ミリオンライトビル地下通路。
その薄暗い静寂の空間を駆ける二つの足音が反響する。

「…ねえ、ウィッチィ。大丈夫かな、カグヤさん」
「カグヤさんなら大丈夫です。あの人は強い人ですから」

不安からか、囚われの仲間を仕事時の呼び名ではなく本名で呼ぶサキに硬い声音でルナは返事をする。
彼女とて隣を走る少女の気持ちはわかる。
仲間が辱められている映像を見てしまったのだから。
いくら怪盗トライアングルムーンだともてはやされようとも自分たち三人はまだ十代の女の子に過ぎないのだ。
あんなものを見せられて平常でいられるはずがない。

「急ぎましょう。とにかく、彼女の救出が最優先です」
「あはっ、今回の盗みのターゲットは囚われの剣士ってわけだね」

茶化すような笑みを作る小柄な少女に金髪の少女は微笑んで頷いた。
もう少しでビル内部へ上る階段のある部屋へと辿り着く。
これから為さなければならない盗みに、二人の怪盗は気を引き締める。
だが、そこに辿り着く直前。
通路のど真ん中に如何にも不自然なテレビが置かれていた。

『どうも、トライアングルムーンのお二方』

ブンッ!
まるでタイミングを見計らったかのようにスイッチの入ったテレビの画面に一人の男が映る。
二人には画面の男に見覚えがあった。
キャンスと名乗った眼鏡に白衣の男。
それは先日ホログラフィで現れたブラックサンの幹部の一人だった。

「貴方は…!」
『おや、覚えていてくださいましたか? これは光栄だ』
「この野郎っ! ブレイドを返せっ!」
『女の子がそういう乱暴な言葉遣いをするものじゃあないですよ?』
「うるさいっ! 酷い目にあいたいのか!?」
『おお怖い。といわれましてもねぇ…彼女は現在股座をべとべとに濡らして喘いでいる真っ最中ですし』
「なっ!?」
「う、嘘だ! 出鱈目を言ってボクたちを動揺させようっていうんだろ!」

白衣の男の口から放たれ情報に驚愕する二人の少女。
だが即座に彼女らはそれを否定する。

つい先程まで見ていた映像ではカグヤは忽然とした意思で抵抗していた。
そんな彼女が時間が経ったとはいえ陥落してしまったなど信じられるはずがない。

『信じていないって顔ですね。まあ気持ちはわかります。
 あんな美人が腰を振りたくって色欲に喘ぐなんて姿、想像すらできませんもんねぇ』

でも所詮彼女もただの女に過ぎないのですよ。
そう続けたキャンスは指をパチンと鳴らすと画面を二分割して別の映像を映し出した。
男の隣に映し出されたのはカグヤの姿。
だが、そこにいたのは毅然とした態度で陵辱に耐える剣士の姿ではなかった。

『はっ…あ! くあっ! ふはっ! はぁっ!』

頬を桜色に染め、頭を振りたくりながら身体を快楽に震わせる豊満な肉体の少女。
それは紛れもなくトライアングルムーンの一員である、ブレイドのものだった。

「そ、そんな…!」
「う、嘘っ! こんなの嘘だよっ! 合成か何か…」
『残念ながらリアルタイムのライブ中継なんですよコレ。それにこれが合成かどうかなんて…すぐにわかるでしょう、ウィッチィさん?』

男の問いかけにビクリと震えるリーダー格の少女。
その態度でサキは心ならずも察してしまった。
今映し出されている映像が本物であるということを。
ブレイドが、カグヤが本気で淫らな反応を見せているのだということを。

『き、気持ちいいっ! 気持ちいいんだっ!』

そんな中、仲間のいたたまれない視線に気がつく様子もなく画面の中のカグヤはついに敗北の言葉を口にしていた。
もう見ていられないとばかりにラビットは顔をそらす。
ウィッチィは堪らず悲鳴を上げた。

「こ、こんなこと…やめさせてっ。やめさせてくださいっ!」
『だが断ります。こちらが言うことを聞く必要なんてありませんし、どうしてもというなら力づくでどうぞ?』
「ッ! 望むところだ! 行こう、ウィッチィ!」
『おっと、待ってください。行くのは結構ですが、こちらの指示に従っていただきたい』

