大きなお屋敷の小さな客人

◇愛すべき人々 Case1◇

つまるところ、旦那様の気まぐれが為したことでございます。あっ、ご挨拶もせずに申し訳ありません。私、ここイーガン家に仕えておりますメイドのアンニと申します。よしなに。
 そうそう、お話の続きでございました。それはとてもよく晴れた日で、私はいつも通りメイド仲間のリズと共に夕食の配膳準備をしておりました。
 えっ? いえいえ、夕食のお時間は普通のご家庭と同じ、特に早いわけではございません。人数分の食事を賄う為に、一般のご家庭よりも少しだけ早い準備が必要なのでございます。
 もちろん、使用人を増やせば私共も楽にはなりますが、旦那様の質実なご性格を思いますと今の人数が最も良い状態でありましょう。
 あれ? ご説明致しませんでしたか? 現在のご当主様は旦那様の一人娘でいらっしゃいますイッロ様でございます。
 ええ、旦那様というのはイサク大旦那様の事。イッロ様も旦那様をお迎えになられ、五人のお子達を為しましたが不慮の事故で数年前に旦那様を亡くされておられます。当時は大層、イッロ様も肩を落とされて、見る者全てが悲しみに包まれました。それはもう! こちらとしてもお慰みするのもままらならず・・・
 ああ、そうでございますね。その日は私もリズも旦那様がお帰りになられたのをお出迎え致しました。散歩を終えられた旦那様は、とても上機嫌で玄関をくぐられたのでございます。そして、あのお客様をお連れになったのでございます。
 私共はすぐさま執事のヴァンさんにご報告致しました。その後、ヴァンさんが大奥様のイッリ様へとご報告なさったようでございます。イッリ様はご報告を聞いて面白そうにしておいでだったとか。
 ここだけの話ですが、イッリ様はあの通りのサバサバとした方でいらっしゃいますが、夫の不実には厳しい方なのです。報告してから、その事に気付いた私とリズはハラハラとしておりました。バンさんが至って平静でしたのが不思議なくらいでございました。
 ですが、それもそのはず。旦那様とあの方にいぶかしむような事は何もなく、それどころか夕餉が終わって部屋を案内されたイッリ様までも大いに気にいられたご様子でございました。
 ええ、もちろん。旦那様は私達のような使用人にも気遣いを示される方です。いえ、旦那様だけではありません。このイーガン家の方は本当に使用人に対してお優しいのです。イーガン家の皆様に私達は誇りを持ってお仕えしております。ですから、お迎えしたお客様がどのような素性の方であったとしても全霊を尽くさせて頂きます。
 とは言っても、本当の所は嫌な気持ちもしたものです。先に申しておきますけれど、ヨリ様だからというわけではありません。つい先ほどまでは同じ身分の者に下に見られると思うと、腑に落ちないのが道理というものではありませんか?
 本当はあの方を湯浴みにお誘いするまでは、色々とリズと二人で思案しておりました。もし、お客様とはいえイーガンの御家に害をなすようであれば、バンさんに言ってあの方を追い出して頂こうかと冗談交じりに、そんな言葉も出てきてしまいました。
 ・・・今思えば、何と身の程知らずで傲慢な考えだったのでしょう。
 何はともあれ、湯浴みにお誘いしたあの方は私共に対しても丁寧にご挨拶をなさいました。ヨリ様と呼んだ時は困ったようなお顔をなさって、イッリ様をちらりと見ておられました。
 後でイッリ様にお聞きしたのですが、様付けされるのがお好きではないそうでございます。イッリ様は笑いながら、
『呼び捨てにするよう頼んだのでは、私達の体面が悪くなるとでも思っているようよ』
 と仰っておられました。
 それから、
『仕える貴方達の心情を思いばかってのことでしょう』
 とも。
 確かに気安い相手に仕えるのは楽ではありますが、私共の自尊心が傷つく可能性もございます。私共以上に考えておられるのだと感じ、いたく感動致しました。それ以来、ヨリ様とお呼びするのに抵抗はございません。
 そうそう。ヨリ様は思慮深い方ではありますが、ちょっと変わった方でもあります。湯浴みなさっている時に、側にいた私に身の回りの事は全て自分でするからと仰られて、洗濯や料理の事まで気にかけていらっしゃるようでした。元の身分が私共と同じとは言え、私だって客として行った先でそのような考えは致しません。私もリズも目を白黒させながら、そういったことは私共に任せるようお留めしたのでございます。
