All To Myself
手足の失くなってしまった004を目の前に、ギルモア博士は、まいったなと、つぶやきをもらした。
「また、設備の問題ですか?」
修理のために、誰もが横たえられる硬いベッドから、少しだけ頭を浮かせ、004は、ギルモア博士の、その困惑顔を眺める。
「いや、設備はともかく・・・その・・・素材の問題じゃな。」
戦闘の訓練を受け始めて悟ったのは、戦闘能力の高さというのは、攻撃力だけではなく、いかに破損を避けられるかということも、必ず含まれるのだということだった。
常に攻撃のできる状態にあって初めて、その高い戦闘能力は生かされる。
壊れて転がっているだけの機械は、いくら優秀でも、使えなければ、ただの金属の塊りにすぎない。
大きな照明のついている天井を見上げて、004はため息をついた。
「キミの体には、特殊合金が使われておる。それをここへ運んで来んことには、話にならん。」
ほとんどが機械の、この体は、軽量で強度の高い特殊合金を使わなければ、今も高いとは言えない機動性に、問題が出て来る。あり合わせで修理できるほど、安っぽい体ではないのだと、以前説明されたことを、004は思い出していた。
自分の体に対して、こっそりと皮肉笑いを浮かべて、破損している右肩に、視線を流した。
「とにかく、破損した部分を、人工皮膚で覆っておこう。そうすれば、ここでチューブに繋がれたままにならずにすむ。」
まるで言い訳するように、ギルモア博士が言った。
「何でも、好きにして下さい。」
つい投げやりに、そう返した。
足がないので歩けない、右腕がないので、松葉杖も使えない。少なくとも、ギルモア邸の中でくらいは自由に動けるように、車椅子が運び込まれた。
これで少なくとも、自分の部屋から、リビングやキッチンへ行くことはできる。
困ったことがひとつ。
どのバスルームも、ドアが狭すぎ、中にも充分なスペースがなく、選択肢としては、ドアのところで車椅子を降り、自力で中に入るか、それとも、中まで誰かに運んでもらうか。
ようやく研究室を出て、さて、シャワーでも浴びるかと思って初めて、004はそのことに気がついた。
2度は、自力で、床を這って中に入った。その後、びしょ濡れの床を不審に思ったらしい003---フランソワーズ---に問い詰められ、
「お願い、何でも自分でやろうなんて、思わないで。」
あの、大きな青い瞳に見つめられ、004は、うつむいたまま、ああ、と短く返すしかなかった。
004に手を貸すのにやぶさかではない002---ジェット---は、喜んで、その場で004を椅子から抱き上げようとしたけれど、地上で抱き上げて運ぶのと、抱えて空を飛ぶのとでは、ひどく違うのだと言うことを、すぐに悟ったらしかった。
結局、そうやって壊れた004を運んだように、005が、必要な時は004に手を貸すことで、話は落ち着いた。
シャワーを浴びる時だけなら、そう迷惑にはならないだろうと思いながら、004は、悪いな、と005に言った。
005は何も言わず、ただ、静かに首を振る。
またダンケと、004は短く言った。
右利きの人間が、右腕がないというのは、不便この上ない。
シャツのボタンが自分でとめられないので、仕方なく、あまりサイズの変わらない002のTシャツを、なるべくおとなしい色を選んで借りてきた。
派手な赤や黄色やオレンジや紫の、たいていはさらに派手なプリントが胸元にある、シャツの山の中から、ようやく、薄い青や暗い緑や灰色や黒のシャツを選び出し、幸いに、アメリカ製のシャツはどれも表示されているサイズよりたいていは大きめで、004が片手で着るのに、あまり苦労はない。
着慣れない、首元の丸くあいたシャツは皮膚の上に頼りなく、半袖はまるで、裸のように感じられた。
肩が、首のつけ根からない右側は、薄い短い袖が、ふらふらと動くたび揺れる。腕がないのだと、思う。
足がないのは、不思議なことにすんなりと納得ができるのに、右腕はないのは、どこか神経に、ちくちくとさわる。
食事や、着がえやシャワーや、そんな基本的なことに、人の手が必要なのが、004には少しばかり耐え難い。
靴紐を結べないことに気づいて、007にそれをさせてから、ハインリヒは、外出をほとんどあきらめてしまった。
体が、元に戻るまでのしんぼうだ。
生身でない体は、取り替えがきく。皮肉なことに、こんな時には現金に、それを、ありがたいと思う。
破壊のための機械の体は、破壊されて、今はただの、使い道のない機械に過ぎなかった。
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フランソワーズの姿を期待して、キッチンへ行くと、そこに彼女の姿は見えず、リビングにも人気はなかった。
本を膝に乗せてやって来て、フランソワーズにお茶をいれてもらって、リビングでくつろごうと思っていたのに、そのささやかな楽しみは、始まりもせずに挫かれてしまった。
それでも気を取り直し、お茶くらいならいれられるさと、本をキッチンのテーブルに置いて、ティーポットを探すために、カウンターの方へゆく。
やかんに水を入れ、コンロにかける。
紅茶の葉は、いつも使う缶が、コンロの傍に置いてある。
別に助けなんかなくても、と004は思った。
久しぶりに、ひとりで何かしていると、そう思った。
ゆっくりと湯気を吹き出し始める、やかんの口を眺めながら、腕と足が戻って来るのはいつだろうかと、ふと考える。
そろそろ、外出も恋しい。前ボタンの、長袖のシャツも恋しい。右肩の名残りに、軽く触れた。
そう言えば、まったく外に出ていないので、煙草も吸っていない。庭に出ることさえ、この体では億劫だったので。
