全てを切り裂く冷気に挑むかのような表情に。
ついで、彼女のあまりにも無謀な姿に惹かれた。まるで全てを受け止めようとしているかのような、その無鉄砲さ。ただ興味を惹かれただけというには、あまりにも動き過ぎた心に微かな不安が過ぎる。
歪な存在と罵られた過去を、決して忘れ去ることは出来なかった。同じ存在があればと願った幼少を過ぎ、諦念を持つようになったのはいつだったか。愚かさを盾にすれば楽になれると考えた日々は過ぎ去り、不可解な痛みにすら慣れ表面上の穏やかさを装うようになってから久しいというのに。
たった一つの存在があっけなく氷解した。強固と思われた壁は、彼女の前では何の意味も為さなかった。
再会を夢見ては恐れていた。彼女に会ってしまえば動かずにいられない。そうして、彼女を捕らえようとして彼女を怖がらせるかもしれない。
真実を告げれば彼女に厭われるかと思うと、会わないまま泡沫の夢にたゆたうままでいたかった。
彼女を思い出すたびに湧き起こる衝動に、己を突き動かそうとするその力に、いつまで逆らい続けられるだろうか。答えなど誰に聞くまでもない。彼女を再び目にした時には、既に先が見えていたのだから。
至近距離で見た彼女の短い髪が、思いのほか柔らかそうで触れてみたくなった。ひそりと言葉を紡ぐ唇が、反らさずに見上げる目が。彼女の全てが罠に思えたのは何故か。確かな言葉を残さずに彼女から離れたのは、その時になっても往生際悪く揺れていたからに過ぎない。
そして、いぶかしむ彼女を残して店を出た時になって、後戻り出来ない場所に自分が立たされているのを知った。
彼女との二度目の再会はそれから間もなくだった。言葉をかけてきた彼女に、初めて心が決まったような錯覚を覚える。初対面とも言えない一方的な出会いを彼女に語った。彼女が寒い日の事を覚えていなくとも当然の事で期待などしていなかったのに、彼女はその予想に反して思い出したようだった。
それは、確実に彼女の中に存在するということ。
胸が奮える。喜びが体を満たし、独占欲とも支配欲ともつかないものが内から徐々に溢れだしていく。
まだ・・・
焦燥感から逃れるために、それほど多くない疑問を彼女が口にする前に店を出た。下手に動いて彼女を逃がしたくは無い。
彼女の何がこれほどまでに惹きつけるのか。何故、制御出来ない感情に彩られるのか。まるで自分のために与えられたかのような存在があることに、驚愕と不安と歓喜に浸ったあの日を思い出して苦笑が漏れる。
その眼差しは鋭く、小さいはずの体にある強かさ。歩きながら向いから来る彼女を見つめていたからこそ、一瞬だけ見せた彼女の厳しさに目が奪われた。何かを睨みつけるように一方向を見て、ゆるく首を傾げる彼女に感じた予感。なぜ・・・
すれ違った直後に彼女が振り向く気配を感じて、息が詰まった。あえぐような呼吸を落ち着かせようとする。それも上手くいかずに、とうとう狭い路地に入り膝を抱えるようにしてうずくまった。抜けた力が元に戻り、立ち上がる事が出来たのは大分経ったあとだ。
ないまぜになった感情を持てあまして溜息をつく。三度目。次に彼女と会う時には決断を告げよう。そう決めて目前の猥雑な処理を片付けることにしたのだ。
もう逃れることも逃れようとすることもできない衝動の内に、彼女を傷つける前に。
けれど、望んだものよりも望まないものを手にしやすいのは何故だろう。彼女ともう一度会うという簡単な事が出来ずにいた。
取り巻く環境が深刻になればなるほど彼女に会いたくなる。すぐ傍にいるというのに、顔を見る事すら出来ない日々に感情が逆なでされる。ざらついた舌に舐めとられる感覚への嫌悪を取り去ることが出来れば。
ぬるかった風が冷たさを帯びてくれば、彼女との出会いを思い起こさせ、現状のままならなさに苛立ちが募っていく。
損な役目だと思いながらも、文句一ついう事なく受け入れたのは自分だ。どれだけ不満があろうと他者にぶつける気はなく、腹の底に留めるからこその苛立ちと分かっている。それでも、この息苦しさは耐えがたい。
全て吐き出せれば・・・
そこまで考えて、すぐに無駄と思い至る自分の愚かしさに、また一つ溜息がこぼれた。
そうしたところで、抱えている問題が軽くなることはないと知っているからこそ、影のような彼女を求めてしまうのだろうか。
あの店自体が他の空間から隔離されたような存在だからか、店で見た彼女も不確かに思えてくるのだ。店を取り仕切る、親友と言うよりも悪友や腐れ縁と言った方がしっくりくる間柄の男は、すぐに自分が彼女を特別な存在として見ていることに気がついていた。
あの男は気が利くというのでは済まないほど、細部まで事細かに記憶にとどめ動く事が得意だ。柔らかな笑顔を隠れ蓑にしているが、本質は自分と似ている。
だからきっと、彼女と接点を持ちたがることも容易に想像が出来た。それゆえ、彼女との再会も難なくいったのだが。彼女という点を軸にどちらも利用し、利用されていた。
彼女が知ったらどうするだろう。挑戦的な眼で見上げてくるだろうか。そうなればいい。影などと思えぬほど、はっきりと自分の前に立てば胸に抱えた靄も晴れるだろう。
今となっては、彼女との接点を持たぬように考えていた事そのものが馬鹿馬鹿しい。子供のような暴挙を、あの鋭利な眼差しを、彼女の中にみた厳しさと共にある何かに、どうしようもなく惹かれた後だったのだから。
彼女が夢のような存在だと不思議がっていると男から聞かされたが、さて幻影なのはどちらか。
この時は確かめる術などなかった。
それらが前触れなく変わり始めるなど誰にも予想出来なかった。