コーヒーの湯気が立ち昇る中、棚橋はソファにもたれてぼーっとしていた。
テーブルの上には、コーヒーカップは二組。
来客を想定することがなかったのか、二組は不揃いなカップだ。
そのカップの一つは空になっており、来客が立ち去ったことを示している。
棚橋は独りで、本日二杯目のコーヒーを飲みながら、
昨夜愛しい彼女を抱いたその手を見つめていた。

まるで実感が湧かない。
だが、この部屋にはほんの数十分前まで彼女が存在していた。
昨夜の情事を思い出してほんのり顔を赤らめながらも、
朝の挨拶とともに朝食を整えてくれた彼女が。
彼女が自分のために淹れてくれたというだけで、普段と同じ
コーヒーメーカーの中身も香ばしく深みがあるように思えてくる。
棚橋はまるで中学生のような恋心を自分が抱いていることに
戸惑いながらも、その感情を時間をかけて楽しんでいた。

Prrrr……

後朝特有の余韻を、無粋な携帯電話の着信音が妨げる。
棚橋は軽く舌打ちをすると、ハンガーにかかった上着の中から
それを取り出し着信ボタンを押した。

「はい、棚橋です」
『おはよう、棚橋くん。片倉だ』
「おはようございます、片倉隊長」

携帯電話で話しながら、つい立ち上がり礼をしてしまう。
その表情は、ぼんやりしていた先ほどとは別人のように引き締まり、
ルシアン警察特別犯罪対策部隊としての顔に変わっていた。

『非番の日に悪いんだが、昨夜ネブラスカシティの警察より
 急遽応援要請が入った』
「はぁ、ネブラスカというと悪趣味な宗教都市のあそこですか。
 はるばるこちらまで応援要請とは一体何事ですか?」
『信者からの密告でな、どうやらアンバームーンの予告状が
 『光の世界』本部宛に届いたらしい』
「ーーッ!?」
『話は後だ、至急警察署まで来てもらいたい』

プッ……ツー、ツー、ツー……

携帯電話の通話が終了した二十分後には、髭を剃り
外出の用意をすっかり整えた棚橋が自宅を出ようとしていた。

「おっと忘れてた、……熱ちッ!!」

特別なコーヒーを全て飲み干して。


それは棚橋と香織が結ばれる四日前のこと。
自分の心を乱す棚橋の存在に苦悩しながらも、怪盗アンバームーンは
飯綱家で手に入れたタロットの売買リストと闇ルートの動きを頼りに
残りのカードの行方を必死で探っていた。
その結果、一つのカードの行方を突き止めたのである。

宗教都市ネブラスカシティ。
昔は商業を細々と営んでいた小さな都市に過ぎなかった。
しかし、数年前に「光の世界」なる新興宗教の本部が置かれることになった
その街では、あれよあれよという間に「光の世界」信者が増え続け、
ついに宗教都市ともいえるまでに発展した。

だが、その裏では信者以外からもお布施を強制的に巻き上げたり、
信者相手に不幸が訪れることをほのめかして多額の献金をさせたりと
黒い噂が耐えることがなく、また迫害により信者以外はネブラスカシティを
離れることを余儀なくされるなど、トラブルが絶えない都市でもあった。

その黒い噂の中心にいる人物。
それこそが「光の世界」教祖、アレッサンドロ・ブッキその人だった。

(間違いない……「光の世界」が発展したのとブッキの手にカードが
 渡ったのとはほぼ同じ時期……タロットの力を利用しているのね……)

香織はブッキ宛の予告状を作成し始めた。
それが自らを死地に追い込むことを覚悟の上で。
しかし、今回待ち受けるのはブッキだけではないことを香織は知らない。


一方、ネブラスカシティの「光の世界」大聖堂では、恐るべき
怪盗アンバームーンからの予告状に信者が色めき立っていた。
だが、玉座に座っているブッキ教祖だけは、まるで動じていない様子だ。
確かに丈の長い豪華な法衣を身に纏ったその姿は、神々しく見えなくもない。

「静まりナサイ! 私の奇跡の業が信じられナイのですか?」

イントネーションのおかしな日本語で一喝すると、水を打ったように
信者達は静まり返り、一転して「ブッキ様」コールが巻き起こった。

(……なんとも単純なバカ達ですコトよ)

