ウサベルトせんせェとジェットくん
Act 2
補習授業をすると言ったら、あの、ジェットという赤い髪の生徒は、文句も言わずにおとなしくうなずいた。
きっとぶつぶつ言うだろうと思ってたのに、意外だ。
まあ、そんなことはどうでもいい。大事なのは、ちゃんと教科書に出て来る漢字くらい、きちんと読めてくれないと、後々困る。大体、授業のたびに、黒板の字をどう読むのか、いちいち尋かれると、授業が全然進まなくて困る。
まったく、良心の呵責、なんていうのが読めないなんて、ほんとうにあれで、高校3年生なのか。
体ばっかりで、勉強の方が追いついてないじゃないか。
まったく、困った生徒だ。
まあ、いい、補習でたっぷり勉強してもらおう。
ウサベルトせんせェが、オレに特別に補習授業してくれるって。
信じられない。
ふたりっきり、放課後の教室。オレと、ウサベルトせんせェだけ。
どうしよう、オレ、いきなりウサベルトせんせェに告白なんかされちゃったら。
だって、オレ、まだ心の準備が・・・だって、オレ、初めてだし。どうしていいか、わからないし。どうしよう、ヘタって言われたら。練習した方がいいのかな。でもどうやって練習したらいいんだろう・・・練習って、ナニを?
いいや、とにかく当たって砕けよう。
ウサベルトせんせェと、放課後、ふたりっきり。どうしよう、オレ。
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漢字の書き取りをすると言ったのに、全然書こうとするどころか、こちらばかりちらちら見ている。
こら、ちゃんと書けって、何度言ったら・・・ちゃんと集中してるか?
一体何が問題なんだ、この生徒は。
こちらばかり見て、何か言いたげに、何か言いかけて、やっぱいいです、と言って、またこちらを見る。
これは、ほんとうに、担任の教師と一度話をした方が良さそうだ。個人面談も必要かもしれない。
家族構成は、一体どうなってたかな。親を呼び出すと言えば、少しはまともに勉強してくれるだろうか。
まったく、今時の子どもは、本もろくに読まないから・・・こういうことは、まず家庭から、そういう風に、親に言うべきなんだろうか。本嫌いは、百害あって一利なし。今度、アンドレア・ドウォーキンの「ポルノグラフィ」でも読ませようか・・・いや、あれは子ども向けじゃないな。仕方ない、もう少しレベルを落として・・・「はじめてのおつかい」? あれは絵本じゃないか。いくら何でも・・・いや、もしかすると、そのくらいから始めた方がいいのかもしれない。
何だか、段々、教師の仕事が空しくなってきた・・・。
ウサベルトせんせェ、きげんが悪い。左の耳だけ、ぴくぴく動いてる。
オレが、漢字の書き取り、できないから・・・でもオレだって、一生懸命やってるんだ。中学の時の教科書とか、ひっぱりだして、また読み直したり・・・読めないけど。
ウサベルトせんせェ、オレのこと、あきれてるかな? きっとそうだ、オレのこと、ばかな生徒だって思って、もうイヤになってるんだ。
どうしよう、オレ、ウサベルトせんせェにきらわれてる。もう、どうでもいいとか、思われてる。どうしよう、オレ。せっかく、ウサベルトせんせェが補習授業してくれてるのに、オレ、全然できなくて、あきれられてる。
どうしよう。もっと、勉強好きだったらよかったのに、オレ。
こんなんじゃ、ウサベルトせんせェに、ラブレターも書けない。
しかたないなあ・・・オレ、泣いちゃいたい。
何だか、肩を震わせているので、どうしたかと思ったら、いきなり泣き出した。
漢字が書けないのが、そんなに悔しかったのか。意外と負けず嫌いらしい。つらく当たったつもりはないけれど、少しばかりきつい事も言ったせいだろうか。
漢字くらい書けないと、大人になって苦労するぞと言って、頭を撫でてやった。
でも、まだ頑張れば、漢字くらい何とかなるから。そう付け加えて。
そうしたら、いきなり椅子から立ち上がって、教室から走り去ってしまった。
また一体、どうしたんだ? どうしてあの生徒は、ジェットは、いつもああして走り去ってしまうんだろう。
何をしたんだろう? 一体教師として、こんなことでやっていけるのか? 生徒の気持ちを傷つけるなんて、一体教師として、何をしてるんだろう?
思わず、ジェットの髪に触れた右手---機械の方の、手---を眺めて、ため息をついた。
まだまだ教師としては未熟。生徒を泣かすなんて。先が思いやられる。今日は反省。
ウサベルトせんせェが、オレの髪に触った。ウサベルトせんせェの手。
それなのにオレは、またトイレに向かって一目散。どうしてオレって、こんなに簡単に、こんなになっちゃうんだろう。
オレなんか、オレなんか、だいっきらいだー。
ウサベルトせんせェはきっと、今頃教室で、何が起こったのかわからなくて怒ってるに違いない。
ああ、もうおしまいだ。ウサベルトせんせェ、きっと、二度とオレと口なんか聞いてくれない。
オレなんか、オレなんか、だいっきらいだー。
それにしても、こんな状態で全力疾走って、拷問だよな。走りにくいったら・・・。
ウサベルトせんせェの手、オレの髪・・・せっかく、いいチャンスだったのに、それなのに、こんなのって・・・。
オレなんか、オレなんか、だいっきらいだー。
でも、ウサベルトせんせェの手、気持ちよかった・・・。
ウサベルトせんせェの手が、もっと別のところにあるところを、うかつにも想像して、オレはもっとロクでもない状態に陥った。思わず前にのめって、廊下で転ぶ。
オレって、さいてー。でも、ウサベルトせんせェの手・・・。
廊下に倒れて、もう、トイレに駆け込む必要はなくなっていたけれど、その代わり、どうして下着が汚れたのか、フランねーちゃんにどう説明しようかと、途方に暮れる羽目に陥った。
オレなんか、オレなんか、だいだいだいっきらいだーっ。
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