UZO (8&7)
決して、派手なそれではなかったけれど、フワンソワーズとジョーとジェットが焼いたケーキと、張大人の、お得意の大盤振る舞いと、イワンとギルモア博士とハインリヒは、うっかりはしゃぎすぎる一部の連中の手綱をしっかり握って、グレートは酒の用意を、ジェロニモは、張大人の手伝いだった。
誕生日おめでとうと、皆に揃って言われるのは、これで何度目なのだろうか。
ピュンマは、照れ笑いを浮かべて、みんなの前で、少しばかり肩をすくめた。
白いケーキに立てられた8本のロウソクを吹き消して、ジェットの、
「願い事、忘れるなよ。」
という一言に、またうっすらと苦笑を返し、けれど何も特には願わずに、ただ無心に、並んだ小さな火を吹き消した。
ありがとうと、みんなを見回して、ピュンマは微笑んだ。
主役の、常に冷静な態度のせいだったのか、節度のあるパーティーは、節度あるまま終わり、ピュンマは、カードとプレゼントの箱を傍に置いたまま、どうしてか今夜はグレートと一緒に、少し強い酒を、ちびりちびりと飲んでいる。
ジョーとジェットは、派手に騒げないととっとと悟ったのか、おとなしいまま部屋へ下がり、フランソワーズは、イワンを寝かしつけ、ギルモア博士もベッドへ行き、ハインリヒは、姿を消したジョーとジェットが、こっそり悪さをしないかと、見張るためにふたりの後を追って、ずいぶん前にどこかへ消えてしまっている。
張大人とジェロニモは、少し前に、キッチンをきれいにし終わって、ピュンマに、揃ってお休み、誕生日おめでとうと言い残して、並ばない肩を並べて、それぞれの部屋へ去って行った。
いつもなら、こんな時には、ジェットやハインリヒと残って飲み続けているグレートだけが、今夜はひとりきり残って、これもまた珍しく、酒のグラスを片手に、ちびりちびりと時間を過ごしていたピュンマに、
「もう1杯どうだ?」
と声を掛けてくる。
ひとりで飲みたいと、思っていたわけではなかったので、ピュンマはためらいもせずに、自分のグラスを、グレートに向かって差し出した。
今日のために、わざわざ開けたと、グレートが少し残念そうに言った、ギリシャの酒だった。
甘いとも苦いとも、どちらとも形容の仕様のない、濃厚な香りが、丸く、舌と喉に転がり込んでくる。氷も入れない、室温のままのそれが、喉の奥を焼いて、ピュンマはむせそうになりながら、ごくりと喉を上下させた。
「・・・ジェット辺りがおもしろがって、ラッパ飲みでもやらかしそうだな。」
濃厚さに懲りて、ちびりとグラスの端に唇をつける。アルコールの強さから察するに、ショットグラスで一気に飲む類いの酒だろうと思った。
「あー、だめだだめだ、あいつには酒の味はわからん。酔っ払うのが酒飲みだと思ってやがる。」
グラスを一気に空けて、少しだけ騒がしくグレートが喋り出す。
酒を飲む相手が欲しかったのか、それとも、ひとり飲むピュンマの相手をしたかったのか、どちらなのだろうかと、思いながら、酔いでなめらかになった---それとも、お得意の、ふり、なのだろうか---グレートの唇が、酒で濡れているのを、ピュンマはじっと眺めていた。
「ひとりで飲むのも悪くはないが、やっぱり相手がいた方がいい。酒の味がわかるヤツか、それとも話のわかるヤツか・・・どちらも意外と、身近にはいないもんさ。」
「ボクは・・・どちらもわからないヤツじゃないのかい。」
くすりと、場合によっては嘲笑とも取られかねない、いつもの薄い笑みを浮かべる。けれど、そんな挑発に乗るグレートではない。
「どうだかね、ピュンマ。おまえさんも、なかなか食えないヤツだからな。飲みたい気分の時は、うだうだ言わずに飲んじまうのが一番さ。」
「なんだ、結局、ボクをダシに、飲みたいだけじゃないか。」
「お固いことは言いっこなし。おまえさんの誕生日だぜ。こんな日に飲まなくて、一体いつ飲むってんだ。」
グレートが、にやにや笑いながら言う。
「・・・毎日、世界のどこかで、誰かが誕生日を迎えてるってのは、素晴らしいことみたいだね。」
同じように、にやりと笑って混ぜっ返すと、グレートが顔の前にグラスを上げて、それ越しにもっと大きく笑った。
グラスにグレートの膚色が映り、歪み、それはまるで、変身中の、グレートの姿そのもののようにも思えた。
しばらくそうやって、ふたりで埒もないことを口にし合いながら、グレートは何度かグラスを空にして、ピュンマはゆっくりと1杯に時間をかけて、酒の匂いだけが、時々薄暗い空気を揺らした。
ふと、言葉が途切れて、間を置いて、何かを続けようとしたはずみに、つい、ため息がもれる。深く長いその吐息を、グレートが聞きとがめて、大きな耳をこちらに向けたのが、気配でわかる。
聞かれてしまったことに、まるで勇気づけられたように、ピュンマは、ぼそりと、胸の内側をすべり落とした。
「・・・騒がしいのは、あんまり好きじゃないんだ。よけいに、ひとりだって、思ったりするじゃないか。」
「人は結局ひとりさね。」
「人はね。でもボクらは"ひと"じゃない。」
「ひとさ。泣いて笑って、下らないことに喜んで、酔っ払ってクダを巻く。」
ピュンマは、何も言い返さずに、ふっと笑うだけにした。
グレートは、まだ空になっていないグラスに、わざわざ酒を注ぎ足した。