キャンスの引きとめの声と同時にカグヤの映像が消える。
代わりに現れたのはビル内部の地図だった。

『見ての通り、これはこのビルの内部地図です。こちらのほうでいくつかシャッターを降ろしておきましたので道は二本道です』
「……私たちに、二手に分かれろ、と?」
『その通りです』
「何をバカなことをっ! そんなミエミエの罠、のるわけ――」
『では先ほどの映像をバラまきますが、よろしいのですか?』

白衣の男のその言葉に、サキの反論の声が止まった。
映像関係はアルテが制御しているはず。
だからこの脅しはハッタリにすぎない。
しかし二人の少女は戸惑ってしまっていた。
何故なら、先程まで映し出されていた映像という事実があったからだ。
目の前のテレビは敵が用意したものであり、それ故に中継が可能だったのかのかもしれない。
だが、それでも万が一。
既に映像関係の制御が取り返されていたら?

「くっ…」
『わかっていただけたようですね。上に上がってすぐに分かれ道を作っておりますのでウィッチィさんは右、ラビットさんは左へどうぞ』

それでは、と男の挨拶を残して映像が消える。
訪れた静寂の中、ラビットはどうする? と視線で問う。
これはどう考えても罠であり、しかも二手に分かれるなど論外にも程がある。
だが、制御を取り返されている可能性がある以上、カグヤを見捨てるわけにもいかない。

「ウィッチィ、アルテと連絡は取れないの?」
「ジャミングがかかっていて…少なくともこちらから連絡を取るのは無理なようです」
「どっちにしろアルテは制御に力を注いでいるわけだし、外の様子を知るのも無理。八方ふさがりってわけか」
「ええ、ですが今更引き返すわけにも行きません」
「……だね」

二人はお互いに頷きあう。
二手に分かれてしまえば最早自分一人の力しか頼れない。
捕まればその時点でアウト。
相手は既にこちらの動きを掴んでいる上に、十中八九罠を張って待ち構えている状態。
だが引き返すという選択肢はない。
仲間を、カグヤを助け出さなければいけないのだから。

「ご武運を」
「ウィッチィも、気をつけて!」

そして二人の怪盗は、敵の目論見どおり左右に分かれていった。

「いかにもって感じの扉だなぁ…」

ウィッチィと別れ、一人通路を進んでいたラビットは持ち前の身体能力を活かしてあっという間に上層階へと駆け上がっていた。
目の前には無骨ながらも金のかかった造りだと一目でわかる扉がある。
その奥には人の気配。
ここまで敵や罠にまるで遭遇することがなかったのだが、いよいよ本番のようだ。
パン、と両頬を叩いて気合を入れる。

「よしっ!」

バンッ!
大仰な音を立てて大きめのドアが開け放たれる。
油断なくその部屋の中へと飛び込んだラビットが見たものは、広めのフロアの中央に立っている三人の男だった。

「たった三人…?」
「ようこそ、トライアングルムーンのラビットさん」

慇懃無礼に頭を下げる白衣の男。
それはつい先程までモニターに映っていた男だった。
その両脇にはやはり白衣を着た細身の男と太めの男がそれぞれ控えている。
三人が三人とも戦闘が得意なようには見えず、明らかに頭脳労働担当といった風貌だ。
いぶかしんだラビットは周りを見回すが彼ら以外に人の気配はない。

「…ひょっとして、キミたちがボクの相手をするの?」
「まさか! 自分はそんな野蛮なことはしませんよ。当然ここにいる二人の助手も違います」
「ふうん…じゃあ、その後ろのパソコンが勝手に動いて相手をしてくれるのかな?」

場にいる人間が貧弱そのものにしか見えない以上、考えられるのは罠の設置。
それだけにラビットは最大限の警戒と共に周囲の状況に気を配っていた。
とりあわけ怪しいものは二つ。
男たちの背後に鎮座しているコンピューターらしき機械。
そして、彼らの足元においてある三つのバケツだ。

「惜しいですが、それも違います。このパソコンはアポロンの端末でしてね…記録のために置いてあるだけですよ」
「記録…?」
「ええ、貴女の全ての……ね」

ゾクッ。
白衣の男の表情に小柄怪盗少女の背筋が震えた。

まるで顕微鏡で体の隅々までを覗き込まれているような、そんな感覚。
色欲と観察、二つの意味をあわせ持つその視線にラビットは思わず一歩後ずさる。

「おや、どうしたましたか?」
「気持ち…悪くなっただけ、だよっ!」

言い終わるが早いか。
兎の名を持つ怪盗少女は手品師もかくやといった速度でナイフを三本取り出すと即座に投擲する。
ヒュンッ!
空気を切り裂く音と共に放たれたナイフが三人の男に迫る。
男たちは不意をつかれ、動けない。

