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「約束、してたよね」

八千穂明日香の笑みを含んだ声に、緊張して身体を強張らせる白岐幽花。
いつも憂いを含んだその表情に、今は脅えと困惑が加わっている。

夕暮れの校舎に満ちた深い黄金色の光を掻き分けるように歩を進める明日香。
「白岐サンを信じていないわけじゃないよ、ちゃんと私が言ったとおりにしてくれているか、抜き打ち検査みたいなもの。」

「八千穂さん………私は」

「もう、いつも言ってるでしょ、明日香って呼んでって」
幽花の声をさえぎった明日香は近づくと、そっと手を伸ばして華奢な肩に触れる。
その瞬間、幽花は懇願するような瞳で明日香を見る。

「こんなこと…もう、やめましょう?」

「こんなこと?ヒドいなぁ、私は白岐サン…ううん、幽花に喜んでほしいから頑張ってるのに」
拗ねたように口を尖らせる明日香は、当然本気で拗ねてはいない。
もう一方の手を伸ばすと、今度は後ろから幽花を抱きしめる形をとった。
幽花の狼狽は極限に達し、いつも蒼白と言えるほどの頬に朱がさす。

明日香は幽花の耳元に口を寄せると、大好きだよ、と呟いて腕を幽花の眼前に上げ、その手にあるものを見せる。
黒い、プラスチック製の長方形の箱のようなもの。
スイッチと摘みがついているそれは、何かのリモコンのようだった。
それを見た幽花の身体は微かに震えている。無論、寒さからではなく脅えから、困惑からであろう。
明日香はそれを知ると、たまらない優越感を覚え、支配欲が己の心を占めていくのを心地よく感じていた。


本当に、幽花を憎いわけではないのだ。


それどころか、明日香は心から幽花が好きで。それはもう、愛といってもいいくらいで。
初めて幽花を見たときから、明日香は幽花に魅入られた。
神秘的なその佇まいを目の当たりにするだけで、どうしようもなく胸が高鳴る。
彼女がこの学園に縛られている理由を知ったとき、解放してやりたいと切に願った。
その解放は、九龍の手で成されたことだったけれど、それでも嬉しかった。

幽花が解放された………ことを喜んだのではなく。
今度は、自分の愛し方で縛りつけることができるから…。

幽花は明日香の期待していた通り、戸惑いつつも急接近する自分を受け入れてくれた。
卒業までの残り少ない刻を惜しむように、二人は急激に親密になっていった。
一緒にお弁当を食べたり。
マミーズでゆっくりと話したり。
明日香の苦手な勉強を、幽花に教わったり。
明日香は頻繁に美術室に出入りするようになった。
はじめて、幽花を抱きしめたとき。
折れそうに細くて、華奢な身体からは、確かに人の温もりが伝わってきて、それは当たり前のことなのだけれど、
明日香は無性に嬉しくて、思わず幽花に頬擦りをしてしまった。
幽花は激しく動揺して、鼓動の高鳴りが伝わってくるほどだった。
でも、拒まずに、おずおずとぎこちなく明日香の背に手を回してくれたのだ。

