俺たち、ボグミン
-白と紫のちっちゃな物語-
色
森を出て、また歩いて、夜をいくつか過ごした後に、白のはっぱもつぼみになった。
白のつぼみは小さくて、それでも、立ち上がってよろりとよろめいて、あわててうしろから支えると、怒ったように肩をいからせる。
「大丈夫だ。」
足元を見ながら、バランスを取って、けれどまだふらふらとあぶなっかしい。
うしろからついて行って、いつもつぼみを支えるということも考えたけれど、そんなことをしたら、白は口をきいてくれなくなるほど怒るかもしれないと、力の入った小さな肩を見て考える。
白の背中で、ついたばかりのつぼみは、右に左に揺れて、そのたびに白の肩が、左へ右へふらつく。
そうして、とうとう、バランスをくずして、後ろへ倒れた。
痛いと言いながら、打った腰の辺りを押さえて、すぐに立ち上がろうとはせずに、白はその場でひざを抱え込んでしまった。
怒っているような、悲しんでいるような、丸まった背中を見下ろして、しばらく考えていたけれど、かける言葉が見つからなかったので、代わりに、その肩に手を置いた。
こちらに振り返った白は、何も言わずに、また数秒、坐り込んだ足元の地面を見つめてから、
「・・・手を、貸してくれ。」
聞き逃しそうなほど小さな声が、聞こえた。
腕を差し出すと、白は両手でその腕を抱え込んで、ゆっくりと立ち上がり、うつむいた頬の辺りに見えるのは照れくささのようで、白がまだつかんでいる腕ごと、驚かさないように手前に引き寄せた。
最初の頃、そうしていたように、そのまま白を肩に乗せた。
白は何も言わずに、そこにおとなしく腰を下ろし、けれど少しだけすねたように、ぱたぱたと足を動かす。
相変わらず小さな白の体を支えて、またどこへ行くとも知れずに歩き出す。
白の手が、両方のつぼみに触れているらしいのに気づいて、大きさ比べでもしているのだろうかと、ほんの少しだけあごを上げる。
その拍子に、つぼみが動いて、白の手から離れてしまったらしかった。
肩の上でごそごそ動く白を、落ちないようにしっかりと支えていると、白がまたつぼみをつかまえたのか、頭の辺りが少し軽くなって、それから、白の声がした。
「・・・同じ、色だな。」
一瞬だけ、足が止まりそうになる。
白の方を見上げずに、前を向いたまま、
「そうだな。」
自分でも、素っ気ないほど簡単に答える。
同じ色のつぼみ。並べれば、大きさも重さも違うけれど、色は同じ、つぼみ。
間違いなく、ふたりが仲間なのだと、示すその色。
白のつぼみを見た時、それに気がついて、うれしかったのだとは、口にはしていなかったけれど、白がそのことに気づいたということの方が、今はもっとうれしかった。
大事な仲間だと、思って、肩に乗った白を支える腕に、わずかに力を込めて、黙ったまま、前を向いて歩き続けた。
異
やっとついたつぼみは、どんどん大きくなる。
歩くたびによろけるのに慣れるよりも早く、毎日少しずつ大きくなる。
まんまるにふくらんだつぼみを、俺は時々自分で抱えて、転ばないように気をつけながら、歩かなければならなかった。
つぼみが、こんなにめんどうくさいものだとは思わなかったと思いながら、歩くのにすら難儀する俺を、紫は黙ったままで抱き上げて、肩に乗せて運んでくれようとするけれど、それにもいいかげん気が引けるようになって、
「いい、自分で歩く。」
もう少し言いようはないかと、自分でも思いながら、俺はふてくされたように、紫に向かって手を振る。
紫は、気を悪くしたのかしないのか、表情をまったく変えないので、俺にはよくわからない。俺は、自分に優しい紫に、何もし返せないのがいやで、勝手にひとりで不機嫌になる。
それでも紫は、怒ることもなく、飽きもせず、俺がひとりで歩けるかと、言葉少なに尋ね続ける。
ある日俺は、めずらしくいたずら心を起こした。
歩いているとよく見かける、地面に埋まった岩のひとつに、てっぺんが、きちんとそこに立てるくらいに平らな岩を見つけて、俺は紫を置いて、そちらに走り出していた。
近づくと、ちょうど顔より少し低いところにある岩のてっぺんにしがみついて、俺はその上によじのぼろうとした。岩は案外つるつるしていて、滑る手で必死に体を支えて、俺は、何度か岩から転げ落ちそうになりながら、やっと足をてっぺんに乗せ、ようやくその上にたどり着く。