「うわっ……と、残念でした」
「えっ!?」

ゴボッ!
もう少しでナイフが着弾しようとしたその瞬間。
足元に置かれていたバケツから何かが飛び出し、男たちを守るように展開する。
それは緑色の巨大なゼリー状の生物だった。
ブルブルと震えながら男たちの前面に広がったソレらはナイフを一呑みする。
だが、ゼリー生物はダメージを受けた様子もなくウジュウジュと脈動を繰り返しその場を動かない。
やがて、取り込まれたナイフがグズグズと溶け出し、あっという間に溶解させられてしまう。

「な…」
「ふふふ、驚きましたか? これぞ自分の開発した生体機械シリーズの中でも最高傑作!」
「その名もナノマシンスライム!」
「伸縮自在! 硬軟自在! 取り込んだ獲物は生き物以外を全て溶かす!」

三人の男が己の作品を自慢するように声を張り上げる。
と、キャンスがゆっくりと懐から何かを取り出した。
それは小さな鍵だった。

「ふふふ、ここの奥の扉を開けるにはこの鍵が必要です。この鍵はパソコンの上に置いておきましょう。
 三分以内にこれを奪うことができれば貴女の勝ち、大人しくここを通して差し上げましょう」
「三分? 三十秒もかからないよっ!」

言葉を切ると同時にラビットは身体を沈み込ませ、一気に加速する。
彼女と鍵の距離は50mもない。
しかし、当然ではあるがそれを黙って見過ごす男たちではなかった。
パチン、と眼鏡の男の指が鳴る。
それが開戦の合図だった。

ズズズズッ!
地面を這いながらNスライムの一体が迫る。
足元に接近する軟体生物に、ラビットは慌てた様子を見せず軽く跳躍して身をかわす。
続いて二体目がその瞬間を狙い、身体を広げて飛び掛った。
しかしショートカットの少女は空中で器用に身体を捻るとその突撃をもかわし、着地。
横から踊りかかる三対目の襲撃をもひらりとバックステップで回避する。

「ほう…」

男たちの感嘆の溜息が響く。
スライムたちの動きはなかなかに早かったが、ラビットの動きはそれを凌駕していた。
まるで闘牛士が襲い掛かってくる牛をいなすように危なげなく少女は三体の攻撃を回避していく。
それでいて徐々に鍵へと距離を詰めていくその動きは見事としか評することができない。
これがウィッチィであれば身体能力がついていかずにたやすく捕獲されていただろう。
ブレイドであれば振るった剣ごと取り込まれていたに違いない。
だがラビットは元々ヒットアンドアウェイを得意とするスピードタイプ。
確かに四方八方から形を変えて襲い掛かる化け物は脅威だったが、彼女を捕獲するには足りないようだった。

「このっ、しつこいっ!」

だが、流石に男たちが最高傑作と自慢するだけあってスライムたちもそれなりに奮闘していたといえよう。
獲物を捕まえることこそできないが、その歩みの速度を落とすことには成功していたのだから。

「……そこっ」

しかし一分が経過しようとしていたその時。
僅かに包囲網に綻びができた。
いや、正確には綻びを作らされた、といったほうが正しい。
同士討ちの形にされた二体が自爆にこそならなかったものの、くっついた状態になって一瞬動きを止めたのだ。
そうなると残り一体となったスライムの攻撃をかわすのは怪盗少女にとってはたやすいこと。
最後っ屁とばかりに一体が身体を触手状に伸ばして足を掴もうと試みるが、あっさりとかわされる。
あっという間にスライムたちの包囲を突破したラビットは鍵を目指して走る。

(よしっ、あとは……?)

だが、ここでラビットはふと嫌な予感を感じた。
バケツは床に転がって中身が残っているようには見えない。
男たち自身には戦闘能力は恐らくない。
にも関わらず怪盗として培われた本能が危ない、と警告を発していた。

ぴちゃ…
液体が零れる音をラビットの耳が捉える。
音源は――上!

