わかば | #1☆2003.11/20(木)16:17 |
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第一話 うわさ その日の朝は最悪だった。 寝坊したのは当然として、朝からダッツに会ったからだ。 「よう、相変わらずだな」 遙か天から見下ろしたような言い方。態度もまるでその如くだ。 ふんぞりかえって、下唇をぐいっと上げ、鼻をでかでかと膨らましている。 横にはダッツに連れられているデルビルが、主人と同様の態度をとっている。 何の用かと聞いてもニヤニヤとしてるだけ。 付き合うのが面倒で、無視して通ろうとしたらダッツは言った。 「お前、トッポリって知ってるか」 何言ってんだ、こいつは。聞いたこともない言葉だ。 ぼくがそう思ってるときも、ダッツはニヤニヤ。 いつもそうだ。決まってダッツは会うたびにこんな質問ばかりする。 けど、ぼくは知っている。ダッツがするこんな質問は、たいていがデタラメだ。 ぼくは、もうウンザリと言うのをわざわざアピールするように、無視して横を通ろうとした。 いつもこんなのばかりなのに、朝からこんなのにつきあってられるか。 「待てよ」 何様のつもりなんだ。さらにぼくは無視して通り過ぎようとした。 これ以上付き合いたくもない。と思った瞬間。 グッと重くのしかかるように、ギュッ締め付けられるように、ダッツに肩をつかまれた。 「待て、って言ってるんだ!」 もう嫌だ!まだ朝だけど、起きたばかりだけど、もう今日という日を終わりにしたい。 そして今日という日は記念すべき日になるだろう。“ダッツが最もしつこかった日”だ。 「何だってんだよ!!トッポリだあ!?何だよそれ!知らないって言えばいいのか!!? じゃあ言ってやるよ!そんなのは知・ら・な・い!!これで満足か!」 言ってやった。ここまで言ったのは初めてかもしれない。いや初めてだろう。 いつもは我慢して、無視して、次にあってもまた同じ。だけど今日は違った。 朝からダッツと会って、しかもいつも以上に最悪なほどしつこかった。 ぼくの中に溜まってたものが、ぼくの意志かどうかはわからないが一気に出ていった。 言った瞬間ではあったが、すばらしく気持ちのいいものだった。 そして今日という日はさらに記念すべき日になるだろう。 “ダッツに言い返してやった日”。言葉にするとつまらなく聞こえるから、これはやめておこう。 しかし、すばらしい瞬間(とき)というのはそう長くは続かないものだ。 ぼくが言い返した後、ダッツは手をぼくの肩から胸ぐらに移し替え、グイッと僕を持ち上げた。 ダッツにここまでからまれたのも、初めてかもしれない。 だが、意外にもこれ以上悪いことは起きなかった。ダッツは何もしなかったのだ。 ぼくを持ち上げて、にらみを利かせたまではいいが。その後何かを溜めたようにも思えたが、 結局何も言わず、何もせず。そして手を放され、ぼくはドスンと落ちた。 尻を思いっきり打ったのは確かだったが、痛みを覚えるよりも、ダッツの意外な行動に驚いていた。 いつもならここらで一発くらい殴られていただろう。 ダッツを見ると、その顔はさっきまでのニヤニヤ顔ではなくなっていた。 普通の顔。と言うのが適当なのだろうが、ダッツが普通の顔をしてること自体、普通ではない。 ダッツはそのままプイッと返り、そのまま去ろうとした。 デルビルは主人が何もしないので、代わりのつもりなのか、後ろ脚をぼくに向けてかいた。 ダッツの最後の様子が少し気になったが、すぐに忘れた。 尻の痛みを思いだしたからだった。 最悪の朝はこうして終わった。 数日後の夕方のことだ。 ぼくはポチエナと散歩に出ていた。そして公園で事は起こった。 ぼくはいつもと同じように公園に入ると、広場のほうに群がりができていた。 何かと思い、近寄って見ると、群がりのほとんどは子どもだった。 ポチエナを連れていたので、中まで押し入ることはできなかったが、 群がりの中心が誰かということだけはわかった。友達のケイビスだ。 ケイビスの声は年の割りには高めで、特徴的だったからすぐわかったのだ。 