年の瀬も迫ってきた師走。師も走るんだから目前の人も走ってくれないだろうか。ちょっとは焦れば良いのに、泰然自若として悠然。
「イラツクムカツク」
「貴方、何人なのよ」
何故にオネエなのか。そんな趣味も主義も主張もないくせに。ちろっと見やった先にいる人物はひらひらと紙切れで遊んでいる。この状況が分かってるのかいないのか。
「年末の掃除も終わったとこだし、もうやることも無いんだから良いじゃない。そんなに苛々してたら肌が荒れるよ」
「お前が言うな、お前が」
今現在、何故か私はお隣さんの大掃除を手伝った挙句、年越し蕎麦なんぞを用意してる。何故に自分家に用意してたものを持ってきて、一緒に作らなければいけないのか。
「それはヅカちんの粋な計らいという奴だからでしょ。やー、話に聞いてたアトリちゃんくぁわいかったわ。あ、二人と一緒に初詣に行く約束してあるから」
のほほんとのたもうてくれやがる。何年越しにもなって笹塚と戸村さんがくっついてくれたのは、私にとってもめでたい。めでたいが笹塚とこの男が友人でなければと思ってしまう。
それほど大きくも小さくもない会社で主任なんてものになれたのは、日ごろの行いが良かったからだと思っていたのに、私のささやかな喜びが消し去ってしまったじゃないか。
「去年の今頃は仕事中だったからね、僕。今年は早菜と一緒に年越しできるなんて、さすがはヅカちん。アトリちゃんを手に入れて一回り大きくなった後輩は素敵だねえ」
「あんたの脳みそが素敵すぎるわ」
ぼそりと言ってやったのに綺麗にスルーですか、そうですか。蕎麦汁が出来上がった所で、ポンと鍋に二人分入れて茹で上げる。ゆっくりくつろいでいた和人もそろそろと立ち上がった。ようやっと動く気になったか。
「・・・和さん、和君、和」
「おっ、見事な活用」
「この手は何?」
「そろそろ出来上がる頃かな〜」
「話を逸らすな」
後ろからゆるゆると抱きしめられて、きゃっとか言える子なんて今どきいるのか。いないだろう。茹で上がりに命をかけてる私としては邪魔くさい。これがいい男だって言うヅカの言う事なんぞ信用するんじゃなかった。
「ちょっと、本当に邪魔。器ぐらい用意してよ」
掻き揚げが美味しい店でお裾わけしてもらえたから、どうしたって湯で加減を誤るわけにはいかないんだ。これで一年が決まる・・・気がする。
器に蕎麦と掻き揚げ、三つ葉を盛って上出来。テーブルに運びながら、今年は本当に忙しい一年だったと感慨深い思いでいっぱいになった。
「美味しそう。んじゃ、頂きます」
「はいはい。テレビ点けるわよ、そろそろ紅白が始まるだろうから」
「んー。旨い! 旨いよ。さすが早菜。完璧に僕好みな味付け」
「味付けも何も出汁と醤油とみりんしか使ってないでしょうが」
呆れながらマメな奴とは思っても、ほんの少しだけ今日の働きが報われた気がする。美容師なんて仕事をしてるせいか、口だけは上手い奴め。
「今年の初めは本当、どうなるかと思ってたんだけどな・・・あっという間に過ぎたな」
「本当。引越して来た時は、まさかお隣さんとここまで仲良くなるなんて想像もつかなかったしね。和が美容師だってのも驚きだけど」
真っ直ぐな黒髪を短めに揃えてる。これで美容師だって言うんだから、彼に担当してもらう女性たちは不安にならないんだろうか。なっても顔で納得するのか。決して好みの顔立ちではないけれど、まあ悪くないから。
「男らしさとは無縁だけど」
「どういう意味ですか、早菜さん」
ちろんと白い目で見てもなんのその。そんな事ぐらいで動揺する可愛さはとっくに失ってますのよ。そんなもの。挨拶に来た時から見かけるたびに、線の細い出で立ちに、私の方がたくましく見えるんじゃないかと思ったこと数回。入れ替わりに女性がやってきたお隣さんを疎ましく思っていたのが半年ちょっと前。
「なかなか悪くないってこと」
「もうちょっと・・・こう、なんとかならんもんですか」
「まかりならん」
「厳しいなぁ」
言いつつもズルズルと蕎麦をすすりながら嬉しそうだ。女顔と言っても通用するんじゃないかと思う。私の方がよっぽど骨太、骨格強調な顔だというのに、あまつさえ可愛いなんて言ってのける。口から先に生まれて、手先の器用さで渡って来た奴らしい。
「それにしても、戸村さんと笹塚が元恋人っていうのもねえ」
「や、元じゃないだろ。ヅカちんはずっと一途だったんだから」
「戸村さん、笹塚なんかで良いのかねぇ。もっと良い男を捕まえられると思うわぁ、それこそ三高狙ったってばちが当たらない」