「ッ!!」

反射的にラビットは横っ飛びでその場から離れた。
刹那の後、今まで少女がいた場所に天井から四体目のスライムが落ちてくる。
咄嗟の動きだったため、素早く次の動作に移ることができない。
その隙を見逃さず軟体生物はアメーバのように伸ばした触手で怪盗少女の右足を捕らえた。

「くっ、放してよっ!」

それを引き千切るべくラビットは足をぶんぶんと左右に振り回す。
だが、スライムは足の動きにあわせて身体を伸ばすだけで千切れる様子は見せない。
やがて、ブーツとソックスを溶かし始めた軟体生物を見て少女は決断した。

(このまま、鍵を盗るッ!!)

放すことができないのならばそのまま目的を遂行するのみ。
後は男の誰かを締め上げればいい。
そう結論を下したラビットは左足一本で前へと踏み込み、前進を始める。
だが、体の一部を床に貼り付けたスライムはゴム紐の様に少女の身体を引き戻さんと動く。

「ううんっ…!」
「頑張ってくださいラビットさん。自分たちは手を出しませんのでね…ええ、自分たち『は』ね」
「う……ああっ!?」

身体を引き摺るように前進を続けていた怪盗少女だったが、その速度は先程までとは段違いに遅かった。
そうこうしているうちに、後方に置き去りにしていた三体が粘体を伸ばし、次々に少女の四肢を捕獲していく。
右手、左手、左足。
身体を進めるために必要な部位全てが四体の粘着生物によって絡めとられてしまう。

(気持ちっ…悪い…けどっ…!)

スライムたちと少女の綱引きはほぼ互角の様相を見せる。
だが、僅かにラビットのほうが力が上らしく、のろのろとした動きながら小柄な身体が機械の上に置かれた鍵へと近づいていく。
幸いにも、男たちは宣言通り手を出す気はないらしく、じっとその様子を観察している。
手足の衣装がジュウジュウと音を立てながら溶けてゆく。
それでも、怪盗少女は脇目も振らずに前進を続けた。

「ほらほら、あと一分ちょいですよ」
「クッ…このぉ…!」

手拍子ではやし立てる男たちにイラつきながらもラビットは綱引きを繰り広げる。
一歩、また一歩と粘体生物に覆われた両足が歩みを進め、もう半歩で手が届くところまで少女はたどり着いた。

(うっ…ううっ…あと、もうちょっと、なのに…っ!)

だが、そこからが問題だった。
今まで辛うじて優勢を保っていたはずの綱引きが均衡状態に陥ったのだ。
少女の力が落ちてきたのか、はたまたスライムたちが本気を出してきたのか。
先程までは少しずつとはいえ前に進んでいたはずの身体がピクリとも動かない。
それどころか、少しでも気を抜けば後ろに引き戻されてしまいそうだった。

「ん……くぅっ!」

それでもラビットは諦めずに身体を前に倒していく。
上半身が折れ、おじぎをするような体勢で少女は懸命に手を伸ばす。
それが効を奏したのか、足こそ動かないものの身体を折った分だけ手の届く距離が伸び、鍵まで後僅かのところへと迫る。
残り時間、あと十秒。
これならばギリギリではあるがなんとか間に合いそうだ。
サキは勝利を確信し、しかしそれゆえにその時目標以外への意識を放置してしまっていた。

「もう、ちょっ……んひあっ?」

つるんっ。
指先が鍵を掠めたその瞬間。
右足にへばりついていたスライムが身体の一部を伸ばして少女のスパッツに覆われたヒップをなぞった。
思わぬ不意打ちに、ラビットは反射的におとがいを跳ね上げてびくんっと震える。
と同時に、懸命に力んでいた身体から一瞬力が抜けた、抜けてしまった。

「あっ……きゃああぁっ!?」

一瞬、されどその一瞬の緩みは均衡を保っていた綱引きでは致命的な時間だった。
足が浮いたと思ったその刹那、スライムたちの収縮に引っ張られ、怪盗少女は後方へと投げ出されるように引き戻されてしまう。

「タイムア〜〜ップ! いや、惜しかったですね」
「あぅっ…そ、そんな…っ」
「しかし負けは負け。敗者には…当然、罰が待っていますよ。かかれ、我が作品たちよ!」

指先まで掴んでいた勝利を逃し、呆然とするラビットに勝者の宣告が下された。