ミステイク



 間違いだらけの生き方だったのかと、命を手放してしまった体を抱いて、思った。
 焦げた匂いと、かすかな血の匂い。人の死に出会ったのは初めてではなかったけれど、大事な人を失くしたのは、あれが初めてだった。
 危険を承知のことだったけれど、それが自分の身に起こるとは、思わないのが人間だ。
 ひとり生き残ってしまったことを、とても卑怯なことだと、今も思う。
 それでも、あの時自分が死んでしまっていたなら、こんなひとならぬ身にされてしまったのが、恐らく自分ではなかったのだろうことに、耐えられはしない。
 むごい死に方をすることと、ひとではない身にされて生き延びることと、どちらがどれだけ不幸せなことか、比べられるはずもなく、誰かに尋ねるわけにも行かない。
 国を区切る壁を越えたその後で、心を区切る壁の中に囲い込まれている。鋼鉄の、大抵の武器は弾き返す殻の中に、ひとのままの心が閉じ込められている。
 それでも生きていてよかったと、そう思うのは、何の慰めにもならない、ただの詭弁だ。
 壁のあちら側では、生きることすらままならなかった。そして壁のこちら側で、新たな壁の中で、今は死ぬことがかなわない。
 何を求めていたのだろう。何を探していたのだろう。あの時抱いていた希望は、確かにあの時、輝いていた。小さな小さな、軽々しい自分たちの命よりも軽い、はかない希望だったけれど、その希望がゆえに、息苦しく生きることさえ、充分に意義深いように思えていた。
 その日々は、砕かれて粉々になり、希望は潰え去った。気配すら、空気の隙間に溶け、何もかも、もう跡形もない。
 あの壁はない。あの希望の日々が在ったという証拠はもう、この地には存在しない。
 この世には、死よりも恐ろしいものがある。それは、忘れ去られてしまうことだ。誰の記憶にも残らず、誰かが新たに記憶を刻むこともない。忘れ去られてしまったそれは、最初から存在しなかったように、きれいさっぱり、世界から消え去ってしまう。
 あの日、地面に残った、焼け焦げた車の破片も、その体から流れた血の染みも、何もかも、もう跡形もない。
 あの日あの時あの場所で、女と男がひとりずつ死んだけれど、生きていたということすら、もう誰も憶えてはいない。
 生き延びて、そのことを覚えていても、その記憶を語って聞かせる誰もいない。
 希望を抱いて生きていたのだというあかしは、どこにもない。


 誇りを失うのは、案外と簡単だ。
 胸を張って頭を高く上げて、見下ろす人たちすべてが、自分を見下しているという現実の中では、誇り高くあることは、時折呼吸をするより難しい。
 生まれた時には、もうひとではなかった。
 ひとの形をした何か、けれど、ひととしては充分ではない、何か。
 膚の色が違うからか、違う言葉を使うからか、違う神を崇め、違う真実を大事にするからか。正しいことはひとつではないのだと、われらの存在が証明してしまったから、彼らの神は、それを許しはしなかったからか。
 神とは、等しくひとを愛してくれるものではないのか。その姿かたち、唇から発する音に関わらず、この存在をひとと名づけて、等しく受け入れてくれるものではないのか。
 ひとだけではなく、ひとを囲むすべて、空や風や土にも命を吹き込み、その命を等しく慈しむものではないのか。
 ひとつのものだけを、何よりも尊いのだと言って、他のすべてを蔑ろにしろという彼らの神を、愛することができないと言ったわれらは、ひとではないのだと、彼らと彼らの神は言う。
 ひとではないわれらは、彼らと彼らの神に、救い導かれる必要があり、そのためには、われらはわれらの神を捨て、言葉を捨て、血の流れを捨て、われらを形作るありとあらゆるすべてを、捨てなければならないのだと、彼らと彼らの神は言う。
 それならば、その神に愛される必要はない---われらが、彼らと彼らの神を愛さない、という意味ではない---と言えば、われらは、彼らと彼らの神の言うところの悪魔であるから、われらは滅されるべきなのだと、彼らと彼らの神は言う。
 滅されるなら、そうなる前に、あちらを滅してしまえばいいと、けれどそんなことはしたくなかったから、ただひとりきりでも誇り高くありたいと、われはわれでありたいと、そのあかしを、顔に刻んだ。
 鋭く彫られた皮膚は血---彼らと同じ、赤い血だ---を流し、熱を持って腫れた。その後に浮かんだ白いその線は、これは、われのともたちが流した、血と涙だ。
 これは血と涙の河だ。今では細く細く、絶え入りそうに小さな流れになって、けれどこの膚に刻み込まれ、乾き失せることはない。
 河の流れを背負って、頭を高く上げ、ただひとりきり、生きて行くつもりだった。
 われは、間違いなくひとであると、何がどう彼らと違おうと、われもまたひとりのひとであると、言葉ではなく、傷つけるために振り上げる拳は持たず、ただ静かに伝えるために、顔に刻んだ涙の河のひとすじだった。
 その河の下には、今ではひとならぬものが詰まっている。
 ひとではなく生まれ、ひととして生きようとして、ひとではないものにされてしまった。
 土や水に還ることのできないわれを、それでも風や空が、変わらずに包み込んでいる。


