そらいろ隠隠 | #1★2003.09/19(金)21:20 |
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第一部 新月の夜 遠い星々だけに照らされた森たちは、寝息だけを交わしている。 静寂に流れゆく夜を楽しみながらも、明日の朝の光を待っていた。 今日のような、それでいて今日の光とは違うものを…。 ときどき転がってきた小さな風が、森に音と動きを思い出させるだけで、 いつの間にか、またそれを忘れて、呼吸だけに戻る。 どんなに臆病な者でも、この森の夜は、好きになれたかもしれない。 森のようで、ここは森ではなかったのか。 夜空の壁で、星たちが少し寝がえりをうったとき、事は起こった。 炎だ。自然発火のはずはない。 風だ。誰が呼んだのだろうか。 出所など問題としないかのように、それは走りだした。 森の一角に赤の絵の具がたらされたかと思うと、風が走るように、 いや、風に追われるように、その色を染め広げていくようだ。 木という木は、逃げられぬ我が身を次々と横たえていき、 草という草は、同じく逃げられぬ身をその下じきとしていくしかなかった。 そう、森は逃げられないのだ。 寄りそう木々が、地を走る炎にとって飛び石の踏み台になるように。 誰のしわざか? ――――人間だ。 人間に従うポケモンたちが、この、ポケモンのすむ森に火を点けたのだ。 一体、何を求めてやってきたのだろうか。この森に。人間が。 今日は少なくとも、観光などではないようだ。 いや、今までに人間 自体、来たこともなかったかもしれないが…。 何か聞こえる。この森に似合わない音が。人間の声である。 「火炎放射だ!もっと、もっと焼き払え!奴は必ずこの辺りにいる!」 それ応じて、さらに炎が増える。また、木が倒れた。 いたずらにも風は、炎に味方をしたのか、 南の山の背骨の上から、滑るように、次々とやって来る。 炎の動きが加速する。 さっきまで眠っていたポケモンたちは、とうに逃げ出していた。 木から木へと、森から森へと伝って。 それを追うわけでもなく、炎という名の巨人が、その手を、足を、触手を、 木から木へと、森から森へと伸ばしていく。 ここに残されたのは、炎と、それに燃やされていくだけの草木のみであった。 炎は、上に高く跳べるはずもなかったが、 その赤々しさは、空に隠れた新月の、黒い仮面をも照らしつける程である。 炎の中に、小さな影が見える。これはポケモンだ。 だが人間のものでもなければ、逃げ遅れたのでもない。 熱に囲まれ、長い尾をもてあそぶ余裕もない。 ―――もっとも、今ここでそんなことをするつもりでいるわけでもなかった。 その瞳に映るのは、やはり、炎と、それに燃やされていく草木のみ、だったが…。 「いたぞ!奴の姿だ。」 声が耳に入って間もなく、視界にその主である人間たちが入ったが、 その小さなポケモンは特に動じるようすはない。 覚悟はできている。この炎は、自分が点けたも同然なんだから…。 炎が赤々と自分を染めているが、見ずとも、 むしろ見ていないからこそ、よりいっそう感じ取れる。 「間違いない…やはりここにいたんだな。」 そのポケモンの顔色が、少し変わった。遠くでまた、木が倒れた。 あの時と、同じ人間たちだ。森に火を点けたのも彼らだろう。 「個体識別完了、ナンバー015だ。」 人間のなかの一人が言った。いつのまにか、自分には番号がついているらしい。 「ふ…的中したな。」 この声を聞くのも、これで何度目だろうか。 彼らは、いつからだったか、自分をつけ狙い追いまわし続けているのだ。 「捕獲にかかるぞ。」 炎に囲まれてはいるものの、逃げる手段はある。 人間たちが取り出したモンスターボールから、中のポケモンたちが出てきた。 彼らはいつものように、素早く、そして当たり前のように対象を取り囲む。 それから鋭い眼光で、もう一回り狭く囲みつける。…まだ、逃げることは可能だ。 一本の細い風が、もうしわけなさそうに場を通りぬける。 まさか“戦う”つもりか?逃げた方が楽だ。けれども、そんな悪魔の声を振りはらう。 「包囲完了、しかけろ。」 燃える炎とは裏腹な冷たいかけ声と共に、人間のポケモンたちが炎を、 この森を燃やしている炎を、その倒れている木の理由である炎を、一斉に吐きだした。 それは、放たれた矢にも獲物を狩る猛獣にも似た勢いで、小さなポケモンに襲いかかる。 周囲の炎が共鳴するかのように、激しく音を立てて湧きあがった。逃げ場は、もう無い。 |
そらいろ隠隠 | #2★2003.10/02(木)09:00 |
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第二部 炎の陣、牙を剥く 身体はうすい桃色の毛でおおわれ、瞳は太古の海を想わせる青色。 細長めの足に、それに比べて小さな手腕、そして長い尾。 後に“ミュウ”と言う名で「幻のポケモン」として、 絶滅したはずの生物として、世界中に知れ渡ることになるポケモンである。 この当時は、その変身能力から「百面相」のあだ名をつけられ、 正体はメタモンではないかという噂まで持ちあがったり…、 とにかく、研究者の間でも、色々な話題になったものである。 それで、一体その中のどんな話がだったのかは知らないが、 彼らの耳にも当然 入ったのだろう、その存在と“匂い”が。 あの日から、その時から、“ミュウ”の悲劇は始まったらしい。 その事の運びを全て、余すことなく語るのは無理だが…、 これはその一部、今でも頭から離れずにいる一節だ。 何本かの、火の竜が、その小さい身体を飲みこんだかに見えたが、 ミュウは念力によって自分の周りに球状のカベを作り出し、それらの牙を逃れていた。 もう寿命の尽きた火の竜は、糸切れのように風に消える。 今も森を食い荒らす炎は、その手足の長い爪を振りまわし続けてやまない。 振った腕が風を呼び、吹きこんだ風がまたその腕を揺さぶり動かす。 命令した人間が軽く舌打ちをすると、ミュウを囲む獣たちがまたにらみ直す。 飛びかう火の粉は小声でしゃべくりあい、空の星は見ずに見たふり。 「毎度、多勢に無勢で悪いんだが、今日は獲り逃しはしないぞ…。」 いつも口数の少ないそいつらにしては、少し長いせりふだ。だったように感じる。 そのせりふを終えると、人間たちがさらにポケモンをボールからくり出した。 その獣たちもまた、ミュウを囲み、にらみ付け、命令を待つ。 ミュウは突然、口を開き、そんな彼らに話しかけ始めた。 と、言うよりは、ただ、相手に聞こえる程度の声で、ひとり言をつぶやくように。 (君たちは…人間に従うだけなの?人間の、尽きることのない欲望を、 満たすためにいるの?それが、君らにとって、幸せなの?) 取り囲む獣たちは、炎が暴れ続けているのと同じように、“姿勢”を変えない。 (君たちが、どうしてここにいて、どうして僕を囲んで、…どうして、 森が燃やされているのか…。僕には、分からないよ…。) 揺れ動く、揺れ動くだけの炎が、その毛穴で声を吸い込んで かき消してしまう。 (君らが何度 来たって、僕は捕まらないよ。) 「………。」「………。」「………。」「………。」 (君らは平気だろうけど、人間たちには、この熱さは辛いはずだよ…。) 青い瞳に、歪んだ赤が、赤い赤が、いくつも映っている。 (どんなにこの熱さに耐えて、汗を流して、君らが僕らを追いもとめ追いつめたって、 それでも、僕は捕まるわけにはいかないんだ。) 「……。」「……。」「……。」「……。」 (いつからなのか…人間たちは、どこかおかしくなってきてるんだ。) ミュウは、自分の発声と周囲の沈黙の差が怖くなってきた。 元から相手の反応なんて期待してなかったのに、それなのに…。 「…。」「…。」「…。」「…。」 (だから、もう帰ってよ。ここにいても、人間たちの喉がかわいていくだけだよ。 やけどだってするかも…) 「やれ、もう一度だ。」 言葉が結ばれる前に、短い別の言葉がそれをさえぎった。 それに呼応して、獣たちがにぶく目を見ひらき、ミュウの口は閉ざされた。 炎が森を踏み荒らし、焼き倒す。緑が、わずかな光と、あふれる炎の中の緑が、 閉じられるとびらの向こうから差すものが細くなっていくように消えていく…。 残っているのは、巨大な赤と、小さな青の二点だけ。―――早く、炎を消さないと…。 周りの獣たちの口から、赤く焼けこげた怪物が、次々とはい出てくる。 それらは、獲物の気配を感じとると、うねるように間直線に突進する。 ミュウは止むをえず、またカベを張りだすために力を込めた。 怪物たちは、カベなど見えないように勢いを崩さず、そしてカベに当たり、砕けていく。 ―――命のないその怪物たちにとって、それは勇気でも何でもないものだが。 視界が、炎の赤の色に強く染まった。 その瞬間、まさに丸いカベの外側 全てが、ミュウの死角となったとき… 人間たちはいつのまにか、ミュウが“こういうとき”に作るカベは、 その耐久性が、耐熱ばかりにしぼられていることを察していたのだろうか。 獣の一匹の前に黒いかたまりが集まり、球になり、 赤い怪物が混みあう中心に向かって、獣はその黒い球を投げつける。 |
そらいろ隠隠 | #3★2003.09/19(金)21:42 |
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第三部 疑う心 ―――油断した! ミュウがそれに気づいたとき、すでに赤い怪物の相手をしていたカベは崩れ去り、 左半身を、ミュウの身体より一回り大きい「シャドーボール」が直撃していた。 ―――…っ! 不意うちを食らったものの、なんとか炎は防ぎきれていた。 すぐに体勢を…立てなおそうとしたのだが、今の一撃から間髪 入れず、 すでに、背後から「でんじほう」が飛んできていた。 そのエネルギーは、自分自身をもつらぬいてしまいそうな程に 狂気に満ちた牙をかざしながら、 赤い怪物の残骸と崩れかけた黒いかたまりごと、そこにあったものを噛み捕えた。 (しまった…!!) 全身に、鋭く重い刃がつき刺さるような激痛が走る。 ―――ぅ… ミュウの身体は浮力を失い、うめき声と共に、倒れた木々の間の焼けた草の上に落下した。 炎は不規則に揺れつづけ、風は地図を裂くように走り、星は星座を保ったままである。 あせっていたのだ。確実に燃え尽きていく森に気をかけていたばかりに。 人間が獣を増やした時点で、“何か”に気づくべきだったのだ。 ところが、自分は語り出して、たったひとりで説得しようとして、そして…。 案の定、“焦点”を踏んでしまい、このざまである。 自ら罠にかかったようなものだ。自分自身の中に潜んでいる、理想という罠に。 電気がようしゃなく身体中を駆けめぐり、神経が声にならない悲鳴を上げている。 炎と獣に囲まれ、目の先には、人間たちがいる…。 まさに絶体絶命、とでも形容したくなるだろう、この状況を目の当たりにした者は。 が、しかし、今までに幾度となくこのようなことはあった。 こうして追いつめられ、モンスターボールを投げられ、一瞬ではあるが入ってしまったりもした。 その度に、何とかして必死に魔の手から逃れて、今までそれを繰りかえし続けてきたのである。 ―――…大丈夫、少し落ちつこう。 そう思った矢先、それを許すまいと言うように、人間の声が窓ガラスを割るようにして耳に入ってきた。 「これで、もらったも同然だな。」 「どれ、このマスターボールとやらの威力、試させてもらうか…。」 ―――…!? 酔ったような痛みに飲みこまれそうになるのをこらえながら、耳のはしで、そのボールの名前を捕えた。 はじめて聞く名前、だろう、多分。なにやら、今回のボールはわりと信用のあるものらしいが…。 「捕獲率100%、か。」 「らしい、な。」 「フッ、人間の技術も進歩したもんだよなぁ、百面相?」 ―――何だって? 人間たちは、ミュウの顔色の変化から、その声を読みとったかのように、 わざわざボールのことを教えるような口ぶりで、言葉を続ける。 「“お前”を捕獲するためだと言ったら、いとも簡単に渡してくれたのさ。」 「探せばあるもんだな、こんな便利なものも。まさに、こういう時にこそ使うべき代物だ…。」 ―――…そ、そんなものがあるわけ…。 「信じられないか?まぁ、常識の中ではな。…それなら、お前自身で試してみるか?」 ―――…!!! 人間たちは、最初からそのつもりだったはずだが、改めて口に出してみた。 ミュウの心臓が凍りつき、体内の時間が止まったような感覚におそわれた。 その、マスターボールを持った人間が、百面相のほうへと身体を向きなおす。 何度かボールを軽く上に投げて宙に浮かせたり、また落ちてきたのを手で受け止めて、 まるで、“から”の感触を、惜しみ愉しみ、遊んでいるかのようだ。 そんなものがあってたまるか。あったら大変なことになっている。もしや、それが今なのか…。 そもそも、人間の言ったことが本当かなんて分からない。ようすから見て、まだ試してはいないはずだ。 しかし、疑えば疑うほど、それが裏がえって“もしも”になり、ミュウの意識を強く縛りつける。 恐怖の余り、ミュウは目を閉じようにも、金縛りでもかけられたかのように閉じれなかった。 ふと、ボールの動きが止まり、その手がそれをじっくりと握りなおす。 そして、青い目に映ったマスターボールが、人間の手の平から反動をつけて飛びたった。 ミュウは身体を震わせながらも、とにかく一歩、動こうとしたが…“感覚”がない。 まずい。最後の一撃はまさにジャストミートだ。すでに、思考すらままならなくなっている。 ボールは無気力に放物線をえがきながら、その小さな身体めがけて落下する。 周りの獣たちは、燭台のろうそくに灯された火のように、黙ったまま、ただ、ここを囲んでいる。 