「ごめんなさい」
その一言を放った時、目の前の相手がはっと息を飲む気配を感じ、美音は俯いた顔を僅かに曇らせる。
学校の校舎裏、放課後、若い男女が二人きり。
言わずもがな、よくある告白のワンシーンである。
その当事者である水無月美音は申し訳なさを覚えながらもせめてもの誠意だと顔を上げて相手と視線を合わせた。
「ごめんなさい。その、私貴方のことはそういう風には見られないんです」
その言葉に相手の少年の顔がくしゃりと歪む。
悲哀、戸惑い、想定外。
そのどれもが入り混じったかのような情けない表情。
見ているだけで申し訳なさが溢れてきそうな相手の反応に美音はいたたまれなさを覚える。
呆然とし続けている少年の名前は二宮輝。
たった今学校のアイドルとして名高い少女に告白して拒絶の言葉を告げられたクラスメートの男子生徒だ。
「え、そ、そんな…待って、待ってよ水無月さん。もう一度よく考えてくれないか」
「…二宮君」
「だって、そうだろ? 君はいつも僕に微笑んでくれていたし、いつだって僕を邪険にしたことなんてなかった」
「それは…」
他意などなかった、というのは美音の傲慢だろうか。
誰にでも優しく、親しげな女の子というものはそれだけで男に期待を抱かせる存在である。
ましてや、その女の子が性格も容姿もいいとなれば一度期待を抱いてしまった男は勘違いだと諭されてもそう簡単には諦めきれないものだ。
だが、美音本人にその気がない以上その手の輩は悶々と少女を思い続けるか告白して玉砕するかの二択しかない。
そして彼、二宮輝は後者に分類される方だった。
「友達からでもいいんだ。きっと君を僕に惚れさせて見せる。だから」
食い下がるように熱を上げて語る少年を美音は困ったように見つめる。
ここまで想ってもらえるのは悪い気はしないが、今のところ彼氏を作るという考えはなかった。
美音とて年頃の少女なのだから男に興味がないとまでは言わない。
だが、怪盗アクアメロディとして数々の男の下種な欲望を目にしてきた美音からすれば男という生き物は皆信用ならない。
そういう男性ばかりではない、ということは理解している。
だが、男という生き物を無条件で受け入れるほどには少女の心は寛容ではなかった。
「……そんな」
無言でふるふると首を横に振る少女を目にして小柄な少年は絶望に打ち震える。
ごめんなさい、ともう一度心の中で謝罪をする。
両手の指では収まらないほど同じようなことを繰り返してきたが、いつだってこの瞬間は心が痛む。
美音とて好きで相手を振っているわけではない。
だが、その気がないのに希望を持たせるようなことを言うほうが残酷だ。
だからこそ心を鬼にして拒絶をしなければならない。
無論、中には逆ギレして襲い掛かってくる者もいるのだが、そういう輩には容赦はしない。
幸い目の前の少年はそういった類の人間ではなさそうなので安心ではあるが。
「それじゃあ…」
言うことは言った、と美音は振り返るとその場を後にしようとする。
だが、その手首がガシッと掴まれ少女はその場でたたらを踏む。
犯人は言うまでもない。
この場にいる他人は二宮輝だけだ。
「何が…何が欲しいんだ?」
「え? に、二宮君?」
「金か? 宝石か? 権力か? なんでもいい、君の目の前に揃えてみせる!」
「ちょ、ちょっ…」
「なあ、言ってくれよ。大丈夫、僕の家は金持ちなんだ。望みがあるならなんだって叶えてみせる。なあ!」
先程までの様子が嘘のように少年の雰囲気が豹変していく。
どちらかといえば女顔に属する少年はその背の低さと相まって普段は小動物系の印象を与えている。
だが、今の彼は水無月美音という少女に執着する欲望全開の『男』だった。
瞬間、美音は少年の瞳の中に狂気を見た。
「やっ…」
アクアメロディとして相対してきた男たちと同様の醜さを感じた美音は反射的に手を振りほどいてしまう。
思わぬ抵抗に豹変した少年は尻餅をつき、呆然と少女を見上げた。