 いいえ、もっと驚いたのはご自分に無欲でいらっしゃることでございました。普通の女ならば、ヨリ様ぐらいの年齢になれば化粧や服に関しては関心の八割を持っていかれるものです。リズのような無頓着と言っても良い位の子でも流行の服や化粧品は一通り試します。
 ですのに、ヨリ様はリズでも知っているようなウォーターの使い方を知らなかったのです!リズなんて、
『最初に聞いて下されば良かったのに!』
 って。最初にお部屋にご案内した時にも説明はしたのですけど、ササ様がいらっしゃった時に不十分だったと気付きました。
 そう言えば、この間、イッロ様がお連れしたお店でも薦められてもきっぱりとお断りになり、必要最低限の物のみしか買われなかったそうでございます。見かねたイッロ様が密かに幾つか買い足しておられたとヴァンさんからお聞き致しました。
 本当に旦那様を初め、お屋敷の皆様があれほど目をかけられておりますのに、ヨリ様は奢ることなく立場を弁えておられます。私でしたら勘違いしてしまいそうですのに。
 ヤニス様ですか? 最初はそれはもう、すごい剣幕でいらっしゃいました。美麗なお顔立ちですが、さすがと申しますか、お怒りになった姿は鬼神のようでございますでしょ?
 そうなのです。ヨリ様はご自身の容姿のせいで、随分と辛い経験をなさったようでございます。ヨリ様に卑屈な態度は一切お見受け致しませんが、そこはやはり。されど、ベールを被ってはヨリ様の魅力でもある豊かな表情が覆われてしまい、ヤニス様にヨリ様の良さを分かって頂くのは難しいと思っておりました。
 恥ずかしながらベールをお渡しする時に、それとなく申しました。そしたらヨリ様は少しだけ微笑んでこう仰ったんです。
『見た目で判断するのは正しくもあり、間違いでもあると思うんです。私は好き嫌い以前に、私という人となりを知って欲しい』
 本当に杞憂でございました。私でも過ぎると感じる程の発言をなさったヤニス様に、ヨリ様は寛容でございました。そして落ち着いた声で粛々と受け答えなさったのでございます。私は本当の敬意というものを見た気がします。
 見た目に囚われなければ、とても優しい方とすぐに分かります。ヤニス様へベールの言い訳をした時もそれは変わりません。私共が考えた理由に、ヨリ様らしい一言を付け加えておいででした。
 当然、口裏を合わせなければいけませんので、他の方にも伝えるべくヴァンさんにご報告致しました。私の話にリズだけでなく、ヴァンさんもいたく感動しておりました。
 おかしいと思われるかもしれませんが、こんなに僅かな時間ですのに、私はヨリ様がもっと昔からいらっしゃったような気がしてならないのです。いつもそこに居てくださったような・・・そうでございますね。このお屋敷の皆が家族のようにお互いを思っておりますから。
 あっ! 明日の継承式にヨリ様もご出席なさるそうです。何でも、ヨリ様の身元を引き受けて下さる方が見つかったそうで。その方も領主様で、明日の式典で顔合わせをなさるようですよ。とても温厚で義を重んじる方でいらっしゃるそうです。
 残念ですが、明日も言葉を交わす事はありませんでしょうね。領主様というのは、本来は私共が気軽にお話しできるような方ではありませんので。イッロ様が特別なんです。イーガン家当主の、引いてはコール領主の伝統をステン様も喜んで受け継いでくださると思います。
 ステン様ですか? そうですね・・・正直に申しまして、弟のお二方よりおっとりとして真面目でいらっしゃいます。後、ご長男だからでしょうか。少々、頑張りすぎるきらいがおありのようです。
 いつかヤニス様が仰っておりました。
『兄さんは要領が悪いから、貧乏くじばかり引いている』
 恐れながら私も納得したものでございます。ステン様自身、弟君達のように上手く立ち回れずにいるのを気に病んでいらっしゃるようです。でも、当主におなりになったら、きっと変わられると思います。イッロ様も、イサク様もいらっしゃいます。それにイッリ様がステン様を鍛えると仰ってましたしね。
 そう言えば、ヨリ様はとても不思議なことを仰っておいででした。
『ステンさんは頑張って嫌われようとして好かれてしまう人ですね』
 さあ。どういう意味なのか、私も存じ上げません。そう言った時のヨリ様の目が、とてもお優しかったのが印象に残ってますけれど。おかしいと思いませんか? 嫌われるのに一生懸命になるだなんて。好かれるためなら分かるんですけれど。
 私もリズも首をひねるばかりで、ヴァンさんなら分かるかと思って聞いてみたんです。そしたら、なんとヴァンさんがそれは蕩けそうなぐらいに優しい目になったんですよ! あのヴァンさんが!!