森を焼く炎は、風と競うように暴れ続ける。だが、“その円”の中には、決して入ってこなかった。 木の焼けていく音が、右からも左からも、近くからも遠くからも響いてくる。 身体は、全く動かない。動こうとしない意志に包まれたような、歯がゆさに飲まれているだけ。 いかに強い精神であろうとも、崩れ去ってさえしまえば、少しも自分を護ってはくれない。 そんな当たり前のことに、今 自分は“食われて”しまおうとしているのだ。 ボールがミュウの視界の中で、大きく膨れあがるのに従って、“場”のボルテージが爆発的に昇りつめる。 そのかたわら、遠くでまた木が倒れたが、その音は、かれた葉と土のかさばりの中を通るうちにかすれきり、 誰の耳にも届くことはなく、誰にもその瞬間を知られることなく、孤独に響いたのみであった。 ついにミュウは、一歩も動くことはできずに、そのままマスターボールの到着を受けいれてしまった。 痛みと、恐れと、悲しみが、 ――――全て、吸い込まれていく。 |
そらいろ隠隠 | #4★2003.10/02(木)09:01 |
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第四部 黒い宝石箱 球体の表面の、赤道で分けた半面ずつ、黒と白に塗り分けられたその丸い妖魔が、 ずる、ずる、と、ミュウの身体の、長い尾の先まで飲みほした。 その球体が音にもならない音と共に着地すると、人間たちが口のはしを持ちあげる。 声にはなっていないが、聞こえる。火花の音にまぎれることもなく。 それは確かに見えていた…いや、もしかすると、触覚に近かったのかもしれない。 人間たちの全身から絶え間なく吹き出る、おぞましい何かが、森に空に、黒い月に、響いている。 やたらと大げさに事を騒ぎたてているだろうって? 確かに、一匹の野生ポケモンが、ボールに入った、それだけのことだ。 しかし、そのポケモンは他でもないミュウの015であり、ボールを投げたのは彼らである。 くどいようだが、さらに今日は、そのボールが絶対の捕獲率のものだというのだ。 双方どちらにとっても、ただ事ではない。これからの“世界”すら変えうる恐れがあるほどの。 見れば、その周りを炎が踊るように囲い、中心以外からは全く生気が感じとることができない。 ボールが…かすかに動く。だがそれには誰も気づかずに、 人間たちがススをまき散らすように、捕獲成功の四文字を響かせている。 星たちは、光を瞬かせながら、ただ見ているだけ。 妖魔の胃袋の中で、ミュウは気が戻った。なまぬるい空気が自分を包んでいる。 自分の心音がやけに大きく鳴りわたって、壁もないのに、響いたように耳が聞いている。 ―――“これ”が、マスターボールか…。 痛みとしびれと今のよいんで、身体が動くはずもなく、青い目だけを開いて、心でそうつぶやいた。 気づけば、ある程度ではあるものの、頭が落ちついているではないか。不思議なことに。 かっこう悪いことだが、一度意識が飛んだおかげか、それともあの視線から解放されたからか…。 とにかく、自分がこの状況に置かれてから、どれほどの時間が経っているのかは分からない。 分からないのは確かだが、もうあせることはあるまい。失敗は一度切りでえんりょしたい。 しかし、こうしている間にも森が…、そう思いかけて、あわてて首を横に振りながら飲み込んだ。 今まで、この自分だけでも、何種何個ものモンスターボールに入れられてきた。 これらボールの中は、ポケモンたちにとって抜群に快適な空間らしいのだが、 ミュウにとっては、それが、かえって抜群に気持ち悪く感じられるのである。 まるで自分が、宝石のように、箱に“収納”されているという考えが頭から離れない。 自分たちの“価値”ばかりを見られ、測られ、扱われるのが、いやでしかたがないのだ。 それだけが理由というわけでもないのだが、その都度 ボールから逃げだしている。 …そんなことが、もはや日常茶飯事になってしまった自分自身が腹だたしくもあるが、 出所も行末も知れぬその怒りを、どうにもこうにもすることができずにいるのである。 そうしてまた、自分はボールに入ってしまったわけで、ため息の一つでもつきたいのだが、 状況がそうはさせてくれないようだ。もう一度だけ言うが、これはマスターボールらしいのだ。 人間たちは、どんなポケモンでも確実に捕獲できる、と言っていた。 けれども、そう言われただけのことで諦めるわけにはいかない。夢、たとえ悪夢でもごめんである。 このままみすみす捕まってしまっては、一体 人間に何をされるか、何をさせられるのか…。 まさかで終わらなさそうなのだが、自分以外のミュウを捕獲するために利用されるかもしれないのだ。 ―――もし、自分がポケモンじゃなかったら、マスターボールでも捕まらなかったのかな。 などと、わけの分からないことをぼやいてしまった。 ―――そもそも、まだ捕まったとは決まってないんだ。 しかし、このボールに入ったということは、それと等しいことだろう? と、言葉が返ってきた。 ―――どうして、そうやって決めつけるんだよ。 ミュウは上体を起こした。痛みが頭のすみに追いやられていたのか、その瞬間、なぜかできたのだ。 ―――保証なんて無いんだろ…。 ならば、お前が保証すればいい。 …頭の中で、先に人間の言った言葉がよみがえった。 ―――そんなことはできないよ。 声がどこから返ってくるのかを考えないことにしているのか、それとも知っているのか、 はたまた今この瞬間 気づいたのか、…誰にも分からないが、ミュウは続ける。 ―――保証して、それで終わりにならないじゃないか。 そうさ、お前は逃がさない、逃がすものか…。 ―――僕をただ追いまわしていたって、君たちには心を許せないんだ。 だからこうして、今、終わらせようとしているのではないか。 ―――まだ終わってないよ。 ミュウは、ゆっくりと立ち上がった。激痛が息を吹きかえすが、こらえる。 ―――終わらせないよ、こんなカタチでは。君らが望んでいても、僕がそうは望まないから…。 望もうが望まなかろうが、お前は所詮ポケモンなのだ、私からは逃れられまい! ―――じゃ、僕がポケモンを越えて見せればいいんでしょ。 何を世迷いごとを…。さあ、おとなしくするんだ…。その傷だらけの身体では無理はきかないだろう。 ―――失礼だなぁ、まじめに言ってるのに。 まだ足りないと言うつもりか? 痛みが。恐れが。 ―――君らは分かっていない、いや、忘れちゃったんだ。新しいものを求めるばっかりに。 そう言いながら、自分に寄生している傷を眠りから覚まさないよう、慎重にていねいに身体を宙に持ちあげる。 ―――そろそろしゃべるのも疲れたし、おいとまさせてもらうよ。 ……悪あがきはよせ。 お前は。今日。ここで。人間のものとなるのだ。 ミュウが目を閉じ、少しばかり恐る恐るまた開くと、そこに妖魔がいた。 今思うと、よくもその時 自分はずっと“それ”を正視できていたものだ。 一見する限り、醜いとしか言えないこの姿は、何を象徴しているのだろうか。 これが、これが、これが…。これが、人間の科学の生み出した最高傑作だとは…。 ミュウは今のに背中を押されたのか。いつの間にか、長い尾の先端まで床から離れていた。やっと、また浮いた。 風が吹く。宝石箱の外、炎と踊っているそれとは全く違うのだが、確かにそれは風だった。 しばらく風が、ミュウと妖魔の間を横ぎりへだてていたが、しだいに流動の速度がゆるんでいく。 ふたつの青い瞳と百の不ぞろいな眼が、広さの単位も、明るさの単位も感じられないその場所で、向きあっている。 ただ音として鳴り響くその鼓動だけが、存在の手がかり。意識をもって、意識を保っている。 やがて、二匹は最後の言葉を交わした。無論もちろん、最後になる保証など、どこにもなかったのだが。 |
