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デリカテッセン
馬の世話をするのに休日などないけれど、月に一度か二度、土曜の午後に休みをもらうことがある。その日は町へトラックを走らせ、必要な買い物をすませた後、町の中心を東に外れて、ドイツ人のやっている食料品店へ行く。
店は思ったよりも広くて明るい。店で働くのはほとんどが女性で、皆薬剤師のように白衣を着て、化粧も髪も地味だ。半分は訛りのない英語を使い、半分は程度の差のあるドイツ語訛りで話す。こちらが困惑するほどの愛想はなく、けれど彼女らの笑顔はいつ見ても好ましい。
ジェロニモの目当ては、ハムやソーセージがずらりと並んだショーケースの上に、山と積まれているサンドイッチだ。ひとつひとつここで作られたもので、頼めば、好きなようにも作ってくれる。ハムはもちろん美味い、チーズもだ。けれどライ麦のパンがいちばんだった。
ピクルスは入れずに、マスタードも抜いて──ハインリヒが聞いたら顔をしかめる──、歯ごたえのある薄茶のパンとチーズ、そしてその時々で豚だったり牛だったりする様々な種類の薄切りの肉を挟んでもらい、そうしたければ、金を払った後で、店の隅の、いちばん明るい場所へひっそりと置かれたテーブルで、サンドイッチをすぐに味わうこともできた。
サンドイッチをふたつ手に持って、ジェロニモはレジへ向かいながら、やや歩調をゆるめて棚の間を歩いた。ふと足を止めて、ドイツ語で書かれた商品の名前や説明を読む。気が向けば手に取って、裏側の成分表まで眺めた。
頭の中に埋め込まれた自動翻訳機のおかげで、目から入る情報は即座に翻訳されて脳に伝わる。目はドイツ語を見ているけれど、頭の中ではすでに英語が流れている。
こんなものは何もなく、そのままこれを読んだりハインリヒのドイツ語を聞いたりしたら、一体どんな風なのかと、ジェロニモは思う。
手にしていたジャムのビンを、ジェロニモはそっと元の位置に戻した。
この店に来るのは、ドイツ系の人間ばかりとは限らず、オランダ系だと自分のことを話していた客もいたし、ジェロニモの半分ほどしか背丈のない、東洋人の少女──そう見えるだけで、多分きちんと成人だろう──も見かけたことがある。メキシコ人もいたし、フランス系か、フランソワーズと同じ訛りの英語を使う、見事な黒檀の肌の青年もいた。
ここに来ると、仲間のことを思い出す。ジェロニモの住む居留地にはない空気が、この店にはあった。
ここへジェロニモを連れて来てくれたのは、偶然行き会ったトラックの運転手だった。
この町へは、ちょっと寄っただけだと言った彼は、トラックの前輪を道路沿いの溝に取られ、事故と言うほどではなかったけれど、周囲には家も何もない場所で、どこへ電話して牽引用の車を寄越せと言うべきか、うろうろと迷っていた。ジェロニモはそこへ通り掛かり、黙って自分のトラックを降りて、男のトラックを元に戻してやった。
「すげえなアンタ。」
ひょろりと背の高いひげ面の男は、きつい東欧系の訛りがあり、目の色も髪の色も違っていたけれど、何となくジェットを思わせる風貌だった。
男が無事にトラックを動かせることを確かめてから、黙って去ろうとしたジェロニモを男は必死で引き止め、
「時間があるなら礼くらいさせてくれよ。」
そう言って町中までジェロニモを連れて行き、この食料品店へ連れて来てくれた。
小さな店のいくつか並ぶそこは、規模の割りに大きな駐車場があって、どうやらトラックの運転手たちのたまり場らしく、夜には空になるここで、トラックの中で夜明かしをする運転手もいるのだと、男が教えてくれた。
「友達、トラックの運転してる。」
ハインリヒのことを思い出しながらそう言うと、男は顔中をくしゃくしゃにして笑い、ひどくうれしそうにジェロニモの背中を何度か叩いた。
ハンガリー人だと言う男は、明日は北へ戻り、その後国境を越えるのだと言った。こちら側へ来る時に、国境の警備の連中がどれだけ疑り深くて無礼かと、サンドイッチをほおばりながら話してくれる。どの国へ行く時も、国境でたいてい止められるジェロニモには、馴染み深い話題だった。
この店は、町の人間たちにも人気があり、そしてこうやって、町の外からやって来る人間たちにも評判が良いのだと男が言う。男も、別のトラックの運転手から教えてもらったのだそうだ。
男は、すでに顔馴染みらしい女性の店員を軽口で笑わせ、マスタードたっぷりのサンドイッチを6つ買って、ふたつをジェロニモにくれた。
「うまいぜ、サンドイッチはこの店がいちばんだ。」
男は歩きながら、まだ金も払う前に瞬く間にひとつを食べ終え、そしてふたりは店を出て、男はここを通り抜けてひとまずさらに南に向かうと言って、トラックで去って行った。
ジェロニモは男を見送り、自分のトラックへ戻ってから、男がくれたサンドイッチをひとつ食べた。ゆっくりと時間を掛け、自分では塗らないマスタードの辛さを、ひと口ひと口、ハインリヒのことを思い出しながら味わった。
今日は駐車場にトラックの姿はなく、多分夜になれば、夜明かしをする運転手たちが現れるのかもしれない。
ハインリヒにも、こんな場所がいくつかあって、仕事の途中に立ち寄っては、軽く食事をし、睡眠を取り、また次の町へ出掛けてゆくのだろうか。国境をいくつも越え、たまには警備に何か疑われてトラックの中を調べられ、そのたびパスポートを取り上げられて、イライラしている彼の表情が鮮やかに目の前に浮かぶ。
今、どこで何をしているのだろうと思った。
やっとたどり着いたレジで、サンドイッチを差し出し、袋に入れてくれようとするのを断って、ジェロニモはまたゆっくりと店を後にしようとした。
「良い1日を。」
レジの女性が、にこやかにジェロニモに声を掛ける。
「そちらも。」
にっこりと、彼女の笑顔を写して、ジェロニモも明るく返した。
ありがとう、とドアを開けながら振り返らずに言う。彼女はもう次の客の品へ手を伸ばしていて、ジェロニモの声は聞こえなかったようだ。
次の時には、とても淡いきれいな色をした、びん入りの粒マスタードを買って、それからライ麦パンも買って、自分でサンドイッチを作ることにしようと思う。ハインリヒが次にやって来た時に、できるだけ美味いサンドイッチを作れるように、できるだけ彼の好みに合うように、練習をしておけばいい。
まだ日は高く、夕方までにはずいぶん時間がある。これからどこへ行こうかと考えながら、ジェロニモは、サンドイッチの包みを開けて、行儀悪さに構わず、歩きながらそれにかぶりついた。