人が大勢集まるような所は苦手だけど、それが親友の結婚式だとしたら出席しないわけにもいかない。ましてや、一番そういうのから遠そうな子だったんだもの。
二次会も無事に終わって部屋に戻ってくると、侘しい一人暮らしって感じがする。着ていたドレスの不釣合いさに笑ってしまいたくなるほど。
ふと二次会で初対面の男に言われたせりふを思い出して、顔を顰めてしまっても誰も見ていない。電話番号を交換したけれど、とっくに消去してしまったから、二度と会うことなんてない。
仮初めの姿から本来の自分の姿へ。よっぽどみすぼらしい私の実態を見たら、どんな男も逃げ出したくなるに違いない。それに、あの子達の友人はどれもこれも選りすぐりなんだもの。
タバコを嗜むなんてものじゃないぐらいヘビースモーカーな私には、きっと彼も辟易するんじゃないかな。のどの奥で笑いにもならない声がくつくつと漏れてくる。みんなどこを見てるんだか。
結婚式の次の日だからって、無理やりに休みを取ったものの仕事が気になって家でゆっくり出来ず、買い物へと出かけることにした。どうせ見知った人に会う事もない場所だからと、いつもよりもラフな格好で化粧もそこそこに出てしまったのがいけなかったのかもしれない。
「あれ? 麻子ちゃん?」
誰だ、それっていう突っ込みを飲み込んだ私は偉い。化けの皮一枚ぐらい被っていて良かった。危なかった。知らぬふりをして通り過ぎようとしたのに、その男はわざわざ私の前に来て「やっぱり」なんてありがたくない事このうえない。
「この前とは雰囲気が違ったから、一瞬分からなかったよ」
「あはっ。お休みだから手抜きしちゃいました。こんな格好で恥ずかしいです。館林さんはいつ見てもかっこいいですね」
歯が浮くなんてものじゃないけど、ここは愛想と外面と猫を総動員しても切り抜けなくちゃ。なんたって親友の旦那の友達。とっとと世間話を終わらせて、ストレス発散しに行きたい。
「ありがとう。麻子ちゃんのそういう自然体な格好も新鮮で良いね」
おいおい。新鮮も何も会ったのは二回目だって。爽やかな笑顔って言うけど、胡散臭いなあ。私以上に猫被りだったりして。
「お休みって事は、今日は予定なし? 良かったら立ち話もなんだし、近くでお茶でもしよう。紅茶とマフィンの美味しいお店がこの近くなんだ」
うーん。出来れば場所だけ教えてもらいたいけど・・・無理そう。ちらっと見ると視線が合ってしまった。ここで断るのも不自然かな。よし。
「じゃあ、ちょっとだけ。案内お願いします」
「うん。じゃあ、行こうか」
すっと伸びてきた腕が背に回って、ああエスコートしなれてるんだなって思う。すんなりとこういうことが出来る男かあ。仕事も出来そう・・・
「館林さんもお休みなんですか?」
「まさか。仕事中です」
だから内緒にしてって言われたけど良いのかな。それに、仕事中って言うわりには、すっごく普段着っぽい格好なんだけど。それとも私服で良い会社なのかしら。
「本当はスーツじゃないと駄目なんですけどね。今日は振り替え休日だったのを無理に頼みこまれたので。まあ、これくらいは。ね」
案外と子供っぽい所を見せられて、つい笑ってしまう。彼なりの意趣返しなのね。くすくすと漏れる笑いを嬉しそうに見ていた彼が、一軒のお店の前で立ち止まった。ちょっと古めかしい扉を開けるとちりんと鈴がなる。
「ここの紅茶とマフィンは本当に美味しいんですよ。確か紅茶、お好きでしたよね?」
「ええ。でも、そんなに良いものばかりを飲んでいるわけじゃないんですよ。だから銘柄とかあまり知らなくて・・・」
まさかティーバッグ以外はファミレスで飲むだけなんて言えない。あの二次会の時にどんな話をしてたっけ。今更ながらに綱渡りな会話をしてしまったみたい。もう二度と会わないだろうなんて思って適当な事言っちゃったんだった。
にこにことお薦めしてくる館林さんに合わせながら、冷や汗が背中を伝ってくる。ごまかすような生活に慣れてきてたのに、久しぶりの窮地にカタカタとカップを持つ手が震えてしまいそう。
「こっちのも美味しいよ。・・・そう、それ。どうかな? そう、良かった。休みの日はいつも何をしてる?」
「わあっ、これもジャムが甘酸っぱくて美味しい。休みですか? うーん、友達と買い物に行ったり、映画見たりかな。あっ、あとボーリングとかも好きで良く行きますよ」
本当は日がな一日、ダラダラと過ごしてる。友達なんて、この年になったらそうそう暇してる子もいない。
「へえ。じゃあ、今日みたいに一人でいるのって珍しいんだね。彼氏とは休みは会わないの?」
カチンと音がしそうなぐらいアカラサマに固まってしまう。この手の話題、二次会でも出たはずよね。なんて言ったんだったっけ。番号を交換しているぐらいだからいないって言ったはず。でも、もしかしたら強引に渡されていたかも。どうしよう、思い出せない!