「ご、ごめんなさい!」
「あ…」
美音は大きく頭を下げると慌ててその場を駆け去っていく。
尻餅をついたままの少年はただのその背を見送ることしかできない。
少女の姿が視界から消える。
それを確認した二宮輝は五分ほどの沈黙の後立ち上がった。
――俯いた顔に感情を隠したまま、ゆっくりと。
「いたっ…」
帰宅後、シャワーを浴びていた美音はお湯のあたった右手首から伝わってくる刺激に顔をしかめる。
ズキリ、と鋭角な痛みを訴えてくる赤いあざはつい先ほど作られたものだ。
自分に告白してきた小柄な少年、彼が起こした行動の結果。
見た目にはとても力があるように見えない少年だったが、それでもやはり男ということなのだろう。
事情が事情なので恨むつもりはない。
自分とて彼の手を振り払った挙句尻餅をつかせてしまったのだから。
「明日、謝らないと…」
まさか強硬手段に訴えてくるとは思っていなかったとはいえ、自分の対応は褒められたものではない。
客観的に見れば非は二宮にあるためそこまで申し訳なく思う必要などないのだが、それでも美音は謝罪を決意する。
シャァァ……
ノズルから噴き出すお湯が瑞々しい肢体を濡らしていき、沈んだ気分を溶かしていく。
体温の上がる心地よさに身をゆだねながら美音は自分の身体を見下ろした。
「はぁ…また、大きくなったかな…?」
視線の先にあったのは同年代の女の子の中でも上位に位置する大きさの双乳。
豊かに育ったそれは少女が僅かに身じろぎするだけでたぷんっと揺れる。
静脈すら見えそうなほど白い肌の中央にはちょこんと可愛らしく小さな桜色の蕾が鎮座していた。
男子生徒憧れの、女子生徒からは羨望の視線を集めるバストが呼吸とともに微かに上下しながら水滴をはじいていく。
「これ以上大きくなると動きにくくて仕方ないんだけどなぁ」
女性としては魅力の一つであっても美音にとって自分の巨乳は長年抱えている小さな悩み事の一つだった。
動くのに邪魔になることがあるし、男のイヤらしい視線を集めてしまうことが多い。
友人いわく、それは贅沢な悩みであるとのことだが当事者からすれば全く実感が湧かない。
自分の身体を見せたいというような相手でもできれば別かもしれないが、今のところそんな予定はないし
男性に自分の裸を見せるなど純情な少女にとっては想像すら及ばなかった。
(でも、何度か見られちゃってるんだよね、私の胸……うぅ…)
怪盗アクアメロディとして活動しているうちに美音は幾度となく男の目に裸を晒している。
勿論、それは自主的なものではなく事故や相手の加害によるものだったが、男性経験のない美音からすれば汚点とも言える過去であった。
思い出すだけで恥ずかしさと嫌悪感が背筋を這い上がってくるのを感じ、少女はぎゅっと目を瞑る。
「んんっ!」
ブルブルッと嫌な過去を振り払うように美音は首を激しく左右に振った。
一通り身体を洗い終えた美音はシャワーを止めるとバスタオルを身体に巻いてキッチンへと向かう。
年頃の女の子にしては無防備な行動だが、水無月家の住人は一人なので美音も特に気にしてはいなかった。
勿論、一人暮らしという理由以外にも警戒する事情があるため防犯装置はそれなりに徹底しているのではあるが。
「……ん?」
ミネラルウォーターをこくこくと飲み干す美音の目に置きっ放しだった新聞の紙面が映る。
基本的に美音は芸能人やスポーツに特に興味はないのだが、その紙面の記事は彼女の目を引いた。
何故なら――
『アクアメロディ引退!?』
そんな文字がデカデカと紙面を飾っていたのだ。
「あはは…」
文字の下で小銭警部がコメントしている欄を発見して苦笑する。
彼のコメントは一貫してアクアメロディは引退などしていない、自分は奴を追い続ける!というニュアンスのものだった。
「ごめんね警部さん。もうアクアメロディは二度と現れないの」
