Real Thing



 スイスで行われる学会に、ハインリヒが同伴したことに、何も深い意図などなかった。
 比較的近くであることと、ドイツ語圏であること、それだけのことだった。
 もう長い間、研究の発表など、公けの場でしたことのないギルモア博士は、それでも知った顔に会うのが楽しみらしく、こうやって、ただ参加するだけの学会に、うきうきと出掛けてゆく。
 地味な、色を抑えた紺色のスーツに身を包み、助手というよりは、護衛という雰囲気で、ハインリヒは必死の愛想笑いを浮かべて、ギルモア博士に付き従っていた。
 参加しているほとんどの学者たちは、いかにも研究家らしく、興味のないことには一切触れもせず、何者ともわからないハインリヒには、やあ、とごく短い挨拶を寄こすだけにとどまるのが、常だった。
 ギルモア博士も、社交が得意ではないハインリヒのことを知っていて、あえて誰だと紹介もしない。
 なごやかに談笑するギルモア博士たちの傍で、ハインリヒは、おそらく普通なら一生使うこともない言葉の連なりを、右から左へ聞き流している。
 人に取り巻かれ、室温の上がってゆく広い部屋の中で、ハインリヒは、こっそりとネクタイを少し緩めた。
 ふと、頬に、視線が突き刺さる。
 殺気ではない。けれど、ねめつけるようなその不躾けな視線は、ほとんど悪意を持って、ハインリヒの皮膚を刺した。
 誰だ、と思ってから、ゆっくりと首を回す。
 右肩より、少し後ろに視線を投げると、背の高い、学者というよりは、腹黒い政治家といった顔つきの男が、ハインリヒを眺めていた。
 視線をたぐられても、目を背ける様子もない。
 いやな感じだな。
 ハインリヒは、胸の中でひとりごちて、お返しに、上から下まで、無邪気を装った視線で男の全身をくまなく眺めてから、ようやく視線を元に戻した。
 大きな丸い瞳、暗色の、たっぷりとした髪、皮膚の色や顔立ちから、どうやらユダヤ系だとわかる。ギルモア博士よりも、少しばかり若そうな年齢に見えた。
 いやな感じだ。もう一度そう思ってから、まだ自分を見続けている男の視線を無視するために、ハインリヒは、そっとギルモア博士の肩をつついた。


 ようやく人込みを離れ、部屋の隅に落ち着いた途端に、あの、じっとハインリヒを眺め続けていた男が、穏やかな足どりで、ふたりの方へ近づいて来た。
 「ミスター・ターカル!」
 ギルモア博士が、驚いた声を上げる。
 「いやいや、お久しぶりですな、ギルモア博士。」
 如才ない声と仕草は、明らかに学者たちのそれとは異なるもので、ハインリヒは、思わず、今日は人工皮膚に包まれている右手を、背中の影でそっと握りしめた。
 ふたりが、にこやかに話し始めた傍で、ハインリヒは、時折ちらちらと男が再び投げかけ始めた視線を、ひどく不快なものに感じた。
 話の内容は、研究そのものには関係のないことばかりで、他の学者たちの近況や、どうやらこの男が持っているらしい会社の事業内容ばかりで、この男が、いわゆる学者たちのスポンサーに当たる立場の人間だと知れる。
 つまり、ブラック・ゴーストと、そう差はない連中のひとりってわけか。
 ハインリヒは、唇を曲げて、あからさまではなく、男に対する反感を口元に刷いた。
 「科学の発展に貢献するのは、我々事業家の役目です。我々が後ろにいてこそ、あなた方研究者は、心置きなく科学を追究できる。」
 演説のように、慣れた口調で、男は得意げにしゃべり続ける。ギルモア博士が、こんな男に好き勝手を言わせいるのも、その金の力のせいかと、ハインリヒは、思わず軽く首を振った。
 それを見咎めたように、男が突然、言葉を切って、話題を変えた。
