最初は鍋なんて面倒くせって思ってたのにな。壱の周りをウロウロしながら俺らにも視線を送ってくる奴がうざくて、晃佑と二人で片っ端から友達に電話してたんだ。バレンタインだから出る奴はいなかったけど。
半ば諦めて買出しに行って戻ってくると、香坂が珍しく女の子を呼ぶって言うから驚いた。いい奴なんだけど女子には嫌われるんだよな不思議と。
壱と江坂は相手の子を知っているみたいで、由隆が興味津々で聞いてる。彼女と別れたばっかでせいせいしたって言ってたのは誰だよ。
暫くしてから、その子が到着して江坂が殴られた。余計なこと言うから江坂の自業自得だけど、あの巨体に臆することなくニー・キックなんて普通の女じゃねえ。時間がまだ早いからってんで、自己紹介しつつ分担を決めていった。
「頂きます」
壱が気に入ってるだけあって作業中に美恵の面白さが分かり、俺は隣に陣取った。他は自然と決まったらしく、口々に鍋を頬張りながらくだらねえ話になる。美恵に話題を振ると、時たま俺が予想してない答えが返ってきて、ますます気に入った。打てばガンガン響くらしくリアクションが早くて面白い。
「美恵はいつからいないの? 彼氏」
「いつからっていうか、つい一週間前だよ」
「マジ? ありえなくね、それ。えっ、どっちから?」
「向こう。でも、私もふぅんって感じだったけど。すれ違ってたからさ、最近。で、今日みたいにイベントだからっていうのもうざかったし、別れて正解だったかも」
さっぱりとした言い方に話題を振った晃佑が苦笑いを浮かべてる。そりゃそうだろ。振ったにしろ、こうまで言われたら男として立つ瀬が無い。それにたぶん、たぶんだが男の方が未練あったんじゃねえか。あっさり身を引いた(ように見える)美恵に、暫くしてほとぼりが冷めたあたりで縁りを戻そうとするのが想像できた。
「美恵は新しく探す気あるの?」
「どうかな〜。当分は良いと思ってるけど」
「けどさ、一週間前だったらチョコとか用意しちゃってたんじゃん?」
晃佑が鋭く突っ込んでいくが、美恵のほうが上手だった。
「自分用しか買ってないよ。会うかどうかも分かんなかったのに無駄になったら嫌じゃん」
「うわっ、冷めてんな」
「自分用って・・・・・・チョコが?」
女が好きな『自分へのご褒美』とかいうやつか。バレンタインに自分用にも買うのが流行ってるとテレビでやっていたけど、美恵がテレビに出てた女達のように贅沢な気分を味わいたいと思ってるタイプには見えない。
「大好きなチョコがあるんだけど、高いんだよね〜。バレンタインの時って、ちょっと時間をずらすとセールになってるから、いつもより安く買えて。それに時期限定でしか出てこないチョコもあって、前からチェックしてたんだ。人気だから買えないと思ってたのに運よく買えたから、今日は家でゆっくりしようと思ってたとこに香坂から電話きたんだよね」
要は純粋にチョコが好きで食べたくて買ったんだな。色気より食い気か。美恵を見ていると、女っていう意識が低いと思う。こうやって男二人に挟まれているのに、普段と全く変わっていないのが空気で分かる。壱にべったりしながらもちょっかいをかけてる香坂に色目線を送ってる愛とは大違いだ。
「そのチョコ、一人で食べるつもりだったのか?」
「そうそう。久しぶりに家に誰もいなくて」
「久しぶり?」
俺らの年で一人暮らしをしてる奴もいるけど、美恵の言い方だと家族関係に問題があるように聞こえる。晃佑も一緒だったようで複雑なんだと思って話題を変えようとしたら、笑って首を振られた。びっくりさせるなよ。
「両親とも共働きで忙しいから、たまに出張とかでいないんだよ。普段だったら妹がいるんだけど、今日は彼氏の家に行くって言ってたから泊まってくるかも」
「へえ。妹いるようには見えないけどなあ」
「ああ、だな。頼りになる姉ちゃんって感じじゃないもんな。どっちかって言うと兄貴がいそうな感じ」
晃佑の意見に同意すると、美恵がふてくされた顔で江坂を見た。きっと自分がこうまで言われるのは江坂がいるからとでも思ってるんだろう。悪いけど、江坂がいなくても姉っぽくはない。それに江坂とのやりとりは兄妹よりも親子に近かった。決して、江坂が親父くさいからじゃないはずだ。