「ああ、ごめん。もしかして、聞かれたくなかった? ・・・打ち解けてくれた気がしたから、踏み入りすぎたかな。まいったな。この前みたいに警戒されないようにしたつもりだったのに。君の領域に入るのは難しいね」
「そんなっ、警戒なんて・・・」
どういうこと。あの時はカンペキに知的で大人しく卒がないようにしていたはず。彼の口ぶりじゃあ、まるで私が毛を逆立てた猫みたいじゃない。まさかね。
「そうかな。この間の時もそうだったけど、必死で自分を隠そうとしてるように見える。上辺のつきあいだけで全て済まそうとしてるみたいに。君にとって大事なのはあの子達だけみたいだね」
ガタンッと音を立てて思わず立ち上がってしまった。彼の方を見る事も出来ず、小さな声で詫びてお店を出るのが精一杯。本当の事を言い当てられたからって怒って逃げ出すなんて、子供みたい。
「待って」
追いかけてきた彼に腕を捕まれそうになって怖くなり逃げ出したのは良いけど、気が付いたら細い路地に入ってしまっていた。しかも、すぐに追いつかれて。
「はあはあ・・・悪かった。逃げないでくれ」
「はっ離してください」
悔しくて泣きそうな顔を彼には見られたくない。きっととんでもなく情け無い顔をしてるから。
「離しても逃げないでくれるならいいよ」
「そんな・・・」
「じゃあダメ」
ぐっと腕を引かれて彼の腕の中へ閉じ込められてしまう。振りほどこうとするも力の差が歴全としていた。すぐに諦めて彼を見ると、少しだけ腕を緩めてくれたがそれでも逃げるだけのスペースは与えてもらえない。
「ずっと他人行儀で、そのくせ彼女たちだけには、全然違う顔を見せるから・・・気になって仕方がなかったんだ。せっかく番号交換しても君は気乗りした風でもないし、今日会わなかったら電話しようと思ってた。出てくれないのが分かっていてもね」
なんで・・・なんでなんでなんで! 爆発しそうな心臓音と妙に冷静な頭の片隅がごっちゃになっていく。今まで誰も気が付かなかったのに。上手くやってこれたのに。
「・・・・・・どうして」
擦れた声が自分の声とは思えない。こんなみっともない声を出すなんて、今まで一度だって無かった。必死で繕ってきたものを暴いて、目の前の男は全てを明け渡せと迫ってくる。
「君がどんなに隠そうとしていても、隠しきれていなかったよ。取り澄ました姿じゃなくて、普段の君が見たかった。普段の君に見てもらいたかった。爪を立てるように飾り立てた姿じゃなくてね」
普段ならこんな酔ったような甘言に騙される私じゃない。むしろ鳥肌立ててる。けれど、彼の口から漏れる息が私の耳をくすぐり、正常な思考を阻害してるから、ついうっかり目を閉じてしまった。
大人しくなった私に気を良くしたのか、彼はくすぐるように私の頬を撫でた。その感触にうっとり・・・してる場合じゃない事に気づき、流されかけた自分を叱咤する。
「離して。会ったばかりのあなたに何が分かるっていうの」
陳腐な台詞だ。どこかで聞いたような、一時代前の台詞だ。でも、私が思ってる全てを要約した結果だった。
飾り立て、隙を無くし、一生懸命になって素を隠してきた私の表面をあっさりと見抜かれた悔しさと、少しでも彼の言葉に期待していた自分への苛立ちと不安。それすらも分かっていると言うような彼の視線が嫌だった。
「なら、何も分かっていないとでも? 出会ってからの時間が短いっていうなら、これから付き合っていけば良い。時間をかけたら君が納得すると言うならいくらでも付き合うよ」
低く耳元にかかる声が揺さぶりをかけてくる。いつから自分を偽るようになったかなんて覚えていない。気が付いたら、臆病で傲慢な自分を晒すのが怖かった。怖かったから蓋をした。
「私は・・・私は、もうあなたとは関係な」
ぐっと髪を引っ張られて言葉が途中で切れる。なんてことすんのよ。彼の腕の中だってことも忘れて睨みつけた。
「このままここにいても仕方がないな。ゆっくり落ち着いた場所で話したい」
必要ないと言いかけたけれど、また髪を引っ張られるのは嫌だった。渋々頷いた私に口の端で笑んだ彼が憎らしい。
