日だまりの唄 (85)



 まだ冬は先だと言うのに、寒さが日ごと増している。
 長袖のシャツを出して、冬用のコートも、もういつでも着れるように、クローゼットの奥から引っ張り出して来てしまった。
 ピュンマは、寒い冬が苦手だ。
 首をすくめて、まだ息が白くはないことにだけは安心して、けれど空を見上げて、角度の変わってしまった日差しを目で追って、冬の近いことに、心の中で、こっそりと舌を打つ。
 いつの間にか、日は短くなり、そして、部屋に入る光の位置が変わり、床に大きく広がる日だまりに、ピュンマは、思わずやわらいだ視線を投げた。
 キッチンの端、坐れば冷たい床だったけれど、しゃがんで、掌を当てると、ほのぼのと暖かい。
 肩を丸めて、そこへ坐った。日だまりの中に、体を押し込んで、薄く目を閉じた。


 まるで、ピュンマを探していたように、やって来たのはジェロニモで、ピュンマの丸めた背中がよほど寒そうに見えたのか、その手には、湯気の立つマグがあった。
 大きな気配に、肩越しに首をねじり、痛いほど上向いて、
 「なんだ、キミか。」
 平たい声で言うと、ジェロニモが傍にしゃがんで来て、ピュンマの顔の前に、そのマグを差し出した。
 白いマグは、両手で抱えれば、やけどしそうに熱く、受け取って、視線で感謝の意を示すと、ピュンマは桃色の唇をそのふちに寄せる。
 熱い湯気が鼻先を打って、そこから全身が温まる。
 日だまりの位置は、また少し変わっていた。
 「キミも、坐るかい。」
 しゃがんで、腰を上げかけたジェロニモに、やっとなごんだ笑顔を向ける。
 ジェロニモは、少し驚いたように目を見開いて、けれど素直にピュンマの傍へ腰を下ろした。
 「床は冷たいけどね。」
 「ここはあたたかい。」
 日だまりのすみに、掌を当てて、ジェロニモがそう言った。
 そうやって、肩を並べて、くっつき合って、狭い日だまりの中に、ふたり並んでおさまろうとするけれど、それには日だまりは、少しばかり小さすぎる。
 ピュンマは、ぐるりと床を見回して、腰を滑らせて、ジェロニモに少しでも場所を譲ろうと算段して、けれどそれが無理だと悟って、勝手に少し腹を立てた。
 キミといたいのに。
 それでも、日だまりの大きさを変える力はない。いくら、サイボーグでも。
 もっと大きな日だまりが、ギルモア邸の中にないかと、またマグの中身---熱い紅茶---を一口すすって考えた。
 黙って、隣りで陽を浴びているジェロニモの、長袖のシャツの袖を引っ張った。
 「こっちに、坐ってくれないか。」
 少し前へずれながら、自分の後ろを指差した。
 ジェロニモは、何だと言いたげに眉を少し上げ、また素直に腰を上げて、ピュンマの後ろへ移動する。
 そこへ腰を下ろした、ジェロニモの膝の間に、ピュンマはゆったりと坐り込む。
 「これなら、ボクもキミも暖かい。」
 ジェロニモの、大きな胸に背中をもたせかけ、けれど暖かいのは自分の方だなと思いながら、ピュンマは満足げに、大きく瞬きをした。
 また何も言わずに、ジェロニモの大きな腕が、ピュンマの腰に回る。
 大きな、坐り心地のいいソファのようだと思うのは、ジェロニモに失礼だろうと思って、それでも、体重の大半を預けてしまって、ゆっくりと体を伸ばす。
 日差しはやわらかく、ふたりの、色の濃い肌の上で熱を集め、体温だけでないぬくもりに包まれ、それが眠気を誘う。
 ピュンマは、思わず、大きくあくびをした。
 「あと足りないのは、子守唄だなあ。」
 ねだるつもりで、そう、ぼそりとつぶやいた。
 このまま眠ってしまっても、ジェロニモがきっと抱いて、部屋まで、あるいは少なくともソファまでは運んでくれるだろう。
 ピュンマは、誘われるままに、眠気の中に漂い出している。
 日だまりの、その切り取られた光の中で、暖かな腕に抱かれて、ジェロニモは、そのまま極上のベッドだった。
 うつらうつらと、かすかに首を振りながら、そうして、唄を聞いた。
 低い声、耳の中に流れ込んでくる、聞いたことのないメロディー、言葉には聞こえない、そこに乗る音、時々つかえながら、ジェロニモが歌っている。
 日だまりの中で、暖かさだけに包まれて、眠りに落ちるピュンマのために、ジェロニモが歌っている。
 日差しよりも腕よりも熱い紅茶よりも、何よりも優しい唄だった。
 しみ通る暖かさに、いっそう深く眠りに誘われながら、ピュンマは、夢の中でも、その唄を聞き続けている。


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