ウサベルトせんせェとジェットくん
Act 4
ジェットを、家に呼んで、個人的に教えることにした。
まったく、高校生にもなって漢字の書き取りからなんて。一体、どんな本を読んでるんだか。
ジェットは、土曜の午後に、感心なことに時間通りにやって来て、背中を丸めるようにして、家の中に入って来た。
「ウサベルトせんせェ、ひとり暮らし?」
と訊くので、そうだ、と答えたら、
「家族はどこにいるの?」
と、重ねて尋かれた。
個人的なことに触れられるのは、あまり好きではない。それでも、短く、感情を込めずに、
「いない。」
とだけ答えた。
ジェットは、それで何かをそれなりに察したらしく、口を閉じて、教科書を、キッチンのテーブルに置いた。
言っておいた通り、まずは漢字の練習から。
高校1年生レベルから始めてみたけれど、見事に全滅。仕方がないので、まさかと思って用意していた、中学生のドリルを取り出してみた。
好き、と書けるのに、好感、がなぜ書けない? ああもう、一体小学校で、ナニをやってたんだ。
ウサベルトせんせェのマンションは、何だかひとり暮らしには広すぎるような気がして、ひとり?って尋いたら、せんせェ、うんって言って、家族は?って訊いたら、いない、って、素っ気もなく言われた。
左耳が、ぴくぴくしてた。キゲンが悪い時の、ウサベルトせんせェのクセ。悪いこと聞いちゃったのかなって、オレ、ちょっとびくっとして、それきりよけいなことは言わないことにした。
漢字のワークブックをやらされて、またせんせェの左耳がぴくぴくして、それから、今度は違うドリルをやらされて、せんせェのひ左耳が、もっとぴくぴく動いた。
ほんとはオレ、それ見て、ちょっと悲しい気分になったんだけど、でも、実は、せんせェの耳がぴくぴく動くの見るの、大好きなんだ。だって、かわいいんだもんな、せんせェの耳!
とりあえず、必死になって漢字の練習に取り組んでいたので、ごほうびに、とでも思って、冷蔵庫からにんじんジュースを出してやった。
「これ、ナニ?」
世にも奇妙は表情で、グラスを指差してジェットが訊いた。質問してばっかりだな、この生徒は。しかも、勉強のことなんかじゃなく。
「にんじんジュースだ。」
ひくりと、唇の端が歪んだのが見えたけれど、おとなしく、そのまま口をつけた。ふん、家庭の躾けはいいらしい。出されたものにケチはつけない。礼儀の第一!
そう言えば、礼儀なんて漢字も、きっと書けないんだろう・・・情けない。
にんじんジュース。やっぱりウサベルトせんせェ、ウサギだから・・・。
濃いオレンジ色で、もちろんにんじんの匂いがした。でも、ハチミツとレモンが入ってるらしくて、見た目よりも、味は悪くない。ああ、良かった。吐いたらどうしようとか、思っちゃったもんな、オレ。
緊張して、ノドがかわいてたのか、オレはとっととグラスを空にした。
ウサベルトせんせェも、自分のにんじんジュースを飲んでいる。ノドが、こくこくと、動く。
ウサベルトせんせェ・・・。
せんせェは、グラスをテーブルにかたんと置くと、それから、ぺろりと唇を舐めた。
・・・・・・・・・・・どうしよう。
ジェットが、いきなりテーブルから立ち上がってきて、どうしたのかと思ったら、突然、キスされた。
両耳が、思わずぴんと立って、尻尾の毛が逆立って、爪が出て、攻撃態勢になった瞬間、唇が離れた。足で蹴ってやろうと思ったけれど、椅子に坐ったままでは、そんなこともできない。
どうするつもりだろうと、じっと見上げているうちに、ジェットの頬がみるみるうちに赤くなって---髪の毛と、同じくらい赤く---、まるで、こっちが何かしたみたいに、そのまま、走って出て行ってしまった。
テーブルの上に、教科書もノートも、全部置いたまま。
追いかけようかと思って、やめた。
何だか、どうしてなのか、頬が熱い。
両耳がぴくぴくして、尻尾がムズムズする。
あのラブレターは、ほんとうに、どうやら本気だったらしい。
さて、どうしよう。困ったな。発情期が合わないのに、どうやって、交尾するんだろう。大体、彼は男じゃないか。うーん、困った。
そんなことは大学でも習わなかったし・・・まあ、いい、明日ゆっくり考えよう。
今はとりあえず、このムズムズする尻尾を何とかしなければ・・・にんじんジュースでも飲んで、明日のことは明日また、考えよう。
せんせェに、キスしちゃった。ウサベルトせんせェに、キスしちゃった。
オレ、どうしよう。せんせェに、キスしちゃった。
あんまり、せんせェがかわいいから、オレ、ついがまんできなくなって、せんせェにキスしちゃった。
せんせェのキス・・・にんじんジュースの味がした。
オレのファーストキス、にんじんの味。
どうしよう、オレ。せんせェに怒られる。きっともう、口もきいてもらえない。学校で会っても、きっとムシされちゃうんだ、オレ。
どうしよう。キスしたけど、キスしたけど、せんせェ、オレのこと、どう思ったんだろう。
どうしてオレ、もうちょっと、うまく出来なかったかな。あんな、にんじん味のキス。
でもでも、せんせェの唇、ちょっと濡れてて---にんじんジュースだけど---、柔らかかった。
ウサベルトせんせェと、キス。
また、キスできるかな、せんせェと・・・・。それともせんせェ、怒ってるかなぁ。どうしよう、オレ。
にんじん味の、オレのファーストキス。ウサベルトせんせェと・・・。
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