 「ところで、ギルモア博士、これですかな、あなたの、会心の作というのは。」
 撃たれたように、ギルモア博士があごを引く。
 ハインリヒを振り返り、丁寧な仕草で、紹介のために口を開こうとした。
 「いや、彼は------」
 それよりも少しだけ早く、男の手が、ハインリヒの首に伸びる。
 くいと、軽々しい仕草で、あごを持ち上げられた。
 「いやまったく、普通の人間にしか思えませんな。これが造りものの、ロボットもどきとは。」
 ハインリヒと、その無礼な手を見上げて、ギルモア博士が絶句する。
 「素晴らしい。素晴らしい出来だ。」
 妻のために注文したドレスの出来映えを誉めるような、そんな口調だった。
 ハインリヒは、自分に対してされた無礼が、あまりにも現実的ではなく、あごに触れた手と、あちらに見える、傲慢な表情を何度か見比べてから、ようやくくっきりと、怒りが胸にわくのを感じた。
 「ミスター・ターカル!」
 やっとギルモア博士が、とがった声で、男の無礼をたしなめた。
 男の手を、ギルモア博士が払おうとするより早く、ハインリヒは、右手で、その男の手を強くつかんだ。
 男が軽く悲鳴を上げ、大げさな仕草で、ハインリヒの手を払う。
 「失礼な! 人間に手をかけるなど、不届きにもほどがある。ギルモア博士、いくら優秀な機械でも、人間に逆らうのは、問題ではないですかな。」
 「失礼だが、ミスター・ターカル、彼は機械などではありませんぞ。」
 「機械ではない? おっと、これは失礼、てっきりこれが例の、あなたのご自慢の作品かと。」
 男は腕を振って、痛みを示しながら、皮肉な口調でそう返した。
 金と権力を持った、どこでどんな振る舞いをしようと、許されることに慣れている人間の傲慢さを剥き出しに、男は、蔑んだ視線を、ハインリヒに当てた。
 ぎりっと、口の奥で歯がきしむ。
 「まったく、これだから、しつけのなっていないロボットは。」
 手触りのいい、スーツの上着の襟元を正しながら、男は、止めを差すように、さらに言葉を継いだ。
 この小さな騒ぎを耳にとめた周囲が、少しずつざわめき始め、気がつくと、ハインリヒは、ギルモア博士とともに、好奇の視線に囲まれていた。
 右手で殴ってやれたらどんなにいいかと、心の底から思う。
 怒りで震える拳を、ハインリヒは、男の目の前に差し上げた。それから、殺気を込めて、男をにらむ。
 視線の冷たさに、男がたじろいだように、肩を震わせたのを見届けてから、ハインリヒは、その右手をゆっくりと下ろし、ギルモア博士の肩を軽く叩いた。
 「行きましょう、ギルモア博士。」
 ああ、と言葉を返したギルモア博士の背中を押して、ハインリヒはもう、振り返らなかった。


 会場の外で素早く車を拾い、シートに背中を当てた途端に、深いため息がもれた。
 ひざの間に頭を垂れたギルモア博士が、何か言いたげに視線を投げてくるけれど、ハインリヒは、あえてそれを無視した。
 「・・・・・・あの男は、ユダヤ人ですか?」
 「ユダヤ系の、アメリカ人じゃよ、ワシと同じ。」
 やはりそうかと思ってから、それならあの、悪意に満ちた口調も視線も、ドイツ人とわかるハインリヒに対する、ささやかな意趣返しなのかと、思ったことが確信に変わった。
 「俺は、ナチでもないし、ユダヤ人に対して、何の害意もないって言っても、無駄なんでしょうね。」
 皮肉を込めて、ハインリヒは言った。
 ギルモア博士が、息を飲む音が聞こえた。
 「そういうことでは------」
 「じゃあ、何なんですか? あの男が、同じ態度を、ジェロニモやピュンマや、フランソワーズやジョーに対して取ると思いますか?」