「いいか、トッポリはコーヒーカップを浮かしたり、ひとを消したりできるんだ。 いつもは離れたところに住んでるらしいんだけど、何年かに一度、この街にやって来て、 誰かを殺すらしいぜ。こないだ来たときには、4歳の女の子が殺(や)られたらしい。 それでな、どうも今年来るらしいんだよ。来るのは決まって月のない日。 わかるな?もしかしたら明後日来るかもしれないんだよ…!」 トッポリだって!?ぼくはハッとした。あの日、ダッツが言っていた言葉だ。 すっかりそのことを忘れていたぼくに、ケイビスの言葉が思い出させた。 ケイビスの話を聞くに、どうやらトッポリとは不思議な“人物”らしいことはわかった。 だが、ひとを殺しにやって来るとはどういうことだ。 そしてダッツは、何故ぼくにそのトッポリのことを聞こうとしたのだろう。 さらに、何故ケイビスはトッポリのことを知っているのだろう。 謎に謎が増していくばかりである。 ケイビスの話が終わると、群がりがざわめきだした。 さっきまで止まってた時間(とき)が、いきなり動きだしたように。 「トッポリってどんな奴なんだ」「殺されちゃうなんて…怖いわ」 「おれは会ってみたいな。…死ぬのは嫌だけど」 しばらくして、ざわめきは止み始めた。だが、それはただみんなが“死”を考えたくないだけだ。 トッポリに対してへの興味は話すごとに増していってるに違いない。 次第に群がりから一人、また一人と離れていき、ケイビスが見えるようになってきた。 ぼくは、暇そうにおすわりをしているポチエナに、おいでと言い、ケイビスに歩み寄った。 「ねえ、ケイビス。その話って本当なの?」 思わず訊いてしまった。それはたぶん、こないだのダッツのことが気になってたからだろう。 「何だよ。疑ってんのか?本当だよ。街の大人はみんな知ってることだぜ」 衝撃が走った。いままでそんな話も、いやそもそもトッポリという言葉自体聞いたこともなかった。 街の大人、というか親からも聞いたことがない。大人たちの秘密なのだろうか。 じゃあ、何で秘密にする必要があるのか。誰かが殺されるというのが不安を呼ぶからか。 けど、それを秘密にしてると、事が起こってからの影響は大きいのではないだろうか。 「って言ってもな。実はおれもこないだ母さんに聞いたばかりなんだよ。“気を付けろ”ってな」 今まで何度も同じことが起こってるみたいだし、気を付けて回避できることなのだろうか。 ケイビスは、「じゃあな」と手を振り公園を出て行った。 “トッポリに気を付けろ”か。何が起こるのかわからないが、自分の心に刻み込んだ。 親に訊いてみようか、とも思ったが、そこまで秘密だったものを果たして話してくれるか不安だった。 それに、秘密をほじくり返して親子関係をギクシャクさせるのも嫌だった。 ポチエナがクーンと鳴き、ぼくは現実(うつつ)に戻された。 気付けば群がってたひとは誰もいなくなっており、陽は沈みかけ、風が吹いていた。 ヤミカラスが森からやって来て、木々の中ではイトマルがざわめいている。 「帰ろっか」とポチエナに言い、ぼくたちは帰路についた。 だが、ここで疑問が浮かんだ。 ケイビスの母親はどうして、そのことをケイビスに伝えたのだろう。 |
わかば | #2★2003.11/23(日)19:10 |
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第二話 仮説 翌朝、街は変わっていた。 街はトッポリに占拠されていたのだ。 どこに行っても話題はトッポリだけであった。 商店街に行こうと、大通りに行こうと、公園に行こうと。 だが、トッポリに夢中なのは子どもたちだけにも思えた。 大人はそんな子どもたちに、トッポリの話は止めろと言っている。 大人の秘密に子どもが入る込むのがいけなかったのだろうか。 それとも、トッポリの話をすること自体がいけないのか。 何にしろ、昨日のケイビスの演説が原因のようだ。 あれ以前には、トッポリという言葉自体を……いや違う。違うぞ。 いるじゃないか。