誕生

 闇に紛れてしまうのに、ふたりの膚の色は、ちょうどいい。
 サンタクロースは、ふたりには関係がなかったし、プレゼントを、心待ちにするような子どもでもなかったから、深夜を過ぎて、ようやくすべてが寝静まった頃、示し合わせて、足音を忍ばせて、こっそりと外へ抜け出す。
 空気の冷たさも、人工の皮膚には関係がなく、1枚1枚、服を脱ぎ捨てながら、海の方へ歩いてゆく。
 手を繋ぎ、主には、ピュンマに手を引かれて、ジェロニモはまだ、ほんの少しの戸惑いを消せないまま、ふたりで揃って、ぱしゃりと、海の水へ、爪先を差し込む。
 ここの海は、今は冬だ。
 夜を切り取ったように、海の表面も黒々と黒く、ふたりの膚よりもいっそう濃い闇色の中へ、人ならぬ身を、沈めてゆく。
 いくら、暖かな冬だとは言え、生身で入るには、少々冷たすぎるだろう水の中へ、ふたりは、手を繋ぎ合ったまま、深く深く泳ぎ出した。
 ------キミは、どこまで行けるんだろうね。
 知らない、わからないと、素っ気なく、脳の中へ聞こえた声へ、頭を振る。
 深海を含めた、水中活動用のサイボーグであるピュンマほどは、深く潜れないだろうとは思いながら、それでも、過去に潜ったことのある深さを思い出しながら、ピュンマの手には逆らわず、空気の泡や、魚たちや、その他の、様々な浮遊物の間をくぐり抜けて、まるで流れるように、底へ底へ向かって、ふたりで沈んでゆく。
 生身なら、全裸の体は、水圧に耐えられるはずはなく、けれど、そうではないからこそ、他の誰もいるはずのない、ふたりきりになれるこんな場所へ来ることができるのだという、皮肉な幸せに、ピュンマが軽く苦笑を見せた。
 人々が、世界のあちこちで騒めき始めた頃、雪が降って、何もかもを、うっすらと白く染めた。滑って危ないからと、大した量ではなかったけれど、積もった雪をどけ、その後にもう一度、うっすらと雪が降った後、奇妙にあたたかな日が続き、雨が降って、雪は全部溶けてしまった。
 せっかく雪をかいたのにと、ジェットが唇をとがらして、暖かさに、みなで肩をすくめ、フランソワーズは、イワンに、雪を降らせることはできないものかと、本気で相談したげに見えた。
 クリスマスは、ふたりにはあまり関係がない。
 宗教がらみの祝日でもなければ、ただ、みなで集まって、プレゼントを交換して、パーティーを楽しむ機会であるというだけのことだったけれど、グレートのように、泥酔する楽しみは知らないし、張大人の料理はもちろん楽しみだったとして、ジョーがフランソワーズと一緒にはしゃぐほど、夢中にはなれるわけもない。
 かと言って、ハインリヒのように、下らないなとポーズを取るほどシニカルになりたいわけでもなく、ふたりはただ、皆で集まる機会だという、ただそれだけのこととして、はしゃぎすぎず、皮肉な態度も取らずに、おとなしくその場へ参加するつもりでいた。
 口には出さずに、けれどふたりにとって、クリスマスには別の意味があって、それを特には口にもしないのは---憶えてさえ、いないように見える---ジェロニモの性格ゆえだったし、大げさにしたくないのは、ピュンマの、自分は---ジェロニモにとって---特別だという、自負ゆえだった。
 だから、ふたりきりで。ふたりだけで。他の誰も、いないところへ。
 深夜を過ぎて、日付が変わったら。
 服を脱いで、生まれた時のように、生まれた時を、思い出しに。
 すべての始まりだった、海の中へ。
 命の始まりを、ふたりで一緒に、感じるために。
 今だけは、改造によって強化された体に、感謝する。水圧に耐え、海中の闇の中でも、見える目と、そして何より、ひとりではないのだという、かすかな安堵に、ピュンマが振り返って、ジェロニモに笑いかける。
 ------大丈夫?
 黙って、大きな首がうなずいた。
 どこら辺りがジェロニモの限界なのか、ふたりにはわからなかったので、ピュンマは、空気の泡がまったく見えなくなった辺りで潜るのをやめ、水の中で、まだ手を繋いだままで、ふたりは肩を並べて見つめ合った。
 水面よりももっと、海の中は暗く、黒く、冷たさは、背骨を凍らせてしまうようにも思えた。
 呼吸をする必要はなく、ほんとうに、しんとした空間の、その重圧は、どこか荘厳でさえある。
 水の圧力と、闇の圧力と、静けさの圧力と、そこにふたりは、一緒にいた。
 ピュンマは、知らずに、握った手に力を込め、その手を、ジェロニモが、何も言わずに握り返してくる。
 ------もっと深く潜れば、雪が降ってるのが見れるのに。
 苦笑を混ぜて、残念そうに、言ってみた。
 ジェロニモは、それには何も言わず、海の闇に比べれば、色の薄い膚の口元を、ほんの少しだけ、持ち上げて見せる。
 ピュンマの両腕が、首に絡みついてきた。
 胸に引き寄せられ、抱きしめられ、自分の半分ほどしかないその背に、ジェロニモは、また黙ったままで、太い両腕を回した。
 抱き合って、漂いながら、ふたりは一緒に、ただ無言のまま、互いの心臓の音を聞いている。それだけが、今はこの世界の音だった。
 海の水の中は、母親の腹の中に似ている。
 体を丸め、そこで眠っていた、1年あまりの時間の記憶を、ジェロニモは、ピュンマにはわからないようにたぐり寄せながら、あの時もこうして、人の肌の暖かさに包まれ、そして、血の流れる音と、心臓の音を、子守唄のように聞いていたのだと思い出す。
 それはもう、遠い遠い記憶ではあったけれど、自分が生まれた日だという、今日というこの日に、海の中で、愛しい人の腕の中で、また生まれるのだと思った。
 腕がゆるみ、頬に両手を添えて、ピュンマがジェロニモの顔を持ち上げた。
 うれしいというよりも、どこか切なさをたたえた表情で、ピュンマの唇が動いた。
 誕生日、おめでとう。
 ジェロニモは、かすかに、それにうなずいて見せた。
 掌を重ねると、いつものように、からだの奥底が、ゆっくりと熱くなってくる。
 誰にはばかることもない、無人の海の中で、膚とからだを重ねて抱き合って、ピュンマの唇が、ゆっくりと近づいてくる。
 吐き出した、呼吸の泡の向こう側で、また、ピュンマの唇が動いた。
 生まれて来てくれて、ありがとう。
 うっすらと驚きを浮かべた唇に、桃色の、厚い唇が重なってくる。
 礼のための言葉は、唇の間を行き交う酸素の泡にまぎれてしまった。
 ピュンマの、長い腕に抱き寄せられ、ジェロニモは、知らずに手足を丸めていた。まるで、母親の腹の中に戻ってしまったかのように、目を閉じて、心臓の音を聞いて、どうしてか、守られているのだと、痛烈に思った。
 海の水のように、絡みついてくる、ピュンマの手足と、なめらかな黒い膚に、すべてを包み込まれながら、ジェロニモはもう、何も言わず、何も考えず、ただ、空気のない闇の濃い世界の中で、新たに生み出されるのだという感覚だけに、身内を貫かれていた。

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