No Woman Around



 熱を出すと、いつもろくでもない夢を見る。
 たとえば、戦闘の最中に、手足を吹き飛ばされて横たわっているとか、血塗れの死体---のように思える。誰の体かは、いつも覚えていない---を抱えているとか、こちらにぴたりと向けられた銃口の前で、動けずにいるとか、あるいは、裸の、出来損ないのロボットのようにしか見えない体を、誰かの下に横たえているとか。
 ぬるぬると、体中を包む、粘着質の物体に、包まれていた。息苦しく、もがいてももがいても、その粘着質の軟体生物は、何の抵抗もなく、するりとハインリヒを力を吸い取ってしまう。
 ゆっくりと、その生物はハインリヒをくるむ輪を縮め、次第に、呼吸は間遠になり、抗う腕も、ゆっくりと力を失くす。
 不意に、腕が消えた。振り回していた腕が、いきなり、視界から消えた。
 まるで、溶け去ったように、急に空っぽになってしまった、両肩から先を、ハインリヒは、きょろきょろと見回した。
 腕がない、とそう認識した途端に、今度は、腰から下が軽くなる。
 あごを胸に引きつけて、必死で下を見ると、両足が消えていた。
 胴体だけで、横たわる体。
 全身を包み始めた錆に気づいて、声を上げる。
 腰から広がった錆は、みぞおちを這い上がり、胸を覆い、それから、喉元まですり上がってくる。あごを覆われ、唇に、苦い、鉄の味が触れ、そこでハインリヒは、喉を裂くように叫んだ。
 体を覆っていた、粘着質の生物が、いきなり、砕けた。
 ぬらりとした破片が、錆に覆われた体を滑り落ち、外気に晒された途端に、錆の走りが止まる。
 顔のした半分を、赤茶色の錆に覆われ、動くたび、その赤茶色の部分が、ぎしぎしといやな音を立てた。
 軟体生物が、体から取り去られた後に、のそりと、影が視界を覆った。
 005。
 ジェロニモ。
 ふたつの、違う名で呼んで、頭を起こした。
 錆が舌まで入り込んで、声が出せない。名前を形作ったはずの唇は、ひび割れ、ぱきりと音を立てた。
 ふと、手足をもがれた、死にかけた昆虫のような、醜悪な自分の姿に思い当たる。
 隠すための腕はなく、動くための足はない。視線を反らし、固く目を閉じた。
 ジェロニモの、大きなぶ厚い掌が、そっと肩に触れる。
 それから、指先が、羽根が触れるほどのかすかさで、錆の浮いた唇に触れた。
 暖かさが、じわりと広がった。広がる暖かさにつれ、みるみるうちに、錆が消える。
 ハインリヒの、今は体のほとんどを覆う錆を、ジェロニモの指と掌は、ゆっくりと消して行った。
 軽く、柔らかくなる体を、そっとねじり、ようやく目を開ける。
 ジェロニモが、いつもの、表情の読めない顔つきで、目の前にいた。
 体の外側は、もう、すっかり元に戻っている。けれど、口の中、舌の奥はまだ、錆びついたままだ。
 動かせない舌を、必死で伸ばして、喉の奥に、また苦い鉄の味を感じながら、懇願するように、唇を開く。
 ジェロニモの指先が、開いた唇の間に、するりと差し込まれた。舌の表面を撫で、喉の奥に、太い指がそっと入り込む。
 錆が消えてゆくのを感じながら、ハインリヒは、その指を、自由になった舌で舐めた。
 ジェロニモ、と動く舌で名前を呼ぶ。


