毎年毎年、旧暦でやればいいのにと思う行事の一つが今年もやってきた。何も雨の中、見えない星を眺めるなんて馬鹿なことをする人はいないだろう。それともどっかでは晴天になってるんだろうか。まあ広い世界のどこかならあるだろう。でも、それはここではないはずだ。
「何してるの?」
「願い事」
そっかあ、願いごとかあ、願いねえ。ちょっと夜理、変なの引っ掛けないでよ。あっ、こっち見た。めんどくさい。
「願い事? ああ、七夕だもんねえ」
ねえって和やかに話しかけてんじゃない。明らかにおかしいでしょ、その人。ビニ傘差しながら、短冊持って、しかもこんな暗い公園で!
「あっ。海晴、この人、そこの人」
そこってどこ。どんな紹介の仕方。その前に知り合いなら、そう言って欲しかった。明らかに浮浪者への目になってたじゃない。
「こんばんは。夜理の友達?」
「うん。会社の人」
「ちょっ・・・友人の皆藤海晴です。はじめまして」
夜理の紹介は的を射ない。分かってるけど、もうちょっとどうにかならないかな。社会人生活も長くなってきてるんだし・・・って、そういや長くないんだった、こいつ。
「珍しいね、夜理が友達連れてるの」
ちょっと! あんた、どんだけ友達いないのよ。
「こっちまで来ないし、来れない。それより、願い事はいいの?」
ああ、そういうこと。本気で私しか友達いないのかと思った。
「うん。そろそろ戻る頃だから。そうだ、ちょっとうちに寄ってかない? 短冊にお願いしていきなよ、母さんも喜ぶよ」
「そうだね」
「えっ、ちょっと」
当たり前のように頷いているけど、私の存在を忘れてるわけじゃないよね? 怒るよ?
「康の家、公園前にある骨董屋なんだよね。最近、出来たばっかで、おばあちゃんがやってるんだよ」
「そ、そう。じゃなくて、あのね」
「今日は早めに店じまいしてるし、近所の子供も呼んでるから来てください。正直、俺一人じゃ相手しきれない」
何故か康の家にお邪魔することになってしまった。初対面で実家で親と顔合わせって、どれだけ緊張するの。普通なら友人である夜理が阻止してくれるもんなんじゃないの。
「や、久し振りだったし。ここんとこ、じっくりゆっくり会う時間がなくてさ。ちびっ子達は可愛いよ、うん」
私をそっちのけで小さい子達と手遊びしてるんじゃない。少しは構え。
「ごめんなさいねー。急にお手伝いのお願いなんてしちゃって。康人のお友達に女の子がいたなんて」
「母さん! これ、このあとどうすんの!?」
「はいはい。ちょっと待って」
中学男子の家に来てしまったような気味悪さがあるのは私だけ? まあ、私達ぐらいの年になれば親との確執なんてそっちのけになるもんだけど。それにしても今どき珍しいぐらいの孝行ぶりなんじゃない。
「ね、康人ってマザコン?」
「そうでもないよ? たぶん、海晴がいるからじゃない?」
「何それ」
「海晴って鈍いよね」
「ちょっとちょっと。あんたに言われたくないって。どんだけ自分が鈍感なのか分かってって言ってる?」
「失礼じゃない?」
「ううん、ちょうど良い・・・じゃなくて、どういうこと?」
小声でやりとりする私達をちびっ子達が不思議そうに見てくるけど、それはそれ。ここは大事な話なので続けさせてもらおう。あやとりしながらなら文句はないでしょ。
「康人が好意を持ってるわけで」
よっと言いながら取ってるけど、あんた、それじゃあすぐに終わるって。小さい子に容赦してやんなよ。
「あれー、これどうやんのー? わっかんない」
ほれ、言わんこっちゃない。結局は私が最後まで付き合ってあげることになった。康人がマザコンっぷりを発揮してるのが私のせいだってことは分かったけど、それがどうして私への好意に繋がるって言うの。
「美味しい!」
「お粗末さま」
康人のおばさんが作ってくれた(康人はアシスタントだったらしい)笹団子とソーダを頂きながら、今だ降り続ける雨を見る。止みそうな気配は微塵も無い。夜理の家に泊まることになってるから、ここからどれくらい歩いていくのか不安になった。
「すぐそこなのよね。一人暮らし専用のマンションでしょう?」