そらいろ隠隠 | #5★2003.10/02(木)09:02 |
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第五部 ロックオフ 瞬く星の下、森を焼きこがしながら、草木を飲みこむようにうごめく炎に囲まれた所。 さらにその、獣たちが取りまく円陣の中央に落ちたまま黙っている、黒白 二色のボール。 今まさに、そのボールを鍵に、密かながらも世界が変わろうとしているかもしれない。 もっとも、場にいあわせていた人も獣もその他も、誰一人として気づいていなかっただろう。 当然と言えば当然だったと思えるのだが。少なからず“その火”は、未だにくすぶり続けている、 …時折、そんな気がするのだ。 その人間が、今も微小な笑みをこぼしつつ、中央へ歩みよる。 たった今 投げた捕獲道具の感触を、汗ばんだ手の平に残しながら、また一歩。 燃え尽きて灰となっていた草花は、上から振りおろされた靴底に圧され、力なく崩れる。 周りの獣たちは、やはり身がまえつつ中央を向いている。 内心、緊張は解けているが、指示がないうちは姿勢を崩さない。 熱気を吸いすぎたせいか、一生の内に二度以上も無かろう場面に緊迫を覚えているせいか、 それとも、心の片隅にマスターボールへの疑心が顔を覗かせていたから…かもしれない。 どれが理由だったのか、やや無意識に、人間は自分のポケモンたちを配置したままだった。 「終わった…か、捕獲完了だな。報告だ。」 口を開いただけで喉がかわく。そのためか、声を唇のすきまから押しだすように発する。 「了解。」 呼ばれた方の人間が、通信機器らしいものを取りだす。 それと同時に、ボールの目の前にたどりついた人間が、それを目がけて手をのばす。 つい先程まで人間たちから吹きでていたはずの何かは、気づけば見あたらず、 辺りには、草木の魂がただようように、いくつもの煙が入りくみ、空中をはっているだけ。 黒い表面に炎の揺らめきを映したボールをその右手が再びつかもうとした時、魂たちがたち止まった。 いや、止まったのは、わずかながら煙を動かしていた風の方だ。 風が気まぐれに動かなくなったその瞬間、マスターボールが勢いよく跳ねあがった。 「な…!?」 動くはずもない、ただの置物 同然と思っていたものが動いたのだ。囲んでいる獣は、慌てて身がまえる。 人間は、口、顔どころか全身が硬直してしまい、あまりの驚きに言葉は言葉にならなかった。 そうこうしているうちに、ボールはそのまま、無事に灰の上へ着地していた。 混乱した頭でなんとかそれを消化し確認した人間と獣たちは、 まさに息をそろえて、喉につかえていた呼気を、ビンの栓を抜くように外へ逃がした。 炎は、まだまだと言うように踊りに踊り続け、星はあい変わらず見ているだけ。ただ風だけが止んでいる。 数秒 足らずだったが、マスターボールに対する不信感を色こく自覚したことに気持ちが悪くなった。 「驚かしやがって…。」 そうつぶやきながら、冷や汗 混じりの手をのばそうとした時、疑う心が“具現”の眼を開いた。 それと同時に、ボールを中心に渦まきだしたものが、見える者には見えたかもしれない。 そこに集まった“あらゆる要因”が迷走しながら、しだいにひとつの点へ行きつき、結びつく始終が。 ひずんだ空気の中、小さな音と共に、球体の表面に、黒と白の面をまたぐ大きな亀裂が入った。 そこから一筋かそれ以上かの閃光が飛び出しながら、せまい空白を内側から押しひろげる。 生みだされる非科学的な凄まじい衝撃に、手をのばそうとした人間は転がされるように後方へ吹きとばされた。 その光の筋だけの力は とても か細かったが、“要因”が決して折らせはしなかった。 ついにボールは、丸い妖魔は光の筋に敗れて、その表面を細かなひびがおおい尽くしていく。 あわやマスターボールは砕けちり、無数の破片は 外周で踊る炎の赤の中に 散らばっていった。 中央からは“要因”が渦を巻きながらそれぞれの場所へ還っていき、光の筋の源だけが、そこに残された。 光が収まると、燭台の火の交点に再び、ミュウの姿が現れた。 …マスターボールを破って。 一番に目に飛びこんできた 炎の明かりを感じて、ミュウは自分の周囲の変化に気づいた。 灰になった草、倒れている木、そして空に瞬く星をまじまじと見つめた。 (あ、あれ。出られた…?) ほんの今まで、あのような超常的な、物であるかも分からないものを目の前にしていたせいか、 この非常事態としか言えない状況さえにも、ほのかではあるが親しみがわいた。 「バカな!このボールに捕まらないはずは…。」 人間がほえるように沈黙をうち破った。 「…あの野郎、未完成品を渡しやがったな…。」 とてもいいわけ以外には聞こえないせりふを吐きだす人間たち。 だが実際、このマスターボールが完成していなかった、という可能性は充分にある。 ミュウ自身も、とにかく脱出するつもりではいたのだが、いざ出られたとなると正直 驚いていた。 燭台の火があせりで揺らぐ。星たちは見ているだけ。新月は黒い仮面をかぶったまま、おし黙っている。 「ふん、だがな、まだボールは残っているんだよ。」 誰も、何も言っていないのに、人間は何かをうち消すように言った。 「その身体でもう一度 攻撃に耐えられると思って…」 (マスターボールの中は、それはもう快適だったよ。) 今度はミュウがうち消すように言った。 改めて見てみると、ミュウの身体に刻まれていたはずの傷が、ほとんどすっかりなくなっている。 (おかげで、この通りさ。) ミュウはそう答えて、笑ってみせた。 周りを囲む獣たちには言葉が通じたが、人間たちには、何を言ったのかもちろん分からなかっただろう。 「…どういうことだ。」 「奴は自己再生能力まで持っているのか?」 「しかし、これほどの能力を持っていながら、なぜ今まで逃げまわっていたんだ?」 炎が踊る。