お気に召すまま



 いつも、ふたりで酒を飲んでいる。
 ふたり揃えば、そうと言い交わすこともなく、酒が出て来る。
 酒で身を持ち崩したグレートに較べれば、底なしではあっても、ハインリヒの酒はきれいなものだった。
 酔いを外に出すこともなく、笑えば笑い、そうでなければ黙って、ただ、静かに、満たされたグラスを空にする。
 ふたりの間の言葉遊びは、酔いが深まるにつれて速度を増し、もう少し酔いが進めば、今度は言葉もなく、笑い転げる羽目になる。
 話すことと言えば、グレートの昔話と、古今東西の芸術の話。それからもう少し落ちて、酒の話になり、さらに時間と酔いが許せば、男同士にありがちな、女絡みの話になる。
 もっとも、女の話に落ちれば、話すのはもっぱらグレートの方で、ハインリヒは、さらに静かに、まるで黒子のような聞き手におさまってしまう。
 今の恋の話は、ふたりとも、滅多と口にしない。ことにグレートは、この恋が現実なのだと、いまだに信じきれずにいる。
 ハインリヒが、またうっすらと笑った。
 冷笑でも自嘲でもなく、皮肉笑いや嘲笑でもない、ごく普通の、親しい人間に向けられるだろう、笑顔。
 グレートは、その笑顔の眺めに、心の底からの幸せを、ひっそりと感じる。
 この恋がかなうと、思ったことなど、一度もなかった。
 願ったことはある。とうに信じることなどやめてしまった神に、こっそりと、祈ったこともある。
 それでも、心の底で、かなうはずのないことだからと、半ば自分自身をからかうように、必死なふりをして、願った。
 敬意は、愛ではない。好意は、愛ではない。グレートは、敬意と好意に感謝しつつ、愛を求めていた。
 まだ年若い、銀髪の男。体中に武器を抱えた、死神とあだ名される、サイボーグ。そして、恐らく、恋人というものにより近い、親友という名を冠する、存在。
 こんな恋もあるのだと、グレートは胸の中で、ひとりごちた。
 世界から取り残された、9人の仲間。時間と生身の体を失い、まるで亡霊のように、静かに、影に身を潜めて漂っている。
 その、猛烈な孤独。
 死んだも同然だった、落ちぶれていた頃に較べれば、今の方がましなのだろう。それでも、失ったものは、数え切れない。
 けれど同時に、世界中を敵に回しても、それでもかまわないと思える出逢いを、手に入れた。
 代償は、一体大きかったのか、小さかったのか。
 004、死神、ハインリヒ、我が友、我が想い人、うるわしの恋人よ。
 胸の片隅で、心の大声で、さまざまな名を、呼ぶ、彼に向かって。
 その腕に触れる。機械の腕。破壊のための武器に包まれた、鉛色のからだ。
 からだなんて、所詮心の入れものに過ぎないと、唇を歪めて言い切る彼が、実はいちばん生身のからだを恋しがっているのだと、グレートは知っている。
 失ってしまったものを、あからさまに嘆くのは、彼のプライドが許さない。
 いつも、金属の胸を張って、頭を高く、真っ直ぐに上げて、誇りを、その頬に張りつかせて、強い視線で世界と対峙する。
 負けない、負けなくないと、その唇は言葉ではなく、つぶやいている。
 その誇り高さと、その裏にある、秘かなもろさを、グレートは愛した。
 ふとした瞬間に、ちらりとのぞく、儚さ。まるで薄い氷のように、冷たく硬く、けれど、熱に弱く、割れやすい。皮膚を裂く鋭さと、傷つきやすい、柔らかな精神 (こころ)。
 不思議な男だと、グレートは思う。
 いつから、こんなに魅かれているのだろう。もう、彼のことを思わずには、一日も過ごせないほど、恋に落ちてしまっている。そして今は、その彼が、こんなに近くにいる。
 神よ、とグレートは、心地よい酔いの中で、小さくつぶやいた。
 ハインリヒが、椅子から立ち上がって、もうすっかり出来上がっているグレートの傍へ、やって来た。
 椅子の中に、だらしなく体を投げ出しているグレートの上に、そっと、上体を倒す。
 酔っているのは、実はふりだった。酔っ払ったグレートに、彼はことさら優しかったので。
 酒の匂いのする、呼吸。唇の間に、するりと通った。
 「アンタが良ければ、ここでも、俺はかまわない。」
 低い、深い声。いつもは平たい声も、酔いを交えて、グレートに囁く時には、甘く優しくなる。
 ふっと、グレートは薄く笑った。
 「せめて、明かりを消してくれ。オレは、おまえさんほど若くもない。体を晒すのに、自信がない年頃だ。」
 「サイボーグに、若いもへったくれもないだろう。」
 ハインリヒが、笑う。
 「おまえさんがお望みなら、見てくれのいい、若い男のフリをしたっていいんだぜ。」
 ハインリヒは体を起こし、腰に手を当てて、少しだけ悲しい瞳で、グレートを見た。
 それから、恐ろしいほど優しく、儚げに笑い、静かに言った。
 「俺は、アンタがいいんだ。」
 グレートは思わず、その笑みの眩しさに、まるで己れを恥じるかのように、ふと視線を反らした。
 グラスを両手に抱え、ハインリヒのお得意の皮肉笑いを、今は自分の唇に写しながら、グレートは、ハインリヒを見上げた。
 「"あなたのほんとの恋人かどうかをどうして見分けるの?"(ハムレット)」
 今度は、ハインリヒが、おかしそうに笑う。
 両腕を、肩の近くまで振り上げて、なんてこった、という仕草をして、グレートをまぜっ返す。
 「"恋は目ではなく心で見るもの"(真夏の世の夢)。アンタ、一体なにを俺に言わせるつもりだ?」
 「別になにも、死神どの。ワガハイはただ、この幸運が、いまだに信じられぬだけ。我が最愛の、友人、そしてうるわしき人。」
 「アンタ、そうやって、一晩中、しゃべってるつもりか?」
 ハインリヒはまた、椅子に坐ったままのグレートに向かって、体を倒して、両手を伸ばした。
 また、重なる唇。今度はもう少し、長く深く、そして、扇情的に。
 鼻先が、触れた。
 「カーテンを引いて、明かりを、消してくれ。」
 まるで、初めて恋人に触れる、乙女のように、グレートは目を伏せたまま、言った。
 闇の中で、ぼんやりと浮かぶ、ハインリヒの白い皮膚の部分に触れるために、グレートはその震える指先を伸ばしながら、心のどこかにある、この恋を失うことへの恐れを、必死にどこかへ追いやろうとしていた。


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