ケイビスが言う前に“トッポリ”と言った奴が! そうだ、ダッツだ! ダッツはケイビスの演説の数日前にもう言っていた。 ダッツもこの“トッポリ騒動”に一役買っているのだろうか。 ケイビスはトッポリのことを母親に聞いたと言っていた。 では、ダッツは?ダッツもやはり親に聞いたのか。いや、ダッツは違う。 ダッツは「トッポリを知ってるか」という質問をして、ぼくの反応を見た。 ぼくはもちろん知らない。そして言い返した。それであいつの態度はどうだろう。 いつもなら、ぼくが知らないということを自分は知ってるんだ、という感じに、 偉そうにデタラメにデタラメを重ねて、長々とその説明をするくせに。 あの後の様子は明らかにいつもと違っていた。 ダッツに訊けば、何か詳しいことがわかるかもしれない。 ぼくはダッツの家へと向かった。 橋を渡り、二番区に入ったところでふと立ち止まった。 おい、待てよ。よく考えてみろ。何でぼくはダッツのところに行こうとしてるんだ? あのダッツだぞ。ケイビスでもジョアンでもエズリでもない、あのダッツなんだ。 それもダッツにただ会いに行くのではない。トッポリについて“訊きに行く”だぞ。 そんなことができるか、いや絶対できるはずがない。 確かにダッツは、トッポリのことを知ってるかもしれない。そしてぼくはトッポリのことを知りたい。 だが、相手はダッツだ。話は違ってくる。そこまでして知りたいものではない。 ぼくがここでダッツに訊いたら、それは一生の問題になるかもしれない。 ダッツは、ぼくが何かをあいつに尋ねたことを忘れないだろう。 そして事あるごとに、ネチネチとそのことを掘り返しては、それを“貸し”の如く言うのだ。 いくらぼくに“借り”があったとしても、あいつはすぐその場で帳消しにし、 “貸し”のことだけいつまで経っても覚えている。とんでもない奴さ。 そうだよ。ダッツに訊くまでもない。 いまや街中トッポリだらけだ。みんなに訊けば、ダッツ一人分以上の情報はあるはずだ。 ぼくは踵(きびす)を返し、一番区に戻った。 昼も過ぎ、キマワリが太陽の光を一杯に浴びて楽しんでいる。 ぼくは昼ご飯を食べるのも忘れて、街中を走り、訊き回っていた。 そして、ひと休みしようと、公園に着いたところであった。 ポッポが餌をついばみ、その横の池ではコイキングがバシャンとはねた。 ベンチに腰をかけ、溜息をついた。 はずれだったのだ。みんなトッポリについて話してるには話してるが、 昨日のケイビスの話に尾ひれが付いてるようなものだった。 トッポリは手を叩くだけで暖炉に火をつけられるとか、 ぼくが知りたいのはそういうことではないんだ。そんなことは別にいい。 最初にケイビスから聞いた話で、すでにトッポリが不思議な力があることくらいわかっている。 だからいまさらそういう情報は要らないのだ。 知りたいのはトッポリの力ではない。トッポリ自身のことだ。 どこに住んでいるとか、男なのか女なのかとか、一体何歳なのかとか。 そして一番知りたいのは、何故誰かを殺すのかということである。 そこで頭にふと、ある仮説が浮かんだ。 まず、現時点でトッポリについて知っているのは子どもではない。…大人だ。 いま飛び交っているトッポリの話は、大人が持っていた情報である。 そしてその情報とは、トッポリの不思議な力についてだけで、 トッポリ自身については何も触れられていないというもの。 もしかしたら、トッポリの情報源である大人すら、トッポリを見たこともないのではないか。 そして、その大人も、いまのように噂だけの範囲で知ったものなのではないだろうか。 実際にトッポリを見たひとは、誰もいないのだ。 いるとすれば、それは数年に一度殺されるという“誰か”だけだろう。 この仮説が正しいとするなら、トッポリについて訊き回るのは無駄である。 そして深く知りたいならば、その“誰か”に選ばれるしか道はないという、非情なものだ。 ひょっとして、大人たちもこのような結論に至っているからこそ、深く関わるなと言うのではないか。 いや、待てよ。さらなる仮説ができた。 深く関わり、何かを知ってしまう。