「ん、じゃあ待ってる。慌てて転んだりしないようにね」
某月某日、新宿、アルタ前、20:00ちょうど。
電話の向こうで抗議する声を笑って聞き流した青年…緋勇龍麻は、通話を終えて携帯を仕舞った。
予定時刻ぴったりに到着し、直後に鳴った今の電話で再設定された時間まではあと30分。
さてそれまでの時間潰しはどうしたものかと視線を巡らせた時、遊び慣れた風情の女子高生3人組
が声をかけてきた。
こういった後腐れも責任もない連中と遊ぶのは嫌いじゃないし、普段ならカラオケだのバーだの
ホテルだのと変わり映えのしない誘いにも乗る所だが、生憎これから待ち合わせ。
3人相手にゃ少なすぎ、ぼんやりするにゃ長すぎる…まさしく「帯に短し襷に長し」な自由時間へ
の折衷案として、せめて話し相手にでもなってもらおうと軽く話を合わせるうち、相手は何やら
すっかり龍麻の事を気に入ったらしくきゃいきゃいと楽しそうにはしゃぎだした。
自身では意識しないが、どうやら自分は木刀担いだ自称親友に「お前は悪徳セールスマンかタラシ
のホストが天職だぜ」と呆れ顔で言われる程度には話し上手で聞き上手らしい。
…ついでにちょっとスゴい床上手でもあるが、それはナイショ。遊び人の女子高生だろうが新婚
ほやほやの新妻だろうがセレブな有閑マダムだろうが海千山千プロフェッショナルな泡の姫だろう
が、その気になれば45秒で気を失うほどキモチヨクさせられる…なんてのは、素直な仲間達には
少々過激すぎる話題なのだ。
ごく一部で彼を知る者…妖艶な担任には「アナタの将来がとても心配だワ」と歯痛を堪えるよう
な顔をされ、敏腕ルポライターには「風俗関係のサポートお願いしようかしら」とため息混じり
に苦笑され、父の親友にして武術の師たるヒゲダンディには「弦麻は間違ってもそういう男では
なかったのだが」と苦虫10匹まとめて噛み潰した顔をされ、片割れである陰の龍には「龍麻のマ
は麻薬のマだね」などと無表情でイヤミを言われる(直後ヒゲダンディに叱責されていた)が、
どうでもいい余談である。
そんなこんなでそこそこ楽しいトークタイムもそろそろ終わり。
そう告げると3人組はあからさまに落胆したが、話し掛けてきた時とは明らかに違う…何処か
すっきりと澄んだ笑顔と軽い足取りで別れた。
彼女らとてモラルを失ったわけでもなければ悪意があるわけでもない。
忙しくも退屈な日々の中で、少しだけでも自分たちに耳を傾けてくれる相手が欲しいだけなのだ…。
…などと人様の事にばかり想いを馳せてもいられない。
ちらりと腕時計に目を走らせ、背後に向かって声をかけた。
「所要時間27分。 結構早かったね」
振り向きながら笑うと、そこには思ったとおりの少女の姿。
濃い目のサングラスをかけているため目元の表情は判らないが、緩くウェーブのかかった
長い髪や白い肌からは相当の美人…というより可愛らしさを感じさせる。
「楽しそうでしたね」
固い(作った)声音で言い捨てざまにサングラスを乱暴に(見えるように)外して、せい
いっぱいに「こわいかお」を演出しているつもりなのだろう…ぷっくりと膨らんだ頬は
風船のようと言うべきか仔リスのようだと言うべきか。
懸命にもその両方を飲み下し彼女の頭に手を載せて撫でるに留めると、「こわいかお」
はすぐに消失した。
ごまかしてますね、とまだちょっとだけ不満げに言いながら、彼女本来の表情が現れる。
ちょうど目の前の街頭ハイビジョンで笑顔を振りまくアイドルと同じ顔。
「収録なんですよ、あれ」
にっこり…巨大なブラウン管の中のそれとは少しだけ違う笑顔を浮かべて、「奇蹟の歌姫」
舞園さやかは楽しそうに嬉しそうに幸せそうに龍麻の腕に絡みついた。
意識しないまま喉の奥から上がる声を恥じるように片手を口に当てて抑えていたが、時間が
経つにつれそれも忘れ果て、次第に腰をくねらせ始める。
ほどなく激しいリズムで弾む身体に合わせてふんわりした髪がさらりと跳ね、「天使の歌声」
と評される美声が甘やかに切なげに、途切れ途切れの「音」となって零れる。
それを聴きながら、龍麻は「何が天使の歌声だ」と嘲笑う。
天使如きにこれほど淫らで醜く美しい旋律は紡げまい。神よりもたらされる福音など比べ物に
