森の中で
1) またあした
ある、小高い丘の頂上近くに、うさぎの村がありました。
小さな村では、みんなが一緒に、にんじん畑ときゃべつ畑を耕して、少し大きな子どもたちは、遊びがてら、連れ立って、近くの森へ、野いちごを採りにゆきます。
でも、森の奥へは、誰も行きません。
村でいちばん年を取った、コズミさんは、いつもいつも子どもたち---と、その親ウサギたち---に、
「森の奥へ行ってはいかんよ。森を抜けて、あちらへゆくと、おそろしいいきものがいる。」
そう言って、ちょっとだけ、怖い顔をします。
子どもたちは、すっかり怯えて、森の入り口で、野いちごを採ると、決してそれ以上奥へは行かず、野いちごの収穫には喜びながら、けれど、ほんの少しだけ、怖がりながら、急ぎ足で村へ帰ってきます。
そんな中で、ひとりだけ、変わりもののうさぎがいました。
村のみんなが、灰色がかった茶色の毛色なのに、ひとりだけ真っ白なそのうさぎは、毛の色に合わせたように、目も、透き通った水の色で、けれどどうしてか、右の前足が、肩から全部、薄い灰色でした。
あの子は、森の入り口で、拾われた子だから。
みんな、隠しもせずに、そう言います。
村のみんなに育てられ、コズミさんに、ハインリヒと名付けられた、その白うさぎは、今はすっかり大きくなって、ひとりの穴に、ひとりで住んでいます。
毛の色が違うことと、親が、この村にいないせいで、ハインリヒは、何となく、みんなから仲間外れにされていました。
誰かにいじめられるわけではなく、村から出て行けと言われるわけでもなく、けれど、みんな、あまりハインリヒには、話しかけたりもせず、畑を一緒に耕したりもしません。
ハインリヒは、いつの頃からか、自分のことは、ひとりでするようになってしまいました。
コズミさんは、村でいちばんえらい大人らしく、ハインリヒが、何か困ったことがあれば、いつも話し相手になってくれますが、それでも、村の他のうさぎたちに、ハインリヒと仲良くしなさいとは、決して言いません。
ハインリヒは、ひとりぼっちを、あまり気にしてはいませんでした。
村にはいられるし、住む穴はあるし、話をする相手ならコズミさんがいるし、取り立てて不満はありません。
そんなわけで今日も、いつもと同じように、小さなかごを肩からぶら下げて、森の中へ入ってゆきます。
村の他のうさぎは、絶対に入らない森の奥へ、ハインリヒは、平気で入ってゆきます。
森の入り口で拾われて、毛の色の違うハインリヒは、きっと森の奥のどこか、あるいは、森を抜けたどこかからやってきたのだろうと、コズミさんも、村のみんなも思っていたので、誰も、ハインリヒをとがめません。
ハインリヒも、コズミさんがいつもみんなに言う、おそろしいいきものに出会ったこともなく、でも、まだ、森の奥をさらに進んで、森を抜けた先へ行ったことは、ありませんでした。
道を歩きながら、垂れた長い耳が、ふわふわと肩の下で揺れます。
他のうさぎの耳は、もっと短くて細くて、ぴんと立っていますから、これもまた、村ではハインリヒだけが、こんな耳をしています。
すんすんと、鼻を鳴らして、ブルーベリーの匂いを見つけようとしました。
秋になって、もう、冬の支度のために、たくさん食べものを見つけなければなりません。自分の分だけではなく、村のみんなの分も、一緒に集めなければなりません。
今年は、どうしてか、畑のにんじんときゃべつの出来が悪く、いつもなら、ハインリヒの耳くらい大きなにんじんがとれるのに、今年はまだ、みんなの小さな耳くらいのにんじんしか、見ることができません。
いっぱい、ブルーベリーを採って帰ろう。
そう思いながら、ブルーベリーの匂いのする方へ、またどんどん歩いてゆきました。
「よう、ハインリヒ、げんきか?」
頭上で、ぱたぱたと小さな羽の音がしました。
足を止めて見上げると、くちばしの長い、真っ赤な鳥が、はばたきながら、ハインリヒを見下ろしています。
「やあ、ジェット。」
ジェットと呼ばれた、その真っ赤な鳥は、ゆっくりと下りてくると、慣れた様子で、ハインリヒの頭の上、垂れた両耳の間に、そっと細い足を下ろしました。
ふわふわの白い毛の、頭の上に乗ったジェットを、上目に見ながら、ハインリヒは、またゆっくりと歩き出します。
「また野いちご探しか?」
「違うよ、今日は、ブルーベリーを見つけるんだ。」
頭の上で、ふんと、ジェットが鼻を鳴らしました。
「そんなことより、オレの青虫とりを、手伝えよ。」
ハインリヒは、頭の上のジェットにも見えるくらいに、唇を突き出しました。
「ボクは、あおむしなんか食べないったら。」
「ちぇっ、がんこもの。」
「キミみたいに、空を飛べるようになったら、ね。」
ジェットが、ちょんちょんと、ハインリヒの、大きな耳を、くちばしでつつきます。
