Straight To Your Heart



 仕事の仲間に誘われれば、無下に断ることもできない。
 給料の出た週末、金曜の夜、ストリップジョイントに誘われて、ジェットは、うれしそうなにやつき顔をうまくつくれず、硬張る頬を何度も叩いた。
 女の裸なんて、珍しくもないけれど、そんなふうに眺めるのは、ひどく久しぶりだった。
 照れているわけではなく、ああ、こんなものだったのかと、正視できるようになるまで、少し時間がかかった。
 みなで、ステージの近くの席に坐り、近寄ってくる、これも、扇情的な服装のウェイトレスに、それぞれが勝手にアルコールを頼む。
 あいつは、アメリカのビールは嫌いなんだよな。そう思いながら、バドワイザー、と言った。
 やかましい音楽と、裸の女が腰を振る姿を見に来た男たちで、天井の高い、薄暗い店の中は、妙な熱気にあふれ返り、天井近くの、いくつものテレビでは、延々と、味も素っ気もないポルノが流されている。
 ここに来る男たち---常連も、一見も含めて---は、別に、女に不自由しているとか、ガールフレンドがいないとか、そういうわけではなく、ほんとうに、裸の女が踊ることを、娯楽として楽しむために、ここに来ている。
 裸の女が踊るのを見るのが好きなら、それはそれで楽しいのだろうと、ジェットは、運ばれてきたバドワイザーのビンに、口を近づけて思った。
 様々な女がいる。
 黒、白、茶色、ピンク色の濃い膚、胸も腰も大きな、けれど小柄な女、背は高く、胸や腰の薄い女、どこと言って、体に目立つところはなくても、ステージに上がって踊り始めた途端、淫蕩な笑みで、奇妙に視線を奪う女。
 仲間が騒ぐのに調子を合わせながら、ジェットは、ろくに、そんなものなど見てもいなかった。
 ほとんどの女たちが、シリコンを入れて、不自然に胸を大きくしている。顔も腰も、あらゆるところを、おそらくそんなやり方で矯正しているのだろうと、思った。
 自分の膝を、思わず撫でた。
 体を造り変える、そういう意味では、彼女たちもジェットも、よく似ている。
 改造人間。サイボーグ。こちらは、機械のからだ。あちらは、にせもののからだ。けれど、どちらも、ほんものではないのは、一緒だった。
 仲間かと、そう思って、ふとおかしみがわく。
 喜んで金を払う男たちのために、女たちは、裸を、より魅力的---その、男たちにとって---にするために、改造を施して、見せる。
 喜んで金を払う人間たち---賭けてもいい、大半は男だ---のために、ジェットたちは、兵器---戦争のための---として、改造を施されて、戦う。
 音楽が途切れ、ステージから、踊っていた女が、ゆっくりと下りた。
 ジェットは視線を巡らせて、大きなテレビの画面に映る、裸の男女の絡みを、見るともなしに眺める。
 大げさな喘ぎ声、無茶な動き、表情はなく、ほんとうに、躯だけを絡め合っている、複数の人間たち。
 ここにも、にせものがある。
 オレたち以上のにせものが、世の中にはあふれてるってことさ。
 自嘲が、知らずに、口元に浮かんだ。
 世界に向けた憐れみでもあったそれに、ジェットはふと、いとしい人の横顔を、思い浮かべた。