内心彼らを見下しながら、ブッキは厳かな表情でほくそ笑むのだった。

(フフ……ついに来ましたデスねー、シニョリーナ・アンバームーン。
 デモ、私の『教皇(ハイエロファント)』は無敵の能力デス。
 飛んで火に入る夏の虫、タップリト楽しませていただきマスよ……)


煉瓦で舗装された広い道を、紺色の影が疾駆する。
雲間から漏れる月光がその美しくも怪しい姿を静かに照らす。
頭に叩き込んでおいた地図で目的地が近いことを確認すると、
その影は大きく跳躍して傍にあった劇場の屋上へとその身を隠した。

眼下には、大聖堂へと続く大きな石造りの階段が伸びている。
そこでは信者と警官隊がなにやら揉み合っているようだった。
怪盗の確保を命じられた警官隊と、教祖の身を護ろうとする信者。
どちらも目的はほぼ同じとはいえ、決して交わることのない両者は
任務に対する愚直なまでの忠実さゆえに、また盲目的なまでの信仰心ゆえに、
互いに衝突してひと騒動を引き起こしているのだった。
その光景を目にして少し驚いた様子の怪盗だったが、自分の存在が
目に入っていない両者を見下ろしてこれ幸いにと敵地へと跳躍した。

「くすっ、お熱いこと。少し妬いちゃうな」


ちょうどその頃。
大聖堂内部では、二人の男が対峙していた。
一人は、今回こそアンバームーンを確保するべく訪れた棚橋警部。
彼が睨み据えている男は、教祖アレッサンドロ・ブッキではない。
革のジャンパーとパンツに、逆立てた金髪が目に痛い。
耳と鼻にはピアスが、首にはネックレスが、指には髑髏のリングが
金属の鈍い光を放っている。
およそこの荘厳な場所には相応しくない若者だが、信者というには
信仰心が全く見られず、棚橋は少々困惑していた。

「とにかく、怪盗を捕まえるのは警察の仕事です。
 市民の義務として、ご協力をお願いいたします」
「やなこった。バカ信者が通報したみたいだが、警察は
 お呼びじゃねえんだよ、わかったらさっさと帰んな」
「わかりませんね。信者で護衛したいのはわかりますが、
 それに加えて警察の協力を仰がない手はないのでは?」

至極当然な棚橋の提案。
だが、男はその問いに対してかぶりを振った。

「悪いが、それは出来ねえんだ。怪盗って綺麗な
 お姉ちゃんなんだろ? 教祖様がじきじきにお相手したいんだと。
 それには警察がいちゃ邪魔なんだよ」

(聖職者までもか……怪盗に狙われてる奴は皆絶倫なのか?)

眉間に皺を寄せる棚橋に、突然男が襲い掛かる。
だが力任せのテレフォンパンチを棚橋は事もなげにかわし、
交差法で体重の乗ったボディブローを男に叩き込む。
ぐえッと呻いてうずくまる男。
それを見下ろして先へ進もうとする棚橋だったが、
歩を進めようとして顔色が変わる。

(なに? か、体が動かない……!?)


「マッタク、だらしないデスヨ、花輪。
 そう易々とやられては困りマス」

(ブ、ブッキ……体が動かないのは能力とやらのせいか!?)

「し、仕方ねえだろ、俺のはアンタのと違って戦闘向きの
 能力じゃねえんだし……」
「つくづく使えない男デスネ。まあよしとシマショウ。
 さて、邪魔な警部さんには少し眠っていただきますかね」

バリバリバリッ!!

(こ、こいつはヤバい……に、逃げろ、アンバー……ムーン)

ブッキがローブから取り出したスタンガンを押し当てられ、
棚橋は直立不動のまま意識を失った。



棚橋の身に危険が降りかかっているとは露知らず、
大聖堂内部に入り込んだアンバームーンは順調に奥へと突き進んでいた。
彼女の姿を見かけるや信者が襲い掛かってくるのだが、
ただの人間などもちろん彼女の敵ではない。

「くッ! 教祖様には指一本触れさせんッ!!」
「ふふ……教祖様ばかりじゃなくて、私のことも見てほしいな」
「な、な、な……」

上目遣いで顔を近づけられ、思わず素の部分が出てしまう信者。
その狼狽ぶりを見てニッコリ笑うと、ハイキック一閃、昏倒させる。

「ごめんね」

ウインクをしてすまなそうな表情で片手を立てると、
表情を引き締めてその強靭な脚力でさらに奥へと疾走する。

(おかしい……武装もしていない信者だけなんて、あまりに
 包囲網がぬる過ぎるわ……私を舐めているのか、あるいは)