「これで、飛べそうだけどな。」
くすぐったくて、ハインリヒは、歩きながら肩をすくめて、くふんと笑いました。
「じゃあ、先に、ブルーベリーを見つけようぜ。」
ジェットが、急に、ぱたぱたと、飛び上がりました。
ハインリヒが歩く先に、ふわりと飛んでゆきます。
先に行って、ブルーベリーを見つけるつもりなのだろうと、その真っ赤な羽を見失わないように、ハインリヒは、少しだけ足を早めました。
ジェットは、ふわふわと、先を飛びながら、時折、ハインリヒの方へ振り向きます。
森の中の道が、ゆるりと右へ曲がっている手前で、ジェットがまた、ぱたぱたと止まり、ハインリヒの方を向いて、こちらへゆくぞと、そんな顔を見せました。
ハインリヒは、にっこりとうなずいて見せて、木の影に隠れてしまったジェットの姿を、また早足で追い駆けます。
木の影を回ったところで、まだ、ぱたぱたと宙に浮いたままのジェットに、突然でくわして、ハインリヒは、ジェットのおしりに鼻先をぶつけそうになりながら、慌てて足を止めました。
「どうしたの?」
ジェットがやっと、ハインリヒの方へ、振り向きました。
「あれ、なんだよ。」
ジェットが、真っ赤な羽の先を、ふたりがゆこうとしていた方向へ、差し出しました。
大きな木の根元に、茶色い、毛のふさふさしたかたまりが見えました。
ふたりは顔を見合わせて、一緒に首を振ります。
ハインリヒは、ぴくぴく鼻を動かしました。
「なんだろう、知らない匂いだよ。」
「でも、おまえのとこの、村のやつに、毛の色が似てるぜ。」
「似てるけど・・・あんなに大きくないよ。」
ふたりはまた、顔を見合わせ、今度は一緒に、こっくりとうなずきました。
行ってみよう。
ジェットがまた、ハインリヒの頭の上に止まりました。
ハインリヒは、足音をいっそう忍ばせて、ゆっくりと、その茶色いかたまりに近づきます。
茶色のかたまりは、ハインリヒが、そっと傍に寄って、しゃがみ込んでも、ぴくりとも動きません。
のぞき込むハインリヒの頭の上から、ジェットも、首を伸ばしてのぞき込みます。
「見たことあるか?」
ジェットが、小さな声で、訊きました。
ハインリヒは、そっと首を振ってから、おずおずと、灰色の右の前足を伸ばします。丸い前足の先を、ぴたんと、茶色いかたまりの上に乗せました。
「・・・あたたかいよ。ボクらと同じだ。」
ジェットが、ハインリヒの頭から離れ、くるくると、茶色いかたまりの上を、飛び回り始めました。
茶色いかたまりのあちら側で、ジェットが、地面に飛び降りました。
「血だ。」
驚いて、それでも、まだ足音は忍ばせて、ハインリヒは、慌ててジェットのいる方へ行きました。
そこには、見たことのないいきものの顔があって、傍に置いた腕からは、血が流れていました。
ジェットは、今にも、くちばしで、茶色いかたまりの、額に当たる部分を、つつき出しそうに見えます。
それを見下ろして、ハインリヒは、小さな声で言いました。
「ねえ、ジェット、ブルーベリーを、探してきてよ。ボク、薬草をとりにゆくから。」
ジェットは、あまりいい考えだとは思えないなというような表情を見せて、それでも、ハインリヒのために、ブルーベリーの繁みを見つけてきてくれました。
その間に、ハインリヒは、ちょっと苦い匂いのする薬草を探してきて、前歯で小さくちぎって、両前足の間でもむと、少ししっとりした緑のそれを、茶色いかたまりの、血の跡のある腕に、そっと乗せました。
そうしてから、ジェットと一緒に、ブルーベリーの繁みへ行って、かごがいっぱいになるまで、せっせとブルーベリーを摘み、それからまた、少し早足に、あの、茶色いかたまりのところへ戻りました。
戻ってみると、茶色いかたまりは、木の根元に坐って、緑の薬草の乗った腕を、不思議そうに見下ろしていました。
茶色いかたまりの、大きな体は、その背中に木が隠れるほどで、顔には、たくさんの線がついていました。
それでも、おそろしげな感じはなく、ジェットは、ハインリヒの頭に乗ったまま、ハインリヒは、かごの肩ひもを、少しだけぎゅっと握って、ゆっくりと、茶色いかたまりに、近づきました。
茶色いかたまりは、濃い茶色の、丸い目を、ふたりの方へ向けました。
ハインリヒは、ジェットと一緒に、大きな茶色のかたまりを、見上げました。
「あなたは、なに?」
ハインリヒが訊くと、茶色いかたまりは、じっとハインリヒを見つめました。
その瞳が、どうしてか、ひどく悲しそうで、ハインリヒは、少しだけびっくりしました。
「おれ、山犬。」
茶色いかたまりが、まるで、どこか、遠くの方から聞こえてくるような、深い、低い声で、答えました。
「やまいぬ?」
ハインリヒの頭の上で、ジェットが、少し高い声を出します。それから、そのまま、黙ってしまいました。