美恵が席を立つと江坂と由隆が近づいて来た。かなりいいペースで飲んでたようで由隆は既に出来上がってる。
「よう。あんま飲んでねえな」
由隆が素面の俺らに顰め面で言った。初対面でベロベロになってるお前とは違うんだよ。江坂はザルだから同じペースで飲むもんじゃない。
「面白いだろ、あいつ」
江坂が俺をちらっと見て言う。普段はうざいタイプの女しか寄ってこないのを知っているから美恵みたいなのは珍しい。江坂もそれを知っていて、今日は壱があの調子だから美恵が来るのに賛成したんだと言った。
「いい奴だろ?」
「まあな」
江坂に軽く答えたつもりだったけど喉に引っかかる。いい奴ってだけじゃない何かが美恵にあった。今まで付き合ってきた子に感じたのとは別のもので、守ってやりたいとかいうんじゃない。
「面白い奴だ」
「そうだな」
俺は出来るだけ素っ気無く答えていたのに、江坂にはそれで充分だったみたいで、ふんっと鼻を鳴らす。親父くせえ。
「壱もそうだけど、和の周りに集まる女の子たちとちょっと違うだろ。教えればモノマネも出来るからな」
「出来ないって。えっちゃん、嘘言わないでよ」
戻ってきた美恵が「えっちゃん、酒臭いよ。酔ってるでしょ」と呆れ顔だ。ザルじゃなかったのか。
「分かりにくいだけ。普段とあんま変わらないから。でも言動がちょっとおかしかったりするし、次の日になったら記憶が曖昧になってる。ザルなら壱だよ、全然酔わないから飲むの好きじゃないっていつも言ってるし」
美恵が壱の方をちらっと見つつ、俺と晃佑だけに聞こえるように言う。愛も酔っ払いだな、あれは。その横で壱が涼しい顔で何杯目になるか分からないビールを飲んでた。
「詳しいね〜。美恵って壱と付き合い長いの?」
晃佑が関心したように言うと美恵がおかしそうに頷いた。幼稚園は分かるとして、江坂の産婦人科からの付き合いってのは予想外だった。その江坂は潰れて由隆と一緒に寝こけている。
同じく潰れた愛を香坂が頑張って運んでるのを尻目に壱がこちらへと疲れた顔で移動してきた。ご苦労とアイコンタクトで伝えた俺に、少しだけ壱の目が据わった。友達甲斐がないと思ってるんだろう。心外だけど、愛と香坂に挟まれたら俺もああなるから無言を通した。
顔に生気がない壱ってのは普段の数倍とっつきにくい。それをもろともしないのは美恵ぐらいなもんだろう。
「美恵はもう食べないか?」
箸で取り皿をぐいぐい押してるのを見て言ったら、いたずらを見咎められた顔をする。思わずくすりと笑いが零れると、更に俯いて小さくなる美恵は可愛い。
起きてる奴だけで片付けをしている最中、壱がぼそりと言った。
「和、美恵は男慣れしてないからな」
「どういう意味?」
「まんま」
それ以上は言うつもりがないらしく、壱はさっさとリビングに戻っていった。俺に対する牽制でも恋敵のそれじゃなく、それこそ妹に過保護な兄貴然としてる。
あんな親父と兄貴がいたんじゃ、美恵の元彼もやりにくかっただろうと一瞬余計なことを考えた。か弱いとか儚げってわけじゃないが、美恵はとにかく危なっかしく見える。よそ見してトラブルに正面衝突しそうなんだ。
「コンビニに飲み物でも買うついでだから、近くまで送るよ。家、誰もいないんだろ?」
美恵が帰るというのでお決まりに言うと、近くだからと断られる。近くでも危ないことに変わりは無いってのに分かってないな。
「いいよ、和。俺が送っていくから」
俺の時は瞬時に断った美恵が、壱には迷って口篭ったのが釈然としない。俺と仲良くなる気は無いってことかよ。初対面だからっていうのは理由にならないだろ。向きになって適当な理由をくっつけて壱を黙らせた。
壱が難しい顔をしている後ろで、江坂が親指を立ててるのにアイコンタクトだけで答えて美恵の隣を歩く。ちょっと行った所で、何の気なしに振り返ると壱と江坂が何か喋ってるのが見えた。何かって俺と美恵の事だろうけど。
「江坂って美恵の親父みたいな」
チャリに乗る時も車に気をつけろとか風邪引くなとか、甲斐甲斐しい江坂なんて気持ち悪い。これが俺や壱だったら、変な病気にでもかかったんじゃないかと疑うのに、美恵だと一般的な親子の会話にしか見えない。