「幽花って本当にキレイだよね」
明日香は後ろから幽花の首筋に顔をうずめ、微かな香りを胸いっぱいに吸い込む。
薄く薫る甘い幽花の香り…。
「私のこと…好き?」
何度もした、意地悪な質問をしてみる。
幽花は微かに眉根を寄せ、悲哀とわずかな劣情が入り混じった貌になる。
「好きよ…明日香さんのこと……本当に…大切に思っているわ。だからお願い……こんなことはやめて…。
私はこれからも…明日香さんから離れたりはしないから…」
これは幽花の本心だった。
もちろん明日香はそんなことはとっくにわかっている。
「嬉しいナ…」
幽花の首筋に啄ばむように、強く、跡が残るように吸う。
そのまま口唇を上らせ…。
「……や…ぁっ…」
幽花の消え入りそうな悲鳴と、胸に受ける軽い衝撃。
幽花が肘で押し返し、距離をとったのだ。
陽はさらに沈み、校舎は黄金色から昏いオレンジ色に変わっていた。
沈黙。
「……………帰るわ……」
白磁のごとき顔を俯けて紅い瞳を伏せ、幽花は黒髪を翻す。
「もう、しかたないなあ」
明日香は溜息をついて何の前触れもなく、その手にあったプラスチック小箱についているスイッチを入れた。
「………っ!!」
まるで感電したかのように硬化する幽花の肢体。
彼女を戒める鎖はなくなったけれど、今はこれが幽花を明日香に縛り付ける鎖。
フルフルと震える華奢な身体。
スカートから出た綺麗な肢が擦りあわされている。
「そのまま帰ったら大変だよ?」
笑みを含んだ声で揶揄する明日香。
耐え切れず、幽花はよろめいた。

カタンッ。
手近な机に反射的に手をついて身体を支える。

ウゥ…ヴ……ン……。

微かに空気を震わせる音。
自然界に存在しない、何かが煩げに駆動する音。
それは、たった今よろめいた、幽花から聞こえてきていた。
明日香はその音の正体を知っている。
だって。
「今日で五日目だよね、幽花」

「………っ!!」
幽花はその言葉に、閉じていた瞳を思わず開く。
目尻がわずかに潤んでいる。
五日間。
そう、明日香の言葉通り五日の間、明日香の「命令通り」にしていた。
それが、どれほどつらいことだったか…。
自覚できるのは、「その部分」にたった今も感じている圧迫感と異物感。
そして、下腹にわだかまる、重く張った感覚。

ゆっくりと明日香が近づく。
その様は、愛する人に近づく初々しさと、猛禽が獲物をいたぶる嗜虐とを矛盾のうちに内在させている。
事実明日香は、いじめればいじめるほど艶やかに開花する幽花がたまらなく愛しい。

「頑張ったね…」
労わるように囁きながら、明日香はその手を幽花の腹部に添える。
優しく撫でさすってやると、堪えきれず幽花の切れ長の目尻から涙の雫がこぼれ落ちた。
「…………………………………………お願い……………………」
長い沈黙のあと、幽花が発した言葉はそれだけだった。
それだけだったけれど、明日香には十分伝わった。
その言葉は、慎み深い幽花の最大限譲歩した言葉だったから。
この自分だからこそ、幽花は懇願したのだ。
明日香は、舌先を出して幽花の頬の涙をなぞるようにすくう。
塩辛い、けれど幽花の馨しい味がした。
「………………明日香さん、ここでは…………」
ためらう幽花に微笑みかけるため、明日香はそっと唇を放す。
「いいよ…。じゃ、行こう?」


太陽は完全に沈んだが、空はまだ紅い。
黄昏…化人が蠢きだす、逢魔刻。
寮の明日香の部屋は、真紅に染まっていた。
それを遮るようにカーテンをひき合わせ、お気に入りのスタンドの明かりをつける。
幽花はその薄暗い光を浴びて、早くも息を乱していた。
「じゃ………はじめよっか」
明日香はわざと軽い口調で、幽花にとっては実に重い一言を告げた。
一瞬、ひるんだ幽花は己を落ち着かせるために長く息を吐くと、震える指先を制服にかける。
明日香になら、すべてを見せてもいい。
その気持ちに嘘はないけれど、未だに極度の緊張に襲われることだけは変わらなかった。
赤いスカーフを解き、そっと床に落とす。
意を決して制服の戒めから身体を開放する。
痛々しいほどに白く、華奢な上半身にはかつての封印の鎖は跡形もない。
何度となく見てわかってはいるのだが、明日香はそれを確認するたび、嬉しくてならない。
その喜びは顔に出さず、ベッドに座った明日香は無残な一言を叩きつける。
「全部だよ」
幽花の手は一瞬ためらった後、そっと下着に手をかける。
そして、明日香の望み通りになった。