こぽこぽと、やわらかい音がかすかにして、また新しい酒の匂いが、空気の中に立つ。それに目を細めて、ピュンマは、淋しいなと、心の中でつぶやいていた。
膝の上に肘を乗せ、両手でグラスを抱えて、誕生日の夜の終わりに、相手がグレートであることと、飲み慣れない酒の香りが、心のどこかを開いてしまったのか、ピュンマは、勝手に動き出す唇を止められず、前方の床に、視線を据えた。
「・・・闘いが終わる。ほっとする。もう、ジャングルの中を走り回らなくていいし、穴を掘って野営しなくてもいいし、明日死ぬかもしれないのに、未来の、色んな事を考えなくてもいいし、もう、すべてが終わって、平和に暮らせるんだって、思う。でも、そうして、淋しいと思うんだ。もう、何もしなくていい、おまえの役目は終わったんだって、そんなふうに言われてるような気分になる。闘わなくてもいいはずなのに、闘うことを、恋しいと思う。淋しいんだ。平和を願ってるはずなのに、ボクがほんとうに求めてるのは、闘いそのものなのかもしれない。闘いが終わるたびに、そんな自分に気づいて、嫌になる。」
声が、震えていたかもしれない。ピュンマは、見据えた床から、視線を外さなかった。
グレートが、立ち上がった気配があった。テーブルの上で、酒のボトルを動かした音がして、それから、グレートの輪郭が、こちらへ近づいてくるのがわかる。
やっと半分ほど進んでいたピュンマのグラスに、グレートが、立ったままで、なみなみと次の酒を注ぐ。
グラスの縁に触れたボトルの口が、かちんと、ひどくせつない音を立てた。
片手にグラスを、片手にボトルを、立ったままで、グレートが、声は低く、けれど太く、ぐっと胸を反らす。
「どこかで、芝居の話が決まる。おい、この役をやってみないか、声がかかる。いいとも、答えて、脚本を受け取る。台詞を覚える。練習が始まる。演出家とケンカもするさ、合わない相手役もいるさ、裏方にドジなヤツがいて、衣装にや舞台装置に、どんでもない間違いもあるさ。さて、いよいよ本番だ。初日だ。客の声が聞こえる。みんな緊張してる。さあ、幕が上がる。無我夢中だ。すごいぞ、大成功だ。明日も頑張ろう。あさってもだ。さて、ついに千秋楽だ。今日で最後だ。最後の台詞を言い終わって、舞台を降りる。幕が降りて、上がって、アンコールだ。舞台に戻って、頭を下げる。さあ、ほんとうにもう、終わりだ。衣装を脱いで、化粧を落として、みんな素顔に戻って、成功を祝うために、街に繰り出す。飲んで、騒いで、昔の舞台のことなんぞ語り合う。夜も更けた。さあ、そろそろ引き上げよう。いずれまた、どこかの舞台で、そんなふうに言い交わして、三々五々、みな散らばってゆく。おれも家に帰る。小さなアパートメントだ。千鳥足で、いい気分だ。ドアを開ける。コートを脱ぐ。」
そこでグレートは、まるで、客の気を引くように、大きく息を飲み込んだ。
「・・・ひとりぼっちだ。」
まるで、目の前に、ぽっかりと闇が口を開けたように、おそろしいほど暗い声が、足元に広がり、響いた。
「さっきまで舞台に立って、喝采を浴びていたおれは、どこへ行った? あれは、おれじゃない。芝居の中の登場人物だ。そいつはもう、どこかへ去っちまった。おれはひとり取り残されて、また次の夢を見る。次の舞台、次の喝采、次の賞賛と、次の役、おれは、永遠に、浮世の夢を演じ続ける。夢が終わって、ひとりぼっちになるのがこわくて、おれは、立ち止まらずに、前だけを見つめ続けてるんだ。」
ほんとうに、舞台で台詞を言うように、少しばかりの身振りを添えて、そこでやっと言葉を切って、グレートは、にいっと大きく笑って---けれど、どこか淋しげな笑みだった---、グラスの酒を、喉を反らしてあおる。
はあっと、酒臭い息を大袈裟に吐き、たちまち、いつものグレートに戻る。
「・・・祭りの後の、さみしさってやつさ。おまえさんには、少々不謹慎な物言いだがな。」
おそらく、グレートの言っていることは、正しいのだろうと、向けた笑顔の後ろで、ピュンマは思った。
「せっかくの誕生日だぜ、辛気臭いことは、言いっこなしにしようや。」
グレートが、グラスを差し出してくる。あれだけ長々と、ひとり語りをしてしまったことへの、照れ隠しだとわかったから、ピュンマは素直に、自分のグラスを、求められるままに差し出した。
かちんと、澄んだ音が響いて、それから、ふたりは、目を合わせて、笑い合った。
「"殺すなら明日にして、今夜は許して!"(オセロー)っていうところかな。」
ピュンマは、グラスを口元へ運びながら、上目遣いにそう言った。
「おいおい、シェイクスピアはおれの十八番だぜ。大体、それはオセローの、デズデモーナの台詞だろ? おまえさんが言ったんじゃあ、シャレにもなりゃしねえ。」
やれやれと肩をすくめて、グレートがわざとため息をつく。
さっきまで坐っていたソファへ戻るために、こちらに向いたグレートのその背に、ピュンマは、小さな声でささやいた。
「・・・"この世は舞台、人はみな役者"(お気に召すまま)。」
グレートの背中が、少しだけ動いたような気がしたけれど、気のせいだったのかもしれない。
その背に向かって、グラスを掲げて、ピュンマは、グラスに注がれていた酒を、一気に飲み干した。
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