「ふう、すっかり遅くなっちゃった…」
月が暗闇を照らす中、美音は人気のない公園を駆ける。
友人の部活の引退宴会に出席していたため、すっかり帰宅が遅くなってしまっていた。
本来ならば通らない近道なのだが、早く帰るためには仕方がない。
半年前まで怪盗アクアメロディという暗闇を駆ける役柄をこなしていた美音からすれば、別段恐怖は感じないが
ここはガラの悪い不良などの溜まり場になっていることがあるので早く抜けるに越したことはなかった。
(それに、通り魔事件のこともあるし)
近辺で最近、放火魔事件とほぼ同時期に発生したとされる通り魔事件。
ナイフや鈍器というよくある凶器ではなく、人に火をつけて危害を加えるという点から放火魔との関連性がとりただされている事件である。
手口といい、犯人には異常性はあるが、美音とて百戦錬磨の怪盗。
仮に対峙することになったとしても、そう易々と負けるつもりはない。
勿論、積極的に自分から犯人を捕まえようという気は流石にないが…
(エレメントジュエル関係なら別だけど…)
少女は苦笑しながら足を速める。
だが、そういくつも超常現象を起こす力を持つようなものが世の中に出回っているはずもない。
犯人がどうやって火をつけるという目立つ犯行をこなしているかはわからないが、余程の知能犯なのだろう。
「っと、そんなのは警察に任せればいいか。小銭警部、頑張ってくださいね」
頭に思い浮かべた馴染みの刑事の顔にウインクを送りながら、美音はカーブを曲がる。
ここを曲がれば出口までもう少しだった。
だが、角を曲がりかけたその時、突如地面に一本の足が差し出された。
「あッ!?」
ずしゃっ!
足を引っ掛けられた美音は堪らずそのまま地面に転んでしまう。
幸い、咄嗟にカバンを前にしたため被害は膝に擦り傷を負う態度だったが。
「……な、何?」
「へへっ、お姉ちゃん。そんなに急いでどこ行くんだ?」
立ち上がりかけた美音を取り囲む三つの人影。
鼻輪やピアスをつけ、髪をカラフルに染めて外見を凶悪にしている彼らはまず間違いなく不良にカテゴリーされる人間たちだと推測できる。
危惧していた事態の一つに突き当たり、美音は自分の不運を嘆いた。
(三人…それならなんとかなる…?)
三方を取り囲まれているのはややマズイが、自分の実力ならば三人程度の男をあしらうのはそう難しい話ではない。
不意さえつけば一人を速攻で叩きのめし、逃走することも可能なはず。
別に三人全員と戦ってもいいのだが、できるだけ無益な争いはしたくない。
素早く状況を判断し、これからどうするかプランを立てていく美音。
だが口を閉じた少女の様子を別の意味で解釈したのか。
不良たちは自分たちの絶対的有利を確信した様子で少女を物色とばかりにジロジロと眺め回す。
「へえ、可愛いじゃん」
「学校帰り? それならちょっと俺たちと遊んでいかねえ?」
「持ち合わせないけどさ。ホテルとかどう?」
ヒヒヒッと笑う好色そうな男たち。
だが、隙を窺っていた美音からすればその行動は最大のチャンスにしか見えない。
立ち上がるのと同時に男の一人の顎にハイキックを打ち込むべく軸足を踏みしめる。
しかしその時、軸足である左足に鋭い痛みが走った。
先程こけた時に左足首を捻ってしまっていたのだ。
「うっ……」
「おおっと、逃がしはしないぜぇ」
ふらり、と立ち上がった状態でよろけた美音の肩を男の一人がキャッチする。
どうやら少女の動きを逃げ出すためのものだと勘違いしたらしい。
「くっ」
反射的に手を振りかぶろうとする。
だが、その手を掴み取ったのは別の男だった。
と同時に残っていた最後の一人がもう片方の腕を押さえつけてくる。
「は、はなしてくださいっ」
三人の男に一度に押さえつけられる形になった美音はどうにか戒めから逃げ出そうともがく。
だが、流石の元怪盗少女といえどもなんの用意もなく三人の男に掴まれた状態ではそう簡単に脱出することはできない。
そんな獲物の様子を男たちはニヤニヤと眺めつつ、はやしたてる。
「ひゅう、イキがいいねぇ♪」
「おー、おっぱい大きいじゃん! サイズいくつ? D? E?」
「おいおい暴れるなって」
「やめてっ……はなしてっ」
上半身を三人がかりで捕まえられている形になってしまった美音は流石に危機感を覚えて激しく抵抗する。
しかし、身体が固定されている状態では純粋な力比べにしかならない。
