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夕闇の迫る鬼哭村の礼拝堂に御神槌と尼僧姿のほのかの祈りの言葉が響き渡る。
「我らが我らに負債ある者を許さば我らの罪をも赦し給え。我らを試みに遭わせ給うな。アーメン」
試みに遭わせ給うな、ほのかは胸裏で復唱した。彼女の硬い表情を御神槌が見守り、唐突に尋ねる。
「『コリントの信徒への手紙』をお読みになりましたか?」
ほのかは暫く考えて首を振った。御神槌が手元の聖書を紐解く。
「淫らな行いを避けるために、男はめいめい自分の妻を持ち、女はめいめい自分の夫を持ちなさい、…
…妻は自分の体を意のままにする権利を持たず、夫がそれを持っています。同時に夫は自分の体を意の
ままにする権利を持たず、妻がそれを持っています。……私が何を言いたいかお判りですね?」
ほのかの頬が朱に染まる。龍斗の事で思い悩んでいたのはお見通しらしい。
「それは主が肉欲をお憎みになっておられたことと矛盾いたしませんか?」
「確かに主御自身は肉欲と決別されておられました。ですが、我々の弱さも御存知だったのです」
「私は……主の御心を人々にお伝えする事に生涯を捧げると決めた身です」
尚も言い募るほのかの眼前で御神槌は聖書を閉じた。
「舌は小さな器官でありますが大言壮語します……心を偽るのはお止めなさい。あなたの信仰心は龍斗
師を愛しても揺らぐ事はないと私は信じていますよ」
ほのかが固く結んだ唇を開いた。「……神父様、何故?」
「愛し合う二人を結びつかせるのも神父たる私の務めですから。そうそう、告悔はいつでも受けますよ」
御神槌の後姿を見送った後もほのかはその場を動けずにいた。
龍斗への想いを阻んでいるのは信仰心だけではない。既に処女ではないという負い目がある。


ヴラド邸に身を寄せる以前のほのかの生活は暗澹たるものだった。一夜の雨露をしのぐ為、その日の飢
餓を癒す為だけに男達に身を任せていた。絶望の果てに死を望んだ時に出会ったのが、彼女の命を救っ
た男であり、主の教えだった。信仰は彼女にとって光り輝く世界への入り口だったのだ。忌まわしい過
去も信仰心を強めた。男達の乱暴な愛撫も一方的な挿入も苦痛でしかなかったから、それを否定し、遠
ざける事は望ましかった。だが、龍斗の事を想う時、ほのかの心は震え、体の奥から熱くなってしまう。
自慰を禁忌とする戒律の下、眠れない夜を主への祈りで過ごした事は数知れない。
ほのかは小さな溜息を吐いた。逡巡しながらも礼拝堂を後にし、滝へ向かう。身の内で燃え滾る心を静
めるには朱雀の力を解放するのも良いかも知れない。足元で落葉が小気味良い音をたてて崩れる。
だが、滝には先客がいたようだ。龍斗が風祭を蹴りまくっている。修行という雰囲気ではない。
「ご、御主人様、いけません!」
慌てて止めに入ったほのかの背後で悪態をつきながら風祭が逃げ出す。
「何があったのかは判りませんが、私が代わりに……」
一瞬、きょとんとした龍斗が破顔する。
「ほのかを蹴れるわけないだろう?風祭は良いんだよ、あの程度の刺激がないと脳が働かないから」
「まあ……」
龍斗の意外な一面を知り、ほのかは呆れて絶句した。龍閃組と鬼道衆を行き来する彼は異なる顔を使い
分けているのだろうか。自分の知らない龍斗に出会える人々、風祭にすら軽い嫉妬を覚えた。
「……御主人様、遠い地の聖者の言葉にあります。その魂が主への愛に欠けているとするならば、それ
は主を十分に知らないから、と。私は、御主人様をもっと知りたい。この恐れをなくすために」

ほのかが龍斗の胸に身を投げ出し、頬を押し付けた。男らしい体臭に包まれ、目を閉じる。
龍斗は腕の中の熱い体を持余していた。欲情しないと言えば嘘になるが、躊躇いもある。その逡巡を読
み取ったかのようにほのかが爪先立ちになり、唇を押し付けてきた。それに応え、恐る恐る龍斗の手が
彼女の腰を抱き、服の上から体を撫でる。分厚い生地が素肌を擦り、ほのかの体を刺激する。
どちらからともなく、すっかり葉を落とした欅の陰に入る。龍斗がゆったりとした異国風の衣を捲り上
げる。脚を撫でられ、ほのかの全身に鳥肌が立つ。火照った体を滑る冷たい手の感触が心地良かった。
ほのかが自らの手で頭巾を外し、落とした。外気に晒された耳朶を龍斗の舌が舐り、彼女の息が熱を増
す。冷たい指先が彼女の下腹部をくすぐり、もどかしげに異国の下着を下ろす。龍斗の指が彼女の中で
灼け、その指に熱を与えるようにほのかが腿を締めた。
ほのかの背が欅に押し付けられ、抱え上げられる。膝を割る手に彼女は抗わず、しな垂れかかって首筋
に抱き付いた。手の冷たさにを窺わせない龍斗の熱い陽根が彼女の中に埋められる。小刻みな動きでほ
のかの内部が擦られ、今まで経験した事の無い角度で当たるそれに彼女が声を漏らした。突き上げられ、
彼女の足が宙に浮く。ビクビクと痙攣する足を龍斗の腰に絡め、上気した頬をぴったりと寄せる。息を
荒げながら龍斗の唇を貪り、首筋に舌を這わせた。この小さな器官はこんな形でも罪を犯す。
龍斗は予想以上の彼女の反応に昂ぶり、彼女の尻を抱える腕に力を込め直した。互いの服を通しても、
彼女の胸の高鳴りと激しい肺の動きが伝わってくる。突然、彼女が体を強張らせ、頭を仰け反らせた。
白い咽喉を撓らせ、うめきに似た声が上がる。溢れ出した液体が龍斗の腿を熱く濡らした。
初めて得る快楽に浸る彼女の中で二人の体液が混ざり合う。今や彼らの体温は平衡し、境目も無く溶け
合っていた。


「その時、御主人様の手が、私の……」
礼拝堂に設えられた狭い告悔室の中で御神槌は頭を抱えていた。未婚の男女の性交渉は罪であり、告悔
によって免罪が与えられる。だが、事細かに房事を報告する必要は無い筈だ。
「私は、思わず声を上げてしがみついて、頭の中が真っ白になりました……」
告悔室は個別に仕切られ、告悔を受ける者は沈黙を守らなければならない。御神槌は折畳式の槍を手の
中でクルクルと回しながら、ほのかを唆した事を激しく悔いていた。こんな濃い話を聞かされて、また
悪夢に魘されそうだ。胸裏に龍斗への理不尽な怒りが湧き起こる。
いつか龍斗の蚊帳に蝗が放たれる日がくるかも知れない。だが、それも神の御心のままだ。