Just Like A Woman



 熱い、と思って、ごろごろと無理に寝返りを打ち続けた。
 いつの間にか毛布はめくれ、ベッドの、いちばん端に体を引っ掛けるようにして、眠りの中で、もっと深い眠りに落ちようと、必死になっていた。
 もう一度向きを変えた体が、ごとりと床に落ちる。
 右側の、手足のない方の体をとっさにかばって、けれど、目覚めたのかどうかは定かではなかった。
 冷たい、と床の、毛足の短い絨毯の上で、そう思った。
 体を伸ばし、またそのまま、目も開かずに、眠りに戻る。


 立ち上がって、周囲を見渡す前に、思わず自分の右手を見つめた。
 機械ではない、生身に見える手が、そこにある。
 人工皮膚か?
 感触では、よくわからない。見下ろすと、右足もあった。
 直ったのか。
 右足で、とんとんと地面を蹴って、久しぶりで2本の足で立つ感触を楽しむ。
 右手を何度も握って、開いて、指が自由に動くのを眺める。
 直ったんだ。
 そう思ってから、ふと、今自分が全裸であることについて、何の奇妙さも浮かばないことに、少しだけ違和感を覚える。
 どこだろう。
 右手を眺めていると、左側に、ふっと気配が現れた。
 まるで煙のように現れた人影は、黒衣の骸骨で、左手に、大きな鎌を持っていた。
 死神だ。
 仲間じゃないかと、ふとそんなことを思って、そんなことを思った自分に、うっすらと苦笑する。
 死神は、骸骨なのに、にたにたと笑っているように見えた。
 それに嫌悪を感じて、思わず唇を曲げる。また死神が、薄気味悪く笑った。
 お仲間さ。
 かたかたと、歯の残骸を鳴らして、死神が言った。
 ふと、肩を引く。鼻白んで、死神を見返した。冷たい殺気を、そうとは知らずに含んで。
 俺を、連れに来たのか。
 そう訊くと、死神が、ぞっとするような声で答えた。
 仲間同士、命を取り合うほど、落ちぶれちゃいないさ。
 仲間、とまた言われて、ぴくりと眉を吊り上げる。
 いつも、敵だと見なした相手にそうするように、すいと右手を上げる。
 そうしてから、今はどうやら、右手のマシンガンが使えないらしいことに気づく。
 ちっと、大きく舌を打った。
 そう慌てるな。別に、その首かっ切ろうってわけじゃない。
 妙に馴れ馴れしく死神が言う。
 右手を下ろし、武器の使えないらしい体を、仕方なく無防備に晒した。
 何の用だ?
 低い声で、威圧するように、問う。
 また死神が、にたりと笑う。
 これを、渡すために、来たのさ。
 ぱちりと、死神が、骨の指先を合わせて音を立てる。
 途端に、胸の前に、腕の中に、大きな石のようなものが現れた。
 慌ててそれを抱え、思ったよりも軽い感触に、また慌てる。
 気をつけた方がいい、それはずいぶん壊れやすい。
 指差しながら、死神が言う。
 壊れやすい?
 腕の中の、石のようなものを見下ろした。
 楕円の、白い、少しざらついた質感。それはどう見ても、卵の形をしていて、間違いがなければ、卵にしか見えない代物だった。
 胸に抱えるほどの大きさの、人間の赤ん坊くらいの大きさの、卵。
 卵?
 思わずそう口にすると、死神が、またかたかたと歯を鳴らした。
 その卵は、おまえだ。おまえ自身が、その卵だ。
 なぞなぞのような言葉の連なりは、唇ではなく、その空っぽの、暗い眼窩から聞こえてくる。
 思わずぞっと背中を震わせて、その昏い虚に、目を凝らす。
 抱えて、暖めるんだ。おまえがまた、その卵から孵るまで。
 言い終わった瞬間、死神を笑い声を立てて、現れた時と同様に、煙のようにかき消えてしまった。
 おい、待て。
 声をかけた先には、もう、薄闇しかない。
 他に何の気配もない、灰色の空間で、観念したように、卵を抱えたまま、地面に坐りこんだ。
 両手で抱きしめて、掌で、何度も撫でる。強く押すと、それだけで割れてしまいそうに思えた。
 自分の体温が、一体卵を暖めるのに充分なのかどうかわからないまま、それでも胸や腹や手足の皮膚に、なるべくたくさん触れるように、何度も卵を抱え直す。
 そうするうちに、どうしてか、この卵に対して、奇怪ないとしさがわいてくる。
 思わず、そっと頬をすり寄せた。
 これはおまえだと言い残した死神の声を、頭の後ろで繰り返す。
 これが、俺なのか。
 とろりとした、卵白のような粘液に包まれている、赤ん坊の自分を思い浮かべる。
 生まれたら、どうやって育てるんだろう。
 そんな心配を、する。
 それとも、ただ小さいだけの、もう大人の自分がこの中に入っているのだろうか。
 つくった拳で、こんこんと卵の表面を叩く。そうすれば、中から返事が返って来るかもしれないと、馬鹿げた考えが浮かぶ。
 反応はなく、また頬をすり寄せたついでに、耳をぴったりと、卵の少しざらつく表面に押し当ててみた。
 ひっそりとしているように見えて、その中からは、さまざまな雑音が、小さく聞こえた。
 がたがた、ごとごと、ぱたぱた、ことこと、かたかた。
 生きてるんだ。
 ふと、うれしさがわく。
 いとしさは、大きくなる一方で、まるで、子どもがわくわくしながら、育ってゆく小さな動物を見ているように、その卵をまた、期待を込めて、しっかりと抱きかかえる。
 不意に、背中がぞくりとした。
 寒い。
 そう思って、思わず腕を撫でる。
 冷気が、体中を包んでいた。
 卵が、冷たくなる。
 体温が下がるのを恐れて、立ち上がって、どこか別の場所へ移動しようと思う。
 もっと、どこか暖かいところ。
 体が、寒気で震え始めた。
 早く。
 震えながら立ち上がり、それから、1歩前に踏み出した。
 ぐしゃん。
 つるりと腕から滑り落ちた卵が、足元で壊れ、割れた。
 ぺしゃりと音を立てて、中から白っぽく透明な、とろりとした粘液があふれ出す。
 両足が、その中に浸った。
 呆然と、割れた卵を見下ろして、突然空になった両腕を、信じられないという面持ちで眺める。
 言ったろう、お仲間だと。
 どこからか、消えてしまった死神の、不快な声が響いてきた。
 割れた卵は、もう元には戻らない。
 わかりきったことを、言い聞かせるように、声が言った。
 殻の周りに流れ出た粘液の中に、思わず膝を落とす。
 それから、割れてしまった卵に、ようやく手を伸ばした。
 機械の、部品。殻の中からこぼれ出たのは、そんなものだった。
 右腕の一部らしいもの。右足の、骨に当たる部分らしいもの、心臓の形をしたもの。さまざまな色のワイヤー。
 そんなものの中に、両瞳が、そろって並んでいた。
 水色の、まるで生気のない、冷たい瞳。
 ああ、と思わず声をもらして、それに向かって手を伸ばした。
 ぎょろりと、瞳が動く。見つめられる。
 殺気を感じて、思わず手の動きが止まった。
 触ると、撃つぜ。
 自分の声が、そう言った。
 絶望が、突然身内を満たす。
 その卵はおまえだ。そう言った死神の声を、何度も何度も、繰り返し耳の奥に聞く。
 灰色の世界で、壊れた卵の前で、生身のまま、機械の自分の残骸を、いつまでもいつまでも眺めていた。