そのひとこそ“誰か”に選ばれてしまうのでは。 こちらのほうが流れとしては納得がいく結論である。ただ、何を知るのがいけないかは謎である。 となると、厄介なことになる。 いまのところ、トッポリの手がかりとなるのは誰か。 やはりこうなるのかと項垂(うなだ)れてしまう。 しかしどうしたものか。ダッツに訊くことだけは御免だということはすでに述べたが、 ここまで来ると、何か大きな事態が進んでいるように思えてならない。 乗りかかった船、という表現があるが、まさにこの心地であった。 その船で一生続いてしまうかもしれない問題を運ぶのも、辛いものである。 けど、事態はそんな贅沢を言ってる暇はないのだ。 このような事件が何年、いや何十年、もしかすると何百年も続いてるというのに、 人々がわかっているのは、犯人であるトッポリという人物が不思議だな奴だ、ということだけ。 こんなことがこれから先、また何年、何十年、何百年と続いてたまるか。 正義の味方というつもりもないが、先に言ったように、乗りかかった船である。 思いを起こして、再び二番区へ向かった。 陽はだいぶ傾いてきていた。 二番区は、言うなれば高級住宅地だ。そこら中の道端でマダムたちが井戸端会議をしている。 このような横を、何度も通り過ぎるのは何度やっても嫌である。 というのも、ぼくが通るたびに、キーキー声がコソコソ声に変わるからだ。 「嫌ねえ。見て見て、あの子」「まあ」「ほら、あれ」「まあ」 どうせこんなことを喋っているのだろう。聞こえなくても容易に想像できる。 数回こんな目に遭いながらも、ダッツの家に着いた。 まるでダッツを家にしたような感じだ。つまりは偉そうな家、ということである。 ここまで来て、こう思うのはどうかと思うが、ぼくは思った。 「よく考えろよ、いいか?ここで訊いて、お前は後悔しないか?」 まるで、自分のなかにもう一人誰かがいるような感じである。 だが、今更愚問だ。もう道はこれだけなんだ。 ぼくはドアを叩いた。 家からは音がしなかった。 誰もいないのだろうか。庭にはあのデルビルが寝ていた。 ここまで思い起こして来たっていうのに。 少々いらだちを覚えながら、ぼくは振り返り帰ろうとした。 そのときである。後ろからギイッと音がしたように思えた。 ぼくはもう一度振り返った。するとドアが少し開いているのが見えた。 ダッツかと思い、ぼくはドアに近づいた。だが、近づくまでもなかった。 ダッツがドアから顔を出してきたのだ。 その顔はあのときの顔と一緒だ。言ってみれば“普通の顔”。 「何だ、お前か」 何だとは何だ。ニヤニヤ顔でなくても言うことはいつもと同じだ。 これはこれで腹は立つが、正直少し安心したことのを否定するつもりはない。 ダッツは絶対に何かあったに違いないのだ。 あの日と今日。たったそれだけではあったが、この顔を見るとそう思わざるを得ない。 あの日以降、いままでダッツとは会わなかった。 もしかすると、ダッツはずっとこの顔だったのかもしれない。 いまの様子を見ると、そう思ってしまう…。 「ご挨拶だね。ぼくが尋ねて来たのが珍しくないか?もっといつもと違うこと言えよ。 …まあいい。ちょっと訊きたいことがあって来たんだ」 言うのか。そのとき妙に言うのが怖くなった気がした。言っていいのか。 けど、ぼくはそれを言うために来たんだ。マダムのコソコソ声までかいくぐって。 いまは言うしかないんだ。 デルビルがあくびをした。起きたのかどうかはわからない。 空ではポッポが山へ帰ろうと、舞い渡っていた。 その下(もと)で、ぼくは言ったんだ。 「…ダッツ、トッポリって知ってるか」 |
わかば | #3★2003.12/04(木)01:31 |
