。当然この案にすぐさま反対したのは次の鬼である。当時貧乏な暮らしをしていたわけではなかったが、わたしの親はやたらと物を買い与える主義ではなくメンコの所有数も当時の仲間内では一番少なかったためメンコを賭けるという案には若干の抵抗があった。それでもメンコが増える可能性には心が揺れたし、鬼はメンコを出さないとうルールが早々と決まってしまううちに反対票を投じる機を逃してしまった。

始まってしまったからにはどうしても負けるわけにはいかなかった。数枚のメンコを獲得することよりも、一枚を失いたくないという一心でわたしは必死になって隠れ場所を探した。どこもかしこも真っ先に鬼がやって来そうな危険な場所に感じられた。わたしを含めて皆、鬼のスペシャリストであったのだ。100を数える鬼の声が渦巻くように聞こえてくる。一度なんかはそのまま家に帰ってしまおうかとも考えたほどだ。

わたしは体育座りをした膝の間に顔をうずめて、必死に見つからないことを祈った。そのうちに一人、二人と仲間の悔しがる声が聞こえてきても息苦しい緊張はすこしも和らぐことがなかった。心臓の音がどくどくと鳴っている。いつしかわたしはその音をカウントしはじめていて、二百か三百かだんだん判らなくなった頃、鬼の声が長い間聞こえなくなっていることに気がついた。もしかしたら他の仲間は全員見つかったのかもしれない、そう思って顔を上げると、奇妙なことにわたしは鉄の箱の中にいた。十二の辺と六つの面に囲まれたそこは紛れもなく直方体の中だった。レストランの厨房にある業務用冷蔵庫のようなステンレスで、正面の壁にはわたしの姿が映っている。高さがわたしの背丈の二倍ほどもありそうな部屋で、真上を見上げるとちいさな顔と肩だけの私と目が合う。無機質であるのに寒くは感じなかった。動揺するよりも先に、わたしはわたしの真っ直ぐな視線によって冷まされてしまったのだろう。

壁をノックしながら一周して、入口がないことを知った。わたしは自分がどこかの倉庫に誤って入ってしまい、運悪く入口が閉ざされてしまったのだと考えていたから閉じ込められたと分かってもそれほど慌てはしなかった。大声で叫ぶとまるでトンネルの中にいるみたいに声は大きく響いた。力任せに壁を叩いて、外にいる者に自分がいることを伝えようとした。

反応はない。わたしはかくれんぼが始まったときすでに日が暮れかけていたことを思い出し、少しだけ不安になった。ここで仕事をしていた人たちはもう帰ってしまったのかもしれない。わたしはなおも壁を叩き続けた。反響する声と自分の声で頭が混乱するようだった。すぐに疲れてわたしは座り込んでしまう。ズボンのポケットに入れたメンコを思い出し、目の前にきれいに並べ、誰かが助けに来てくれるのを待った。もう六時を過ぎてしまっただろうか、門限を過ぎれば叱られる。こんな倉庫に勝手に入ったことが知れればもっと叱られるだろうとわたしは途方に暮れた。ふたたび膝の間に顔をうずめ、床に映る自分の顔をじっと見つめていた。

うたた寝をしていたらしい。気がつくと箱の外に出ていた。驚いて立ち上がると、そこは見知らぬ広場の外れであるらしく人の姿もない。わたしは先ほどまで閉じ込められていたはずの鉄の箱の上に立っている。飛び降りるには少し高さがあったが、梯子などは見当たらず、勇気を出して飛び降りるしかなかった。夕焼けは空の端にほんのり残るだけで、門限はとうに過ぎていることが知れた。わたしは急いで公園に向かった。途中、箱の入口がどこにあったのかが気になって振り返ったが、遠くからでは何も見ることができなかった。

公園には誰も残っていなかった。どんな事情であれ置いてけぼりにされるのは悔しく、腹が立った。メンコの約束だって果たされていない。わたしは一台だけポツリと残された自転車にまたがって家路を急いだ。まだファミコンを買ってもらえなかった時代、わたしの頭には叱られることと夕食のこと以外に思い浮かべることなど有りはしなかった。

家の前の通りに出る最後の四つ辻を曲がったところで、例の青年に出会った。帰宅する以外に選択肢がなかったわたしと違って、青年はこれから出掛けるのだと言い、それが羨ましかったのを憶えている。わたしは先ほどの出来事のことを話した。うまくまとまらない話を青年は最後まで聞いてくれた。青年はしばらく考えてから、きみは裏返ったんだと言った。裏返ったから箱の中に入って、また裏返ったから外に出られたのだと。当然わたしの理解など何次元も超えた話でわたしは首を傾げるしかなかった。優しく微笑みかけながら青年は謎掛けのように、裏返ったものが裏返ったらどうなると思う? と言った。わたしはメンコのことを思いながら、表、と答えた。

青年は正解とは言わずに、じっとわたしの目を覗き込んだ。青年の眼窩が深く落ち窪んでいくように感じられた。そろそろ帰らなければいけないと思った。それで自転車の方をちらりと見たとき、青年は低くくぐもった声で、表にはならないと言った。異様な語気に驚いてはっと振り返ったとき、青年の手に持ったナイフはすでにわたしの腹を突き刺していた。