その場合女の子一人の力では満足な抵抗など出来るはずもなく、精々が身を捩る程度のことしかできなかった。
制服に皺ができ、徐々に首元や袖口が乱れていく。
「だ、誰か―――んぐっ!」
「はいはい、大声は出さない」
声を出して助けを呼びかけた少女の口が男の手によってふさがれる。
こうなってしまうと、さしもの美音も落ち着いてなどいられなかった。
このままでは貞操の危機である。
僅かでもいい、身体が自由にさえなれば反撃することが出来る。
だが男たちは反撃を警戒しているわけではなかろうが、少女を逃がすまいと上半身をしっかりと押さえつけていた。
それでもなんとか拘束から抜け出そうと制服姿の少女は腰を捻る。
下半身の動きと連動し、制服と下着に押し包まれた乳房がその膨らみを主張するように左右に跳ねた。
「眼福眼福。よし、あっちの茂みに連れていくべ」
「ひゅー、たまらねえ! 早くおっぱい揉みてぇー!」
「んっ! んんっ!」
ずるずると徐々に移動させられる自分の身体に美音は必死で抵抗する。
だが力比べではどうしようもなかった。
かくなる上は押し倒される瞬間を狙って反撃するほかない。
チャンスを窺うために抵抗をやめる美音。
「お、ようやく諦めたか。ケケケ、それが利口だぜ?」
抵抗を止めた制服少女をご機嫌な様子で見下ろす男たち。
だが、人気のないところまで我慢できなかったのか、男の一人が片手をゆっくりと美音の胸へと伸ばしてくる。
「むっ、むむぅっ!」
冗談ではないとばかりに身を捩り、なんとか男の手を美音はかわそうとする。
だが、男はその動きをむしろ楽しみ、右へ左へと少女の胸を追いかける。
そうこうしているうちに、残りの二人も我慢できなくなったのか、それぞれ股間とお尻に手を伸ばし始めた。
(やっ……)
三方から自分の大事な部分に迫ってくる手に、美音は顔を青褪めさせる。
だがその刹那。
ジャリ、と土を蹴る音が男たちの耳に届いた。
シュポ!
続いてライターの着火音が場に響く。
小さな火によってそれを起こした人間の顔が浮かび上がる。
「ひ……」
男の一人が視界に入った異形に怯えたような声を上げた。
少女の身体を楽しもうとしていた男三人組が一斉に警戒態勢を取る。
「な、なんだテメエ!?」
いつの間に現れたのだろうか、そこには一人の中年の男がいた。
歳は三十から四十といったあたりだろうか。
いかにも凶悪そうな人相のその男の頬には火傷の痕があった。
それが男の凶悪さを引き立て、見る者にいっそうの恐怖心を与える。
それは美音も例外ではなかった。
脱出のチャンスだというのに、手も、足も動かない。
本能が訴える危険に身が竦んでしまったのだ。
「四人、か」
ぽつり、と男が呟く。
少女を拉致しようとしていたことを咎めるでもなく、人数の差に怯えるでもなく。
ただ、確認といった風情で目に映った人数を数える男。
美音はそんな男の様子に、解凍した身体をサッと後方に下げる。
対して、男三人は前進した。
もはや彼らの頭の中に少女のことは存在していなかった。
あるのはただ、目の前にいる脅威に対する怒気だけ。
こちらは三人、なのにたったの一人に怯えてしまったことに不良たちのプライドは傷つけられていた。
だからこそ彼らは最初に抱いた恐怖心を押さえつけて男と対峙する道を選ぶ。
例えそれが、虚勢から来た愚かな選択だったとしても。
(……何、あの人。この感じ…この感じは……!)
覚えのある、異様な感覚に美音は更に後退する。
アクアメロディであった経験があるが故に少女は気がついていた―――火傷の男の異常性に。
あれは、普通の人間ではない。
厳密に言えば、普通の人間にはない何かを持っている。
「じっと見てるんじゃねえよ、このクソオヤジが!」
「死ねや!」
心の奥底にある恐怖心に突き動かされるように男たちは一斉に火傷の男へと襲い掛かる。
いや、正確には襲い掛かろうとした。
だが彼らはそれを成し遂げることは出来なかった。
何故なら、火傷の男が指をパチンと鳴らした瞬間、先頭を切って飛び出した男の頭が突如火達磨になったからだ。
「ヒ――火ぃっ!? あちい! あぢいよぉぉっ!」
「な、なんで急に……お、おい水を!」
「あっちに噴水があったはずだ! おい、こっちだ!」
髪の毛全てを真っ赤に燃やし続ける仲間を、慌てて残りの二人は噴水へと連れて行く。
ザバン――ジュウゥゥッ!