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第三話 黒い手紙 ダッツが一瞬ギクリとしたのを、ぼくは見逃さなかった。 いや、ぼくでなくても見逃さないであろう。誰の目にもわかる反応だった。 「な、何のことだ」 ダッツはその第一声を出すのに時間がかかった。 その表情は、もう“普通”でもない。明らかに動揺している。 目の焦点は合っていないし、冷や汗を流してるようにも見えた。 「とぼけるなよ。お前が言ったんだぞ、トッポリって知ってるか…ってな」 ここで、いつまでもはぐらかしたって仕方がない。踏み込むしかないのだろうか。 ダッツは、言葉を出そうとしない。ぼくを見てるのかさえわからない。 しばらくそのまま時間(とき)は止まった。 陽はもう沈もうとしていた。橙の空は次第に闇を帯びてきている。 空を少し眺め、最後のポッポが飛んでいるのを見つけた。 「今日、ポチエナの散歩できなかったな」などと、ふと戻された気がした。 今日は一日中街で訊き回っていた。街だけでなく、ぼくの頭の中もトッポリに占拠されていたのだ。 いまごろ、そう振り返ることができた。街のみんなはどうなのだろうか。 みんなも、もしかしたらいまごろこう思ってるのかもしれない。あ、今日これできなかった、って。 そう考えると、少し面白くなった。きっとこの家の隣でも、そう思ってるひとがいるのだろう。 その隣も、さらにその隣も。そしてこうなるのだ。今日は“街中が何もできなかった日”に。 何年か経って、ひとは思う。何でこの日は何もできなかったんだ、と。 そのとき、果たしてトッポリのことを思い出すひとはいるのだろうか。 最後のポッポが山へと消え、街に闇がやって来た。橙はポッポと共に消えていた。 デルビルが起きあがり、そして時間(とき)は動き出した。 「中へ入ってくれ」 ダッツは、出していた顔をひっこめ、中へ入っていった。 意外な展開ではある。だが、ダッツにはこれしか道がないとも言える。 ぼくはドアを開け、ダッツに続いて中へ入った。 家の中は、何故かひんやりとしていた。外より冷えているような気もする。 暗い廊下。歩くたびにきしむ床の音しかしない。誰もいないような感覚。 生活感がない、といった感じが適当な表現だろう。家という気がまったくしなかった。 「なあ、家族はどうしたんだ?」 暗い空間に、ぼくの声が響いた。ダッツの返事はない。 廊下はまだまだ続く。いや、もしかしたらすぐ先で終わってるのかもしれない。 なにせ、すぐ前を歩いているはずのダッツすら見えないほど暗いのだ。 おいおい、一体どこまで進むんだよ。ぼくは、この廊下が永遠と続いてるようにも感じていた。 そんなにこの家が大きいとも思えない。どうしてこんなにも長いんだ…。 と、考えを巡らせているときだ。 ぼくはドンと何かにぶつかって、尻もちをついてしまった。 前を見ると、ダッツが立っていた。ダッツが急に止まったのだった。 つまり、ぼくはダッツにぶつかった。けど、ダッツはそれでも何も言わない。 いや、ぼくがぶつかったことに対して言わなかっただけ。が正確な表現だろう。 ダッツはぼくを見下ろすと、ついに口を開いたのだった。 「ここだ」 ダッツの前にはドアがあった。ダッツはドアを開け、入っていった。 最近痛いめに会いっぱなしの尻を持ち上げ、ぼくも続いた。 暗い部屋に、ダッツは電気をつけた。 どうやらダッツの自室のようだ。ベッドがあり、机があり、本棚がある。 ダッツは机の上から、なにやら黒いものを手に取った。 「これを見てくれ」 ダッツはそれをぼくに差し出した。 どうやら手紙のようだ。普通の大きさではあるが真っ黒い封筒である。 宛名も、宛先も、差出人も書かれていなかった。 ぼくは、すでに開けられた後の封から、中身を取り出した。 中の紙も真っ黒だった。そして白い文字で何か書かれている。 Dats. ta cen ro run cea. cel. dom nar que. ee. sag el. …なんだこれは。手紙だというのはわかるが、言葉がおかしい。 いや、使ってる文字は同じだ。けど、どう読めばいいのか。 文法も違うのか、全く理解できない。西の大陸の言葉なのだろうか…。 そしてぼくは気付いた。下のほうに、流れるような字で差出人が書いてある。 Toppori. 驚きも、ここまで来ると声がでない。 これはトッポリからの手紙だったのだ!ダッツはトッポリから手紙を貰っていた。 