 同じサイボーグの仲間の名を上げ、ハインリヒは、強い視線でギルモアに、そう問いを投げた。 
 ギルモア博士は、額の汗を拭うふりをして、その視線を避ける。それが、答えだった。
 ドイツ人が、ユダヤ人に対してしたことを、言ってみれば、ハインリヒは、ギルモア博士にされたことになる。
 人体実験。
 努めて無視して来たことだった。
 起こってしまったことは、もう元には戻せない。誰をどう罵ったところで、生身の体は戻って来ない。だから、誰を責めても、無駄なことだった。
 それに、とハインリヒは思う。
 少なくとも、ギルモア博士は、自分たちを改造したことを、心の底で深く悔いている。ブラック・ゴーストの言いなりに、人体実験を行った自分のことを、恥じるだけの良識は持っている。
 だからこそ、自分たち、00ナンバーのサイボーグと一緒に、ブラック・ゴーストから逃げ出したのだ。
 今では、まるで親のように、自分たちのことを、常に心配してくれている。
 それでも、時折、怒りが顔を覗かせる。自分の身に起こってしまった理不尽に、どうしようもない怒りがわく。
 これは、もしかすると、復讐なのだろうか。
 ドイツという国が行った、ユダヤ人に対する暴力を、ドイツ人である自分に対して、ユダヤ人であるギルモア博士が行った、個人的な形の、ひっそりとした復讐なのだろうか。
 ロボットと言われてしまう、自分の体を、ハインリヒは、心の底から憎いと、一瞬思った。
 あの男が触れた、あごの先を、ハインリヒは、ごしごしと拭う。まるでそこが、汚されてしまったとでも言うように、執拗に、上着の袖で拭った。
 「俺たちは、作品なんかじゃない。」
 ふと、ひとり言のように、舌が動いた。
 ギルモア博士が、何か言おうと、唇を動かして、それから何も言わないまま、視線を窓の外に投げ出してしまった。
 背骨に絡みつくような沈黙に、傷ついているのはギルモア博士の方なのだと、ハインリヒは知っている。
 自分の罪を、心の底から悔いている表情が、丸まった背中に見える。
 いくら責められようと、言い訳できる立場ではないと、この老人は、痛いほどわかっている。そう知っていて、それでもハインリヒは、時折、自分がいかに傷ついているのかを、彼に見せつけずにはいられない。
 生身でないのは、ハインリヒの方だったから。
 見た目に何の変化もない、サイボーグたちの傍で、彼だけは、他の、普通の人間たちと同じように、少しずつ老いてゆく。彼だけは、生身の、普通の人間だったから。
 出来損ないのロボット呼ばわりされるのは、あんたじゃない、俺たちだ。
 サイボーグを造った科学者として、こっそりと賞賛を得るその後ろで、闘いに放り込まれ、傷つくのは、サイボーグたちだ。
 改めて、科学者と呼ばれる、きわめて利己主義な、視野の狭い人種に、嫌悪がわいた。
 すぐ隣りで、沈黙を守りながら、傷ついている老人に対しても、ハインリヒは、どうしても止められない嫌悪を感じる。
 少なくとも、服を脱いでも生身に見える仲間たちの中で、自分だけが、はっきりと改造の様のわかる体にされたのは、そこに、何か無言の意図のようなものがなかったと、どうして言えるだろう。攻撃のための武器まみれの体は、いつも最前線で、危険に晒される。戦闘中に破壊されてしまえばいいと、誰かが思っていなかったと、どうして言えるだろう。
 ハインリヒが、ドイツ人だったから。ギルモア博士が、ユダヤ人だったから。
 口にするべきではないと、わかっている。考えるべきことでさえないと、わかっている。
 それでも、歴史の中に残る大きな傷痕として、そこにはいつも、暗黙の了解がある。