ならないほど心地良い、と思う。
龍麻の首に必死にしがみつき、少しでも自らの快感を引き上げるポイントを探ろうとバランス
良く成長した肢体を揺する様子に、ほんの僅かに悪戯心が湧いた龍麻はごく軽くそのポイント
をずらしてやる。
その瞬間、さやかは「ずぐん」と自分の身体を貫いた衝撃に脳が融けるような絶頂感を味わった。
あまりに強烈な快感を受けて見開かれた眼は焦点を失い、だらしなく開かれた口腔からは限界まで
突き出された舌が引き攣ったようにヒクヒクと震える。挙句の果てには涎が顎を伝い、反り返った
喉まで流れている有様…そんな痴呆じみた姿でさえ、さやかの愛らしさは損なわれる事がなかった。
むしろそれは龍麻にとって、肉欲や独占欲…そして食欲すら含むあらゆる欲望を加熱させる媚態で
しかない。
もはやひゅうひゅうと風の鳴るような呼吸音しか上がらぬその喉に噛みついてやりたい衝動を何とか
抑え、唾液の筋を遡るように舐め上げるに留める。
…しかし本能はとうに理性の管理下を遠く離れていたらしい。
ちょうど獣の身体に突き刺さった矢や槍が抜かれる際に周囲の肉を抉り裂くのと同じ原理で、さやか
を深く貫いていた棘はさらなる快楽を求め大きく震えて柔肉を掻き乱し、彼女の身体もまた快楽の元
を逃すまいときつく絡みつく。
自分の意識を離れた所で行われた獣の本能に思わず2人揃って言葉にならない無言の絶叫をあげた。
さやかは煮え滾るような熱にとうとう白目を向き、龍麻の方は貪欲に全てを絞り上げようと伸縮する
女の執念深さにゾクゾクとした喜びを感じていた。
時計の秒針が3周を終えた頃、ようやく忘我の淵から還って来たらしいさやかは無意識に手を伸ばし
龍麻の両手を握りしめ、龍麻もまた意識せずそれを握り返した。
龍麻が初めてさやかと寝たのは1ヶ月ほど前になる。
現代に生きる「女子高生」であり、煌びやかな世界に生きる「芸能人」であり、オマケに「恋人」まで
いたのだから、まさかそんな事はありえまい…という限りなく100%に近い龍麻の予想を裏切り、さやか
は完全無欠の処女だった。
セックスどころかキスひとつした事もないと告白された時は、何処の箱入りだと眩暈すら感じたものだ。
実際にはさやかの実家はごく普通の中流家庭で倫理観も一般常識範囲内であったため、これはさやか自身
の性格が影響しているのだろう。
それでも自らを慰める術だけは知っていたようで、未知の快感への探究心は…その、控えめに言っても
「旺盛」だったが。
「何ていうか…俗な事聞くけどさ」
そう前置きして、いくつかの事を聞いた事がある。芸能界で誘われた事はないのかとか、彼氏…霧島諸羽
とそういう空気になった事はなかったのか…等々。
別に手に入れた女の過去をアレコレと調べるつもりがあったのではなく、単に不思議だったから聞いただけ
…悪く言えば興味本位でしかない龍麻の心を察したのだろう、さやかは気を悪くした様子もなく話し出した。
「デビューした当時は結構そういう事も言われましたよ。『作曲家の○×先生に口を利いてあげるから』とか
『△□監督の最新映画に出演交渉してあげるから』とか、いろんな理由で食事とかデートに誘われて…その頃
はそういう芸能界の仕組みとか知らなくて、普通に「私は歌うのが好きなだけなんです」って全部断っちゃい
ましたけど」
はにかみながら「そのあとしばらく、事務所の人が結構いじめられたみたいでした」と苦笑する姿に、この子は
つくづく芸能人には向いてないと思ったものだ。
「事実は小説より奇なり、か」
呆れたようにため息をつく龍麻に、さやかは困ったような微笑を見せた。
「後で知ったんですけど…結構そういうのに引っ掛かって、ひどい事させられるアイドルの卵って多いみたいです」
「アイドル」とは「偶像」という意味だ。宗教家に崇拝される偶像と同じように、「認められたい」「騒がれたい」
「ちやほやされたい」と思う人間は多く、また若ければ若いほどその欲は強い。そういった若者の虚栄心をつついて
弄ぶ大人も少なくはなく…モラルの低下が嘆かれて久しい昨今だが、案外表面に出ないだけで大人が子供のそれを
歪めているだけなのかも知れない。
「霧島くんも…」
話の流れから、さやかのボディーガードを自称する霧島の話に移った事も、当然ある。