バンッと大きな音を立ててドアを開くと、そこには一人の男が
玉座で微笑んでいるのが見えた。

(自分の能力に絶対の自信を持っているのか……)

「アレッサンドロ・ブッキ……」
「これはこれは、初めましてデスネ、シニョリーナ。
 ところで今日はどんな悩みを? それとも入信希望かな?」
「両方ハズレ。貴方を天国に送ってあげようと思って、ねッ!!」

そう言い放つと、アンバームーンは体を沈め跳躍態勢に入った。
先手必勝。
相手が能力者だとわかれば、有無を言わさず蹴り飛ばすのが吉。
脚を叩き込んで、意識を飛ばして、それで終わり。
それが彼女の狙いだった。
だがその時。



「ぐああアァッ!!」

苦悶の声が近くであがり、思わず彼女はそちらを見てしまった。
そこには拳を振り上げている長身の金髪の男。
その手の先には、縄で縛られ顔を歪めている棚橋がいた。

「なッ!? た、棚橋警部……?」
「オヤ、知り合いなのデスか。少々目障りだったので捕らえたのデスが」

(あの棚橋警部が……それに、あの金髪の男は……?)

「に、逃げろ! アンバームーンッ!!」

棚橋の声で先手を打つ絶好の機を逸したことに気づき、
慌ててブッキに視線を向けた時、彼女は体の異変に気がつく。
それは彼女がブッキの恐るべき術中に墜ちてしまったことに
気づく瞬間でもあった。

「あ、あれ……脚が、手も、動かない……?」
「クク……かかりマシタね、シニョリーナ。
 私の目を見た者は、体の制御を私に奪われるのデス。
 それが素晴らしき『教皇』の能力、貴女はもはや私のお人形デス」
「そ……そんな馬鹿なッ!?」

そもそも彼らが顔見知りであることを知らなかったブッキに、
はなから人質を取る意志はなかった。
純粋な身体能力は人並みの『教皇』の弱点、先制攻撃の矛先を
逸らして自分の能力を相手に向ける暇を作れればそれでよかったのである。
たまたま棚橋警部が手の内にあったので使ってみたまでだったが、
アンバームーンにとってはそれが絶大な効果を生んだのだった。

「フフ……それじゃ、シニョリーナ。まずはラジオ体操から
 いきマショウか……オイッチニ、オイッチニっと」
「そんな! か、体が勝手に!? い、いやぁーッ」

自分の意志に反して勝手に動き出す怪盗の体。
青ざめた顔にはそぐわない間の抜けた準備運動の動き。
歯を食いしばり首を振って拒絶しながらも、その体はぴょんぴょんと
ジャンプして、あるいは屈伸運動をして、最後は深呼吸で締めくくった。

「よし、準備運動はこの辺にして、ショータイムといきマショウか。
 天国を見せてくれるんデスヨネ? ククク……フハハハ……」
「そ、そんな……」
「くッ、アンバームーン……ブッキめ……この下衆がッ!!」

高笑いを響かせるブッキと、打ちひしがれるアンバームーン。
少し離れて、歯噛みをしながらブッキを罵る棚橋。
すっかり蚊帳の外となった金髪の男は一人愚痴るのだった。

「まったく、あの能力は反則だよなぁ……。
 俺なんてショボすぎる能力だというのに、不公平だぜ」


夜の大聖堂。
シャンデリアのどこか神秘的な光の下、女怪盗と教祖が対峙していた。
だが、二人の姿は傍から見れば敵対関係にあるとはおよそ見えない。
なぜなら、女怪盗は教祖に背を向け両手でスカートの裾を持ち上げており、
あまつさえ中腰になって尻を教祖に突き出しているのだ。
ヒップラインを彩るスカートの下の黒タイツは防御壁とは成り得ず、
むしろ一層その艶かしい光景を演出していた。