 虐げた者と、虐げられた者。復讐は、正当化される。どんな形で、あれ。
 こんな形でさえも。
 無理矢理に、唇を曲げて、ハインリヒは笑顔を浮かべた。
 自分をもっと傷つけるためだけに、こんな埒もないことを考える自分のために、それから、そんな自分の傍で、己れを責めて、傷ついている、老人のために。
 浮かべているのが、陰惨な笑顔だとは気づかないまま、ハインリヒは、ギルモア博士の方を向いた。
 「このまま、ドイツへ戻ります。」
 学会はまだ、2日ほど残っている。
 ギルモア博士は、ハインリヒの笑顔に、ひるんだようにまた目を伏せ、ああ、とだけ言った。
 窓の外に視線を滑らせて、そこに映る自分の笑顔の醜さに、ハインリヒは、息を飲む。まるで、化け物のようだと、思った。


 ひとりで耐えるべきだと思いながら、止められなかった。
 受けた侮辱と、常に痛みに疼いている傷と、深い自己嫌悪と、誰に対してと、見きわめたくはない憎悪と、そんなものが渦巻く胸の内を、ひとりでは到底静められず、ハインリヒは、電話を取り上げた。
 指先が覚えてしまっている番号が、こちらとあちらを繋ぐ。
 「Hello?」
 眠そうな声が、もれて来た。
 「俺だ。」
 短く言うと、アンタか、と、ぼんやりとした声がさらに返ってくる。
 「何だよ、また緊急召集か?」
 茶化すように言った声に、ふと、乗せられた気分があった。
 「ああ、緊急だ。今すぐ来い。」
 「来いって、どこだよ? また日本か?」
 一拍置いてから、ハインリヒは、さり気なく応えた。
 「ドイツだ。今すぐ飛んで来い。いつ着ける?」
 質問を封じるために、あちらに問いを送り込んで、ハインリヒは、祈るような気持ちで、答えを待った。
 「・・・じゃあ、これからシャワー浴びて、それから------」
 「シャワーなんか、こっちに来れば、いくらでも浴びさせてやる。いいから今すぐ来い。」
 声が、切羽詰まるのを、止められない。
 電話の向こうの声に、かぶせるようにそう言って、ハインリヒは、怒りのとげが、全身から吹き出ているのを感じた。
 向こうで、むっと黙り込んだ気配が伝わって来て、思わず唇を噛む。
 「・・・これからすぐ飛ぶから、アンタ、ちゃんといろよ。」
 息がこぼれて、ダンケ、と小さく口の中で呟いた。
 服を着ているのだろう、ばさばさという音が背後で聞こえ始めた。
 「じゃあ、後でな。」
 向こうから、電話は切れる。
 切れてしまった受話器を見つめて、それから、静かに電話を元に戻した。
 もう、空港へ向かう時間だった。


 肩を揺さぶられ、目を開けた。
 まぶたの裏よりは、少しだけ明るい闇の中に、真っ赤な輪郭が、ぼんやりと浮いている。それから、鮮やかな黄色が、明るく目を刺した。
 体を動かすと、ここに戻って来てから、着替えもせずに横になったソファが、ぎしりと音を立てる。
 「ハインリヒ。」
 声が、囁いた。
 「ああ、ジェット。」
 目の前の、ひょろりと背の高い体に向かって、ようやくゆっくりと体を起こす。
 「何だよ、人が最速で飛んで来たってのに、アンタはソファでうたた寝か。」
 ふてくされたように、唇を曲げたのが、改造された目に映る。
 上着もシャツも着たまま、ネクタイさえ解いていない。乱れた髪に手を当ててから、ハインリヒは、不意に、人工皮膚のかぶさったままの右手のことを思い出した。
 立ち上がりながら、それを外して、ジェットが思わずあごを引くほど激しい仕草で、床に叩きつける。
 「なんか、あったのか、アンタ。緊急って、なんだよ。」
 ああ、そうだ、とぼんやりした頭の隅で思い出す。
 何か言い訳を考えようとして、そのまま寝てしまったのだ。