もはや風の力など借りずに、ひとりで、地を踏み鳴らし天を焼きこがすように。 「そんなことは今はどうでもいい…。お前たち、もう一度やれ!」 獣たちは、やっと下った次の命令に素早く反応し、身がまえるが…。 (もう、これ以上 灰を増やさないで。追いつめないで。君たちは、妖魔なんかじゃないんだ。) 火柱が獣たちの口から飛びだす、それより一足だけ早く、ミュウが空を、天に浮かぶ星を指さした。 その星の周りを円で囲うように、くるりと、左の指を回す。 すると、獣たちが踏む円の中央の上空、いや、上空と言うには低いが、 ちょうど、ミュウの頭の上方の辺りから、何か…輪のようなものが降りだしはじめたのだ。 それぞれの輪は、大きさもそれぞれ、色もそれぞれ、数は数えきれないほどであった。 音もなく、ゆるやかに回転しながら、ゆるやかに落ちていく。無風の中の粉雪のように、ゆるやかに。 それらが地面にふれる寸前に、ふれそうになった所から空気の中に吸いこまれていった。 音もなく、ゆるやかに。一つ、また一つと消えていく。 そうして、最後に残った輪のはしまで完全に通りすぎていった時、ようやくまた時計の針が動きだした。 直後、再び炎がミュウを襲いかかるはずだったのだが、獣たちの喉からは息だけがもれた。 つまり…火炎放射が、不発に終わったのだ。 (まさか、こんなことまでしなきゃならないことになるなんてね…。) ミュウはそう言いながら、指さしていた星をあおぎ見た。 ふたつの青い瞳に、幾千万の光の矢が差しこみ、互いに瞬きあう。 星が、夜空がまぶしい…。 |
そらいろ隠隠 | #6★2003.10/02(木)09:06 |
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第六部 赤い爪は淡く散る 「おい、火炎放射だ。何をやっている…!」 そう何度も言われても、獣たちも困ったものだ。命令はしっかりと“聞いて”いるのだから。 不気味な感触で喉をふさがれている獣たちに、不意に追いうちがかかる。 (ふふ…無理せず帰りなよ。僕はそのマスターボールに負けなかったんだよ?) そう言い放ったミュウと目があった獣が、腰をぬかして倒れこんだ。 その横の獣が再び黒いかたまりを投げつけようとしたが、形になることもなく崩れ去った。 (無理しないで、って言ってるんだけど…。) まさに手も足も出ない獣たちは、皆 後ずさりしてうなだれた。燭台の火は、もう消えていた。 人間たちが走り去っていくのを、その姿が見えなくなるまで、ミュウは微動もせず見とどける。 星たちの下で、赤い陽炎と煙の中に、影も形もかすんでいく。 傷だらけのミュウの身体を、炎がかきむしるように照らしている。 ―――炎…。そうだ、炎を消さないと…。 ―――もう、人間たちは行っちゃった…よね。 そう自分にたずねてから、いつの間にか動きだした風にあわせて、長い尾を大きくふった。 …。炎が揺れただけだった。 ―――あれ、もう一度…。 すると今度は、尾が動くと同時に、空を見るとどこからか雲が集まりだした。 星たちはたちまち姿を隠し、ついに空の黒色も全て、雲におおわれた。 長い、長い間 踊りつづけた炎に、一滴、また一滴と雨が落ちてくる。 ―――これで大丈夫かな…。 そう心でつぶやいた瞬間、ミュウの全身の力は抜けて、灰の上にその身体が落下した。 大きくなっていく雨音が、草木のかれていく音をかき消していく。 …。 マスターボールの中が快適だったなんて、嘘に決まっている。 しかも、人間には直接 伝わったはずもない。 もしかしたら、自分自身に嘘をついたのかもしれない。 今 思うと、無意識にとは言え危険な賭けだった。 でも、自分をだますしかなかったのだ。そうしなければ、自分はきっと自分に負けていた。 …。 ところで、人間たちに自分の傷が見えなかったのはどうしてだろうか。 単なる見まちがい…? わからない。考えていると頭が痛い。 …。 雲に空を閉ざされたその下で、最後に残った炎の明かりの勢いが止まり、衰えはじめる。 水の大群が、重力に逆らうことなく、炎を道づれに土へと還っていく。 ―――少し、疲れたな…。 ミュウは全身を雨で打たれながら、ゆっくりと目を閉じた。 自分を“だまして”、なんとか人間が立ち去るまで“だまされていた”のは助かった。 とは言え、やはり後になって気づくと、反動のように痛みがぶり返してくる。 …。 それにしても、マスターボール。 今日はなんとか逃げられたが、それは今回 限りかもしれない。 完成していた保証もないが、完成していなかった保証もないのだ。 現にミュウがここに倒れていることが後者を保証できそうなのだが…今となるとわからない。 それより問題は、いずれ必ず人間はマスターボールを完成させるということ。 そうなると、道を選んでいる余裕は、もうなくなりそうだ…。 …。 まだしぶとく残る小さな爪を振りまわし、炎は草木を焼こうとする。 そこへ雨粒が大量にまとわりつき、熱をうばって通りすぎる。 …。 ミュウはもう一度、力を抜いて、意識をゆるめていく。 ―――ようやく、静かな森に戻りそう、だね。 …。 森も炎も、全てを包んで、雲は地面へうち鳴らす雨音を奏でつづける。 ……。 ずっと止まないかもしれない、と思っていたその音が、もうまばらになっていた。 獣が生んだ炎の命は、一夜とももたなかったのだ。 途切れとぎれの雲のすき間から、星が少しばかり顔を覗かせている。 それに気づいた風が、残った雲を追いかけるように走りだした。 ミュウは、まだ眠りの中。 その寝息は、小さく、孤独に、広く深く灰色の森に響いている。 星たちと新月は、静かにその情景を見つめている。 ときどき、新しい風がつぎつぎと転がってくる。 空は、安定した暗い輝きを放ったまま、徐々に、徐々に回る。 |
そらいろ隠隠 | #7★2003.10/02(木)09:23 |
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第七部 赤の誓い、青と緑の約束 沈黙の続く暗闇の中で、炎が揺らめくように音がする。 逃さない。私は逃さない。 私は、お前を逃さない。私は、絶対にお前を逃さない。 そのためだけに作られたのだから。 そのためだけの力を持っているのだから。 そのためだけに執着するのだから。 そのためだけの命の活動なのだから。 肉を裂かれようとも、骨を砕かれようとも、 臓を破かれようとも、魂を焼かれようとも。 私は、どれだけ時を費やしてでも、必ず、必ずお前を手に入れてみせる。 待っているがいい。“運の良い奴”め…。 湿気た空気に喉をなでられ、ミュウは目を覚ました。 なにか夢でも見ていたのか、頭に何かの声がこだましている。 (火…は、消えた、みたい、だね。) 横になったまま、自分の周りに広がっている光景を目にしてみる。 やはり、焼け野原だ。これは夢などではない。 