「えっちゃん、じじむさいからどっちかっていうと祖父ちゃんと話してる気分に近いよー。えっちゃんとこの祖父ちゃんと仲いいけど、そっくり」
「なるほど」
老成江坂と呼んでやろう。そして俺が思っていたのと同じように美恵も感じてるんだ。くすっと声が零れる。美恵は勘違いして自分が笑われたと思ったらしく、むっとした顔で見てくる。どうしてそうなる。
「江坂が祖父ちゃんなら壱は?」
「壱ねえ。考えたことないなあ。兄っていうのとも違うし。そうだ! 父さん? って感じ?」
「俺に聞かれても」
壱が親父ってないだろ、それは。あんな反応の薄い奴。子供でも出来たら変わるかもしれないけど、今の俺らにそんな先の話が想像出来る訳無い。疑わしそうに美恵を見ると幾度か手をあっちにやりこっちにやりと忙しない。チャリも一緒にフラフラさせるから、通行人とぶつからないか心配だ。
「厳格な父上様が壱で、ちょっとぼけちゃった祖父ちゃんがえっちゃん!!」
どうよと満面の笑みで自慢げに言われたら笑うしかない。友達だとか、幼馴染だとかの気兼ねなさを省いても、そりゃひどすぎだろ。当たってる。
「そっか。じゃあ、美恵を送るって言った時のあの怖い顔は、厳格なお父様が娘に悪い虫がつくと思ってなわけか」
「え!? 嘘だあ。壱、いっつも早く彼氏作れってうるさいぐらいだよ」
「そうなんだ? 言う割には、あいつ彼女作らないよね」
「そうそう。面倒だって言ってる。何人かと付き合ったけど、全部すぐに駄目になっちゃってるんだよね。えっちゃんもそうだよ」
「ふーん」
壱のことなんてどうでもいい。楽しそうに壱や江坂の話をする美恵を冷たく見た。仲良いのは分かるが美恵自身の話が出てこなくて面白くない。
「あっ、ここで良いよ。もうちょっとしたら着くから」
「いいよ。家まで送る」
「でもすぐそこだから」
「いいって!」
しまった。強く言い過ぎて美恵が面食らった顔をした。意地になる所じゃないのに熱くなりすぎた自分が急に恥ずかしくなる。
「ごめん。でも本当に大丈夫だよ?」
全く分かってない。別に安全かどうかが問題じゃないっての。や、無事に家に着かなくて良いとかじゃないけど、ここまで言って分からないってのは、な。白い息を吐きつつ見上げたら雲がなく月の青白さだけが目立っている。不健康だな。
「美恵が気になってるから送らせろって言った方が良い?」
回りくどいのは嫌いだ。ゴテゴテベタベタもうんざりする。滅多に言わないストレートな告白だったってのに、「あっそ」の一言で済ませるのは美恵ぐらいだ。
何も言わずに踵を返すとチャリごと体当たりされて足まで轢かれる。振って恨まれたことはあっても、振られて憎まれたなんて目も当てられない。
「予想外に短気なのだね」
「何がだよ」
美恵がしたり顔で俺の腕を取ってぺこりとあたまを下げた。チャリを持ったままだから不自然な体勢になってる。
「お願いします」
美恵の髪がバラバラと前に垂れ下がってきて、小さな耳がほんのりと赤くなっているのが見えたせいでしぼんだ風船が一気に膨らむ。自分でも、さっきまで不機嫌に睨みつけていた目が垂れ下がってるのが分かるくらいだ。
「わかった」
小さな声がよしっと呟くのを俺は耳聡く聞いた。精一杯の照れ隠しだろうけどチャリをガチャガチャ振るのは寄せ危ない。
「明日、壱と江坂に報告だな」
壱の焦った顔と江坂のしてやった顔が頭に浮かぶ。
「何で?」
「美恵のジイチャンとパパだから挨拶しとかねえと」
チャリの隙間からカツッと音がする。俺を蹴ろうとして無理な体勢でするもんだから思いっきり蹴ったんだろうな、美恵の顔がゆがんでいた。
「あーもうっ!」
「ほら、ちゃんと掴んでないと転ぶぞ」
言いながらチャリとは反対側に行って美恵の腰を取った。美恵は歩きにくそうだけど、あと数歩なんだからかまやしない。
「意味わかんない」
文句を言う美恵を見ているだけで面白い。昨日までは、女の子一人に、もっと別の顔も見たいと思う日が来るなんて考えたことも無かったってのにな。
俺としては珍しく成り行きまかせな一日だったから、あいつらが俺の頭の中からすっぱり忘れられてたって仕方がない。後日、眉尻をこれ以上ないくらいに下げた由隆が泣きついてきた。俺が知るか。