 ここまで呼び出した言い訳は、一体何がいいだろう。起こったことを、そのまま言う気はなかった。ハインリヒが受けた侮辱に、おそらくジェットは彼以上に腹を立てるだろうし、それより何より、ドイツ人とユダヤ人のことは、当事者にしかわからない。
 出自のはっきりしないアメリカ人のジェットに、ハインリヒと、あの男の間に起こったことが理解できるとは、とても思えなかった。
 それでも、こんなに腹を立てて、その怒りを安心して見せられるのは、この男しか、考えつかなかった。
 「・・・・・・脱げよ。」
 ぼそりと、目の慣れた闇の中で、ジェットから視線を反らして、ハインリヒは言った。
 訝しげに、ジェットが眉を寄せる。
 「脱いで、どうするんだよ。」
 マフラーに触れて、そこに視線を落として、ジェットが訊いた。
 「・・・そんなわかりきったこと、尋くな。」
 低い声で返すと、ジェットがいきなり声の調子を上げる。
 「アンタ、冗談だろ? ここまで呼び出して、オレとヤリたかったなんて、そんなこと言うなよ。」
 「そうなら、どうする?」
 体の脇で両手を上げ、掌を上に向ける。やれやれ、なんてこった、とそんな仕草だ。ジェットはついでに瞳を上に押し上げ、呆れた表情も付け加えた。
 また、腹立ちが新しくこみ上げてくる。誰に向けてでもなく、ただ、身内をちりちりと焦がすように、怒りがわいてくる。
 「アンタらしくもない、やり方だな。」
 静かに、ジェットが言った。
 言葉が、神経のどこかを鋭く刺した。
 俺らしい? 俺は一体なんだ? どの俺だ? 改造される前か、された後か? 人を殺す前か、殺した後か?
 ロボットと言った、あの男の声が甦る。
 違う、俺はロボットなんかじゃない。サイボーグだ。
 では、と別の声が言った。サイボーグとロボットと、何がそんなに違う?
 少なくとも、あの男にとっては、大した違いはないのだと、その声が続けて言った。
 俺は、人間だ。
 その声に抗うように、ハインリヒは、心の中で叫んだ。
 ロボットは、こんなことは、しない。
 腕を伸ばして、ジェットをぐいと引き寄せた。
 その唇に向かって首を伸ばすと、こぼれかけた言葉を、そこに封じ込める。
 あまりスマートとは言い難い始まり方だったけれど、ジェットをその気にさせるには、それでも充分なはずだった。
 舌が触れると、ジェットはもう、抵抗するのをやめた。
 手を伸ばし、マフラーを解く。それから、せっかちな仕草で、防護服の前を開けた。
 ジェットの両腕は、その間、だらりと体の両側に垂れたままだった。
 不意に、ジェットの腕が、背中に回る。
 「責任取れよ、アンタ。」
 髪を掴まれ、後ろに引かれた。肩を押され、床に押し倒された。
 ネクタイを解こうとして、もどかしげに指が喉にかかる。うまく指がかからないのか、ネクタイは、ゆるむより締まるばかりだった。 
 ハインリヒが、自分でそれを解こうと手を伸ばすより先に、ジェットが、ネクタイをそこに残したまま、シャツの襟をネクタイの輪から抜いた。
 性急な仕草で、シャツのボタンを引きちぎるように外し、裾を、ベルトを外しもせずに、ズボンから抜きにかかる。
 上着を脱がせることもなく、最低限の部分だけを剥き出しにして、ジェットは、ひどく乱暴に、躯を繋げに来た。
 ネクタイが絡んだままの喉の奥で、声がとがる。
 不様な姿で、床に転がって、上で肩を揺するジェットを、ハインリヒは薄目に眺めた。
 痛みと熱。確実に、そこにあるもの。
 俺は人間だ。
 ハインリヒは、もう一度つぶやいた。
 ロボットは、こんなことは、しない。