ということは、どういうことなのか。考えるまでもない。 あの“殺される誰か”というのは、もしかしたらダッツかもしれないのだ。 ダッツがいつもと違う顔なのは、これが原因だったのか。 いや。だがトッポリから手紙を貰ったからといって、殺されると決まったわけではない。 “ぼくの仮説が正しかったら”の話だ。ダッツはぼくの仮説のことなんか、もちろん知らない。 では何故、ダッツは…。 「何日か前だ」いきなりダッツが声を出した。少々不意をつかれ、ぼくはビクッとしてしまった。 「この手紙がポストに入っていた。おれはこれを見た。もちろん読めるわけもない。 この手紙の異様さは、おれにもわかった。だがそもそもトッポリってのも聞いたことがない。 親に訊いても、“知らない”の一点張り。そこでおれは外へ出て、何人かに訊いた。 …みんなの返事も同じだった。お前も含めてな」 ぼくはただ黙って聞いていた。驚きが思考の半分を占めていたためか、 よく考えがまとまらず、声を出すこともできなかったのだ。 ダッツは続けた。 「おれは不安になりながら家に帰った。そして大変なことが起こっていた。 …家族が消えていたんだ。親父も母さんも婆さんも召使いも、誰もいなくなっていた! いるのは、おれとデルビルだけだった。突然の出来事で、最初何が起こったのかわけがわからなかった。 次に、もしかしたらみんなで出かけているのかもしれない、と気休めを思ったりもした。 だが夜になっても、次の日になっても誰も帰って来なかった!!」 ダッツの声が部屋に響いた。 「それから何日かして、街が変わった。この“トッポリ”のことで話はもちきりになった! おれはこの手紙の差出人を何度も見た。間違いなくこいつだ!! 聞くところじゃ、こいつは何年かに一度来ては、誰かを殺すだって!? もしかしたら、今度来るときの誰かってのはおれなんじゃないか!!?」 ダッツは興奮気味に、顔をパンパンにし、真っ赤になって叫んだ。 そして、フーフーと鼻息を鳴らし、急に泣き顔に崩れてきた。 こんなダッツを今まで見たことがない。おそらく家族にも見せたことがないだろう。 それほどひどい顔だ。ちょっとやそっとのことじゃ、こうはならない。 「とにかく、ちょっと落ち着けよ」 ぼくはダッツの肩に手をやり、そう言った。 ダッツもこの結論に至っていたのがわかった。 やはり殺されるのはダッツなのだろうか。となると、話は急を要する。 ケイビスの話によれば、トッポリが来るのは明日の夜。 それまでに何か情報は得られるだろうか。今日の様子だと見込みはない。 だが、ぼくの仮説を信じるならば、訊く人間は決まっている。 …大人しかいない。そして、そのなかでも今回の発端と思われる“ケイビスの母親”だ。 いまは、それしか道はない。 ふと窓の外を見ると、すでに真っ暗だった。 ダッツはまだ興奮気味に鼻息をフーフー言わしてる。 「ひとまず、今日は帰るよ」 ぼくはダッツの肩をポンと叩き、家を出た。 外はとても冷えていた。息が白く見える。 黒い黒い空を見ると、そこには一筋の明かりだけを見せる月があった。 明日にはそれも欠けて、見えなくなるだろう。 門を出ると、横からクーンと声がした。ポチエナがいたのだ。 「迎えに来てくれたのか?…ごめんな、今日散歩できなくてさ」 ぼくはポチエナを撫で、一緒に夜の道を歩いた。 |
わかば | #4☆2004.06/11(金)22:56 |
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第四話 月のない夜 「お前の言葉が正しいなら、おれの母さんは何だっていうんだ?」 ケイビスはむきになって言い返してきた。 ぼくはこの日。朝、ポチエナを連れて公園にやって来ていた。 まだポッポたちがたくさんエサをついばんでいる時間帯だ。 そして、何故かそこでケイビスに会ってしまった。 いや、会うつもりだったから嫌なわけではない。だが、不意をつかれた感じだ。 ぼくはまだ心の準備ができていなかったに違いない。 言葉がまとまらないまま、ぼくの仮説のこと、ダッツのことを話した。 