All Alone
別に、大げさな言葉や態度がほしいわけではなく、けれど、ねぎらいがほしい時がある。
車の運転は嫌いではないし、接する人の数の、限られる類いの仕事が多いトラックの運転手は、自分の性に合っていると思うし、何より、サイボーグであることがあからさまな体を、隠す気遣いが減る。
それでも、隠さなければならない秘密が多ければ多いほど、たとえ人と接していても、気持ちが孤立してゆく。
それが時折、人恋しさになって、現れる。
人と、もっと親(ちか)しくなりたいと思って、そうすべきではないと、理性が止める。
親しげに近づいてくる、生身の人間たちと、さり気なく距離を置いて、決して自分の中には踏み込ませない。
踏み込ませれば、秘密を隠そうとするよけいな気遣いが増え、それでも暴かれれば、そこから立ち去ることを余儀なくされる。
あいつは、付き合いが悪いし、愛想もねえからな。冷たいヤツだよ。
そう陰口---ある意味、正しい評価でもある---を叩かれ、それでも、今手の中にあるものを失うよりはましだと、聞き流して、聞かなかった振りをする。
時折、猛烈な孤独に襲われ、ほんとうに、部屋の隅に、うずくまってしまいたいこともある。そうして、何時間も過ごしながら、いっそもう、部屋の外へ出て行くことをやめてしまおうかと、ふと思う。
人と接することを諦めれば、サイボーグに改造された体を、隠すことはしなくてすむ。秘密を抱えて、怯えながら、外の世界歩き回らなくてもすむ。
ひとりきりなら。小さな、閉じられた空間でなら。
それでも、ひとりが、いずれ息苦しくなることを、知っている。自ら閉じこもりながら、その窮屈さに耐えられなくなるのだと、知っている。
だから、秘密を抱えながら、背中を丸めて、外へ出る。
人に会い、言葉を交わし、そうやって、自分がまだ、世界と関わりを持っていることを知る。自分を、人間なのだと自覚しながら、けれど同時に、生身の人間たちとは、明らかに違う、異質な異物である自分を、そこに見つけもする。
ふらふらと、定まらない自身を抱え込んで、それでも、ごく普通の世界の中で、ごく普通の人間として、振る舞い、1日を過ごす。
部屋に戻ると、ほっとすると同時に、いつも、淋しくなる。
ここから、どこへゆくのだろう。死ねない体を抱えて、サイボーグだという秘密を抱えて、誰とも、ほんとうの関わりは持てずに、誰の記憶にも残らずに、先に逝ってしまう生身の人間たちを、永遠に見送るために、ただ立ち尽くす。
それでも、まだ、孤独に押し潰されずに、世界の中に出て行こうとしている自分がいる。
それを、誰かに、おまえはよくやっていると、言ってほしい時があった。
自分の精一杯を、誰もそれを、精一杯と知らないのだとしても、誰かに、この世界の誰かに、わかっていてほしいと、痛烈に思う。
それがひどく、甘えた考えだとわかるから、また、口をつぐんで、心の中にだけおさめて、背中を丸めて、外へ出る。
外に出て、外に出ることのできる自分に、安堵しながら、けれど自分勝手に、孤独に傷ついてもいる。
ひとりで耐えるべきだと知っていて、それでも、淋しいと、素直に口に出してしまいたい。
口に出せる相手が、身近には、思い当たらないだけだった。
身近にはいない、弱音を吐ける仲間の顔を、ひとつびとつ思い浮かべて、それから、電話を取った。
機械の音声が聞こえたら、あいさつくらいは残しておこうと思いながら、ゆっくりと間延びした呼び出しの音を数えて、思わず床に坐り込む。
おしゃべりで陽気な声よりも、酸いも甘いも噛み分けた優しい声よりも、ぼそりぼそりと低く喋る、無愛想な声が、今は聞ければいいと思った。
あちらで受話器が取り上げられ、低い、少しアクセントのある英語が聞こえる。
滅入っている気が、もっと滅入りそうにも思えるのに、その声が、どうしてか今は、慰撫するように耳に響く。
それはおそらく、声の主が身にまとう、包み込むような暖かさのせいなのだろう。
「元気でやってるかと、思っただけなんだ。」
短いあいさつの言葉を告げて、ぼそりと、まるで言い訳のように言うと、向こうがふと黙り込む。
こちらの声の調子を読んで、言葉を選んでいるのだと思うから、よけいなことはそれ以上は言わずに、こちらも黙り込む。
「元気。変わりない。」
大陸と海を越えているとは、思えないほど近くで、また低く声がする。
手を伸ばして、届く距離ではなく、会おうと、気軽に言える距離でもなく、それを、電話の声の近さにしみじみと感じながら、それでも、こうして繋がっていられるのだと、感謝する。
聞こえないように、その低い声に応えるように、喉の奥から、小さく深く長く、ため息をふりこぼして、目を閉じた。
何か言うタイミングがつかめずに、右手に持って、左の耳に当てていた受話器を、左手に持ち替えて、時間稼ぎをする。こちらが何も言わなくても、わざわざそれを、どうしたとは訊かずに、ただ静かに、次の言葉を待っているらしいあちら側は、今一体何時だろうかと、また時間を稼ぐために思った。
時計さえ、同じようには時を刻まないほど遠いのだと思って、ここにひとりぼっちなのだと、また思う。
淋しいと言っても、この男は笑わないだろう。そうかと、言って、慰めることも励ますこともせず、それはただそういうことだと、言われた言葉と、その声音に含まれた感情を黙って受け止めて、その沈黙に、この上なく雄弁な、限りない優しさを込めてしまえる、そういう男だった。
「・・・夜中に・・・たとえば、朝の3時に、誰かの声が、聞きたくなったりしないか。」
隠しようもない人恋しさが、声ににじんだ。
また、言葉を選ぶ沈黙があって、無愛想な声が、優しく響いた。
「星と、話す。」
「・・・星は、あんまり見えないな。それに、俺には、星の声は聞こえないんでね。」
揶揄も含めて、ほんの少し、あちらを傷つけるような言い方を、わざとした。
「星に、訊いてみる。誰か、電話してくる、頼む。」
いつもと変わらない声で、けれどこちらをからかっているのだと、悟るまでに、数瞬かかる。
赤みがかった膚と、ほとんど同じ色合いの唇が、うっすらと笑みを浮かべているのを思い浮かべ、思わずつられて笑った。
笑った声が届いたのか、あちらも、笑う声を、小さく立てる。
それから、また、ゆっくりと、低い、包み込むような声が、届いた。
「空、いつも同じ。空、どこでも同じ。どこかで、誰か、必ず空見てる。空で、繋がってる。」
床に置いていた電話を持って、立ち上がって、窓に小走りに向かった。
電話のコードが伸びるぎりぎりで、小さなアパートメントの窓から見える、四角く切り取られた、深い青みがかった黒を見上げた。
あちら側では、星はもっとたくさん、明るく輝いているのだろうか。
月の見当たらない夜空を見上げて、今なら、星と話もできるかもしれないと思った。
世界のどこにいても、空は見える。そうか、ひとりではないのかと、思って、ふっと唇が微笑んだ。
向こうも、窓から、今、空を見上げているような気がした。
アパートメントの屋上へ出て、星と話をしようと思いながら、まだ、電話を切れずにいた。
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