 ベッドの上に跳ね起きて、まくれ上がった毛布の下に、手足のそろった自分の体を確認する。
 ああ、夢だった。
 よかったと、思わず声に出して言ってから、額に浮いている汗を拭った。
 息苦しい夢。手足がなかったことだけは覚えている。
 それから、と思った。
 ジェロニモ。
 思った途端に、ドアがノックされた。
 そっと開いたドアのすき間から、たった今、名前を思い出した男の顔が、薄くのぞく。
 「声、聞こえた。」
 小さな、けれどよく響く低い声でそう言うと、片目だけで、ベッドの上にいるハインリヒを、伺うように見る。
 両手に顔を埋め、目の下をごしごしとこすると、口元は隠したまま、入れよ、とハインリヒは言った。
 「熱、出た。」
 ドアを半分開け放したままで、ベッドの方へ歩いて来ながら、またぼそりと言う。
 「ああ、今は、大丈夫だ。」
 「フランソワーズ、ジェット、怒った。無理させた、怒った。」
 ジェットのせいだけではないだろうと思いながら、修理の終わったばかりの体で、ジェットの相手をしたことが、すっかりばれているのかと、ハインリヒは、薄闇の中で、赤く染まった頬が見えなければいいと思う。
 ジェロニモは、相変わらず、一向に表情も変えず、ハインリヒが大丈夫かどうか、それだけを気にしているらしかった。
 「・・・そうか、謹慎中ってわけか。」
 もう、隠す気遣いもなく、そんなことをつぶやく。
 ハインリヒは、やっと体が元に戻ったばっかりなのよ。それなのにアナタ、何考えてるのよ。
 熱を出して寝ているハインリヒを、部屋にそっと置いて、ジェットをリビングに呼び出し、きっちりと叱るフランソワーズの姿が、まるで目の前で見たように、脳裏に浮かぶ。
 背のひょろ高いジェットを、首を伸ばして見上げ---爪先立ちさえ、したかもしれない---、あの、人の心を射抜くような鋭い青の瞳を、少しばかりの怒りに染めて、顔を赤くしてうつむいたジェットに、言いつのる。
 ジェットは、背中を丸めて肩を落とし、唇を突き出して、つい口答えしそうになる舌を、しっかりと噛んでいる。
 それを、キッチンで、盗み聞きする気もなく聞いている、ジェロニモ。
 いったん戦闘が始まれば、いちばんの戦力として、しばしば作戦の参謀として、ごく自然にリーダーとして振る舞うハインリヒが、日常の、普通の生活の中では、人間らしさがいちばん少ないからこそ、守られる者として---壊れるものとして---、扱われる。
 まるで、箱入り娘だと、そんなことを思って、心の中で笑いをこぼした。
 「寝る、まだ、大丈夫、ない。」
 ジェロニモの腕が伸び、肩を軽く押した。
 その手に従って、またベッドに横になろうとしてから、ふと思いついて、ハインリヒは、その手を取った。
 「俺はまるで、人形だ。」
 ジェロニモが、体の動きを止め、それでも表情は変えないまま、ハインリヒの、言葉の意味をくみ取ろうとするかのように、瞳の中をのぞき込んでくる。
 「壊れて、修理される。放っておけば、錆つく。まるで、ただの機械人形だ。」
 金属が剥き出しの右手を上げ、ジェロニモの、自分の肩に乗った、大きな掌に重ねた。
 「機械人形、みんな、同じ。壊れる、修理される、みんな、同じ。」
 ひとりではないと、静かな茶色の瞳が、言っていた。
 「人形、求めない、抱き合わない。」
 珍しく直裁な言い方に、不意に、唇に差し込まれた、錆びついた舌を撫でた、ジェロニモの指先を思い出す。
 夢の中にも関わらず、舌先に、鮮やかに感触が甦る。
 錆びついた、鉄屑同然の体を、元に戻してくれた、掌と指先。
 思わず、取った手を、頬に当てた。
 両手を、その手に添え、ハインリヒは、まるで感謝するように、ジェロニモの指の、硬い腹に、そっと唇を重ねる。
 唇を離して、けれど手は離さないまま、見上げたそこには、永遠の静寂をたたえた、澄んだ茶色の双瞳があった。
 ジェロニモが、ゆっくりと、その手を自分の方へ引き取る。
 「おれたち、人形、ない。」
 おれたち、が、仲間全部のことなのか、それとも、自分たちふたりだけのことなのか、どちらだろうと、ハインリヒはぼんやりと考える。
 喉の奥に、苦い鉄の味が、またこみ上げてきた。
 その苦味を消してくれる、ジェロニモの指先と掌を、口の中に欲しいと思った。
 何か、言いたい言葉があるような気がして、ジェロニモを見つめたけれど、どこからもその言葉はわいて来ない。
 ジェロニモと自分と、ふたりだけのことなのだと、ふとそう思う自分が、いた。


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