The Super Baby (1)
ゆるやかな時の流れの中に閉じ込められていると自覚するのは、決まって目覚めた時だった。
15日間という、短くはない時間を眠りの中で過ごし、目覚めて、変わらない仲間たちの顔を認めて、口には出さずに、ほっとする。
また、目覚めることができた。
脳改造によってもたらされた超能力を、使いすぎて眠ってしまう時はともかくも、ごく普通の周期で、眠りの時間に入ってしまうたび、イワンは、眠りに落ちる一瞬前に、いつも恐怖にかられる。
目覚めないかもしれない。
まぶたを、それ以上持ち上げていることができず、ゆらゆらと揺れる視界と、同じほどぼんやりしてゆく意識の中、誰もがそうなのか、それともそれは、特殊な存在であるイワンだけのことなのか、覚醒と眠りのちょうど切り替わる瞬間を、ああここだと、見極める時が、まれにある。
今、自分は眠りに落ちる、落ちたのだと、それは一瞬ですらない、短い瞬間の自覚だった。
眠りの中のことは、ほとんど覚えてはいない。それはおそらく、覚えてなどいない方が良いことなのだろう。根拠はなく、イワンはそう思う。
1ヶ月を、普通の人間の1日として過ごし、永遠に近く赤ん坊の姿のままで、けれど内側には、幾層にも降り積もった心の澱が、尋常では考えられないだろう厚さに、達しているような気がする。
自分が人とは違うのだと、おそらく、人間ですらないのだと、何の感慨もなく受け入れて、だから何が変わるわけではなく、赤ん坊のふりをしている限り、仲間さえ身近にいる限り、特に不都合はない。
けれど眠りの中で、イワンは孤独だった。
孤独を、孤独として自覚できる機会を与えられたことすらなく、イワンが識っているのは、孤独という字面と、その言葉を口にする時の、仲間の、どこか沈痛な表情や、自嘲の口調だけだった。
イワンにとって孤独とは、文字通り、ひとりきりで在ることであったけれど、そこに、淋しいとか、悲しいとか、だから誰かといたいとか、そんな諸々の感情がともなうことは、ほとんどなかった。
強いて言えば、誰がミルクをあたためて飲ませてくれるのだろうか、とか、濡れたおしめが気持ち悪いとか、天気の良い日には外に出たいとか、そんな欲求や要求を満たしてくれる誰か---主にはフランソワーズ---が、傍にいない時に感じる不安を、孤独と結びつけかけることはあった。
実のところ、あえて口にしないだけで、何もかも、超能力によって自分ですることは可能だけれど、これ以上可愛げのない赤ん坊になれば、仲間がイワンに対して抱くのは、ただの恐怖になってしまう。
だから、無力な赤ん坊のままでいる、というふりを、イワンは選択する。
そして、15日間の眠りの中で、確かにイワンは、無力な赤ん坊だったので。
父親はおそらく、自分の息子であるイワンに、素晴らしい人生を与えてやったのだと、そう思っているのだろう。
選ばれた存在、特殊な存在、他の誰も持ち得ない力を与えられ、誰の為すことのできないことを、やってのけられる、素晴らしいワシの息子。そして、そうできた、素晴らしい科学者であるワシ。
ふうん、とイワンはおしゃぶりを動かした。
与えられ、そして、与えられる前に、奪われてしまったのだと、天井を見上げて思う。そこに、怒りも悲しみも、憤りもない。ただ、そうだと、思うだけのことだ。
それでも、少なくとも、あの父親は、イワンに、ずっと傍で抱いていてくれる腕を、残してくれる結果にはなった。
永遠に続くだろうイワンの時間と、足並みを揃えられる仲間を、確かに残してはくれた。
泣けば、心配してくれる、むずがれば、あやしてくれる、血の繋がらない仲間たちは、けれどそれぞれが、イワンにとっては、父親であり、母親であるようだった。
イワンが、父親と母親という概念しか、理解していないという皮肉は、あえて言及しないこととして。
永遠に続くと言うのは、ほんとうだろうかと、自分の、ひどくゆるやかな時の流れのことを思うたび、イワンは考える。
赤ん坊のままの自分の姿の中の、信じられないほど老いてしまっている精神を、考える。
人の成長するその形を、イワンは知らない。子どもが、身も心も大人になってゆく過程を、イワンは知ることができない。
イワンは、子どもでもなく大人でもなく、ただ、イワンでしかなかったから。
眠りに落ちながら、もしかすると、今度こそ目覚めないかもしれないと、ふと思う。
必ず目覚めると、どうして、誰に言えるのだろう。
眠りはすなわち、死の疑似体験だとすれば、それがそのまま、ほんものの死に結びつかないと、どうして言えるだろう。
そしてそれは、恐怖を呼ぶ。
眠りたくない。目覚めないかもしれないから。眠りたくない。それは死の前兆かもしれないから。眠りたくない。ひとりきりで死に連れ去られるかもしれないから。
死を、恐れるというよりも、決して理解できないものとして、それはイワンの神経を逆撫でする。
死は、あまりにも身近にありすぎて、そして、常に遠くにあるものだったから。
死とは何なのか。生命活動を停止するだけのことなら、なぜ人はそれを恐れ、その最後の時を、一瞬でも先へ引き伸ばそうと、見苦しくあがくのか。
それはおそらく、愛する人と、引き裂かれることへの、恐怖と悲しみなのだろうと、イワンは理解する。
イワンが引きずり込まれる眠りの中へ、同じように人も死の中へひきずり込まれるのだろうか。たったひとりで。
眠りは、いつか覚める。けれど、死は覚めない。闇の中へ、閉じ込められたきりだ。
眠りの闇から、死の闇へ、それはいやだと、イワンは思う。
死が恐ろしいわけではなく、ただ、目覚めのない永遠に、耐えられそうにはない。
目を開いて、音と光を浴びて、
「イワン、ねぼすけ王子さま。」
フワンソワーズがにこやかにからかう声を、うっとりと楽しんでいたい。
「目が覚めたのかい。」
ジョーの腕に抱き取られる。
「大事な時には、いつも寝てやがって。」
ジェットが、頬をつつく。
「おいおい、泣かせるなよ。」
そんなジェットを、ハインリヒがたしなめる。
あたためたミルクを、ジェロニモが運んでくる。
「ワガハイの子守歌でもって、我らがスーパーベイビーに、安らかな眠りを。」
素顔で百面相をしながら、グレートがのぞき込む。
「寝てばっかり、目が溶けるネ。外でお日さま浴びるヨロシ。」
キッチンから、フランソワーズをねぎらうためのお茶を運んで、張大人が言う。
「目が覚めたなら、データの解析を手伝ってほしいんだけどな。」
ぶ厚い書類の束を、ピュンマが差し出す。
皆が、イワンを待っていたのだと、わかる。
だから、目覚めないということが、ないように。必ず、目を覚ますように。
神を知らないイワンは、誰に祈るべきかもわからないまま、哺乳瓶を傾けてくるフランソワーズに、にっこりと笑いかけた。つもりだった。
涙が、ころんとこぼれて、耳に冷たく滑った。
「あら、どうしたの、イワン? おしめが気持ち悪いのかしら。」
哺乳瓶を離さないまま、イワンは、チガウ、と首を振った。
説明しようと、テレパシーを使いかけて、やめた。
ただの赤ん坊のふりをして、自分を抱くフランソワーズの、優しい青い瞳を、イワンはただじっと見上げた。
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