 醜悪な形ではあっても、人と---ジェットも、サイボーグだったけれど---繋がりたいと思うのは、人間の証しだと、思えた。
 熱をこすり合わせて、また別の熱を生む。たとえ重ねるのが、にせものの皮膚でも、そこに生まれるのは、確実に人が膚に持つ熱さだった。
 ジェットを、もっと奥に誘い込むように、ハインリヒは、大きく脚を開いた。両膝を、もっと近くに引き寄せ、その間に、ジェットを抱き寄せる。
 ジェットが驚いたように、一瞬、動きを止めかけたのを、躯を揺すって続きを促す。
 喉を反らして、ジェットの髪に、鉛色の指先をもぐり込ませた。
 躯の内側が、ジェットを包んで、その形に添う。ふくれ上がる熱を、もっと煽るように、柔らかな粘膜が反応する。
 ------おまえが、熱い。
 荒くなる、呼吸の音だけを聞いていたくて、ハインリヒは、通信装置を使って、囁いた。
 動きを止めずに、ジェットが、真っ直ぐにハインリヒの水色の瞳を見下ろした。
 ------アンタも、熱い。熱くて、溶けちまいそうだ。
 ジェットが、薄く微笑んだのが、見えた。
 機械の体がふたつ、床の上で、体温を重ねる。人間らしさの名残りの熱を、互いに伝えて、呼吸を繋げる。
 ハインリヒは、痛くなるほど、また喉を反らした。


 朝早く、電話が鳴った。
 ジェットの肩を越えて、受話器を取り上げると、そこから聞こえて来たのは、ギルモア博士の声だった。
 「起こしたかな。」
 ジェットがまだ、眠っているのを確かめてから、ハインリヒは、声を少し落とした。
 「キミが怒るのも、ムリはない。キミがワシに腹を立てとるなら、それも仕方ない。悪かったと、思っとるよ。」
 丸まった背中と、力なく落ちた肩が、目の前に見えるようだった。
 「ただ、あの男は、二度とキミにあんな無礼なことはせんよ。ワシに会いたいとも、一生思わんだろうがね。」
 「何か、あったんですか。」
 苦笑いが、小さく伝わって来る。
 ハインリヒは、受話器に向かって、怪訝そうな顔をした。
 「アゴに一発、お見舞いしただけじゃよ。アザにもならんだろうよ。もっとも、ワシの手は、痛んでるがね。」
 「ギルモア博士!」
 思わず、声を上げた。
 照れたように笑う声が、軽く上がる。
 「あんなのは、キミの痛みの、100分の1にもならん。それでも、やらんよりはマシだろうと、思ってね。」
 殴られたあごを押さえ、何が起こったのかわからずに、呆然としている男の顔が浮かんだ。
 目元を押さえ、首を振る。それから、笑いがもれた。
 「・・・・・・ありがとう、ございました。」
 電話へなのか、謝罪へなのか、それとも、ギルモア博士が取った、彼らしからぬ行為に対してなのか、はっきりとは示さずに、ハインリヒは、礼の言葉を口にする。
 またいずれと、短く締めくくって、電話はそれだけで終わった。
 受話器を戻して、ハインリヒは、またそろそろとベッドにもぐり込んだ。
 眠っているジェットの背中に胸を重ねて、そう言えば、ロボットは泣けないなと思いながら、額をすりつける。少しだけこぼれそうになった涙を、ジェットの裸の背中で拭った。




 コッペイさまへ。
 ずい分前に、リクエストいただいてましたが、放ったらかしですいませんでした。
 全然違うーっ(怒)と言う声が、ええ、聞こえますです。
 にっこり笑顔で、ギルモア博士をイジめる4(女王さまと老下僕仕様で)と、ケンカ腰な誘い受け4、ということでしたが、どこがだよー?
 墓穴を掘って、そこに埋まりつつ退散。
 骨だけ拾っていただけたら、幸せです・・・え? 図々しい?

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