ほんのちょっと前のことなのに、どういう風に言ったのか覚えていない。 ああ、焦るなよ…。いまになってやっと自分を遠くから見れるようになってきた。 もしかして、そのときぼくは、ケイビスの母が犯人だ、みたいなことを言ってしまったのだろうか。 とにかくケイビスは、ぼくの言葉に対して怒っているようだった。 「落ち着いてよ。別に君のお母さんが原因だなんて言ってないじゃないか」 それがぼくの言葉だった。言い訳にしか聞こえないかもしれない言葉だ。自分でも思う。 もちろんケイビスは言い返してきた。当然だ。 「言ってるようなもんじゃないか。街の大人はみんな知ってるって言ってるだろ!? なのに何でおれの母さんだけ言われなくちゃいけないんだ。おれが最初に言ったから?ふざけんな!!」 ケイビスはそう叫ぶと、ぼくの前から去った。ぼくは何も言い返せなかった。 ポッポたちはケイビスの声に驚き、空へ、木へと行ってしまった。 そしていま。公園にはポチエナが横にいて、ぼくがいる。ぽつんと二つの置物が置いてあるように。 ぼくの言葉のせいもあるだろうが、ぼくの思考の筋書きがいけなかったのかもしれない。 確かにケイビスの母親だけが、ただひとつの手がかりというわけではない。 街中の大人は知っているんだ。…だが、どう切り出せばいい。いままで黙ってきた大人にだ。 いきなり質問して素直に答えてくれるか?いや、絶対ないだろう。 結局のところ、すべて最初に戻ってしまっただけである。ぼくはどうすればいいんだ。 このまま夜になるのを待って、ただダッツが殺されるのを何もできずにいるのか。 そして街は大騒ぎ。また繰り返しである。…思えばぼくの思考も繰り返しだ。 では、いっそのこともう一度繰り返してみよう。何もできずにいるよりはマシだ。 公園にぽつんとあった置物は、突然動きだし、公園を出た。 走りに走って、道を歩く大人たちに訊いて回った。 当然の如く、口をつぐむ者、そんな話はやめろという者、ぼくの存在自体を無視する者。 何とでも言え、といった思いで、ぼくは回りに回った。 が、結果は目に見えていた如くなものだった。やはり無駄だったのだ。 そうこうしているうちに陽が真上に来ていた。 さて、どこへ行けばいいのだろう。どうすればいいのだろう…。 もどかしさだけがぼくにまとわりついてくるのが、苛立たしくも感じていた。 ぼくは焦っていた。こういうときこそ、これだ、といういい案が浮かんでくれてもいいものなのに、 まったく浮かんでこない。むしろ、何も考えられなくなってきているのが事実だった。 「落ち着けよ…」 ぼくは自分に対して、声をかけた。いまは落ち着くときだ。走るときじゃない。 「じゃあ、どうするときだ…」 ポチエナを散歩するときか、昼ご飯を食べるときか、ケイビスに会いに行くときか、 ダッツの様子を見に行くときか、トッポリをただ何もわからぬまま探すときか。 「…この中じゃ、ダッツのところに行くのが一番マシなんだろうな」 そうか。それでもいいか。…ぼくはポチエナを家に帰してやった。 それは、ダッツのところへ行って、それっきりぼくが戻れないような気もしていたからだ。 どうしてそう思ったのだろう。一緒にトッポリに殺される、とでも思ったのか。 そのときのぼくの思考は、もうわからない。 ダッツの家に着いたのは、やはり夕方になった。 外から見ても、どことなくガランとした雰囲気が伝わってくる。 そういえば。何故ダッツの家族はいなくなってしまったんだ? いままでのうわさをまとめて考えてみても、殺されるのは一度に一人だけだ。 考えるのは嫌なことではあるが、もし…、もしダッツの家族も殺された、となるとだ。 これまで考えてきた、もしくはこれまでのトッポリのパターンとは異なってきていることになる。 となるとだ。…ぼくも殺されてしまう可能性だってあるのだ。この仮説の通りとするなら。 明らかに今回はいままでとは違う。ダッツの家族までいなくなってるということは、 ひとつの家の住人が消えるということだ。そんなのがうわさの種にならないわけがない。 