So Gently We Go



 腕を引かれて、一歩前へ出た。握られた右手は、もう剥き出しで、それを少し気にしながら、肩に腕を回してくるジェットから、ほんの少し視線を逸らす。
 確かめるように、抱きしめてから、ジェットがまた体を離し、目の前で服を脱ぎ始めた。
 「アンタも、脱げよ。」
 明かりはない。けれど、闇でも見える目から、人目に滅多と晒すことのない体を隠すのは、不可能だった。
 ここまで来て、ごねる気もなく、何のためらいもなく服を剥ぎ取るジェットを見習って、ハインリヒも、シャツのボタンに指をかけた。
 ようやく、上を脱いだところで、ジェットが、もう全裸になって、ハインリヒを待っている。
 じっと見つめられているのに耐えられずに、うつむいたまま、ようやく、すべてを脱ぎ捨てた。
 視線が、膚の上を這った。
 観察か、嫌悪か、それともただ、眺めているだけなのか、ジェットの瞳には何の表情も浮かばず、ただ、伸びてきた腕が、また肩を抱き寄せた。
 ここまで来れば、もう、冗談ではすまない。
 覚悟を決めて、ジェットの背中に、両腕を回した。
 「・・・他人の体なんて、久しぶりだ。」
 ため息を吐くように、ジェットが、首筋の後ろでつぶやいた。
 それは多分、お互いさまだろうと思いながら、ジェットの、掌には生身としか思えない背中を、そっと撫でてみた。
 ジェットがあごを乗せている方の肩は、装甲が剥き出しになって、そこから、鉛色の右腕が伸びている。上半身の半分近くを覆っているその装甲を、ほんの少し恥じながら、ジェットの腕の中で、身じろぎもしなかった。
 こんなことなら、最後のメンテナンスの時に、人工皮膚を張ってもらえば良かったと思って、いきなりそんなことを言い出せば、何か勘繰られるだろうかと、ふと思う。思って、もう、次の機会を考えている自分の、その現金さに、少し戸惑った。
 これっきりかもしれないのに。
 ただ、好奇心で伸ばしただけの腕なら、もう二度と、自分に触れることはないのかもしれないと、そう思って、それがおそらく現実だと、理解している自分を、悲しいと思う。
 悲しいけれど、真実だ。
 誰が好き好んで、こんな体に触れたがるだろう。
 単純な、下世話な好奇心でもない限り。
 それだけのことだ。滅多と、仲間にさえ見せない体だった。自分で眺めることさえ、滅多とない。
 その体に、ジェットが触れたいと言ったのは、おそらく無邪気な、そして少しばかり切羽詰った、あまり口には出せない欲求のせいに違いなく、同じような好奇心のふりをして、冗談めかして、笑ってやった。
 その時、心臓が止まるほど驚いたのだと、ジェットに言ったら、どんな顔をするのだろう。
 裸の胸の、腹と、腰の辺りが重なり、素足の腿や、膝が触れ合う。
 素足とは言っても、そこはジェットも、ところどころ皮膚がなく、金属同士の触れ合う、硬い感触と音に、ハインリヒは思わず、笑い出したくなる。
 ほんとうに、機械がふたつ、抱き合っているのだと、そう思った。
 ジェットの手が、背中を滑って、ハインリヒを抱き寄せては、また少しだけ、離れてゆく。
 髪に指を差し入れて、まるで、動物の子でも撫でるように、指先が動く。
 触れて、確かめている。
 自分以外の、他人の体。触れ合っている、誰かのからだ。
 ジェットの息が、切なげに、首筋にかかった。
 機械と生身が、ぎりぎりのバランスで混じり合ったからだは、戦闘のために改造されていて、それなのに、よけいだと思える人間らしさも、残されている。
 残された形が、きちんと機能するのかどうか、確かめたことはない。
 ジェットと触れ合って、呼吸のたびに上下する、胸や腹にこすられて、人工心臓が、音を立て始めていた。
 思わず引きかけた腰を、ジェットが、長い腕を回して抱き寄せる。そのまま、その腕が、下へ滑る。
 腰の辺りにある、装甲と、生身に見える部分の接ぎ目を、指先がなぞって、それから、腕が伸びて、腿の裏を撫でた。
 膝に近い辺りも、冷たい金属の感触しかないのに、ジェットの手は、まるで壊れものにでも触れるように、そっとそこに触れて行った。
 覚えているはずもない、生身の感覚が、甦る。
 触れるジェットの、もうとっくに変わってしまった形に気づいていて、体を引こうとしても、長い腕がそれを許さない。
 振り払うのは簡単だったけれど、そうしたくはなかった。
 肩に乗っていた、ジェットのあごが浮き、首筋に滑って、頬と頬が触れ合った。
 ふたつの体の間で、互いに、感じる形があった。
 唇が、触れるだけで、重なる。
 「アンタの唇、柔らかいな。」
 指先で、撫でながら、ジェットが言った。薄闇に、目元が、赤く染まっていた。
 同じことを思ったのだと、口にはできずに、ハインリヒは一度顔を伏せ、赤く染まった頬のまま、首を伸ばす。
 自分から口づけると、ジェットの唇が、戸惑ったように、震えた。
 互いの体に、腕を回して、まるで恋人同士のように、唇の奥を探る。
 そうして、喉の奥から潤ってくるのと同時に、もっと奥底で、躯が、互いを欲しがり始める。
 ひとりで持て余さずにすむ熱を、今は身内からあふれさせて、ふたりは少しずつ、先へ進み始めていた。
 抱き合う、ひとのからだ。
 触れて、そして、求めてゆく。親密に膚を合わせて、見えない躯の内側を、互いに明け渡す。
 いつまでも、こうして触れ合っていたいと、思ったのは一緒だった。
 「・・・いやなら、いやって言えよ。」
 念を押すように、また首筋で、ジェットが言った。
 いつもは、引き止めるのが大変なほど強引なくせに、こんな時にだけ、奇妙に気遣いを忘れない。
 そのちぐはぐさに、羞恥を誘われて、ハインリヒは、耐えるように目を閉じた。
 憎まれ口を叩きそうで、けれどそれが、照れ隠しなのだと、ジェットには伝わらないだろうと思って、必死で唇を結ぶ。
 無言のまま、ジェットの首に、しがみついた。
 もう一度、返事の代わりに、その唇に触れて、今度は自分から、ジェットに体を押しつけた。
 隠す必要はないのだと、そう思いながら、そこにだけ残る人間らしさを、ふたりで分け合おうと思った。
 どこかに、感情があるのかどうかは、わからない。
 気軽で、手軽なことなのかもしれない。
 それでも、魅かれているのだと、感じる自分がいた。
 そうでなければ、こんなことに、なるはずもなかった。
 ジェットと同じほど、いつか素直になれるだろうかと思いながら、シーツとジェットの胸に挟まれて、ハインリヒは、細く長く、音もなく息をもらした。


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