 アパートメントに戻って、もう、ずい分前に、土曜日に日づけは変わっているけれど、すぐには眠る気にならず、歩いて帰る途中で買った、大きな紙コップのコーヒーを、リビングのコーヒーテーブルに置いた。
 テレビをつけ、上着を脱いで、どさりとソファに体を落とす。
 ストリップジョイントの中の、大音響の音楽のせいで、まだ、耳の奥で耳鳴りがしていた。
 覚えている女たちの、顔と体と、ステージでの動きを思い出しながら、そのどれにも、一向にそそられなかった自分を、うっすらと笑う。
 仲間たちと一緒に、興奮しているふりをしながら、その実、早く店を出たくて、たまらなかった。
 生身の女を、抱けないわけではないし、その気になれば、楽しむこともできたけれど、ジェットに触れて、怪訝な表情をするかもしれない女に向かって、言い訳をするのが面倒で、好きな女に悪いからと、何度も、酔いの回り始めた仲間に、苦笑いを返した。
 うそではない。好きな相手が、女ではないだけで、悪いと思っているのは、決してうそではない。
 離れている時間が長すぎて、何かあっても、それはそういうことだと、互いに受け入れるべきだと、それを暗黙の了解にしながら、けれど互いに、他の人間---もちろん、生身の---に触れる気にならず、せいぜいが、今夜のジェットのように、裸で踊る女を、付き合いで見に行く程度のことだった。
 暗闇なら、生身とごまかせるジェットと違って、向こうは、服を脱ぐことさえ、ためらわれる体だから、ほんとうに、ジェット以外の誰とも、そんなことはないのだと、たやすく信じられた。
 ソファに体をもたせかけ、ジェットは、ひどく脱力している。
 気分が沈んで、決して、憂鬱なわけではなく、体も心も、何となくけだるい。
 そのくせ、どこかに、小さな熱気がこもっていて、それが、小さいけれどひどく密で、腰の辺りに、重い。
 気軽と、男とでも女とでも、やってしまえればいいのにと、思う。そうすれば、こんなけだるい気分を、味あわずにすむ。
 皮膚が、寒い。
 テレビは、タイトルのわからない、古い映画をやっていて、ジェットは、つまらなくて、テレビを消した。
 コーヒーに手を伸ばし、一口すすって、それから、以前一度見て、それきり放ってある、ポルノビデオのテープがあることを、不意に思い出す。
 同僚の誰かが、よかったぜと、コピーを回してくれて、よけいなことをと思いながらも、笑顔で受け取ったものだった。
 感想を聞かれるのがわかっていたので、画質の粗いそれを、1時間、話を合わせるためだけに、見た。
 けだるい気分を、もっとけだるくして、睡魔をおびき寄せる手伝いくらいにはなるかもしれないと、そう思った。
 ごそごそと、テレビの下の、ビデオデッキの置いてある棚の回りに手を突っ込んで、そのテープを探し出した。
 がしゃんとデッキに差し込んで、しばらく砂嵐を眺めた後、いきなり、女が現れて、服を脱ぎ始める。
 ジェットは、部屋の電気を消して、ソファに戻った。
 画質のせいで、確実ではないけれど、この手の映画には珍しく、顔立ちの整った、きれいな女優だった。体のどこも、手術で形を変えた気配がないのも、ジェットには、わりと好ましかった。
 ごく普通に、全裸で、男と絡む。
 口や手を使って、男に触れる。
 背中の覆う、波打った髪は、白っぽい金髪で、白い肌に、唇だけが、毒々しく、厚く、赤い。手足の爪も、似たような色に塗ってあった。
 男は、ヒスパニック系か、コーヒーにミルクを注いだような肌の色に、胸や腹の辺りが、むやみにぶ厚い。背はあまり高くなく、大げさな表情をつくって、肌の白いその女と絡んでいた。
 唇や爪の赤さが、ひどく神経に刺さる。
 色のない、皮膚と、爪と、瞳の色と、髪と、女とは違う形の、体。
 生身の人間には見えない、右側の上半身は、冷たい金属の装甲が剥き出しで、右肩の、腕の接ぎ目に触れると、いつも小さく声を上げる。
 ジェットは、下唇を、舐めた。
 画面の中の女を、頭の中で、すり替える。
 声と顔と体と、できるすべてを変えて、記憶をたぐり寄せる。
 足を開いて、ジーンズの前に、手を触れた。
 思い切って、じかに触れて、唇を噛んだ。
 平和な時間が続けば、会うことすらままならず、世界が穏やかであることは、喜ぶべきことのはずなのに、自分は必要とされていないのだと、そう、ひねくれて感じることが、ある。
 こんなふうに、誰かと繋がり合う行為と、闘いの中に飛び込んでゆく感覚と、似ていると言えば、人でなし呼ばわりでもされるのだろうか。
 血が沸く。頭の中が、熱くなって、自分の中が熱で満たされて、視界が狭まる。目の前のものしか見えず、夢中になる自分を感じる。
 興奮。
 対象も行為も違うけれど、同じ核を持つ、感覚。
 手の動きを早めて、ジェットは、唇を軽く開いた。
 湿った吐息をこぼして、テレビから聞こえる音に、目を閉じる。脳裏に浮かぶのは、記憶の中にある、白い貌だった。
 冷たい腕が、首を抱く。しがみついて、必死に、さらわれまいとする。動くジェットに合わせて、声を上げる。合わせた胸は、かすかに暖かく、繋げた内側は、生身のそれのように、熱い。
 思い出していた。
 思い出しながら、ジェットは、まぶたの裏の薄闇の中で、視界を狭めていた。
 ハインリヒ。
 脳内通信装置で、思わず、叫んでいた。
 白く弾けて、掌に、ぬるりと受け止めて、ジェットは、大きく息を吐き出した。
 ビデオはまだ、女の喘ぎ声を、こぼし続けている。
 欲しいのは、そんなものではないのだと、そう思う。
 濡れた手を見下ろして、ソファから立ち上がる。バスルームで、手を洗って、服を整えて戻ってきてから、ビデオを止めた。
 平和な時間を、普通の恋人たちのように、幸せに過ごしたいと、叫びたいほど強烈に、思った。
 慣れ合いでもいい。傷の舐め合いでもいい。たどり着く先のない者同士の、慰め合いでもかまわない。
 大人ぶって、それだけの関係なのだと、信じ込む必要はないのだと、そう言ってやりたかった。
 素直になろう。言いたいことは、言ってしまえばいい。
 逢いたい。触れ合いたい。抱きしめて、お互いだけを、見つめていたい。
 まるで、普通の、恋人同士のように。
 笑われるだろうか。黙り込んでしまうだろうか。ばかなことをと、あしらわれるだけだろうか。
 けれど。
 きっと。
 同じことを思っているのだと、確信があった。
 言い出せない気持ちはわかるから、だから、向こうが素直になれないなら、自分が素直になればいい。
 機械が2体、生身の心を抱えて、それを分け合いたいと思って、それを笑う誰も、咎める誰もいないことを、ジェットは知っている。
 仲間たちの、顔が、ひとつびとつ、浮かんだ。
 ひとりで生きて行くと強がるのは、下らない意地の張り合いだと、フランソワーズ辺りが言えば、ハインリヒはどんな顔をするだろう。
 ふっと笑って、その笑いに勇気づけられたように、ジェットは、電話を取り上げた。
 ドイツは、今何時だろうかと、時差を数えようとして、やめる。
 家にいるかどうかもわからなかったけれど、鳴り続ける電話の音で、繋がっていることを確認するだけでもかまわないと、そう思った。
 滅多にかけることもない、けれど、頭の中には刻み込んでいる番号を、久しぶりに思い出す。
 長い沈黙の後に、ぷつりと、海と大陸を越えて、繋がる音が始まった。
 ジェットは目を閉じて、それを数えた。


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