ようやっと館林さんから解放されると行き先も告げられぬまま彼に背を押された。みじろいで彼から逃げようとするのに、おかしいほど彼から距離を取る事が出来ない。不服そうに見上げてもそしらぬ顔をして、さっきのお店の話だとか仕事の話をしてる。
「どうぞ」
どこに向っているのかと聞いてはぐらかされた時にまさかと考えていたのに、予想外な場所だった。エントランスホールを抜けて、会議室のような場所へ入る。どこからどう見てもコンベンション会場。
滅多に来る場所じゃないけれど、落ち着いて話が出来る場所ではある。・・・普通はこないけど。地下に降りていくと通路を二つまたいだ先にベンチが並んでる。地下とは言っても上の天板によって地上からの光源があるおかげで明るく、観葉植物が等間隔であるため湿っぽい暗さがない。。
「くすっ・・・うちの方が良かった?」
驚きを隠せ無いでいると、考えていたことを言い当てられて面白く無い。余裕綽綽な態度も気に入らないが、それ以上に彼が何故ここを選んだのか分からなかった。
「珍しい場所へ案内して下さるんですね」
「返事をもらってない女性を部屋に連れ込むほど無粋じゃない。それに、他に自由になる場所を知らなかったんだよ」
館林さんの言っている事が分からない。こういう会議場って自由にならない場所の一つなんじゃなかろうか。ちゃんと予約しなくちゃだめだし、時間制限は厳しいし、他にも守り事が幾つもある上、費用もかかる。
「ちょっとそこまで、というには無理がある場所だと思いますが?」
「ここの経営にうちの会社が資金援助をしているんだ。そのおかげで融通が利く唯一の場所でね。こういう急なミーティングにも場所が開いていれば格安で入れてくれるし、時にはタダになることもあるんだ」
館林さんはそこで言葉を切ると、さっきとは打って変って真剣な目でこちらを伺っている。何か、何か言わなければ。
「最初に君を見たときに、随分とつまらなそうだと思った。紹介されたときも取り澄ましていて好きにならなかった」
唐突に語りだした彼にびっくりしながらも、大人しく聞いているとふと彼が笑ったのに首を傾げる。
「男達から次々声をかけられているのに、卒なく、適当に流しているのが気になった。もうちょっと浮かれていても良いんじゃないか・・・そう思ったら余計に気になりだして、お開きになった後に、もう一回だけ声をかけようとして追いかけたんだ」
つい俯いてしまった顔を捉えられる。困惑した顔をしているんだろうなと他人事のように考えながら、彼の言葉の続きをまった。
「見つけた君は一人で、肩を落としてぼんやりと路地の花壇に座りこんでた。ぼんやりとしていたかと思ったら、いきなり髪を解いて・・・泣いているのかと思ったよ。それからひどく疲れた顔をして、虚ろに歩き出したのを呆然と見届けるしかなかった」
おかしいだろ、追いかけていったのになって言う館林さんの顔が歪んで見える。幸せな一日だと誰もが言うような日だったけれど、それは今までの私を否定された日だった。
あの子が『私達じゃ、美佐ちゃん達と釣りあわないよね』と言ったから必死になって自分を飾った。一緒にされたくない、そんな卑屈な人間じゃない、そう言いたかった。言えば良かった。
なのに、そういった子はまるで私を忘れたように美佐子達とおしゃべりをしていて、私一人が蚊帳の外になっていた。何の為に必死になっていたのか分からなくなって、ちょっとだけ気が抜けてしまったんだっけ。
「繋がりがあったから大人しく帰ったんだけどね。追いかけていれば良かったって今更ながらに思うよ。今日会わなかったら本当に電話するつもりだったんだ」
そこで言葉を切ってじっと見つめられるとなんて言えばいいのか分からなくなってくる。この空気ごとごまかしたいような気分になって、でも上手く言葉が出てこない。もしかしたら、なんて淡い期待があるから。
「着飾っている君が好きだ。美しく装っている君が好きだ。普段着で歩く君が好きだ。自然体で話す君が好きだ。何も、繕わない君が好きだ」
馬鹿らしいぐらいに真っ直ぐに見つめてくるから、私は動けなかった。口を開き即座に否定すべきだと分かっていても黙ったまま。もう何も言う必要ないのかもしれない。
私の偽りごと好きだというのなら。