傷跡 (85)



 自分よりも、はるかに、細くて頼りなげに見える体は、皮膚の上に、無数の傷を残している。
 自分の体の傷跡を、数えたことはなかったけれど、互いに、何度か両腕を伸ばし合った後で、たわむれにそれを始めたのは、彼の方だった。
 傷跡は、引きつれた皮膚が、奇妙につややかに光り、深くえぐれていなければ、膚に刻んだ、飾りのようにさえ見える。
 ふたりとも、膚を刻んで色を流し込む風習のある場所から来ていたから、そんな想像も、あながち的外れではなかった。
 けれどジェロニモは、顔と頭以外の場所には、傷跡しかなく、ピュンマは、内戦だらけの生活で、自分の生まれた土地の風習を学ぶよりも、銃を手にする方が早かったと言う。
 そんなことを、見上げた空の色の話でもするように、いつもの、優しげな笑顔で、ピュンマがぽつりぽつりと語るのを聞くたび、祖国を奪われたとは言え、少なくとも、人を傷つけることが日常ではなかった自分の日々が、ひどく平穏なものだったのだと思い知る。
 争うことは、好きではない。傷つけられれば、死なないですむ程度に、おとなしく傷つけられた。
 卑怯者と罵られたこともあれば、弱虫と、なじった仲間もいる。それでも、自分たちが、身も心も傷つけられたようには、もう誰も、傷つけたくはなかった。
 そんなジェロニモとは逆に、ピュンマは、守るために、争うことと、それによって誰かを傷つけることを、ためらわない。守るために、しなければならないことがある。
 自分よりも、はるかに小さな体に、自分よりもたくさんの傷跡を抱えるピュンマを見て、ジェロニモはまれに、深く頭を垂れることがある。
 後悔ではない。羞恥でもない。ただ、そうやって、頭を高く上げ、理想のための犠牲をためらわない、彼の意志の強さに、敬意を示すために、こっそりと膝を折る。
 人を傷つけることに、同意はしない。卑怯だと罵られても、自分の役目は、闘いの中で、争うことではないのだと、ジェロニモは知っている。
 力を使い、攻撃によって、守るピュンマの後ろで、ジェロニモは、守るために立ち上がり、そして、出来るなら、相手が戦意を失うことを祈る。傷つけ合うことの愚かさに、目覚めてくれることを、祈る。
 ピュンマの、左肩の近くにある、まるで開いた花のようにも見える、銃で撃たれた痕に、そっと指を乗せる。深くえぐれたその痕は、肩の後ろに抜け、似たような痕を、そこにも残している。後ろの傷跡は、もっと大きく、深かった。
 ふっと、ピュンマが、上目に薄く笑う。
 胸に、ピュンマの手が伸びてきて、みぞおちを滑り、厚い腰に下りた。きわどく指が触れて、そこにある傷跡をなぞる。
 服を脱がなければ、決して見えない位置にある、その細長い傷に、ピュンマが唇を寄せる。
 昔、ナイフで刺された傷だった。していたベルトのおかげで、大して深くはならなかったけれど、自分で引き抜いた、突き刺さって、血に濡れていた---ほんものの、熱い、赤い血---ナイフの感触を覚えている。
 ピュンマの、ざらついた舌が、その傷跡を舐めて、まるでそうやって、傷を癒そうとするかのように、そうすれば、傷跡が消えてしまうとでも言うように、その舌の動きを下目に盗み見て、ふと、頬が熱くなる。
 傷跡だらけの皮膚を、こすり合わせる。その皮膚も、その下に流れる血も、もう、ほんものではないけれど、もっと奥深くにある魂は、昔と変わらないほど、ほんものだと思えた。
 生身のままを、忠実に再現した、今は人ではない体に、これ以上傷跡が増えることはないけれど、出会う以前の互いを知る手がかりになる傷跡を、ひとつびとつ一緒に数えて、薄く苦笑いをもらす。
 魂に残る傷跡は見えない。目に見えるのは、皮膚に刻まれた傷跡だけだった。だから、魂を触れ合わせるために、こうやって、両腕を開いて、互いの奥深くを探り合う。
 傷だらけの、今は生身ですらなく、それでも、誰かが自分に手を差し伸べてくれる。
 違う形で、けれど似たような理由で、傷ついてきた、ふたりだったから。
 胸を重ねるように抱き合って、ピュンマの背中の傷を、指先で探ると、ピュンマの、きれいに並んだ白い歯列が、首筋に咬みついてくる。
 どんなにきつく歯を立てても、今は跡さえ残さない人工の皮膚を、ピュンマの舌が舐める。
 何もかもをにせものにされて、体中に散らばる傷跡も、決してほんものではなかったけれど、それが表す過去は、魂と同じほどほんものであり続ける。
 触れる傷跡から、ピュンマの、黒い膚の下に潜む、永遠に輝き続ける魂の形を見極めるために、ジェロニモはそっと目を閉じた。


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