しかめっ面で紙面に映る警官に申し訳なさを覚えつつも美音は床へと目を落とした。
カーペットの下にある隠し倉庫の中には怪盗道具一式が収められている。
だが、それはもはや二度と日の目を見ることはない。
怪盗アクアメロディの目的、すなわちエレメントジュエルの回収は終わってしまったのだから。
「そう、アクアメロディは二度と現れてはいけない…それが、世の中のため」
エレメントジュエルを巡る戦いにおいて美音はかの宝石の脅威を嫌というほど思い知っていた。
使いようによっては世の中に多大な影響を与える神秘の宝石。
悪人の手に渡ったら大惨事にもなりかねない危険な宝石は今美音の管理下にある。
つまりそれはエレメントジュエルを悪用するものはもういないということだ。
「でも世の中は相変わらず、か」
別の紙面には最近発生した放火魔についての記事が掲載されていた。
別の場所には政治家の汚職、有名人の薬物問題。
アクアメロディが現れなくても都市は常に自らの懐を騒がせているのだった。
「半年…長かった。長かったよ…」
カタカタ、とキーボードを打つ音が薄暗い部屋に鳴り響く。
唯一の光源であるパソコンのモニタには夜空を翔ける一人の少女の姿が映っている。
それは、一般には出回っていないはずの画像――怪盗アクアメロディのハッキリとした姿だった。
「ずっと待っていたんだ…君は次にいつ現れるのか。どんな活躍をしてくれるのかって…」
床には新聞記事が散乱していた。
その全ては怪盗アクアメロディに関連する記事の切り抜きでそのほとんどは文字ばかりだった。
かの少女怪盗は警察に予告状を届けるなどという大胆な真似をしながらもマスコミの前には姿を現さない。
それは警察が情報機関をシャットアウトしているからという部分もある。
しかし、何よりもアクアメロディ自身が情報の露出を嫌っているのだ。
まあ、彼女が正体を隠している怪盗である以上それは当然のことだといえるのだが…
当然それで納得できるほど大衆というものは人間ができていない。
秘密にされればされるほど知りたくなるのが人の常なのだから。
「けど、君はこの半年急に現れなくなった。急死した、海外に拠点を移した、監禁されている。色んな憶測が乱れ飛んだ」
マウスのクリック音とともにモニタに映し出される画像が次々と切り替わる。
そこに映し出されるのはやはり怪盗少女の姿。
宝石を手にして微笑む姿、仕事を前に緊張する姿、追って来る警官たちを申し訳なさそうに蹴散らす姿。
高精度の望遠カメラで撮られたのであろう数々の画像はファンからすれば垂涎もののお宝である。
「でも、僕は知っている。君は目的を果たしたから姿を現してくれないんだってこと」
怪盗少女の画像を塗りつぶすように現れた六つの宝石が部屋の主の目に映る。
色とりどりの六色の宝石はただの画像でしかないのにもかかわらず見るものを誘惑するような妖しい魅力を放っていた。
だが、それを見ている人物はその魅力に取り込まれることなくつまらなさげに鼻を鳴らす。
そう、彼からすればこんな宝石に価値などはない。
彼にとって価値があるのはただ一つ、宝石を集めていた少女だけなのだから。
「エレメントジュエル、か。ふん、感謝だけはしておいてやるさ…これが世に出回らなければ彼女は現れることはなかった」
憎々しげに宝石を見つめるその瞳にはそれらが持つ金銭的な価値も、それ以上の価値も映ってはいない。
彼にとっての宝石たちの利用価値はただ一つ、彼女を誘い出す餌になるということだけ。
「…ん? なんだ、不服なのか? ただの無機物の分際で。安心しろ、シナリオの中にはお前の出番もあるさ――なあ、ライティア」
ポウ…と自分の主を照らすようにソレは光り輝く。
彼の手の中で輝く黄金の宝石、それは紛れもなくエレメントジュエルの一つ『ライティア』だった。
「さあ、ショーの幕開けだ。君は僕だけのものだ、君の全てを僕のものに……アクアメロディ」