「なんかって・・・早菜のヅカちんに対する評価は不当だと思います! ヅカも僕も世間ではかっこいいとキャーキャー騒がれる部類ですよ」
「きゃーきゃー」
「・・・地味に馬鹿にしてます?」
「ぅんっやっ」
笹塚も和も世間一般で言う顔の良い部類だとは思う。思うが男は顔じゃないとも思う。じゃあなんだって言われたら、はっきり顔だと言ってしまうのだけど。
「早菜は今までつきあってきた男の中で一番は誰よ?」
「えっ? なんでいきなりそれ?」
「そこまでヅカや僕をながいがしろに言うわけだから、それなりに経験があるのじゃないかと推測するわけです」
経験ねえ・・・全くないわけでもないけど、あるって言えるものでもない。それに男と違って女は忘れる生き物だ。古い男に構っていてはいい女とは言えないと常々思ってる私としては、過去の男など顔どころか名前だって怪しい。数える程もない恋愛経験は見事に忘れて、常に初心。というか、本当に初心。
「恋愛って今ひとつっていうか、どうでも良いっていうか、いっそのこといらないんじゃって感じ?」
「わっ、何それ! その年で枯れてどうする! 過去になんかあった? もしや男運ないタイプ?」
ああ、見事に見事なまでな反応。誰に言ってもこの手の反応が返ってくるのがおかしい。女は恋する生き物と思ってる男も、思い込んでる女も、私の意見は宇宙人の来訪よりも驚く事みたい。別にずっと一緒って関係がなくたって、人間長く生きてれば、それなりに生きていく術を身につけてると思うんだけどな。
「特別、必要を感じないだけ。恋愛するにしても相手あってのものだし、相手の条件とこっちの条件が合致しなかったらしようもんもないじゃない」
「・・・信じられない。恋愛に好条件って、若い子の常套句かと思ってた。早菜は恋愛に夢見てたりして」
ないない。断じてない。むしろ現実しか見えないから条件付きとなる。経済力や精神力もさることながら、倫理観や時間における共通意識、相互の親戚関係や親子関係に将来設計。考える事は年を重ねるごとに多くなるのに、解決策は僅かばかりな世の中だ。
「それは・・・その・・・リアル過ぎる。もうちょっと夢があっても良いと思うんだな、ぼくぁ」
「気の抜けた言い方されてもね」
「や、けどさ。かっこいいとかあの人素敵とかあるだろ? そうじゃなくても、誰か側にいて欲しいとか、頼りたいとか」
「見た目に金かけてたり必死な男って、一緒に暮らし始めたら息が詰まりそう。かといってTPO考えないのは嫌だし、現状では一人で不便を感じても必要には迫られてないかな」
「・・・とっても、一人で生きていける素晴らしい女性だね」
「別に一人で生きていけるなんて思ってないない。今だって、いろんな人の厄介になってるんだから」
へこんで上司にフォローしてもらって、後輩から凄いですねと賞賛されるのをエネルギーにして、親兄弟友人知人に至っては甘えもして。
「僕は無理だな。女性がいないと活力が湧かない。彼女がいないとモチベ下がる下がる。あっ、早菜とこうやって食事したりするのも大事だからね」
何に対してのフォローなんだ。さっぱり分らん。
「頼りたい時とかどうしてんの? 甘えるにしても、恋人とその他じゃ違うだろうよ」
「問題解決できる人材に助力を求めてますよ。というかですね。頼りたい時に必ずしも彼氏だの恋人だのが頼りになるかと言えば、違うと思うわけです。私がぶちあたるのって、年上の意見を聞くほうが手っ取り早いんだよね。んじゃ、恋人を年上にとかって言ってもさすがに十歳も上だと日常会話が親子になるでしょ。そもそも可愛い子なら許されるかもしらんが、この年でいやーたいへーんとか言ってたら白い目に追われる」
甘えが許されるのは二十代前半まで。お肌の曲がり角というけれど、人生の曲がり角でもある。今まで若さで押し切ったものを、今度は知恵と経験で乗り切るものへと変わる。世間様の目は段々と強く厳しくなっていき、そのおかげで磨かれる逞しさ。おばさん怖いとか言うな。それだけのエネルギーを求められてるんだから必然だろうよ。
「早菜の年齢だったら、まだ充分若いと思うな。彼氏だって作ってみれば、楽しいと思う事だって増えるんじゃない?」
「年取ることをマイナスに捉えてないし、楽しいだろうとも思ってるって。年金や保険や老後の生活への不安はあるにしても、妙齢って憧れもあるから。彼氏が絶対必要ない、作らないって思ってるわけじゃないしね。ただ」
「ただ?」
「気力がない・・・かな。一人の生活も充分に満足があるし、週末の予定が埋まってないからって焦る事もない。若ければ家族も若いけど、私の場合、家族もそれなりにいい年になってきてるから、彼氏を作るならそこらへんも考慮して」