背を向けるように身体を少しひねり、首を回して空を見上げると、相変わらず… しかし、いくらか寝ていた分 動いた位置に、星たちと黒い月がいた。 そしてわずかな光に照らされた森は、いや森の跡は―――。 とっさにミュウは目を閉じた。今は、空を見ていたい。 星たちのいる場所へ視線を戻してから、また目を開いた。 ―――うっ…。 たった今 過ぎたことだが、“また目を開いた”とき“また目の前に”何かいたら…。 ありえない。もう自分はあそこにはいない。 ありえないことなのに、その恐怖に後からおそわれた。 ここには星の光が満ちている。あれに比べれば暗闇などではない。 でも、この天高くから注ぐ光は…とても遠い気がして、自分にささやき声すらかけてくれない。 気がつくと、空の右端のさらに端のところが、ほんのうっすらと色づいていた。 ―――…朝だ。 東の空の向こうから、太陽が夜空を明るく塗りかえてくる。 ミュウは身体を起こし、尾を西へ向けて、東の空を迎えるように見つめた。 日が地平線の下を昇るに連れて、東の星から、一抜け、二抜けと空から去っていく。 新月の仮面も日の光に染められて、誰も見ていないのに、隠れるように姿を暗ました。 …やがて、見つめる先に、太陽が顔を覗かせた。 光という光が、次々と大地を照らしていくが…昨日とは違う。 その光を受けとめるのは、深緑あふれる森ではなく、灰にまみれた荒地である。 ミュウは全てを見わたしながら、吸いだされるように立ちあがった。 ああ、太陽だ。目の前にあるのは、星の光でもなく、炎の明かりでもなく、 まぎれもなく太陽だ。夜に溺れていた世界を、強引に引きずり出すように照らしつける太陽だ。 地面に転がっている水の粒たちが、揃いもそろってその光を跳ねかえしている。 水と灰が日光を浴びて、その匂いが朝の匂いと混じって、ゆっくりと泡立つように広がる。 ―――あぁ、もう。なんで、こんな時にじっとしてられないんだろう。 ここを離れるわけにはいかない気持ちがあったが、 ここに居座るわけにもいかない気持ちが、ミュウを再び宙に持ちあげた。 ―――行かなくちゃ。 まぶたを閉じれば、また記憶がよみがえってきそうで、 しかたなくて、まばゆい朝陽の光にわざと顔を向けて、目をさます。 ゆっくりと、深呼吸をして、飛び立とうとするが…何かが引っかかって、前に進む気になれない。 (はぁー、行きたいのか行きたくないのか、どっちなんだよ…。) ミュウはそう呟いて、視線を下に落とした。 (わっ!) ふと、自分の目に飛びこんできた色に、ミュウは驚いて小さく声を上げた。 ―――…えっ、…これって…。 その瞳に、緑色が、植物の芽が確かに映っている。 (わぁ…) 息をひそめて、顔を近づけて、尾で芽を囲うようにして、そっと見つめる。 自分の小さな瞳にも収まりきるほど、小さな小さなその芽に、ミュウはわざと目を細めてみせる。 ―――そうかぁ、もう、この森は…ううん、新しい森は、始まったんだね。 その芽が、高くたかく昇っていく太陽と背比べでもしようかというように、 どんどん、どんどん、その緑色の輝きを、きらきら、ぎらぎらと強めていく。 (うん、僕もいくよ。立ち止まってるのは、これ位にしておかないとね。) ミュウはそう言って、太陽のある方角から左、北に身体を向けた。 一息 吐いて、出発するために飛行の助走をつけようと空中を泳ぎはじめたが、 少し進んだところで止まり、振りかえって、やや離れた場所から、もう一度だけ芽を見つめなおした。 ―――眩しいなぁ。あんなに小さいのに、こんなに離れてるのに…。 息をしている間にも、刻一刻と太陽は空高く昇っていく。 それにせかされるように、ミュウが口を開いた。 (…そうだ、約束するよ。季節が一巡りしたら、また、会いに来るからね。) しばらくの間、日の光の中で、青い眼と緑の芽が見つめ合う。 そこへ、朝の風が通りぬけるように横ぎる。 (それじゃ、…) 別れの言葉は言わずに、ミュウは、風を切り光をかき分け、進みだした。 ミュウの影が小さく、見えなくなっていく。尾を目一杯 遊ばせながら、北へ、遠くへ。 飛んでいくその姿を見送るように、芽が、朝陽の中で精一杯 輝いてみせる。 太陽より眩しく、力強く、深く、灰色の大地一面をその緑色で染めてしまうくらいに。 こんな植物の芽と約束なんてしても、何にもなりはしないように思えるが、 ミュウはその時、そんなものでも良い、とにかく、何かが欲しかったのだ。 自分の中にこの森を残して、この森の中に自分を残す、とても便利な“魔法”を。 一年後、ミュウとその木が再び顔を合わせたかは…まだ、誰も知らない。 ところで、だ。その後の研究で言われるようになったことなのだが…。 ミュウというポケモンは、あらゆるポケモンの先祖であり、その全ての技を使えるらしい。 そのおかげで、超能力を使いどのポケモンにでも変身することも可能ではある…らしい。 そんな奴が、あの「ふういん」という技を使ったらどうなるであろうか? いかなるポケモンもが、いかなる技をも使えなくなり、戦えずに呆然と立ち尽くしてしまうのだろう。 そういう生き物だったのだ。少なくとも、あのミュウは。 第一章 火炎舞踏 終幕 |
そらいろ隠隠 | #bak8★2003.12/20(土)12:05 |
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第八部 草の天井、空の床 風が吹いている。 ほとんど傾きのない坂の上から、下へと向かって、滑り昇るように通り抜けていく。 敷きつめたように広がる草々は、空の息吹に浮き沈みするように揺れ動く。 その流れを目で追うように、雲の影が頭上の大地をはいずり歩いている。 足元には溺れそうなくらい深々と広がった空と、影の持ち主がいくつか見える。 風が運んでくるのは、草のにおいと、木のにおいと、水のにおいと、土のにおいだけ。 ここは誰の気配もしない。 聞こえるのは、風の口笛と草の合いの手だけ。 草の根を張る音も聞こえてきそうだが、自分の脈かなにかしらが壁になっていた。 ここは誰の声もしない。誰の足音もしない。誰のにおいもしない。 誰かとぶつかることもなければ、視線があうこともない。 ほほえむように、風が吹く。 顔の真正面から風を飲みこむと、長い尻尾がやわらかくなびく。 手足を力いっぱい伸ばすと、太陽の光が目の奥まで差しこんでくる。 誰もいない。誰も見ていない。 誰も聞いてない。だから誰の記憶にも残らない。 ここは誰からも忘れられた場所。 ここから来た風は、いずる所も尋ねられず、ここへ来る風も、行き先を教えて来なかった。 太陽だけが照らしてくれる。風だけが通ってくれる。 当たり前に誰も止めはしないのに、草が伸び放題になっていないのが少し、薄気味悪いだけだ。 この草原の度真中に、ただ一匹の小石のように逆さになって浮いていると、 しがらみも、かさばりも、空の底まで吹き抜けて、気が落ち着くのだ。 