 ええっ? そうですか? そのようなつもりはないのですけど・・・やだ、恥ずかしい。これからはもう少し己を律しておしとやかにします。うるさいですか? まあ、ありがとうございます。
 あっ、話を元に戻しますけれど、ヴァンさんにヒントをもらいました。
『自分の大切な人が間違った道を歩もうとしていたら、貴女方はどうしますか?』
 そう問われたのですが、私もリズも答えは一緒でしたよ。
『すぐさま思い直すように言います。それでも駄目なら実力行使です!』
 あれ? 何故お笑いになるんですか? まあ、違います! 実力というのは力づくではありません。自分で止められない場合は・・・ええ、そういうことでございます。
 私達にとっては最善の答えでした。ヴァンさんは薄く笑って同意して下さった後、ヨリ様の対処法は違うようだと仰っいました。
『あの方はよくよく見ようとなさいます。もしヨリ様に同じ質問をしたならば、その道が本当に間違いなのかと考えられるでしょうね』
 ヴァンさんはどこか遠くを見ているようでした。思わず私達も同じ方向を向いてしまいましたけど、いつもと同じ光景しかありませんでした。
 実は未だにヴァンさんのヒントから答えが出てきません。あのヴァンさんですもの、まずいヒントは出さないはずなのですが・・・
 この話はステン様もご存知だそうです。ヴァンさんが旦那様へ得意気に話されたみたいです。イッリ様もご一緒でらして、イッリ様から褒められたと後で厨房の皆さんに話しているのを、たまたま通りがかったら聞こえてきたのです。エトさんが言うには旦那様からステン様に伝わったようです。
 そうそう、厨房の人たちもヨリ様を好ましく思っているようです。特に気難しいと評判のエトさんがヨリ様を気に入っているとビルマが言ってました。エトさんに気にいられるって相当です。私なんて怒鳴られなくなるまで一年はかかりましたもの。・・・みんな、そうなんですよ? エトさんにどういう所が良いのか参考までにお聞きしたこともあります。
『嬢ちゃんはすっきりしていていいや』
 よく分かりませんが、何かがエトさんの琴線に触れたのでしょう。私にはこれ以上は・・・ええ、言葉が見つかりません。
 さっぱりではなく、すっきりというのが不可解です。ですが、聞いた手前、聞きなおすことも出来ずにいます。いつか時間を空けて再挑戦してみるつもりでおります。
 ああっ! いけません! 時間が・・・つい話し込んでしまいました。明日の準備を仰せつかってるのに・・・・・・いえ、気になさらずに。私が忘れていたせいですから。きっとリズが取り成してくれているでしょう。
 明日の事で皆が頭いっぱいですから、ヴァンさんのお説教も短くて済む、はず・・・です。どどうして、ヴァンさんが後ろで睨んでいるんでしょう? 聞かれても困りますよね、そうですよね。
 ななんだか汗が吹き出て参りました。ではこれで戻らせて戴きます。最後に? 最後に何でございましょうか?
 ありがとうございます。今日のよき日にご加護がありますように。
 

 fin

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