岩の上に立ち上がった俺を、紫は、少し驚いた顔で眺めていて、俺は、ひとりで岩の上に上がれたことに、ほんの少しだけ胸を張った。
それから、紫を手招きして、岩のそばへ呼んだ。
なんだと、紫がゆっくりとやって来て、その大きな体が近づくにつれ、俺は、自分の思惑が少しばかり外れたことに気づく。
ここに上がればきっと、紫と肩を並べるくらいになれると思っていたのに、目の前にやってきた紫は、岩に上がった俺よりも、まだまだずっと大きかった。
ぜんぜんたりない。
俺が小さすぎるのか、紫が大きすぎるのか、ほんとうに、俺たちは仲間なんだろうかと、紫を見上げて、俺はくやしまぎれに思う。
また俺が、勝手に機嫌を悪くしたのを見て取ったのか、紫が、どうしようかと迷うような気配を見せて、俺に向かって腕を伸ばしてきた。
地面を見下ろしている俺が、下へ降りるのに、助けがいると思ったのかもしれない。
俺は、ひどく素っ気なく、助けなんかいらないと、差し出された腕に向かって首を振ろうとして、やめた。
代わりに、もっと不機嫌になるためのように、紫のその腕をつかんで、紫の肩の上によじのぼろうとする。
紫の服をつかんで、引っ張って、紫が驚くのにもかまわずに、俺は、大きな肩の上にするすると上がっていった。
いつもは、前を向いて腰を下ろすそこに、今は紫の背中の方を向いて坐り、俺は、紫に見えないように、むうっと頬をふくらませる。
紫は、いつものように何も言わず、まだ歩き出そうともせず、俺が何か言うか、するかするのを、じっと待っているようだった。
紫が怒らないことに、よけいに腹を立てながら、けれど次第に、自分でも何をしているのかわからなくなって、いいかげん下に降りようかと地面を見下ろして、紫のつぼみが、背中に揺れているのが目に入った。
腕を伸ばして、そのつぼみを取り上げて、俺は自分のつぼみと並べてみた。
並べば、顔の前がいっぱいになる、ふたつのつぼみは、俺たちの体の大きさの違いにも関わらず、色も形も、今は大きさもそっくりだった。
俺は、紫に聞こえないように、ふん、と鼻を鳴らす。
やっぱり仲間じゃないか。
紫のつぼみを、放り出すように手から離して、俺はとんと、弾みをつけて、地面に飛び降りた。
すくっと立ち上がり、つぼみでよろけそうになるのを、胸を張って、肩をいからせて、俺は黙って歩き出す。
紫が、俺の後を追いかけてくる。
俺は、後ろも見ずに、一生懸命早足で歩き、紫は、俺とは並ばずに、しばらく後ろをついてくる。
それから、俺は足をゆるめ、紫は少し早足になって、俺たちはまた、いつものように肩を並べた。
俺たちはそのまま、黙って歩き続けた。
痛
暗くなると、地面に穴を掘る。爪先をそこに埋めて、明日の朝には元気になっているために、土から元気をもらう穴を掘る。
手が小さいせいなのか、白は穴を掘るのが、あまりうまくない。いつも先に掘り終わって、白の穴が充分な大きさになるのを、黙って待っている。
一生懸命地面の掘る白の小さな背中で、不釣合いに大きなつぼみが揺れる。
つぼみは、何となく色を濃くして、今にもはじけそうに見えた。
最初の頃は、いつも穴を掘るのを手伝っていたのだけれど、ある頃から、
「いい、自分でできる。」
と、白に言われ、わかったと、素直に手を引いた。
まるで、おまえなんかいらないと言われたように聞こえて、ほんの少し傷ついたことは、もちろん白には一言も言わない。
つぼみ以外、似ているところなど見当たらないから、白には何か思うところがあって、それはただ、ふたりが違うという、それだけのことだと、頭ではわかる。けれど、白の言葉が、ちくりと心に痛いことは、どうしようもない。
白は、やっと体を起こして、土に汚れた手をぱんぱんと叩いて、胸を反らすようにしてこちらを振り返った。
うなずいて、地面に腰を下ろして、掘ったばかりの穴に爪先を沈めて、土をかけて、眠るための準備をする。
頭のつぼみも、もう先に眠ってしまったように、たらんと背中にたれていた。
白が、じっと、こちらを見ていることに気づいた。