今なら、屋内禁煙を、フランソワーズも004のために曲げてくれるかもしれない。それでも、それに口にするのに、下らないプライドが邪魔をする。
002---ジェット---に頼めば、煙草を吸うくらいなら、喜んで裏庭に連れ出してくれるだろうと思いながら、あの落ち着きのない男に車椅子を任せるのには、少しばかり恐怖がわく。
口淋しいと思いながら、唇に、煙草を吸う時のように、ちょっとだけ触れた。
わいた湯をティーポットに注いで、さて、とカップを探した。
それから、上を見上げて、初めて大きく舌を打つ。
「・・・ちくしょう。」
思わず、そんな言葉が口をついた。
手が、届かない。カウンターの上に、ずらりと並んだ棚の中に、カップがしまわれているのだとわかっていて、その扉にさえ、指先も届かない。
触れれば熱いほどのティーポットの、優しい曲線を眺めて、004は、ため息をこぼした。
せっかくいれた紅茶を諦めようかと思った時、後ろから、005がキッチンへ入ってきた。
「ジェロニモ。」
最高で最悪のタイミングに、思わず頬が赤くなる。
相変わらずの無表情のまま、005は004の背後にやって来ると、目の前の棚に、太い腕を伸ばした。
「カップ、紅茶。」
声が聞こえたのだろうかと思いながら、004は、ダンケ、と目を反らしたまま言った。
004がいつも使っているマグカップを取り出して、渡してくれる。
言葉にしなくても、何もかもをわかっているような、この男の不思議さに、004はふと心に暖かなものを感じた。
「ダンケ。」
もう一度はっきり言うと、005は黙ってそれにうなずいて、
「ミルク。」
と、冷蔵庫にあごをしゃくった。
「ああ、それもいる。」
たっぷりとマグカップに注いだ紅茶に、入れるためのミルクを手渡され、それが終わると、005はそのマグカップと、キッチンテーブルの上の本を取り上げて、今度はリビングの方へ首を振る。
先にリビングへ入る、005の大きな背中を追って、ようやくいつも自分が坐る、ひとり掛けのソファの傍に車椅子を止めた。
手が届くことを、注意深く確認しながら、005がマグカップを、傍の小さなテーブルに置き、それから、本を渡してくれた。
「ダンケ。」
真っ直ぐに、視線を合わせたまま、004は言った。
また足音もさせずに、キッチンへ消えた005が、今度はティーコージ(ティーポット用保温のための帽子)をかぶせたティーポットと、小さなピッチャーに入れたミルクを、ついでに運んで来てくれる。
助けはするけれど、邪魔はしないという無言の心配りで、手の届く場所に、004のために、小さなくつろぐための空間を作ったことを確認してから、ゆっくりと、その深い茶色の瞳を瞬かせて、何も言わずに、005はその場を去った。
音もさせずに去るその背中を見送って、004は、ようやく本の世界に閉じこもるために、そのページを開く。
2時間ばかりして、紅茶のポットを空にした頃、また005がリビングに戻って来た。
本を閉じて、紅茶のことでありがとうと言おうとする前に、005は、リビングの外を指差しながら、言った。
「煙草。外。」
思わず、車椅子の背中に手を伸ばして、そこについているポケットの底に、煙草の箱とジッポのライターが入ったままであることを、確認する。
こちらから頼む前に、あちらから言い出してくれたのなら---もちろん、004の心を読んだに違いないのだけれど---、少しは気兼ねが減るなと、都合のいいことを思いながら、004は考える前に、大きくうなずいていた。
004が思った通りに、車椅子のポケットから煙草とライターを取り出して、005は自分の革のベストのポケットに入れた。
それから、車椅子を押してくれるのかと思って、ブレーキを外そうとすると、004のその手を止め、ゆっくりとした仕草で、驚かさないように、004を椅子から抱き上げた。
あの時、森の中でそうやって運ばれたように、静かな足取りが、廊下に出て、玄関へ向かってゆく。
外はもう、眩しい光は失せ、青を一刷け、色を濃くしている。
それでも、久しぶりの、直に注ぐ陽の光に、004は目を細め、左手を目の上にかざした。
裏庭の、断崖の傍---そこで皆、煙草を吸う---までゆっくりと歩いてゆくと、そこで005は、004を、大きな右肩の上に抱え直した。
まるで子どものように、ひょいと肩に乗せられ、慌てて彼の頭に手を添えて、体を支える。
地上から、ひどく高い視界が、見える世界を完全に変えてしまった。
今は海の色に近づきつつある、空の青が、眺めるうちに完全に海に溶け込んでしまうまで、後どれほど時間が残っているのだろう。
いつもなら、ほとんど目の前にある、その色の境を、今は見下ろして、004は聞こえないようにため息をこぼした。
005が、取り出した煙草に火をつけて、頭上の004に、そっと差し出した。
今、004が取り込まれてしまっている、空に近い世界を乱さないように、火のついた煙草は、まるでそれだけで宙に浮いているような静かさで、差し出された。
煙の漂うそれを、004は無言で受け取った。
胸に深く、煙を吸い込む。久しぶりの煙草に、くらりと頭が傾いだ。視界が揺れたと思った瞬間、するりと伸びた005の手が、背中の後ろを支える。
慌てて、煙草を唇にはさんだまま、またしっかりと、005の頭に腕を回す。
静かな、空間だった。
色の変わる空を見ながら、少しだけ眩暈を感じながら、ゆっくりと煙草を味わった。
自分を支える005は、今はまるで、目の前の空そのもののようだった。
煙草を投げ捨て、それから、空の色を吸い込むように、大きく深呼吸する。
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