「こんな……こんなことが……」
「フフ……それでは自己紹介をしてもらいマショウか、尻文字でね」
「くぅ……」

顔を羞恥で染め、力一杯目を閉じて屈辱に耐える女怪盗。
だが、その表情とは裏腹に体はどこまでも命令に忠実に動く。
突き出された美尻が媚びるような動きでカタカナの「ア」を宙に描く。
自分の名前をよりにもよって尻文字で敵に描かされる恥辱は、
「ン」「バ」「ー」と続いていき、最後の「ン」を描き終わったところで
尻をキュッと大きく突き出して終わりを告げた。

「よくできマシタ、とても色っぽいお尻デシタよ」
「…………」

投げかけられる言葉にももはや反応することができず、
アンバームーンは無言でうなだれるしかなかった。

「でも、もっと色ッポイ姿が見たいデス」
「なッ!? こ、これ以上何を……きゃあっ」

女怪盗は思わず悲鳴を上げた。
自分の体は意思の力を一切受け付けず、教祖の正面を向くと
おもむろにペタンと尻餅をついた。
そこからブリッジの予備動作のような格好で脚をM字に広げると、
まるで股間を教祖に見せ付けるように突き出した。

「ククク……いい格好デスよ、ソウ、まるで聖女のようデス。
 とても美しく、それでいてとても罪深い……」
「そんな……動いて……なんで動かないの……」


何故動かないか、と問われれば『教皇』の力だと答えるしかない。
女怪盗もそれはわかっていたが、それでも与えられる恥辱に
足掻かずにはいられなかった。
しかし無情にも次の一手がアンバームーンを襲う。

「次はとても罪深い行為をしてもらいマショウか」
「!? い、いやぁーーーッ!!」

教祖がパチンッと芝居がかったように指を鳴らすと、
それを合図に女怪盗の右手が自らの胸を揉み始めた。

「い、いや……こんなの……こんなのって……」
(悔しい……敵にいいようにされて抵抗すらできないなんて……)

悔しさと恥辱に美しい顔を歪めてなんとか抵抗を試みる女怪盗。
だがそれをせせら笑うかのように右手はより一層胸を揉みしだく。

「くッ……んんん……ふぅッ……ぐうううぅぅ……」
「抵抗しても無駄デス。それに、甘い声が出始メタのではありマセンか?」
「そんなわけないでしょッ!! ……くぅッ」
「気の強いシニョリーナデス。それではコレではどうデスか?」
「……なッ!? い、いや……こ、こんなのって……」

教祖が再びパチンッと指を鳴らすと、それまで自らの胸を揉んでいた
右手がするすると股間に伸びると、巧みに敏感な部分を刺激し始めた。
敵の眼前に股間を突き出して自らの指でいじくっている。
それはまるで自慰行為を堂々と見せつけているかのようだった。

「んああッ! いや、いやなのに……なんで……」
「フフ、見られて感じているのデショウ? 嫌らしいお嬢さんダ。
 なんなら、そこの警部サンにも見せてあげマスカ?」

その言葉が忘れていた棚橋の存在を怪盗に思い起こさせる。
最も痴態を見られたくない相手が、一部始終を傍で見ている。
それに気づいて怪盗は背中に冷水を浴びせられたように
青ざめて打ち震えた。

「いや、いや……見ないで……見ないで、お願い……」



花輪 尚文は、運の悪い男だった。
幼少の頃に両親は交通事故死。
保険金を手土産に引き取られた先の叔父と叔母は
彼に一切関心を示さず、飯と軒を与えるだけの存在。
その家庭環境からグレていった彼を支えてくれる人間はいない。
やがて、彼は家を出て、早々に地元の工場で働くことになる。
監督者に怒鳴られながら、ベルトコンベアで運ばれてくる部品を
無感情で検品することに慣れていく日々。
ひょっとして自分も機械になってしまったのではないかと錯覚し、
自らの体を傷つけたこともある。
だが死を選ぶほど彼は弱くなく、といって活路を見出すほど強くはなかった。
無感動に過ぎていく日々で、やっと掴んだチャンス。
それが、急死した叔父の遺した一枚のタロットカード。
叔母はとうに離縁して別の男のもとへ走っていたため、
棚ぼたで彼の手に転がり込むことになったのだ。

相当な金銭的価値を持つタロットカードを手に入れた彼は、
それまでの不運から解放されたと思い込んだ。
また、ひょんなことからカードに秘められた魔力に気づいた彼は、
自分が特別な人間であるかのように錯覚した。