水の中に叩き込まれた頭火事の男はなんとか消火され、しかしあまりのショックに気を失ってしまう。
驚愕したのはそれを見ていた仲間二人と美音だった。
何せ何もないところからいきなり男の頭が燃えたのだ、驚かないはずがない。
「ふん、燃えがイマイチだな」
「て、てめえ、何しやがった!?」
「別に、うるさい蝿を一匹燃やしただけだ」
「ふ、ふざけんなぁっ」
突然の惨劇に恐慌をきたした男たちがナイフをそれぞれ取り出して火傷の男に襲い掛かる。
だが、襲い掛かられている本人はまるで慌てる様子もなく、ただ男たちを一瞥し。
『ソレ』を取り出した。
「フレイヤ――燃やし尽くせ」
「え!?」
聞き覚えのある単語に耳を疑う美音。
だが、それを追求する暇もなく更なる異常事態が発生する。
なんと、火傷の男の掌から炎の大蛇が現れたのだ。
「な、なんだぁ!? くっ、くるなぁ!」
「熱い、熱いっ!?」
手から放たれた炎の大蛇は男二人に迫ると、あっという間に彼らを火達磨にする。
噴水の近くだったことが幸いしてか、すぐさま水に飛び込んだ男たちだったがそれでも火傷は免れない。
不埒な男三人は瞬く間にたった一人の男の手によって沈黙を余儀なくされた。
「こんなことができるのは…でも、そんなはずは」
形としては美音は火傷の男に助けてもらったことになる。
だが、少女の口からお礼の言葉はでなかった。
目の前で起きた惨劇に恐怖したから、それもある。
どう考えても火傷の男が善人に見えなかったから、それもある。
しかし、一番の理由は男の異能力と、その手に持たれている朱色の宝石に心を奪われてしまったからだった。
「そんな!? 何故あれがここに!?」
火傷の男の手に収められている朱の宝石。
それは紛れもなく、以前怪盗アクアメロディとして美音が回収したエレメントジュエルの一つだった。
(どうして!? まだ存在していたというの!?)
あるはずのない宝石の存在に混乱する美音。
だが、不良たちを燃やした男は思考の暇を与えないように視線を少女へと向ける。
逃げなければ。
反射的に美音は逃走を考え、そして絶望する。
距離的に考えて、炎を出されればどうしようもないのだ。
自分も男たちと同じように焼かれてしまうのか。
その明確な脅威としての恐怖に、少女の心が押し潰されていく。
しかし、男は一向に炎を出す様子はなかった。
ジロジロと品定めするようにこちらを見つめてくるばかり。
その視線の色に美音は覚えがあった。
体育の時、水着の時、そしてアクアメロディとして活動している時。
幾度となく異性の目から送られてきた視線。
それは疑う余地もなく、自分を一人の性欲の対象として認識する、色欲の視線だった。
「ひひひ、安心しな。お嬢ちゃんは燃やしたりはしねえよ」
舐めるような目つきで男が口を開く。
危害を加える気はないと明言されたも同じだったが、まだ油断は出来ない。
何よりも、フレイヤの存在については聞きたいことが山ほどある。
だが、下手に相手を刺激をするわけにもいかず、美音は動くに動けない。
「ついさっき二人ほど燃やし、今また三人も燃やしたもんでね……昂ぶってるんだ」
ザ、と男が一歩前に踏み出す。
その姿が陽炎のように揺れているのは目の錯覚か、それともフレイヤによるものか。
男の視線が美音の乱れた制服が覆う肢体をハッキリと捉える。
それは先程の男たちと同質の、それでいてより嫌悪感の湧き出る性欲にまみれた視線だった。
「鎮めてもらうぜ―――お嬢ちゃんの身体でなァッ!!」
「―――!!」
はっきりと身の危険を悟った美音は瞬間的に転進。
脱兎の如く逃走を図る。
だが、その足はすぐに止められた。
足を踏み出すのと同時に、炎の壁が少女を回りこむように現れたのだ。
「うっ……」
「逃がさないぜ? さあ、こっちへ来いよ。まずは邪魔っけな服を全部燃やして……その後、身体をエロく燃やしてやるからよぉ!」
高らかに吠える男から逃げるべく動こうとするも、周りは炎の壁に包まれている。
逃げ場はなし。
護身用の道具が入っているカバンは先程転ばされた時に手放している。
素手で挑むにはあまりにも状況が悪い。
だが、だからといって素直に諦められるはずもなく。
引退したといっても、アクアメロディの名に賭けてそう簡単にやられるわけにはいかないのだ。
「……ん? チッ、なんだいいところで?」
覚悟を決め、男に飛び掛ろうとした刹那。
男の懐から携帯電話の着信音が鳴った。
面倒くさそうに、しかし目線を美音にあわせたまま通話ボタンを押す火傷の男。
「ああ、アンタか。何? おい、そりゃどういう……チッ、わかったよ!」
プツン、と通話が切られる。
どんな会話がされていたのかはわからないが、どうやら男にとっては不本意なことがあったらしく、その表情は不機嫌そうに歪んでいた。
相手の機嫌の悪化に危機感を覚える。
だが次の瞬間、男は火を消すとあっさりと身を翻した。
「ケッ、残念だが見逃してやるよ、お嬢ちゃん」
「え……」
突然の状況転換に少女は困惑する。
だが、男は軽く手を振りながら炎を自分の周りに撒き散らすと、姿をあっという間に消し去っていった。
一人状況がつかめずに、呆然と立ちすくむ美音をおいて―――