「結婚か!」
「当然。この年だから学生を相手ってそうそうないし、そうなったら相手の家族だって同じぐらいに考えるでしょ? 結婚は両家の結びつきって古い考えじゃないと思うわけですよ。家族になれば、老後の世話だって心配だって出てくるし、親戚縁者と反りが合わなければ苦労するのは目に見えてる。それでなくとも、自分とこの家族だって心配で、あまり遠いとこに嫁いだら死に目にとか」
言っていて、こんな心配をするのはきっと女だからだなと思ってしまう。和だったら結婚の二文字でここまで考える事もないんだろう。切羽詰った年を一回乗り越えた私は、結婚に夢より現実を、恋より情を見る。
「はあ・・・早菜に彼氏が出来ないのよおく分かりました。ごちそうさま」
「お粗末」
ゴソゴソと和が(強制的に、命令で)片付けてる合間にヅカと戸村さんは結婚するだろうなと思った。二人の事だから、ご両親にもご家族にも受け入れられるだろう。何より二人が一緒にいるのはとてもしっくりくるから。結婚に夢見ていない私だが、結婚に否定的じゃあない。
「ヅカがもうちょっとしたら来るって。用意しとけって言ってたけど、早菜は一旦戻る?」
「んや、このままで平気。財布と携帯あるから」
「鍵は? 閉めてきてるか・・・んじゃ、ちょっとこちらへ」
いそいそとベッドルームとやらへ誘われてます。行くわけなかろうに。いくら親しげなお隣さんでも節度はありますのことよ。
「そんな警戒されても・・・これって、ちょっとだけ進歩?」
「何が」
「いや、男としてようやっと意識してもらえるように」
「や、他の女性との情事の後とか発見してたらまだしも、この時間で宝探しやったら終わらなさそうだからやめとこうかなと思って」
実のとこ、和を男として見てないってより、自分を女として意識してなかった。そんで断ったのは、純粋に食べた直後で動きたくないという惰性からなんだ。ごめんよ。
「何もしないからこっち来て、んで、出来ればベッドに座ってください」
お願いしますと丁重な礼をされてはいかぬわけにもいくまい。仕方がない行ってやろう。やれやれと腰を上げて、彼の言うとおりにしてみたものの、肝心の和はチェストをゴソゴソとやってる。人に尻を向けるとは何事か。くるりと彼が向き合うと手のひらサイズを持ってる。
「ビロードの小箱なんて、ありきたり過ぎるのは分かってるんだけどね。早菜に向き合ってもらうにはこれしかないかと」
パコッと馬鹿が口開いたような音がする。同時に私の口も開いたじゃない。付き合ってるなら分かるけど、付き合うのに用意はしないんじゃないの。しかも片膝ついて。
「ヅカが僕の身辺整理を手伝ってくれて、アトリちゃんから色々聞き出して。これプラチナだけど給料三か月分とかじゃないしそれは別に渡すから安心して結婚がどうのとかよりもつきあうのが先だしでも僕としては早菜が最後の女性だと思ってるからこうなったんだけど早菜には重いかもとか思ってたら一生付き合えないってヅカに言われるわアトリちゃんは脅しかけてくるわで」
息継ぎなしで良く言えると関心してしまった。緊張してる和なんて始めてみたもんで、ふらふらとちょうちょを追いかけていた姿はどこいった。
「返事してもらっても良いですかね?」
一気に喋ったせいか、ちょっと余裕が戻ったみたい。びっくりした。本気でそのまんま呼吸困難になるかと思うたわ。
「和よりも家族が大事」
「ぅんっ!? はい」
「知人友人は少ないけど、その分大事にしたい。仕事も責任ある立場になったので、今まで以上に頑張りたいし頑張るから、和の都合にばかりは合わせられない。お隣さんで近いけど、でも節度ある付き合いを希望するし、面倒な部分多いよ」
「いいよ」
簡単に言うな。私は我が侭に見えない優等生らしいが、言葉にしない言葉を汲み取ってもらえないと拗ねるんだぞ。そこらのペットよりも扱い注意。
「イベントは気にしないけど、節目は気にする性質で、長期的なお付き合いのうちにいい人どうでもいい人になるのは不快」
「努力します。他をきっぱり整理したんだから信じてくれて良いよ」
「それから・・・・・・それから・・・」
言いたいことはもっと他にあるはずなのに出てこない。口篭ってる私に、艶やかな笑みを浮かべながら、この男は言うのだ。
「つまりは僕が好きということで宜しいかな」
「どこが良いんだか」
声が小さかったかくぐもっていたか、彼には聞こえなかったみたいだ。へらっと笑ってる顔が嬉しそうなんで、まあいいか。