おばさんが自信たっぷりに言ったけど、康人が首を振って否定してる。どっちよ。
「専用ってわけじゃないですよ。家族で入れるのが二部屋しかないってだけで。それにマンションってほど大層なもんでもないですしね」
なるほど。家賃収入を見込んでワンルームの部屋が並んでるわけね。
「海晴さんも一人暮らし?」
「ええ、はい。一人暮らしって言っても、実家の近くですけど」
友人たちの親よりも高齢の親が心配で遠く離れて住むことはしなかった。仕事場も近くだから離れる必要もない。
「そうなのー、それなら親御さんも安心ね」
安心を通り越して不安になってきてますが。そりゃ休みの度に実家によって行く娘みてたら将来も不安になるわな。隣で大口開けてる夜理の親みたく、私の親は割り切れない。
「おばさん、ちょっと外出て来ても良い?」
「いいけど、どこ行くの?」
「や、店の前。ここでは出来ないから」
食後の一服にでも行くんだろう。小さい子達の成長の為にも外に行くしかない。片身が狭くなったもんだね。
「あなたは良いの?」
「私は止めましたから」
年取って、男と別れてからきっぱり止めて三年が経つ。もう誰が吸ってようが気にならなくなった。止めるのが辛かったわけでもないから、煙の中にいても嫌になったりはしない。久しぶりにあった昔なじみが変わらないのを見るような感じだ。悪い気はしないが一緒にいれるわけでもない。
「今年はもうお願いごとした?」
大興奮している子供たちを手際よく捌いていた康人が、数枚の短冊とペンを持ってこちらにやってきた。
「一枚書いてみないか?」
「あら、いいじゃない! 一人暮らしだと、こういった行事なんてしないでしょうし、夜理ちゃんと一緒に書いたら?」
勧めてくれる二人に苦笑しながら、夜理と二人でそれぞれごかしな願いをこめる。子供のときのように真剣に書くほど純ではなく、かといって適当に書くほど擦れてないせいか、なんとも言えない願いになってしまっていた。ちらりと夜理のを覗きこむと、同じような文句を連ねてる。この年で本気になって書くほうが珍しいもんだ。
「そういや、康は? 書いたの?」
夜理が興味津々で尋ねると、康人は笑いながら子供たちのが飾ってある笹を指差した。探してみると大人らしい綺麗な字に目が留まる。
私なんて、今年どころか去年だってすっかり七夕なんて行事忘れていたのに、この男は律儀に毎年してるみたいだ。商売をやってるせいもあるんだろうけど悔しい。
「康、これお願いってよりただの願望なんじゃ…もうちょっと他にないの?」
私が屈んでいる後ろから顔をつっこんで見てる夜理が、珍しく皺を寄せて鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしてる。どうでも良いけど、その顔を私らの年代がやっても可愛くないんだって。
「最初は他のお願いにしてたんだけど、出会うべくして出会ったんだから、ちょっとはあやかってやろうかなと」
そう思いましてと涼しい顔で言う康人の横顔が見えない。立ち上がりたいけど、のしかかってる夜理のせいだ。いい加減重い。
「どうする? 海晴、今募集中だからいっか?」
ちょっと待て。誰が募集中だ! その前にいっかじゃない。なにその軽さ。いくら夢のような年が過ぎてるからって、ひどい扱いじゃない。あんた、タメの癖に。覚えてなさいよ。たった一ヶ月の年齢差なんて差にもならないんだから。
「勝手なこと言わない。康人も他のにしなさい」
真面目に言ったら夜理と二人して大笑い。失礼な。冗談に乗れてなかったならまだしも、この程度で笑われては業腹だわ。
「んじゃ、私はあっちでも行ってますかねー」
うふふって、あんた危ない奴になってない。飲んでもいないのにイカレてる場合じゃないでしょうよ。そもそも微妙すぎる空気を読みなさいっての。
「海晴ってほんとうに彼氏いないの?」
「いない。いません。出来ません」
おお! 我ながらやぶれかぶれな返答よ。けど、どいつもこいつも口を開けば男男ってうるさい…っていう私の八つ当たりも聞き流してるじゃないか! しかも薄ら寒い笑顔で!