だが、これまでの彼の人生がそうであったように、
幸せな錯覚はそう長くは続かなかった。
タロットカードを狙うという怪盗アンバームーンの存在。
それを恐れた彼は、カードを売却できた際の収益のいくらかと
引き換えという約束で同じカードの所持者であるブッキの処に身を寄せた。
そこで、カードの能力の圧倒的な差を思い知らされることになる。
やはり自分は不運な男だったのだ。

(だが、それでも構わねえ……怪盗からカードを守れればいいんだ。
 あとはカードを売ることができれば、一躍金持ちになれるんだ……)

「ワ……ナワ……花輪! 何をぼんやりしているのデス?」
「あ、ああ、悪い。ちょっと頭痛がしちまって」
「まったく、使エナイにもほどがアリマス。
 生放送は待ってくれないんデスよ?」

(え……な、生放送? この人たち何を言っているの……?)

M字開脚のまま硬直しながら、アンバームーンは
2人の会話の意味がわからないながらも嫌な予感に青ざめていた。
つまらなそうに首をすくめた花輪と呼ばれた男が、教祖から
距離を取り、なにやらケーブルが繋がっている機械の前に立った。
そっと目を閉じ、精神を集中させる。
力が彼の周りに集まり、光とともに何かがその場に現われた。

それは、水車のようなものだった。



「これでいいかい? 教祖様よお」
「上出来デス。しかし、水車や歯車を出現させるダケの能力とは
 『運命の輪(ホイールオブフォーチュン)』も名前負けデス。
 まあ使エナイ貴方にはピッタリの能力デスが」
「ちッ!」

唾を吐き顔を背ける花輪。
その魔力が込められた当時であれば『運命の輪』の能力も
灌漑など多方面で活躍し大きな意味があっただろう。
だが技術が発展した現在では、その意味は失われてしまった。
彼が吐いた唾は、そんなカードを引き当ててしまった自分の運の無さと、
最強ともいえるカードを所持するブッキに大人しく従うしかない
自分の弱さに向けられていた。

「サテ、この水車にコレをつけて、と」

怪しげなメロディを鼻歌で奏でながら、ビニール袋から取り出した
大きな刷毛をいくつも水車に取り付けていく。
ちなみに昨日は近くのホームセンターの特売日だ。
お店のキャラクターであるペンギンが印刷されたビニール袋から
取り出してビリビリと包装を破いているところを見ると、
教祖自らが街へ出かけて買ってきたのだと思われる。
こうして、回転部分に刷毛がいくつも固定された水車が出来上がった。

「準備オーケーデース」
「な、なにを……するつもりなの……」

浮かれた声の教祖とは対照的に、声をなんとか絞り出したと
いった様子の女怪盗。
彼の狙いはわからないまでも、先ほどから感じている嫌な予感が
徐々に現実となって目の前に現われてくる光景に彼女は怯えていた。

と、彼女の体がひとりでに起き上がると、その水車に向かって
ツカツカと歩き出す。
ロボットのような動きで水車の前で立ち止まると、おもむろに
その水車にまたがった。
取り付けられた刷毛が股間に当たる感触に、彼の狙いを察して
女怪盗の顔色がさらに青ざめる。
やはり嫌な予感は当たっていたのだ。

「これから貴女にはラジオの生放送に出演してもらいマス」
「……な、生放送ですって?」
「私が信者に向けて発信している宗教放送デス。
 この大聖堂の塔に取り付けられたスピーカーから街に向ケテ
 流れるとトモニ、ラジオの電波に乗って信者の皆サンニ
 素晴らしい神の教えをお届けしているのデスよ」
「……わ、私に……何をさせる気なの……」
「心配しないでクダサイ。聖書を読んでイタダクだけデスヨ。
 もっともこんな状況で、デスガネ」

パチンと指を鳴らした合図とともに、花輪が面倒臭げに
力を込めると、水車がゆっくりと回り始めた。

「んんんあぁ!? ……ふぅ……くあぁ……ぁあんッ」
「オヤオヤ、本番でそんな声を出しタラ町中に聞かれてしまいマスヨ?」
「くぅんッ! ……はぁぅ……こ、この卑怯者ぉ……」
「それじゃ、合図を出したらこの本を朗読してクダサイネ」