 過去など、掌に乗せた泥ほどの重みもない。
 曲がりくねった道を、歩いて来たのだと、振り返って見たところで、懐かしがるよりも、そんな道を好き好んで歩いて来た己れの愚かさに、苦笑すら湧かない。
 この身の不運を嘆くほど、感傷的にもなれず、愚かさを笑い飛ばすには、まだ何もかもが生々しすぎる。
 それでも、その果てに、何か得たものがあるのだと、思わずにはいられない。
 後ろを見る。大きな体が、空気に溶け込むように、静かにそこにある。
 前を見る。戦うために気を高めている、けれど淋しげな背中がそこにある。
 望んで、この場にいるわけではなく、望んで、こんな姿になったわけではなく、それでも、それを受け入れる以外の生き方は与えられず、死ぬことすらかなわないから、肩を寄せ合って生きるしかないのだ。
 肩を寄せ合えるその誰かが、このひとでよかったと、言葉には出さずに思う。
 何もかもを失った果てに、こうやってたどり着いた、生きるということの果てで、大切な何かを見つけられたのは、それはおそらく、たとえささやかではあっても、確かに幸運なのだろう。
 身にまとう空気が、混ざり合う。
 そこから伝わる、思いのようなものがある。
 なるべく傷つくなと、空気が震えて伝えて来る。できる限り無傷で、無事でと、そう伝え合わずにはいられない。
 直すことが可能な体だけれど、だからこそ、ひとらしさを失わないために、命知らずは誉められたことではないのだ。
 思想ゆえに、丸ごとのひととして扱われずに、挙句武器だらけの体にされた男と、膚の色ゆえに、ひと以下のものとして蔑まれ、それでもひととしての誇りを失いたくないと、あがき続ける男と、世界の果てで出会った時に、通り過ぎてきたすべての曲がり角の意味を、初めて悟った。
 迷い続けてたどり着いたそこでそのために、流した血と涙だったのだと、互いに、最初の一瞬で悟った。
 失ったものを、ひそかに嘆き続けながら、同時に、それがゆえに出会えたのだと、けれど口にはできない。
 出会えたことを喜び合いながら、この手から滑り落ちてしまった何もかもを、忘れてしまうことはできない。
 忘れてはいけないのだ。なぜ、ここにいるのか、なぜ、こんなことになってしまったのか、憶えているすべてを、忘れてはいけないのだ。
 過去の愚かさも、選択も、何もかもが、今のこのひとを形作っているのだと、だからこそ、それごと互いが大切なのだと、口にはせずに伝え合えるから、忘れなくてもいい、忘れる必要はない、忘れずに、大事にしていなければならない。
 世界の果てで、目の前を見据える。
 自分たちの後ろに広がる、果てもない荒野の存在は決して忘れずに、それでも、目の前には、何か小さな、希望と呼べるものがあるのだと、そう感じて、ふたりは、目の前を見据える。
 揃わない肩を並べて、それぞれに、守りたい何かを、胸の中に秘めて、同じ方向を見ている。
 走り出す背を見守る、見守る視線を感じる、世界の果てで、心が、ひとつになっている。


* 「ミステイク」@G祭 by Nさま宛

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