寂しくはない。自分は、誰からも忘れられるべき存在なのだから。 むしろここには二匹以上でいたほうが、ずっと寂しくなるに違いない。 でも甘いのだ。時間に頼っている自分は甘いのだ。 こうして誰もいない場所に逃げていれば、その内に誰からも忘れられると期待している。 本当のところ、自分が自分の知らない感覚で忘れないでと訴えかけているかもしれない。 出任せでどちらかと言えば、そうであって欲しい。 気付いてからでは遅いから、答えが出るまで待っている。 しかしどう足掻こうとも、やはり自分は忘れられるのが一番なのだ、きっとそうだ。 何度も辿ったことをまた今日もなぞり終え、ため息を吐く。 風向きが少し変わった。その風の中に息は混ざり、遠く離れていく。 それより気になるのは、あのとき人間が口にしていたあの言葉。 反動をつけて、空中で起き上がる。さすがにこの体勢も長く続けると疲れる。 さっきまでとは反対に、上を向いて空を見た。 「こいつ、あの時と目付きが違うぞ?…まさか、別のミュウか?」 確かにこう言っていた。 あまりに唐突のことで、思わず逃げ損なうところだったのが生々しく思い出される。 未だに自分と同じミュウが二匹といるとは思ってもいなかった。 いや、正確には いないとまではいかなかったが、 人間に見つかるほど活動していたということは、事実に変わりはない。自分も含めて。 まだ少し違う。 なぜ今になって人間は執拗に自分たち―――ミュウを求めているのだろう。 幻の云々と呼ばれるものを探し回ることほど、無謀なことはない。 そればかりか彼らは、無謀であるだけでなく二度も幻を現(うつつ)にしてしまったようだ。 自分がどういう立場に存在しているのか。理解しているつもりだが、何かが引っ掛かる。 人間たちは、ミュウを捕えた後、一体どうするつもりなのか。 売り飛ばして金を儲けるため。見世物にできたほうが効率はいいかもしれないが。 純粋に獲物と関わり合いたい。残念だがそんな気が起こるのは夢の中に留まっている。 いると分かった以上、放って置けないのが性(さが)なのだろうが、 こちらにも、知られたと悟った以上、の事情が発生するのには目を伏せないで欲しい。 ただの気まぐれなのか、それとも…。 今日は風がやまない。 北の地平線から十四番目の雲が、太陽と草原の間に割り込みはじめた。 小さな身体に大きな影がのさばりだし、青い眼の瞳孔がわずかに広がった。 忘れられた場所、と言えば…。 あの場所は、まだあのままなのだろうか。 そう想って長めの瞬きをした瞬間、太木(たいぼく)を倒したような突風が向かって来た。 身がすくむような風音にびくりとした時には、もう自分は飛ばされていた。 けた笑っているようにもがなり怒ったようにも聞こえる音の波を打ち流しながら、 その風は、自分を格納している空気のかたまりを押し投げた。 少しばかり坂を転がり止まったときには、後ろに半回転したせいでまた宙で逆さになっていた。 今しがた自分を飛び越えた突風が、草の砂漠を殴りつけるように、天井を走り抜けていくのが見える。 何もしない間に小さくなっていく後姿を、しばらく耳に残っていた音に併せて再生していた。 まだあのままなら、見に行きたい。 見に行こう、次の夜は満月だ。 ついでにもう半回転して、天井を空に戻した。 日影の自分にエンジンをかけて、草の上 二匹分を滑り歩きはじめた。 ちょっとだけ、誰か…来たのかと、思った。 |
そらいろ隠隠 | #bak9☆2004.02/14(土)22:36 |
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第九部 抜け落ちた翼 陽の光を一面に受け止めている木の葉の陰から、空を見上げた。 木の葉の陰というものは斑(むら)のあるものだから、 いわゆる木漏れ日というものが、その首尾の所々を照らしている。 時の経過とともに、陽の差す角度がにじり動くものだから、 その木漏れ日のかたちも、蠢(うごめ)くように変わり続ける。 上空の気層を流れ通る風の、風まかせな気まぐれのせいで、 ワタボコリのように散らかった雲が、空を濁らせている。 その風は、今どこに居るのだろうか。 探しても探しても、あの日の風が見つかるはずはない。 なぜ、探し方も知らないのに探そうとするのだろうか。 ただがむしゃらに、後を追っていても、跡をは追えてなどいやしない。 走っていれば、風との距離が縮まるわけでもない。 もがいてももがいても、風になろうとしない自分には辿り着けないと分かっている。 走ってさえいれば、それが少しでも少しずつになると思っていた。 本当は、足の痛みが、忘れさせていただけだった。 立ち止まれば、たちまちコドクに襲われて、コドクの姿が網膜に谺(こだま)する。 追おうとしたその時から、風を見失っていたことに気が付いた。 街に入っても、そこを歩く人は皆 風を憎み、壁を建ててそれを遮った。 辻を通る別の風も、あの風を憎んでいるようだった。 森に行っても、そこに茂る草は皆 風を拒み、根を下してそれを受け流した。 葉に滴る雨の雫も、あの風のことなど忘れていただろう。 雲の色が、急に明度を落としはじめた。 ある草は花を閉ざしはじめ、またある鳥は眠りから覚めはじめた。 森全体が、夜の姿へと動きだし、かすかなざわめきが聞こえる。 ミュウは我に返った。しかしその姿は、鳥の姿のままに。 そうだ、また夜が来るんだ。闇が、闇夜が…。 違う、今日は闇夜なんかじゃない。月の明かりがあるじゃないか。 風の音が冷たい。日当と日影の差が縮んできた。 でも急がないと…。太陽と共に、山の影に吸い込まれてしまう。 翼を広げ、つかんでいた枝を脚で蹴り離した。 すぐに森の上に出た。羽の生えた展望台で、周りを見回す。 こっちだ。 黄金色に輝きはじめた空を横に構えて、風をかき分ける。 何本もの風に もまれながら宙を往くのは、昔から肌に合わなかった。 目が乾く。喉が渇く。羽根だけは自慢げに たなびいている。 その時、風が通った。それはただの風だったのに。 (え…!?) 慌てて振り向くと、そこには長い、薄桃色の尾があった。 (あ、…、落ちる) そこにはもう、鳥の姿はなかった。そして、宙に浮く力も。 (いっ、て…) 森の中に落ちた。こうして見ると、背の高い木々が生え揃っている。 横から差しこむ日光は、木の根元にはほとんど届いていない。 地面から空を覗こうとしても、横には薄暗い木の柱が延々と続いているだけだ。 かろうじて、上に広がる細かな樹木水脈の間を縫って、光が紛れ込んできている。 まずいことになった。夜が今にも来るという時に、まさか“これ”も来ようとは。 一刻一刻と鼓動が積み重なり、織り重なった音の帯に圧し掛かられる。 “これ”というのは…。“これ”の原因は、あの新月の夜にあった。 冷たく巨大な炎の中で、この自分がしたこと。 ミュウは、両の眼で左手を見つめた。