「貴女は、本当に酷い人だ――」
行為の余韻にその身をゆだねる女の耳に男の声が届く。
まだ、その言葉の意味を理解するのには気怠さが勝るが、女――桔梗は
その身体を床に横たえたまま、少しずつ記憶を手繰り始めた。
夕刻の礼拝堂の前に立ち、その扉に手をかけて少し桔梗は逡巡した。
中からは何人かの気配と話し声が微かに感じられる。村人が礼拝堂の主を囲んでいるのだろう。
その光景が思い浮かび、桔梗は口の端に少しの笑みを浮かべて扉を開けると、
部屋の中に一歩足を踏み込んだ。
「あッ、桔梗様」
差し込む夕日と伸びる影に気づいた村人の一人が礼を取る。桔梗はそれに応えながら、
数名の村人の中に立つ男――御神槌に目をやる。御神槌はほんの一瞬表情を強張らせたが、
すぐにいつもの穏やかな笑みを浮かべ、
「これは、桔梗さん。どうなさいました? 貴女も、神にお祈りを捧げにいらしたのですか」
「ふふッ、それも悪くないねェ。だけど御神槌、今日はちょいと――」
桔梗は一旦そこで言葉を切り、
「あんたに話があってやってきたのさ」
と、一言、言外に意味を含ませて御神槌を見つめた。
鬼道衆同士の内密の話があるのだと合点した村人たちが二人に会釈をし、礼拝堂を出て行く。
残された御神槌の顔がはっきりと強張った。
「まったく、なんて顔してんだい。別にとって食ったりはしないよ――とは言えないけどねェ」
そういってくすくす笑う桔梗に、しかし御神槌は思いつめた表情のまま、
「桔梗さん。もう、このような行ないは――」
「なに言ってんだい。あんただって、口で言うほど嫌がっちゃいないんだろ?」
あとずさる御神槌を説教壇まで追い詰め、その首筋に指を這わせながら、桔梗は妖艶に微笑んだ。
ほんの少し、御神槌の喉が上下する。苦しげに目を伏せながら、それでも何とか彼は桔梗を
押し留めようとする。
「ですがッ、桔梗さん――貴女は、御屋形様のことを……ッ」
その言葉が彼の口から紡ぎ出されるやいなや、桔梗はその唇で彼のそれを塞いでいた。
舌と舌を絡め、吸い、粘膜をなぞり上げる。愕然と見開かれた彼の目が
自分に注がれているのを知りながら、ことさらゆっくりと口腔を犯してゆく。
御神槌の身体から緊張が去り、彼が負けを認めたことを知って、桔梗はやっと彼の唇を解放した。
「――いい男はね、そういう野暮は言わないもんさ」
「……ッ」
いいながら、自分の紅が御神槌の唇に移ってしまっているのを見て、少し微笑む。色の白い
御神槌にそれは映えて、まるで優しげな少女のようにも見えるのがおかしかった。
「――ねェ、御神槌? あんたが神に仕える身だってのはあたしも重々承知してるさ。
でも、あたしたちは鬼道衆――江戸の闇を駆ける鬼、江戸の陰に潜む獣さ。
獣には獣の、鬼には鬼のやり方ってもんがあるだろう」
「それは……詭弁です」
力なく呟く御神槌に、桔梗は更に笑みを含んで
「ふふッ――分かってるじゃないか。でもね御神槌、一つ覚えておおきよ。
たとえどれだけ正しい理屈だろうとね、それで人を動かせなきゃ、そんなものには
何の価値もないのさ。言ってみれば、詭弁も使いようということさね――」
右手で御神槌の帽子をそっと払い、頬を滑らせる。心もち、頬に添えた手で
支えるようにして再び唇を重ね、先程よりも甘く、濃く、舌と舌を絡ませあった。
空いた左手で彼の右手を己の乳房へと誘い、自分はというとそのまま手を下ろして御神槌の
その部分をやわやわと刺激する。それが手の中で熱さと硬さを増していくのを感じて、
桔梗はうっとりと目を閉じた。
口では脱がしづらい、と文句を言いながら、しかし馴れた手つきで留め具を外し
一枚一枚脱がせてゆく。脱がせながら色素の薄い肌に所々残る迫害の傷痕に一つ一つ唇をつけ、
薄桃色のしるしをつけて更に滑らせていく。そして彼を床に押し倒すと、自ら四つん這いになり、
彼自身をその口に含んだ。
「……ッ」
いつも声を押し殺す彼が、それでも感じているのを直接に知って満足する。丁寧に舐めあげ、
軽く吸い、歯を立てる。そうしながらも自ら着衣を乱して、蜜のあふれる入り口をその指で叩く。