「出来ませんって作る気がないだけだったりして? 言い寄ってくる人ぐらいいそう」
「どんだけイメージ悪いのよ」
私がしかめっつらすると、康人はあれっと首を傾げてる。自分のせりふの後味っていうか、もう全部に嫌悪感が出てる。夜理に見せてたのは仮の姿で真実は大魔神だ。そうだ、そうに違いない。怖い怖い。
「口に出してるあたり、海晴の方が性格悪いと」
ごふっとくぐもった音と共に康人が腹を抱えて崩れていく。護身術とはいえ、軽く入れただけだ。本格的な体力も技もなかったはずで、それでも綺麗に決まった。うん、ちょっと同情する。
「ひどっ! 本当…や、なんでもないです。本当、ないって。それより海晴は何を願っ……詐欺じゃね?」
ああ、足りなかったらしい。もう一発。
「嘘です。冗談です。やだなー、海晴ちゃん」
嘘くさいのは前からだ。最初からしてインチキくさかったし。うろんな目で見ながらも、私が書いたのはそっと隠した。さっき夜理と一緒に書いた奴ではなくて、一人でこそこそ書いておいた短冊だ。あまつさえ世界平和と景気回復を願ったんだから、一つぐらいは自己の欲に駆られても良いんじゃないかと思ってしまった。
「ほんと、何願ったんだか…」
悪いね、康人。こっそりにやりと笑って夜理と一緒に書いた短冊を見せる。もう一枚が見つかることはないだろう。癖のある字なだけに、癖を徹底的に消してしまえば子供の汚い字レベルになる。今日、短冊を書いた子供たちの中に紛れ込ませれば親御さんたちであっても分からない。まあ、本人らに申告されたらおしまいなんだけど。そこまでしないだろう。
「康人はもう一枚書いたら? 現実的な方向で!」
「いやいい」
機嫌を悪くしたのかと康人を見上げると、一枚の短冊に視線が注がれていた。いや、ちょっと待て。何見てる…あっ、私のじゃなかった。ひやっとさせないでよ。びっくりした。
「これ…夜理?」
うん、まあ、私もあんまりだと思うよ。思うけど私に救いを求める目をしてもだめだって。だめだめ。救ってやれない。私も一緒に泥舟は勘弁だ。
「海晴、面白い友達持ってるよね」
「同じ穴の狢」
夜理が面白いなら康人は変人だ。私よりもお似合いなんじゃなかろうか。軽く言っただけなのに、ものすごい嫌そうな顔をされた。あげく抱き込まれた。調子に乗りすぎてる。
「離して放して」
「うん。夜理と友達だなって思うところもある」
「康人は夜理と友達だって思ってる?」
ふと口をついて出た。私が長い間疑問に思っていて確信持てないこと。康人へ紹介してもらった時だって、なんだか友人というより一同僚でしかないって扱いだったし。
「一応は。夜理がどう思ってようと関係ないかな」
「そっ。じゃあ康人はおかしい人なんだ」
「・・・なんでそうなるわけ?」
「夜理の友達って変わってるから」
夜理は変わってると思う。普通の、そこらへんの子と同じように変わってる。だから夜理の友達だっていうこの男も変わってるんだろう。
それにしても。
「そろそろ帰ろうかな」
いつまでもここにいるわけに行かないし、夜理と一緒に引き上げるべきだ。空が雲でどんよりし始めてる。
「そうだな。送っていこうか?」
ゆるく首を振って断った。歩いて数分もかからない道で何かあるわけもない。一人なら言葉に甘えられても、夜理と二人じゃ迫力勝ちで不審者も逃げて行く。
「ああ、そう。じゃあ、俺は見えないお星様にでも祈っとく」
ぎょっとして立ち上がってしまった。ばれてないと思ってたのに、しっかりばれてるじゃない。
「祈願するのは良いけど、神社に行ったほうが早そうだけどな! なんなら一緒に行く?」
神田明神じゃありきたりだから須賀神社にでも、と人の悪い笑みを向けた男の後頭部に、咄嗟に一発入れてしまってもばちは当たらないはず。
雲に隠れた先で天帝の溜息が聞こえた。
fin