「私のことを普通に扱ってくれるけど…やっぱり何処かで特別扱いしてる所があるんです」
「素直でいい子なんだけど、無意識に『普通に扱ってあげなきゃ』って思ってるのが透けて
見えるんだよなぁ…素直すぎて嘘つけないっていうかさ」
子犬のような態度と仕草の後輩を思って苦笑する龍麻に、さやかは淋しげに微笑んだ。
「龍麻さんに…貴方に出逢うまでは、霧島くんのそういう所には気づきませんでした」
「たぶん諸羽自身も気づいてないと思うよ、ソレ」
それがまた困った所なんだけど、と再び苦笑い。
「…でも普通男の人って、他の男の人の話されるの嫌がるんじゃないですか?」
「へ〜ぇ、ずいぶんそういうの解るようになってきたね?」
「え、っと…その」
頬を赤らめる少女が可愛くて、ついつい言葉遊びに興じてしまう。
「ほらほら、お兄さんに白状しなさい。ニュースソースは?」
「あ…ん、雑誌とか…事務所の先輩とか。いろいろ…です」
「悪い子だなぁ」
自分が一番悪影響を与えていると知りながら、その時は軽く茶化してゴマカしたものだった。
そんな感じにまったりしながら時は流れて1ヶ月。
ようやく地獄のような快楽から落ち着いてベッドに座り直したさやかに、龍麻は呟くように言う。
「…こういう事を自分で言うのもなんだけどさ。 俺ってあんまり誠実な人間じゃないよ?」
「えぇ、知ってます」
にっこり笑顔で切り返されて、ちょっと呆然。
「私だって芸能人の端くれですもの、いろんな人を見てます。優しい人や怖い人、頭のいい人、
明るい人、悩んでる人。貴方は…嘘つきで悪い人です」
そこまで言って、龍麻の身体にきゅっ、と抱きつく。
「普段は優しくて、戦う時は凛々しいけど怖い。私の知らない事をいっぱい知っていて、皆が
いるところでは明るくて、誰も見ていないところで悩んで、そんな事をおくびにも出さずに
大事な人を騙して…」
「何にも知らない純情な女の子を弄ぶ悪いヤツ、ってか?」
「…そうやって悪い人ぶって、心を隠してる…淋しくって、悲し、い人…です」
胸元から響くのは、涙に震える声。
…この子は危険かもしれない。
一緒にいれば、こっちの知らないうちにどんどん心の奥深くまで勝手に入り込んでくる。
そして自分すら気づかない…気づきたくないモノに易々と触れてしまう。
何より怖いのは、それを心地良いと思っている…与えられる優しさに依存したいと思っている
自分自身。
この子がいなくなった時、自分はその喪失感に耐えられなくなる…そんな恐怖感。
「…もしかしたら、私は貴方に触れないほうがいいのかも知れません」
そんな龍麻の内心を読み取ったかのように、胸にしがみついたままのさやかは呟いた。
「さやか」
「でも離れません」
すぱっ、と顔を上げて涙に潤んだままの上目遣い。
敵を睨むようにも弟を叱るようにも見えるその眼差しは、いくら腕っ節を鍛えても敵わない剛さ
(つよさ)を宿していた。
「私は、貴方を癒したい。歌ででも、身体ででも、心ででも。私の全部で、貴方を愛したい。
迷惑だって言われたって、私は絶対離れません」
同時に、やっぱり自分はこの子が好きなんだなぁと再確認する。嬉しいような恥ずかしいよう
な…幸せな気分になって答える。
「うん。俺も離さない」
自分はきっと笑顔を浮かべていたはずなのに、さやかはちょっと眉をしかめて困ったような表情になった。
「…さやか?」
もしかして自分と彼女の間には何かコミュニケーションの失敗があったんだろうかという不安を乗せて
名前を呼ぶと、さやかは小さくため息をついた。
「貴方は自分でも気づかないうちに、そういう笑顔で人の心を掴んでしまうんですよ。 だから、私
としては不安だし不満だし不公平だって思うんです」
「??? 一体何がそんなに?」
「合う人みんなが貴方を好きになって、どんどん『私だけの貴方』じゃなくなるのが、です!」
「いや、心を掴むとか好きになるってんなら、さやかの歌の方が」
「貴方の笑顔は私の歌なんかよりずっと性質(たち)が悪いんです!」
…なんでこの子はこんなにストレスたまってるんだろう? もしかして仕事ツラいのか?
と見当違いな感想を抱きながらも、やっぱり言葉には出さずにいる賢明な龍麻だった。
☆ふぃん★