映画


 "ニキータ"というその映画は、フランソワーズが、パリで手に入れたものなのか、字幕も吹き替えもない、フランス語そのままのものだった。
 「ジェットは、英語じゃないといやがるし、グレートとハインリヒは、フランスものの絵空事はいやみたいだし。」
 「英語で吹き替えなら、アメリカでリメイクされてたしね。」
 ピュンマが、ソファの端に肘を立て、その上にあごを乗せて、テレビの画面の方へ、少しだけ乗り出しながら言った。口調に、少しばかり、揶揄するような響きがある。
 「あれは・・・リメイクだなんて、言ってほしくないわ。」
 フランが、形のいい唇を、少しとがらせて言う。
 ジェットとジョーが持ち込んだビデオが、そのリメイク版だったのだけれど、フランソワーズは、ふたりに敬意を表して最後まで付き合い、それからにっこりとジョーに、
 「ふたりきりで見てね。あれをアタシに見ろなんて、もう絶対に言わないでね。」
と宣言した。ジョーとジェットは、その笑顔に震え上がって、ビデオは、それきりどこかに、フランソワーズの目に絶対に触れない---もちろん、不可能は承知で---ところに、きっちり隠されたらしかった。
 「どうしてああ、アメリカが作り直すと、ああいう風になるんだろう。"赤ちゃんに乾杯"もそうだったね。」
 もう、何度も見た映画だから、台詞が流れるのにも構わず、ピュンマが話し続ける。
 「"Three Men & Baby"のこと? アタシ、あれが、あの映画のリメイクだなんて、アナタに言われるまで、気づかなかったわ、ピュンマ。」
 3人分のお茶を運んで来てくれたジェロニモが、こっそりと、フランソワーズの斜め後ろで肩をすくめる。それを視界の端に引っ掛けて、ピュンマが、くすりと笑いをもらした。
 ソファに坐っている、フランソワーズの肩越しに、ミルクで煮出した紅茶の、大きなカップを手渡して、ピュンマにも、同じものを渡し、ジェロニモは、ソファの前のコーヒーテーブルに、クッキーを乗せた皿を置いて、それから、ふたりの視界を遮らない位置で、床に腰を下ろす。その手にも、大きなマグカップがあった。
 熱いミルクの甘い匂いは、殺伐とした画面にはあまり似つかわしくなく、殺人や死刑や、そんな言葉の飛び交う画面に、それでも3人は、また、飽きもせずに引きつけられる。
 ピュンマが、クッキーに手を伸ばした。
 フランソワーズが作ったものと違い、表面のざらざらとした、いかにも素朴な見た目のそれは、昼間、ジェロニモが、自分で焼いたものだった。
 囚われた若い女は、命と、新しい身分とを引き換えに、政府お抱えの暗殺者として教育される。
 この映画を、フランソワーズが痛ましげな視線で眺めるのがなぜなのか、わざわざ言われなくても、一目瞭然だった。
 フランス語の映画であること以前に、ジェットやハインリヒ、グレートが、この映画をあまり好まないのも、おそらく同じ理由からだろうとフランソワーズは知っている。
 あえて口には出さずに、フランソワーズが、自虐的に、この映画を繰り返し見るのに付き合えるのが、フランス語のわかる、膚の色の違う男たちだと言うのは、ひどい皮肉ではあった。
 ピュンマが、時には、フランソワーズよりもきれいなフランス語を使うのは、アフリカという土地の歴史を見れば、少し胸を痛めながらも納得できることなのだけれど、ジェロニモがフランス語がわかるというのは、そう言われるまで、フランソワーズはまったく知らなかった。
 ピュンマが、たいていの言語を流暢に使うその隣りで、不自由そうに英語をしゃべり---わざと、訛りを直そうとしないのだと、今は知っている---、どこの訛りかよくわからないイントネーションで、フランス語を使う。
 そうして、外の文化に触れ---侵略と言う名であることが、しばしばではあったとしても---、生き延びてきた証拠なのだと、それを、彼らの膚の色の上に見る。
 ジェロニモのいれてくれた、熱い紅茶をそっとすすって、ちらりと、隣りのピュンマを見た。
 黒よりは、少なくともすばらしい色だと思って・・・。
 そう言ったギルモア博士の、罪悪感に満ちた横顔を思い出す。
 銀色の鱗に覆われた体を見て、少なくとも笑顔で、ギルモア博士に礼を言えたピュンマの強さを、フランソワーズは、うらやましいと思う。
 戦闘用に改造されながら、積極的には、決して前線で闘うことをしないジェロニモの、その堅固な意志を、フランソワーズは、うらやましいと思う。
 暗殺者となった女は、恋人との旅先で、暗殺を遂行させられる。泣きながら、銃を構え、狙いを定め、自分の命と、恋人の命を永らえるために、人を殺すために、引き金を引く。
 彼女の恋人の、どこか気弱そうな、常に何かを失うことを恐れているような、そのくせ、心の底を見透かすような視線は、ジョーのそれと、よく似ている。
 フランソワーズは、膝の上に、マグを持った手を置いて、そこに視線を落とした。
 ジェロニモが、ちらりと肩越しに、フランソワーズの方を見た。
 「今度、"地下鉄のザジ"を探して来よう。」
 ピュンマが言った。
 「"グラン・ブルー"。」
 ぼそりと、ジェロニモが言う。
 「ああ、泳ぎたくなるあれか。」
 おかしそうに、ピュンマが言った。
 「"ゴッド・ファーザー"を、1から全部見るってのも良さそうだ。あれならジェットもハインリヒも、グレートも喜ぶよ。」
 ジェロニモが、今度はピュンマの方を見る。
 ピュンマが、なんだと言うようにあごを引くと、フランソワーズが、ジェロニモの代わりに言った。
 「馬の首なんて、いやだわ。」
 「映画を、そういう好き嫌いで見るのは、どうかとボクは思うよ。」
 真面目くさった口調で、そう返したピュンマに、フランソワーズがむきになって、また唇をとがらせる。
 そんなふたりを眺めてから、ジェロニモがまた、顔の位置を正面に戻す。
 「ジェットが喜びそうな映画なら、もっと他にもあると思うわ。」
 「ジェットが喜んでも、ハインリヒがいやがるのなら、たくさんあるけどね。」
 少々本格的に、言い争いになり始めたふたりに、背中を向けたままで、ジェロニモがまた、ぼそりと言葉を投げる。
 「"となりのトトロ"。」
 ふたりとも、一瞬で言葉を切り、動かないジェロニモの、大きな背中を見つめて、それから、弾けるように笑い出した。
 映画の最中に、涙を浮かべていたジェットをバカにしながら、その後で、ふうっと、切なげにため息をついていたハインリヒを、思い出していたのは、3人一緒だった。
 画面には、タイトルロールが流れ始めていた。


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