「どこから来たの?」
ハインリヒが重ねて尋くと、山犬だと答えた茶色いかたまりは、目を伏せ、それから、首をねじって、森のもっと奥の方を眺めて、また、淋しそうな、悲しそうな顔を見せます。
ハインリヒは、自分が山犬を悲しませてしまったような気がして、それ以上、何も尋かないことにしました。
もじもじと、両方の後ろ足をすり合わせた後、ハインリヒは、薬草のことを思い出して、山犬の腕を指差しました。
「草がかわくまで、取らない方がいいよ。」
山犬は、ハインリヒの指差した腕を見下ろして、ようやく、薄く微笑みました。
ゆっくりとうなずいた瞳に、少し明るい色が差したような気がして、ハインリヒは、何だかうれしくなりました。
ハインリヒは、山犬が、そこから動かないのを見て、自分も、地面の上に坐り込みました。
「そうだ、ブルーベリーを、一緒に食べよう!」
かごの中に、摘んできたばかりのブルーベリーがあるのを思い出して、ハインリヒは、そのかごを、山犬の前に差し出しました。
途端に、頭の上に止まっていたジェットが、ぱたぱたと飛び上がって、
「オレは、虫でも探してくるから。」
早口に言うと、もう、飛び立とうと、ハインリヒに背中を向けます。
「また後でな!」
ブルーベリーを見つけてくれて、ありがとうと、ハインリヒが言う前に、ジェットは、もう、ばたばたと空に向かって飛び立ってしまい、ハインリヒは、びっくりしたまま、ジェットの赤い影が、空に消えてゆくのを見上げていました。
ジェットが去ってしまうと、変なの、と口の中で小さく言って、ハインリヒは、ブルーベリーのかごを、地面に向けて、引っ繰り返します。
ざらざらと、深い青紫の実が、草の上にこぼれ落ちました。
1粒取って、口の中に入れると、ぷしゅんと舌の上でつぶれ、酸っぱい淡い甘みが、喉の奥に広がります。ハインリヒは、くすぐったそうに、肩をすくめて、ふふっと笑いました。
山犬は、何も言わずにハインリヒを見つめていましたが、ハインリヒが、10粒目を口に入れた頃、やっと、大きな茶色い腕を、その青紫の実に伸ばしました。
大きな前足に、ブルーベリーの実は、とても小さく見え、大きく開いた口の中にも、その実は、ほんとうに、小さく見えました。
山犬は、もぐもぐと、その小さな実を、丁寧に、ゆっくりと噛んで、目を閉じてから、そっと飲み込みました。
ハインリヒはそれを、ブルーベリーをつまむ手を止め、じっと見上げていました。
なんだか、山犬が、とてもおなかをすかせているように思えたので、残りのブルーベリーは、このまま全部あげようと、心の中で思いました。
また、ブルーベリーを摘みに行かないと。
村に持って帰る分が、まだ繁みに残っているかなと、そんなことを考えます。
もう、行かないとと、そう思いながら、ぐずぐずと立ち上がれずにいると、山犬が、突然話しかけてきました。
「おまえ、この森に、住んでるのか?」
また、地面に響くような、低い、深い声でした。
ハインリヒは首を降って、森の、反対側を指差しました。
「あっちに、村がある。みんなで住んでる。」
そちらに顔を向けて、山犬は、そうか、と小さく言いました。
ふたりは、それきり黙ったまま、ゆっくりと、ブルーベリーを口に運びました。
草の上のブルーベリーが、半分に減った頃、ハインリヒは、もう、ほんとうに行かないとと、手を止めました。
空になったかごを、胸の前に抱え、また山犬を見上げます。
山犬も、ブルーベリーをつまむ手を止めて、ハインリヒを見下ろしました。
「山犬さんは、あしたもここにいるの?」
山犬の視線が、ハインリヒの、水色の瞳から、白い大きな耳に移って、それから、そこだけ灰色の、右の前足をたどりました。
それに気づいて、ハインリヒは、山犬も、ハインリヒを、変なやつだと、心の中で笑っているのかなと、少しだけ悲しくなりました。
「ジェロニモ。」
山犬が、突然言いました。
何のことだろうと、あまり大きく開かない、山犬の口元を見つめ返すと、山犬が、にっこりと笑いました。
「ジェロニモ。おれの、名前。」
線のたくさん入った顔が、優しくなります。
ハインリヒは、うれしくなって、勢いよく立ち上がると、ふるふると肩を震わせながら、山犬に---ジェロニモに笑い返しました。
「ボク、ハインリヒ。」
ぴょんと跳ねて、かごを抱えて、さっき、ブルーベリーを摘んだ繁みの方へ、弾むように走り出しました。
振り返って、ジェロニモに向かって、右の前足を振りました。
「またあした!」
ジェロニモは、にっこりと笑って、傷ついていない方の腕を、振り返してくれます。
ハインリヒは、うふふと笑って、繁みにたどり着くまで、ずっと走り続けました。
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