もし、いままで同じようなことがあれば、そういううわさがあってもいいはずだろう。 これも言うのは嫌なことではあるが、人一人殺されるより、家族全員が消えるほうが大問題である。 不安を胸に押し込め、ぼくはドアを叩いた。 相変わらず出てくるのが遅い。普通の家だったなら数秒後に足音なり声なりするものだが、 ダッツについては何も聞こえない。もしかしたら、もう居ないのでは、とは考えなかった。 ダッツが現れることしか考えてなかった。考えられなかった。 だからぼくは待った。待つ、というのは良いときもあるし悪いときもあるものだ。 その時間が永遠に感じるほどのものもあれば、一瞬にしか感じないものもある。 このときは、いったいどんな思いでぼくは待っていたのだろうか。それはもう知る由もない。 ぼくは、ただただ待った。ぼくの背中から伸びる影が長くなっていくのを、ぼくは感じていただろうか。 数分だったのか、数時間だったのかわからないが、中から音が聞こえ始めた。 音がだんだん近づいてくるのを感じ、ぼくはどことなくホッとした心を覚えた。 そしてドアは開いた。ぬっとダッツの顔がでてきた。 「……」 声はない。ダッツは無言のまま、顔をひっこめた。 ぼくはそれに続き、家の中へと足を踏み入れ、ひんやりとした空気を感じた。 きしむ廊下を歩き、ダッツの部屋へと導かれた。ぼくは部屋のドアのそばに座った。 ダッツは窓際に立ったまま、外を眺めていた。橙の空が、妙に不気味に思えたのが不思議だった。 「どうだ、何か変わったことでも起こったか?」 ぼくは自然とこの言葉が出た。何故だろう。あまり重苦しさを感じなかったのだ。 ぼくのなかで、この騒動に対しての、何かの思いでも変わったのだろうか。 トッポリに対して、変わったとは思えなかったが、ただダッツに対しては変わっていたかもしれない。 ぼくは、ダッツに“憐れみ”を感じていた。 多からず少なからずではあるが、確かにその感情はぼくのなかに存在していた。 だからこそ、何も考えずとも自然にこの言葉が出てきたのであろう。きっとそうだろう。 そして、ダッツが口を開いた。彼は重い言葉を重く話した。 「また、手紙が来た」 するとダッツはポケットに手をつっこみ、がさごそと音を立てた。 手がポケットから出てくるのが見えた。その手には黒い紙が握られていた。トッポリの手紙だ。 トッポリの黒い手紙がまた来たというのだ。ダッツはそれをぼくに差し出した。 ぼくは黒いなかに目立つ白い字を読んだ。 rura. と、ただそれだけ書かれていた。もちろんぼくには、その意味はわからない。 つまりは、手紙を差し出されたところで、ぼくはどうすることもできなかったのだが、 ダッツにとっては、ぼくがこれを読むことで何か和らぐものはあることだろう。 それがぼくだとしても、何かの支えになっていることだろう。 いまのぼくは、それだけでよかった。憐れみからの行動だった。 そして、ぼく自身にとっても、トッポリは興味の先であった。もちろん恐怖が強い。 だが、恐怖のなかに、トッポリに惹きつけられるものがトッポリにはある。 日常とかけ離れたうわさからなのか、トッポリの存在自体なのか、この手紙なのか。それはわからない。 「おれはどうしたらいいんだ…」 ダッツがまた重い口を開いて、やっとこの言葉を出した。 言われたところで、ぼくには何もできない。ただ、大丈夫静かにしてよう、としか言えない。 日だけがどんどん暮れていくのを感じた。橙が黒に変わっていくのを感じた。 今夜はただただ黒い空が見える。星のきらめきも、月の明るさも感じなかった。 ぼくはふと立ち、窓際へ歩んだ。空には月がなかった。闇が大きく見えた。 「今夜は新月なのか…」 ぼくは何気なく言った。ダッツは黙ったままだったが、一緒に空を見た。 その一瞬だけ、何か平穏に思えた気もした。だが、それは本当に一瞬であった。 ぼくが後ろを振り向くと、そこにダッツはいなかった。 空には大きなヤミカラスが闇を進んでいた。 |
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