見上げて、見下ろして、何か言いたげに、じっとこちらを見上げ、見下ろして、また何か、白の気に食わないことでもやってしまったのだろうかと、ほんの少し肩をすくめる。
白が、こちらに向かって手を動かした。
「手・・・」
言われて、何のことかと、自分の手を見下ろすと、白もそこに手を伸ばしてきた。
白に手を取られ、どうしたのだろうかと思っていると、白は、首に巻いた赤いひらひらを引っ張って、それで手を拭い始めた。
まだ、土で汚れていたのが、気になっていたのかもしれない。
「爪が、痛そうだ。」
ほんの少し割れた爪の先や、ささくれに向かって、白の顔が、くしゃんとゆがむ。それを見て、またちくんと、心が痛くなった。
「痛くない。」
手のことか、心のことか、自分でもわからずに、つぶやいた。
白はそれきり黙ったまま、手のあちこちを、とても優しく、赤いひらひらできれいにしてくれた。
心があたたかくなって、眠りに落ちて、その夜、とてもいい夢を見たような気がするのだけれど、どんな夢だったのか、憶えていない。
咲
ある日突然、花が咲いた。
ぱちんと、頭の後ろで音でもしたように、俺は驚いて、肩をすくめて、何が起こったのかわからず、俺のとなりで、俺と一緒に足を止めた紫が、
「・・・花。」
俺の後ろを指差して、小さくつぶやいた。
肩越しに振り返って、そう言えば、何となく軽くなった頭を振ると、ふわりと、甘い匂いが鼻先をかすめて、目の前に、花びらが揺れた。
もっと驚いて、俺は、紫を見上げた。
土から出たのも、つぼみになったのも、紫の方が先なのに、俺の方が先に花になったのは、どうしてだろう。
自分のせいではないはずなのに、俺は、紫に、とても悪いことをしたような気がして、すっと視線をそらした。
花は、つぼみの時に想像していた通りに大きくて、つぼみよりも、もっと軽くふわふわと揺れて、花びらが6つ、中心の黄色い丸い部分から、甘い、自分の花だとは思えない香りがする。
紫のことを一瞬忘れて、俺は、こっそりと鼻を鳴らした。
見上げると、紫もこちらに向かって目を細めていて、俺の、咲いたばかりの花に見惚れているのだとわかる。
また、紫に悪いような気がして、けれど同時に、何となく誇らしい気分にもなって、俺はとりあえず肩をすくめて見せた。
俺たちは、そうして何も言わずに見つめ合っていて、しばらくしてから、紫が、俺の頭に掌を乗せてきた。
髪をかき乱すように、くしゃくしゃと、俺の頭を撫でて、今はしっかりと色も濃くなった茎を、その大きな指でつまんで、花のところまですうっとすべらせて、それから、俺の花に、ゆっくりと顔を近づけてくる。
「いい、におい。」
その声が、ひどくくすぐったく響いて、俺は、うれしくなって、顔を赤くした。
顔を上げた紫は、にっこりと微笑んでいて、俺も、それに向かって笑い返した。
「どうして、俺の方が先に咲いたんだ?」
わかるはずもないと思いながら、紫に向かって、問うでもなくつぶやくと、紫が、少しだけ考えるように、首をかしげて、唇をちょっと曲げて、ゆっくりと答えた。
「土から、元気いっぱいもらった。おれより、きっと、いっぱいもらった。」
真顔でそう言った紫に向かって、今度は、俺が首をかしげた。
土と話せる紫の方が、きっと土とは仲が良いのだと思っていたから、紫のその答えは見当違いなような気がして、少し考え込んで、いい答えが見つからずに、俺はふと黙り込む。
それから、不意に、何か思い浮かんだような気がして、俺は弾けるように紫を見上げた。
別に、俺が、土からたくさん元気をもらったわけではなくて。きっと、紫の方が、元気はたくさんもらっているはずだから。でも、きっと、紫はこんなに大きくて、俺はこんなに小さいから。きっと俺の方が、元気がつぼみに届くのが、紫より早かっただけだ。
多分、きっと。
土は、紫を大好きだと、俺は思う。俺なんかより、ずっとずっと。
それだけのことが、一気に俺の中にあふれた。
伝えようとしても、うまく言葉がつながらず、唇がほんの少しだけ動いて、俺は結局、その時浮かんだことを、一言も紫には伝えなかった。
下を向いて、花が先に咲くことなんて、別に大したことじゃないと、そううまく伝えられない自分がもどかしくて、俺はぎゅっと、首の赤いひらひらを握った。