それを少し掬って、もうほとんど立ち上がった蕾に塗りこめると、喉の奥から熱を帯びた吐息が
こぼれた。
互いに高まる快楽をより高めたくて、桔梗は御神槌を放すとそのままのしかかり、
軽く唇を触れ合わせたまま彼を自分の中に導いた。
「うんッ……あァ、いいよ――」
一息に根元まで差し込んで上体を起こすと、少しずつくねらすように腰を回し始めた。
ともに、呼吸も脈も限界に近いほど乱れている。ならばもっと乱れてもいいだろう――と、
靄のかかったような頭でふとそんなことを考えた。どうせ、自分たちは――自分は、
時代に迷い、どこかいかれてしまっているんだから、と。
その時、それまでなすがままだった御神槌が、急にびくりと身体を震わせた。
「あぁッ」
予想外の刺激に快感が急激に張り詰める。御神槌の胸に置いていた手が跳ね、彼の胸に三本の
赤い傷痕を残した。その痛みに驚いたのか、顔を仰け反らせた御神槌のその先には――
彼の十字架がかかっていた。
瞬間、世界が回った気がした。頭を打って、痛みというよりも驚きに開いた視界に
飛び込んできたのは天井と、鋭く射抜くような御神槌の瞳だった。何かを言おうと開いた
唇を捉えられ、乱暴にかき回される。咄嗟のことで混乱し、なす術もないままに思うまま
蹂躙される。湧き上がる快楽に翻弄されながら、ああ、そういえば御神槌は男だったんだな、
と、至極当たり前なことに今更気づく。
「あッ、やっ……はァッ……ふ……」
合わされた唇の隙間から漏れる喘ぎが甘さを増してゆく。それを見はからってか、御神槌が
強弱をつけて桔梗の白い喉をなぞって浮き出た鎖骨を甘噛みすると、桔梗の身体が大きく跳ねた。
いつの間にか柔肌に指跡が刻まれるほどの力で乳房を掴まれ揉みしだかれ、がむしゃらな勢いで
衝かれた。衝いて、衝かれるたびに否が応にも快感は高まり吐息が上ずっていく。
互いの肉が擦り合わされるぬめつく水音にも背を押されて、
「ああッ……あ…天戒様ッ――」
「―――――ッ………」
二人はほぼ同時に全身を張り詰め、弛緩させた。
下肢に残る痛みと全身を覆う気怠さに、桔梗はそのまま目を閉じてぐったりとしていた。
荒い呼吸が落ち着くまでそっと抱き締められて、疲労感に意識を手放す瞬間、自分の中から
彼が去っていくのを感じてなぜか名残惜しいような――、そんな気がした。
「――満たされたいのは、貴女なのでしょう」
多分、眠っていたのはほんのしばらくのことだったに違いない。低く囁くような御神槌の声が
耳に飛び込んでくる。咄嗟に寝た振りをして、そのまま聞き耳を立てる。まだ身体の芯には
情事の残り火が燃えるようで、意識のほうにも霞がかかったままだけれど。それでも、
目を閉じていても、分かる。おそらく御神槌は微笑んでいる。いつもと同じように優しげに、
そして多分切なげに。ややあって、御神槌は更に低く、たった一言、主よ――と呟くと
しばし言葉を切り、静かに礼拝堂から出ていった。
主のいなくなった礼拝堂で、桔梗はそっと身を起こした。着物の乱れは整えられ、知らぬ間に
黒い外套の上に寝かされていたことに気づく。それが、なおいっそう桔梗を不機嫌にさせた。
「大体あたしは、あんたがはじめから気に入らなかったんだ」
外套に目を落としたまま、抑えた声でぽつりと漏らしたのは、誰も知らない彼女の本音だった。
あの方が――天戒様があんたをあんなに案じていらして、あんたが負った傷のことで
あんなに心を痛めていらっしゃるから。だからあたしはあんたが嫌い。でもね――、
あたしはあんたが気に入らないが、それでもあんたの悲鳴を聞くたびに、その身体と
交わるたびに、あんたが救われればいいと、そう。ほんとに思っているんだよ。
だけど、あたしじゃあんたを救えない。こうしてあんたを食い潰していっちまう。
「――切支丹の神様、見てるかい?」
ふと顔を上げ、礼拝堂にかかる十字架を見上げて呟く。それは、村の皆の、あの方の、
御神槌自身の祈りが込められた十字架だった。
あんたを信じる男がここにいて、苦しんでいるんだ。あんた、あいつを救けておやりよ。
あいつがまた夢を見て、あんな悲鳴をあげないように――
「誰か、あいつを救ってやっとくれ――」
【了】