 肩を揺すられ、薄く開けた視線の中に、大きな黒い影が、飛び込んできた。
 「死神か?」
 そんな言葉が、思わず口をついて出た。
 「ハインリヒ?」
 影が、自分の名を呼んだ。
 目を開け、闇の中に瞳を凝らす。
 「・・・・・・ジェロニモ。」
 目の前にいる、仲間の名をつぶやいてからようやく、夢が終わったのだと知る。
 安堵のため息をもらして、ハインリヒは、思わず体の力を脱いた。
 「うなされてた。夢、悪い。」
 床の上に寝ているのに気づいて、ハインリヒは慌てて肩を床から浮かせる。
 手足が冷えている。けれど、頬の辺りだけが熱い。
 ジェロニモが、額に掌を当てた。
 「熱ある。寝る。」
 ベッドの中で、暑さに耐え切れずに、床に落ちたまま、そこで寝てしまうことにしたのだと、ぼんやりと思い出していた。
 粘液にまみれた、機械の部品のイメージが、突然頭の中にあふれる。
 自分の瞳が、そこから、自分をにらんでいる。
 目を大きく見開いて、ハインリヒは、自分の両目がそこにあることを確かめるために、じっとジェロニモを見つめた。
 ひどく切羽詰った様子に気づいたのか、ジェロニモが、不審気に、そんなハインリヒを見つめ返してくる。
 ベッドに戻らせるために、右の手足のない自分の体を抱え起こしたジェロニモに、ハインリヒは、出来る限りの力で、しがみついた。
 体中が震え、そうとは思わずに、涙があふれた。
 恐怖と絶望が、そこら中に満ちていた。どうしてなのか、わからなかったけれど。
 ジェロニモの腕が、肩と背中に回る。
 子どものようにしゃくり上げながら、必死でハインリヒは言った。
 「頼むから、しばらくこのままでいてくれ。抱いててくれ、頼むから。」
 うなずくことさえせず、静かなまま、ジェロニモが、ハインリヒと一緒に床に坐り込む。
 その膝の上に抱え上げられて、しっかりと、抱きしめられた。
 銀色の、乱れた髪に、長く太い指がもぐり込む。
 まるで、母親に抱かれる子どものように、大きな胸に全身を預け、ハインリヒは、泣き続けた。
 ジェロニモが、今自分を抱きしめている形が、夢の中で、自分が卵を暖めていた形と同じだとは気づかないまま、ハインリヒは、瞳を閉じて、ジェロニモの、人工心臓の音を聞いていた。


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