愛憎


 裏庭に出て、夜空を見上げていた。
 少し肌寒い夜で、食事の後の暖まった体を、外に運んで冷ましながら、ジョーは、星の数を、いい加減に数えていた。
 14、15と数えてから、ふと、永遠に止まってしまった、自分の時間のことを思い、それからふと、昔のことを思い出す。
 愛するということは、あの頃、憎むということだった。
 好きだと、思えば思うほど、憎しみがつのる。
 好きだからこそ、殺してしまいたいと、思う。
 それは、殺してしまえば、永遠に自分のものになるという、そんな独占欲ではなく、生きていても、良いことがあると限らないなら、今、幸せなまま、訪れるだろう苦しみから、相手を解放したいという、今思えば、滑稽なほど傲慢な気持ちからだった。
 雨の降る夜、地面に深く穴を掘り、そこに、愛する人の、体を横たえる。時間は止まり、苦しみは終わる。永遠の静寂を、相手に与えることができたのだという、安堵。そんなものを夢想しては、かすかに震える両の掌を、何度も、飽かず眺めた。
 子どもと大人の境界線にいる、まだ、人になりきれてはいないからこそ思いつける、荒唐無稽な想像ではあった。
 それでも、愛するからこそ、殺してしまいたいと、そう思った、あの想いの深さは、稚なさゆえにこそ、ほんものだったのだと、今も思う。
 愛することが、相手の、究極の幸せを願うことなら、確実に、苦しみの訪れる未来を、そこで終わらせてしまうことは、相手への、限りない優しさの、証しのように思えた。
 愛するからこそ殺したいと、そう口にした時、怯えに口元を歪めた、自分に優しかった、年上の少女のことを思い出す。
 理解されない感情なのだと、どうしても理解できず、自分の中では、すんなりと納得できる感情の方向が、口に出せば、ただの、憎しみの衝動なのだとしか受け止められないことに、ジョーはひどく傷ついた。
 好きだから、だから、苦しませたくはないから、だから、終わらせてしまおう。
 気味悪そうに、自分を見つめた、少女の瞳の色は、どこまでも濃い、凄まじいほどきれいな、茶色だった。
 人は、変わってゆく。恋に落ちた瞬間は、時間の流れとともに、色褪せ、その先に待っているのは、失望と傷心に違いなかった。
 だからこそ、その人の、いちばん美しいと思った瞬間を、永遠にとどめてしまいたかった。
 失望も傷心もない、永遠の向こう側に、美しいままで、たたずんでいてほしかった。
 それを、相手の幸せなのだと、あの頃、ジョーは信じていた。何の、疑いも、なく。
 今、死を越えて、時間の流れの外にいる、サイボーグである、自分のことを思う。
 死によって、永遠を与えようとした自分が、今、死に見捨てられ、永遠の中にいることの、皮肉を思う。
 死とは、孤独を終わらせるものなのだと、今ならわかる。
 孤独から逃れたかった自分が、相手を、孤独から解放することが、愛情の証しなのだと、意識もせずに思っていたからこそ、相手に死を与えたいと、そう思ったのだと、今ならわかる。
 愛とは、憎しみではない。
 少なくとも今は、愛するゆえに、誰かを殺したいとは、決して思わない。
 愛とは、孤独をわかち合うことであり、孤独に、ともに耐えることだった。
 「ジョー、お茶が入ったわ。」
 裏庭に通じるドアから、体半分だけ滑り出して、フランソワーズが呼んだ。
 物思いから、浮き上がるように、その声に引き上げられ、ジョーは、ゆっくりと、声の方へ振り向いた。
 蜜色の、柔らかな光を放つ髪と、青い瞳が、自分を見ていた。
 何か言いたげに、自分を見つめるジョーを、フランソワーズが、不思議そうに見返す。
 小首をかしげ、形のいい唇の端を、軽く持ち上げる。
 「どうしかしたの?」
 その問いが、いかに無邪気か、フランソワーズは、決して知らない。
 人の心を、開かずにはおかない、その青い色の瞳の中に、吸い込まれそうになりながら、目を細め、ジョーは、はかなげに---そんな笑みだとは、知らない---、フランソワーズに微笑みを返した。
 「いや、何でもないんだ。」
 自分と同様に、理不尽の永遠に、閉じ込められてしまった、愛する人の姿を、ジョーは、視界におさめて、また笑う。
 愛とは、憎しみではないのだと、もう一度思った。
 夜空を振り仰ぎ、星の瞬きに、一瞬視線を止め、それから、フランソワーズの背中を追った。


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