空騒ぎ




 「あんたも、案外、物好きでおせっかいだな。」
 ジェットが飲み残したヴォッカを、ふたりでまだちびりちびりとやりながら、ハインリヒは、表情も変えずにそう言った。
 「その物好きに救われたのは、どこのドナタかな、我が友よ。」
 グレートが、またグラスを満たしながら、おどけたように言った。
 ジェットはもう、とっくに酔いつぶれて、自分の部屋へ戻ってしまっている。
 喧嘩の傷に、酒がさわるとフランソワーズが止めたのに、ハインリヒが戻って来た後、グレート、ジェット、ハインリヒの3人は、残りの仲間の呆れ顔にもめげず、また酒盛りの続きを始めた。
 1ケース分のヴォッカなど、うわばみのハインリヒには物の数ではなく、酒の味のわからないジェットは、ひとりでやっとボトルをもう1本空けてから、ジェロニモに抱きかかえられて、姿を消した。
 絆創膏だらけの、赤くはれたグレートの顔を、時折痛々しそうに見やって、またハインリヒがグラスを空にする。
 「あんただってわかってたら、手加減したんだ。」
 悪かったとは、素直に言えない頑固さを剥き出しにして、ハインリヒはいまいましそうに言った。
 「よせやい、手加減が必要なほど、老いぼれちゃいないぜ。」
 グレートがまぜっ返した。
 酔えば、もっと陽気になるジェットが消えてからは、ふたりは、どちらかと言えば、黙り気味に、酒を酌み交わしていた。時折視線をぶつけては、ふふっと、薄く笑う。
 空になったボトルをケースに戻し、また新しい次のボトルを開けながら、ハインリヒは、視線を反らしたまま、訊いた。
 「なんで、あんた、余計なおせっかいなんかしたんだ?」
 へへっと、グレートが、皮肉とも苦笑とも自嘲とも取れる、あの、彼独特の笑みを、頬の辺りに刷いた。
 ソファから立ち上がり、ハインリヒの前へ来ると、ハインリヒのグラスに、自分のグラスをかちりと合わせる。
 大げさな身振りで、胸の辺りに手を当て、それから、いつもの、引用を始めた。
 「"おお、仲違いする愛、愛し合う憎しみ"(ロミオとジュリエット)。」
 くるりと背を向け、そして、肩越しに、どうかね、と言いたげな視線を投げた。
 ハインリヒは、グラスを頬に当て、それに、ふん、と極めて簡単な返事を返した。
 「おまえさんが、あんな大人げない腹の立て方を、あのボウヤにするわけがない。ところが頑固なおまえさんのことだ、死神どの、引っ込みがつかなくなって、自ら掘った墓穴を、さらに深くしたってところだね。それをこのグレートさまが、助けて進ぜようと、ちょっとばかり己れの素晴らしき能力を、使ってみただけのことさ。」
 「ああ、見事なもんだ、みんな騙された。」
 まるで、脚本のト書きの間のように、グレートが、横顔を見せたまま、息を止める。
 それにつられて、ハインリヒは、じっと視線をグレートに当てたままにした。
 まるで、舞台の役者に、見入るように。
 「仲間を、失くすことはない。仲間を失う思いは、我々には日常茶飯事。ならばなぜ、自らそれを、失おうとする? 大事な仲間を、かけがえのない仲間を、大切な友人を、死神どの?」
 グレートの言葉に、まるで操られたように、ハインリヒも、ソファから立ち上がった。
 グレートに視線を当てたまま、ゆっくりとした足取りで、彼に近づく。
 手にしたグラスを、グレートの背中に向かって、差し出した。
 「"今や不満の冬も過ぎ、ヨークの太陽が輝かしい夏をもたらしてくれた"(リチャード三世)。」
 にやりと、グレートが笑う。
 こんな掛け合いができるのも、ハインリヒとだけだと、わかっている。
 ジェットにかこつけて、ハインリヒが消えて困るのが自分なのだとは、決して口にはしないけれど。
 紳士たるもの、よけいなことはみだりに口にはせず、ただ微笑と物腰で、相手に悟らせるべし。
 毛髪の一本もない頭に手を乗せ、グレートは、今度こそ振り返って、ハインリヒと正面から向き合った。
 どちらからともなく、グラスを差し出し、触れ合わせる。
 乾杯、とふたりで声をそろえた。
 大きな笑顔を並べて、ふたりは、それぞれのグラスを空にする。
 「礼はするよ、いずれ。」
 ようやく、それでも照れくさそうに、ハインリヒが言った。
 「礼なんか・・・いや、そうだな、じゃあ、今度衣装を借りてくるから、ワガハイのロミオに付き合ってくれ。」
 「俺がロミオをやるのか?」
 「もちろん、違う。ジュリエットだ。」
 「あんたは正気か?」
 「おお、麗しき死神どの、天使すらもそなたに狂う。」
 赤くなった頬を見て、グレートはもっとからかってやりたくなった。
 ハインリヒの肩を、大きな仕草で抱き寄せて、
 「まったく、いいパンチだったぜ。」
 「もう一発お見舞いしてやってもいいんだぜ。」
 また憎まれ口を叩くハインリヒに向かって、にやりと笑いを返しながら、グレートは、深々とお辞儀をして見せる。
 「これにて、一件落着。」
 低い、重々しいのに、どこか滑稽さの滲む声。
 舞台の終わりのようなその仕草に、ハインリヒは、思わず破顔して、それから、名優の、名演技のために、拍手をした。
 明日の朝の二日酔いのことなど、今は、どうでも良かった。ただ静かに、この夜を楽しみたかった。かけがえのない、仲間と一緒に。
 ダンケ、とハインリヒは、聞こえないように小さな声で言った。



ムームーさまに謹んで捧げます。
せんせェとジェットのお礼っつーほどにもなりませんが。
色っぽくなりませんでした。すいません。


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