餃子
ギルモア邸で、みんなが食べられるようにと、張大人が、また餃子を大量に作ると言い出した。
材料の買い出しに声を掛けられたものの、みな一様にうへえと肩をすくめて、
「用がある。」
と逃げ出す。
材料の質にこだわる張大人に付き合うと、1時間ですむ買い物が、数時間になることが常だったので。
それだけではなくて、もちろん大量の買い物を抱えて、延々張大人後ろを歩き続ける羽目になる。
いまだやわらぐことのない中国訛りの、声高のおしゃべりは、店の人間とのやり取りの間にはいっそう激しさを増す。料理に対するこだわりゆえに、妥協も容赦もないそのやり取りは、時には気恥ずかしい事態すら招きかねず、それに付き合うには、まだ年若い---ように、少なくとも見える---ジョーやジェットには、社会経験が足らない。
荷物持ちとして、どんな時にも表情を変えないジェロニモは、まるでボディーガードのように、黙って張大人の傍に付き従っている。
張大人が、どれほど材料の吟味に時間をかけようと、わざわざ取らせた品を、また高い棚の上に戻させようと、文句ひとつ言わずに付き合っている。
自分でする買い物には、さほど時間をかけることはしない。
必要なものを必要なだけ手に取って、他に目を移すこともせず、まっすぐに店を出て、家へ---ギルモア邸へ戻る。
だから、口にはしないけれど、張大人との長い買い物は、実のところジェロニモにとっては楽しみでもあった。
普段は決して手には取らない、知ることさえない品の名前を覚え、それが一体何なのか、張大人が事細かに説明するのに耳を傾け、なるほどと、小さく納得して先へ進む。
背の低い張大人の、手の届かない棚の品を取るのさえ楽しかった。
「アレ、アレ取るアルね!」
頭上を指差す張大人の、その指先の方向を見定めて、
「これか?」
たいていは、ジェロニモには目線ですらないその棚の品を取り上げて、はるか下にいる張大人に手渡す。
下の方の棚は、張大人に任せておけばよかったし、普段は滅多と覗くこともない下方に置いてある品に、張大人が手を伸ばせば、傍から、なんだそれはと、覗き込めばよかった。
料理をしている時、買い物をしている時、張大人は、どんな時よりも生き生きしているように見える。
肉や魚の鮮度を調べながら、細い目をいっそう細め、野菜の匂いを確かめている張大人の横顔の真剣さは、戦場での、緊張に満ちた口元よりも、ずっとずっと長く眺めていたいものだった。
これは、つまりは平和さの証拠なのだと、あれこれと選んでいる張大人の、丸い背中を眺めて思う。
餃子の材料の他にも、あれこれと買い込んで、けれど少し変だなと、ジェロニモは、野菜や肉や調味料でいっぱいになったカートを覗き込む。
買ったものが、すべて餃子になるわけではないとしても、具の量に比べて、餃子の皮が少ないように思える。
買い置きの皮はなかったはずだがと、出掛ける前に覗いて来た冷凍庫の中身を思い出して、ジェロニモは無言のまま眉の端を少し上げた。
これから買い足すのだろうかと思っていたら、張大人は、そのままレジへ向かってゆく。
そんなはずはないだろうけれど、気づいていないのかもしれないと思って、万が一と、その背中に声を掛けた。
「皮、少ない。これ、足りない。」
カートの中を指差しながらそう言うと、レジの行列に加わりながら、張大人が肩をくるりと振って振り向いた。
「それでいいアルね。ジェロニモの分は、おっきい皮作るアルよ。」
肩をすくめて微笑む張大人に、けれどジェロニモは、いつもの無表情で応えることにした。
「包むのに、普通の皮、小さすぎるアル、だから、大きいの作るアル。」
なるほど、この手に合わせてくれるわけか。ついでに、食欲にも。
また、くるりとあちらを向いてしまった張大人の背中と、自分の、上向けた掌を交互に見る。
ということは、もちろん包むのも手伝えと、そういうわけだ。もちろん、最初から、そのつもりではあるけれど。
くすんと、ひとりで笑った。
「だったら、イワン、小さいの作る。」
冗談のつもりで、笑顔のまま、不意に思いついたことを言ってみた。
張大人は、少し困ったような顔で、肩から横顔だけで振り返る。
「イワン、早く大きくなるネ、そしたらワテの料理食べられるネ。歯が生えたら、イワン用の小さい餃子作るネ!」
それが、一体いつのことかはわからないけれど、その時もきっと、こうしてふたりで買い物に来て、一緒に餃子を作るのだろう。キッチンで、並ばない肩を並べて。
もう一度、自分の掌を見下ろして、自分が作った料理を、いつか張大人にご馳走しようと、こっそりと思った。
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