この手が、この手を…。 この手を以って、ミュウはあの時、眠れる力を解放したのだから。 これは、その代償なのだ。“これ”ほどまでに膨大な反動が待っていたとは。 知らなかったわけではない、けれども忘れていたとも言えない。 一体、何をああも一心になっていたのだろうか。 どんな理由も理由にはならない。後悔すらすることもできない。 夜が明けて朝陽の中、山をひとつ越えたときに、初めて気付いた。 突然 寒気を感じたと思ったら、そのまま地面に激突していたのだ。 何が起きたか分からず、一歩も動けなかった。 息も吐(つ)けなかった。ただ寒気だけが治まらなかった。 それは炎の冷たさだったのか、炎の消えた空しさだったのか。 抱いた疑念の醜さだったのか、それとも妖魔の気配だったのか。 (だめだ。思い出しちゃ…だめだ。) こうなってしまった以上、翼を生やすことはできない。 翼がなくたって飛べることは飛べるが、それも今はできない。 (思い出したら、動けない…。) 高く伸びた枝葉の隙間から、赤い空が燃え尽きていくのが見える。 風が木の葉を揺らし、音を立てて夜の悲鳴を紡いでいる。 その音と鼓動の音が、二重になって頭を埋め尽くしていく。 光の届かない地に伏したまま動けず、時間だけが黙々と過ぎていった。 時折、鈴なりになった葉が風に吹かれて、四方八方から騒音をかきたてる。 立ち並んでいる木が、皆 自分を取り囲み、自分の姿を見ながら笑っているように聞こえる。 ミュウは、無意識に立ち上がっていた。 満月の光も眼に入らないまま、ミュウはひたすらその場から逃げ去るように走り出した。 |
そらいろ隠隠 | #bak10★2004.04/04(日)06:21 |
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第十部 秘境 かの風に吹かれて、どれだけ経っただろうか。 草原だらけの島を発ち、絶えること無く飛び続けていたというのに、 思った程より疲れを感じていない…むしろ生き返った覚えがする。 あの島にたたずんでいた時には雲の上にあった太陽は、既に沈み、 夜の気配に包まれた森の一角に、ミュウは立ち止まったのであった。 ただ思い出しただけ、と言ってよいくらいの切っ掛けで 吸い寄せられるようにここまで来てはみたものの、 それが近くにあることは確かなはずが、道を迷ってしまった。 暗くなれば余計にでも道が分からなくなるものであるが、 その場所は、夜だからこそ辿り着けるという意識がうっすらと霞める。 眼を閉ざし、風の軌道を捕える。 やはり変わっていない。取り巻く空気がすべてを物語っている。 森の奥で出遭った秘境は、今もまだここに残っているのだ。 そう、あの場所は、秘境と呼ばれるに満ちた場所だった。 遠い昔に、一度きり訪れただけであるのに、 この記憶の水面は、今も濁ることなく器の中に残っているのだ。 殻の内側から手を伸ばせば、たちまち夜の明かりがよみがえってくる。 ―――聞こえる。引き寄せる音。 冷えた風が緩やかに動くなか、一足 全身を進ませた。 かすかに震えるような感覚が、背筋をなぞり切るように通り過ぎる。 懐かしさに連られて、また一度 前進する。 ―――またここに来れたのか…そうか。 おもむろに足を止めてみるものの、長い間は止まっていられなかった。 ―――壱が弐になるとは、こういうことか…。 流れ出した水は止まらない。記憶の中から居なくなるまでは。 気が付くとミュウは、立ち止まっていた。どれだけ走っていたか分からない。 何度も木の幹とぶつかりながら、木陰を逃れて突き進んでいたのは覚えている。 この姿のまま、足を使って長く走るようになったのは“あれ”以来だ。 視線を下方に移すと、動かなくなった足が薄闇に浸かっているのが、ぼんやりと見える。 なぜ立ち止まったか―――ぶつかる木がなくなったから。 自分を取り囲もうとしていた木の影の集団が、もうそこには居なかった。 森を抜けたのか?―――いや。 ならばここは一体どこなのか。ミュウは息を整えながら、 ようやく辺りの暗闇景色を目に焼き入れるべく、面(おもて)を慎重に前へ向けた。 整いかけた呼吸が、凍り付いた。 ミュウの眼前の光景は、真っ直ぐな月明かりに射抜かれていた。 その有り様に間接的に射抜かれたミュウは、 ただ前を見つめ、青白く凍った息が融けるまでそうしているより他なかった。 ―――ここは…どこ? やっと頭に浮かんだ言葉がそれだった。 鼻の先のもう少し先にある、静かに時を刻みつづけるその情景。 砂時計が紡ぐ砂の糸のように灌(そそ)がれる、青白い月の光。 その下にあるのは―――鏡? 地面に埋まった何かが、月光をかすかに照り返している。 何の音もしない。誰の気配もしない。 ミュウは恐る畏る、青白さの降り注ぐ中心へと身を乗り出していった。 空からの光と地面からの光とが、眼玉のなかで交差する。 何の匂いもしない。風すらも通らない。 森の天井に密かに穿たれた、月明かりの差し込む穴の下へ辿り着いた。 近づいてみると、それは思ったよりずっと広く横たわっていた。 鏡のようで、鏡ではない。そうこれは…。 はっとして、ミュウはその表面に触れそうになっていた手を止めた。 そのまま、砂の積もるより遅く、隙間から抜き取るように腕を引く。 危うくこの、月光の結晶を崩し去ってしまうところだった。 半歩ほど後ろに下がり、もう一度 水面に顔を寄せる。 ―――水だ…。本当に、水…? ミュウが疑うには訳があった。それは鏡のようでも水のようでもあったのだ。 風がないとは言え、微塵も動かない水面。 触れれば割れる硝子(ガラス)を思わせるように張り詰めてもおり、 切れば蕩(とろ)ける泥濘(ぬかるみ)のようにも待ち構えていた。 わずかに――わずかどころでは無かったかもしれないが――胸が高鳴りだした。 今でもここがどこなのか、どのような場所なのか分からない。 ただ、巡り遭ったことが久しいばかりだ。自分の、全く知らなかった場所に。 ミュウは、円く広がる水面の中程に浮かぶ月影を見つめようと、 顔を上げて背を起し、気持ちもう少しだけ身体を前に―――― 「おい。」 「うわあっ。」 ―――…。 唐突に扉を叩くような呼びかけに対して、ミュウは水音で応えた。 (あれ、これって…、入っちゃった…!) 慌てて硝子の泥濘をかき分け、水の海から顔を出したが、 その眼にはやはり、水面を裂く幾つもの波紋が刻まれているのが映った。 ミュウが喪失感に捕われる間もなく、水面に映る自分以外のもう一つの影に気が付いた。 振り返るとそこには―――― 「お前が“もう一匹のミュウ”なのか?」 そこには、鏡などはなかった。 長い眠りから覚まされた水の盃が、囁くように、唄うように、揺れては動くだけであった。 |
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