それから、目の奥が熱くなって、それをがまんしているうちに、つぼみの、色も形も同じ紫の花が咲いたら、やっぱり同じ、いい匂いがするのだろうかと、そんなことを思った。
多分、俺の花を見て、紫も、これから咲く自分の花のことを考えているような気がして、紫の花は、もっときれいで、いい匂いかもしれない、そう言おうと顔を上げたら、そこには、優しく笑う、紫の顔があった。
その笑顔を見て、俺は、無理に何も言わなくても、紫は全部わかってくれているのだと、そう悟った。
俺は、目の前の紫に、にいっと笑いかけて、先に立って歩き出す。
花が揺れるたびに、空気の中に、甘い匂いがまじる。目には見えないそれを追いかけて、俺は、自分の花と、これから咲くだろう紫の花のことから、心が離せなかった。
悩
白の花からは、とてもいい匂いがする。
肩は並ばない。けれど、足並みをそろえて歩きながら、前へ進むたびに、花の匂いが辺りにただよう。
以前、森の中で見つけた、大きな花、あの甘さを思い出す、そんないい匂いがする。
だから、思わず白の方ばかり見下ろしていて、白が、なんだとこっちを見返してくる。
何でもないと、首を振って、けれどまた、白の花を見下ろして、あの花のように、白の花も甘いのだろうかと、考えるのを止められない。
触ったら、怒るかと思いながら、白の花をこっそりつついた。
色鮮やかな花びらは、やわらかくて、湿っているように冷たくて、触れて、驚いては、慌てて手を引っ込める。そんなことを、ひとりで繰り返している。
意味もなく、自分の花は咲かないのかもしれないと思って、ほんの少し悲しくなった。
花びらに、また伸ばした手が、花が揺れた拍子に、すべって花の中心をかすめる。触れた指先に、黄色い花粉がつく。
白は、前を向いて一心不乱に歩いていたから、それには気づいていなかった。
黄色く染まった指先を、そのまま拭ってしまうのが、何となく惜しくて、あの、大きな花の甘さを思い出しながら、思わずそっとなめてみた。
乾いた粉が、さらりと舌の上に乗る。甘くはない。少し苦い。
けれど花粉も、花と同じほど、いい匂いがした。
また白を、じっと見つめていると、白が不意にこちらを見上げてくる。
「なんだ?」
「なんでもない。」
花粉のなくなった指を、何となく背中の方に隠して、そう返す。白は、少しだけむっとしたように口をへの字に曲げて、けれどそれ以上は何も言わずに、また前を向いて歩き出す。
しばらく、白の方は見ないようにして、前だけを向いて歩いていた。
白の花の、花粉の苦さを思い出しながら、どうしても、伝えておきたくて、足を止める。白が、それに気づいて、先へ数歩進んでから、足を止める。
「なんだ。」
こちらに、わざわざ駆けて戻って来て、怒ったようにこちらを見上げる。
見上げられて、見下ろして、そちらに向かって伸ばしたくなる手を、一生懸命止める。
少し体を折って、あまり大きくはない声で、白にだけ聞こえるように、言った。
「花が、とてもきれいだ。」
言った途端に、白の顔が真っ赤になって、花はくるりとあちらに向きを変えて、白は、まるで隠すように、頭のてっぺんを両手で覆った。
「とても、きれいだ。」
もう一度言うと、白が大きくまばたきをする。
頭に乗せていた手を下ろし、足元に視線を落として、うつむいた唇が、とがって見える。
そんな白を目の前にして、また、よけいなことを言って怒らせたろうかと、不安になる。
その唇が、ほどけて、動いた。
「・・・そのつぼみだって、咲いたら、きっときれいだ。俺のより、きっとずっと。」
何か、言葉を返す代わりに、思わず目を大きく見開く。
このつぼみも、そのうち花になるのだろうか。
口にはしない不安が、不意に大きくなる。咲かずに、枯れてしまうのかもしれないと、ひとりで、ずっと考えている。
けれど、咲かなかったら、白を悲しませるかもしれないと思って、そのことの方が、自分にとっては悲しいことのように思えた。
あちらにそっぽを向いていた白の花が、いつの間にかこちらを向いていて、まるで、微笑むように、風に揺れていた。
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